第24話 やってやり過ぎることはない
ファビオ殿下の目の前に積み上げられた書類の最も上に、俺が持参した報告書が重ねられた。今朝のミーティングはいつもより長引いている。
「いきなりマリーノ伯爵家に関する調査報告書なんて持ってくるから驚いちゃったな。加護無しの母親に入り婿の父親かぁ。入り婿なのに妻が死んですぐに後妻連れてくるって、よくやるよねぇ。加護持ち至上主義社会の弊害ってやつだ」
「加護のある者のほうが社会への貢献度が高いのです。ある程度は仕方のないことと言えるでしょう。ところで殿下」
「大丈夫。ジョエルとの婚約の件でマリーノ伯爵から父上のところには、なんの相談もきていないそうだよ。さすがに言い訳が思いつかなかったんだろうね、ミリアム嬢からアリーチェ嬢へ変更するときに散々ごねたから」
「……そうでしたか」
「あーっ! いまホッとしたね? ふふーん、ジョエルは『アリーチェ嬢でよかった』ってなったわけだ」
「殿下の気のせいです」
と言いつつも、右手に彼女のぬくもりが思い出される。
先日のパーティーでの出来事や、我が家へ押しかけて来た件を考慮すれば、ミリアム嬢のほうがよいという選択にはなりようがない。つまり気のせいだなどと誤魔化す必要などないと言うのに。
「えー本当にー? でもジョエルは前よりさー」
「報告書をお持ちしたのはマリーノ家の事情をお知らせするためではありません。彼らの管理する港には定期的に申請外の船が寄港している、ということに注目していただきたい」
「わかってるってー。いつも決まってイージュラ大陸東部の国の船が来るって話だよね。それで国に届け出た船の数が合わないから、法外の輸出入があるかもって」
殿下は積み上げられた書類の中ほどから1枚引っ張り抜いて目を通し、『確認済』の箱へ放り込んだ。そしてまた別の紙へ手を伸ばす。
「禁制品の密輸と関係があるかもしれませんが、私的な調査ではこれより深くを知ることは難しい。調査の許可をいただこうかと思ったが、マリーノ家に対して俺が出るべきではないでしょう。公正さを疑われかねない」
「へいへい、こっちで調べろって言いたいんでしょ。やっとくやっとくー。いいように使ってくれちゃってさ、まったく、これじゃどっちが王族だかわっかんないなー」
次から次へと書類に目を通しながら、口元は綺麗な弧を描いている。こう言いながらも楽しそうにしているので、問題なく動いてくれることだろう。
しかし昨日のことを相談、いや報告すべきか否か……。
昨日アリーチェを公園墓地へと連れ出した際、あとをつけるような素振りを見せる男がいた。平民を装ってはいたが足運びや手の振りひとつに貴族教育が見て取れたし、試しに喫茶店へ逃げ込んでみれば店の前で様子を窺うという素人ぶりだ。
そして、見覚えのある顔だった。あれは確かロヴァッティ卿のパーティーでミリアム嬢と痴話喧嘩をしていた相手だ。あとで聞いたところによるとカッターニ子爵家の次男だとか。
カッターニは我がフォンタナの傍流ではあるものの、血が薄く交流は全くない。しばらく加護を持った子が生まれないことが続き、治水業からも離れているはずだ。
俺への逆恨みならいいが……。
逡巡する俺に書類から目を話した殿下が訝しげに問う。
「あれ、まだなんか言いたいことが?」
「あ……いえ」
「ねぇ知ってるよー、昨日の午後デートしてたんでしょ。エリゼオから聞いたんだよね、アリーチェ嬢が『これからジョエル様とお出かけなんです~』ってニコニコしてたって。かっわいいよねぇ」
アリーチェを真似したつもりか、殿下が腰をクネクネと動かして気色の悪いことこの上ない。
こうやって俺を嫌な気分にさせて、さっさと追い出そうというわけだ。
「殿下……そのけったいな動きはよそでやらないでくださいよ」
これ見よがしにため息をついた俺の目の前に、殿下が『要確認』と記載された箱を滑らせる。その箱の中の書類を見て俺はさらに嫌な気分になった。本当にこの人は嫌がらせが上手い。
「それ。前に頼んでおいた行方不明者急増の件さー、進捗報告があがってないんだよねぇ。どうなってんのかなー」
「失礼しました。やはりガラの悪い輩が関係しているらしく、アジトと思われる酒場に部下を潜入させているところです。じきに報告があるかと」
「なるほど。新妻にうつつを抜かして仕事が適当になってるのかと――」
「まだ妻ではありませんし、うつつを抜かすほどたるんでもいません」
「そっかー。そうだね、興味がないんじゃなくて、たるんでないんだよね。いや、うつつを抜かすのはイイと思うんだけどねぇ。新婚って楽しいだろうし。仕事さえきっちりやってくれればね、うんうん」
意地の悪そうな瞳ときゅっと口角を上げた殿下の表情に、ふっと肩が軽くなった。どうやら知らず知らずのうちに強張っていたらしい。
そうだ。妻となる人を守ろうとするのに、やってやり過ぎるということはない。
「殿下、カッターニ子爵家の」
「ああ、ミリアム嬢の元カレ? この前騒ぎを起こした……ディエゴだっけ」
「そうです、次男の。何かご存じのことがあればと」
一瞬だけ探るような視線が走ったが、殿下は手にしていた書類を置いて腕を組む。すーっと息を吸う音がした。
「さぁねぇ。子爵家のことはなぁ。あ、でも。カッターニってもうずっと加護持ちが生まれなかったじゃん。次も生まれなかったら取り潰しって噂だったけど、息子ふたりとも加護持ちで良かったよねぇ」
「あぁ、そういえば治水のノウハウがなくなってしまったため、結局存続は危ういままだと聞いたことが」
「長男は必死に学んでるから大丈夫だろうさ。カッターニの救世主ってね。でも問題は弟ディエゴだよ」
今日はずっと機嫌良く笑っていた殿下だが、ディエゴの話をするにあたって、今日イチバンの笑顔を見せた。




