第21話 知りたいと思うと同時に壁の存在に気づかされました
付与術の勉強が始まって、もう3週間ほど経過したでしょうか。
週に2回、もしロヴァッティ伯爵にお時間があればさらにもう1回、というハイペースで授業が進められています。それに淑女教育とダンスのレッスンで、毎日てんてこ舞いです。
公爵様は相変わらずお忙しそうですが、今日はお出かけの予定はないとのこと。朝もお昼もお食事をご一緒できてホクホクしています。
今日は午前中が朝のルーティンと付与術の授業。午後はダンスのレッスンというスケジュールでした。
すらっと背の高い女性の先生は、丁寧な物言いですがとっても厳しくて。終わるころにはいつもヘトヘトになってしまいます。
習い始めたばかりの頃は、レッスンのあとには死んだように眠ってしまったものです。でも今はレッスンのあとにひとりで復習できるくらいに元気……ええと、休憩は必要ですけど。
レッスンを終えて先生を見送り、ふぅーと深く息を吐いたところにマッテオさんが通りかかりました。
「ああ、ちょうどようございました。いま旦那様にお茶をお持ちしようと思っていたのですが、急ぎ片付けてしまわねばならない仕事がありまして。大変お手数なのですが、代わりに執務室までお持ちいただけませんでしょうか」
マッテオさんはとても申し訳なさそうな表情で、伺うように首を傾げました。
これはもしかして……お仕事!
「はい! 給仕もお任せください!」
「ホッホッ。給仕だなんてとんでもない。せっかくですから旦那様とご一緒に、ごゆるりとティータイムをお過ごしください。お茶はただいま準備させておりますので」
「一緒に……。あっ、そうですね、そうね。私とふたりぶん別々に用意するより、一緒にいただいたほうが皆さんも面倒が少なくていいわね!」
「ホホ……。少々認識に齟齬がございますが、この際それで構いませんね。ええ、どうぞよろしくお願いいたします」
マッテオさんはスキップでもしそうな軽やかさで自室へ向かい、私はキッチンを経由して公爵様の執務室へ。
ノックに返事はありません。
え、どうしましょう。お返事がないということは、お部屋にはいらっしゃらないということですよね?
それともお返事を聞き取れなかった可能性もあるでしょうか?
あ、でもお部屋にいらっしゃらなかったらきっと鍵をかけてますよね、そうですよね。つまり、まずは開けてみて……。うううう、本当にいいのかしら。
恐る恐るドアハンドルに手を伸ばし、ゆっくりと引っ張ります。
書斎に誤って入ってしまって叱られた過去が思い出される……。どうか鍵がかかっていますように!
というお祈りを精霊様や神様に聞き入れていただいたことはありません。はい。
小さく開いた扉の隙間から中を覗くと、窓を背にするように設置された大きな書き物机に公爵様の姿はありません。
やっぱりいらっしゃらないんだわ。お茶はまたあとで折を見て……。
あら。何か人の声のようなものが聞こえました。耳を澄ましてみれば、唸り声のようにも思えます。もしかして、体調が悪いのかも!
「公爵様っ?」
扉を開け、ティーセットの乗ったカートをさっと室内へ。公爵様のお姿を求めてぐるりと室内を見回すも、人影はありません。
勘違いだったかしら……。
「――めだ。行くな」
「えっ」
足元付近で公爵様のお声がします。まさかと思ってよく見てみれば、3人掛けの大きなソファーで公爵様が横になっていました。わぁびっくり。背もたれで隠れていて気づきませんでした。
おそばへ寄って様子を窺ってみると、お顔こそ眉根を寄せて苦しそうですがお昼寝をしているだけのよう。
お茶は濃くなりすぎてしまうので、お水とお菓子だけ置いて戻りましょうか。だいぶお疲れのようだし、起こしてしまっては悪いですからね。
「ごめ……なさい、ち……うえ」
寝言……。なんて痛ましい声でしょうか。
見れば公爵様は何かを求めるように片手を上げていました。私は思わずその場に膝をつき、伸ばされた手を取って両手で包むように握ります。
どうか安心して眠ってほしい。どうかいい夢を見てほしい。そう願いながら「大丈夫」と繰り返し囁きかけました。
「ん……。アリー、チェ」
ゆっくりと公爵様のまぶたが持ち上がり、ぼんやりと天井を見ているようでした。彼の手を握っていた私の手はぎゅっと握り返され、引き寄せられて彼の頬へ。
私の名を呼んでいたように思うのですが、寝ぼけていらっしゃるのかどうにも反応が鈍い感じ。
「公爵様? お目覚めですか?」
「……アリーチェ?」
こちらを向いた公爵様と目が合うやいなや、彼はガバっと起き上がりました。すごい反応。
起き上がってから一瞬だけこちらを見て、そして頭を抱えました。
「あの、ご体調はいかがですか? 頭痛などは……」
「いや、大丈夫だ。大丈夫」
頭を抱えたまま深い溜め息をついた公爵様でしたが、顔を上げることなく何か呟かれました。
でも小さな声だったために聞き取ることができません。
「えと、公爵様?」
「すまない、出て行ってくれ。すぐに」
それは久しぶりに聞く冷たい声でした。
先ほどまで握られていた手のぬくもりがあっという間に冷えていきます。
「失礼します」
よくわからないまま無性に悲しくなって、ひとつ頭を下げると小走りで部屋を出ました。
今までまるで気付かなかったけれど、公爵様と私の間にはとても高く厚い壁があるのだと思います。それがファビオ王子殿下のおっしゃっていた「封印」と関係があるのかはわかりません。
ただ、私は自分自身が公爵様のことをもっと知りたがっていたのだとわかりました。そして、それをいま拒絶されたことも。




