第20話 王子様は性悪なのかもしれません
「ジョエルの秘密、知ってる?」
そう言った王子殿下は、私の返事を待たずに人払いをしました。護衛騎士の人がほんの少しの躊躇さえ見せなかったのは、非力そうな私が殿下を害することなどできないとお考えなのでしょう。
まぁ、正解ですけど。
部屋から誰もが出て行って扉の閉まる音がやけに大きく聞こえました。
「知りません」
「知っておいたほうがいいよ。僕が話す。この意味はわかるよね?」
聞かない選択肢はないということですね。
公爵様が秘密にしているのなら、ご本人が話したくないのなら、知らないままでいたかったのですが。
殿下は左手でご自身の唇を指差します。
ハッとした次の瞬間、下唇に痛みが走って私は唇を強く噛んでいたことを知りました。
「はい」
「うんうん、素直な子は好きだよ。ジョエルってさぁ、冷酷非情だなんだと言われてるよね。どうしてかって言うと、感情を封印してるからなんだ」
「感情を? でも、公爵様はお優しい方です」
「人付き合いに困らない程度の情はあるよ。彼が封印したのは家族の記憶と愛情なんだから」
それから王子殿下は公爵様の過去について淡々と語られました。
家族旅行の最中、山道を移動中に嵐に見舞われ馬車が崖から落下。公爵様は奇跡的に生還したもののご両親はその事故で亡くなり、齢8歳にしてフォンタナ家当主となられたとか。
「8歳ですか」
「そんな小さいうちから家族を失うんだから、それはそれは苦しんだことと思うよ」
「そんなことが……」
膝の上でぎゅっと手を握り合わせました。
私も生まれたときには母がいなくて……唯一甘えさせてくれた乳母も4つか5つの頃にはいなくなっていました。それから家族らしい家族は私にはいなかったのですけれど、でも元々いなかったぶんだけ、私のほうがマシなのかもしれません。
愛する家族を一瞬のうちに失うとはどういう気持ちでしょうか。想像することさえ難しい事実に、私は公爵様の選択を否定することはできないだろうと思ったのです。
脳裏にはずっと、肖像画にジャケットを被せてしまった公爵様の横顔ばかりが浮かびます。
「情が薄いからこそ苦しまず仕事に邁進できるというメリットもあってね、個人的にはこのままでいいかと思うこともあるんだ。だけど、幼い頃に見たジョエルの本当の笑顔をまた見たいなって」
一瞬だけ殿下のお顔に浮かんだ寂しそうな表情。不思議な輝きを持つそのヘーゼルの瞳は遠い昔を見ているようでした。
「あの、なぜその話を私に? 『愛することはない』とは公爵様にも言われていましたから、その理由を知れたという意味ではホッといたしましたが」
なんだか、公爵様から愛されないからと言って私が傷つかないように、というような気遣いからこのお話が始まったようには思えないのです。
そんな安っぽい優しさというか、単純な理由ではないような気がするというか。
陶器のぶつかる音に顔をあげると、殿下がカップをソーサーへ置いたところでした。リラックスした様子でこちらを流し見ています。
「アリーチェ嬢なら、ジョエルを変えられるのではないかと思ってね」
「あ……いえ、お言葉ではございますが封印を解けとは言えません。私は彼の傷を真に理解できませんから」
「なるほど。でも大丈夫、そのままでいいんだからね。だって、ジョエルはもう変わり始めてる」
席を立った殿下が向かったのは、私の後方に飾られた花でした。私も立ち上がり、そのお姿が視界に入る距離を保って様子を伺います。
「花はアリーチェ嬢が飾ってると聞いたけど」
「はい、私が飾っています」
「このカスミソウだけ位置が低いね、バランスがおかしいな」
「それは……切り過ぎてしまって」
振り返って笑う殿下に、ああ、と息を飲みました。この方の目には何が見えているのでしょうか。見透かされている感じがすごく怖い。
「応接室を飾る花として、これをこのままにする人物には見えないんだけど」
「こ……公爵様が」
「やっぱりねぇーーーーーっ!」
突如、殿下はお腹を抱えて笑いだしました。
やっぱり言わないほうが良かったかしらと、少しずつ焦りが湧いてきました。どうしましょう、あとで公爵様に叱られるかも。
あわわ、と再び頭から血の気が失せて来た頃、ノックの音が殿下の笑いを止めました。
殿下は肩を震わせながら元の席に戻り、入室を許可します。
「……何を笑ってるんです? 人払いまでして」
公爵様を先頭に、ロヴァッティ伯爵や護衛の騎士様たちがぞろぞろと室内へ入っていらっしゃいました。公爵様がお座りになったのを確認してその横に掛けると、「大丈夫か」と小声で聞いてくださいました。
えっと、私は大丈夫なのですけど、公爵様が大丈夫じゃないかもしれません。とは、もちろん言えず。
「だってジョエルが花を飾ったんだって? あははは!」
「ち、ちがいます。私が飾っ――」
「ジョエルが手伝ったんだったね。あははははは! ジョエルが、花を! いやすまないね。無理に言わせたんだ、アリーチェ嬢を責めないであげてよ」
「わかっています。アンタのやりそうなことだ」
公爵様は深い溜め息をついたものの、それ以上は何もお咎めになりませんでした。殿下と目が合うと、「ほらね」とでも言いたげにウインクをなさいました。パチッと。何が「ほらね」なのか、まったくわかりませんけども。
その後はロヴァッティ伯爵が正式に私の家庭教師に決まったというお話をされて、おふたりはお帰りになりました。
「じゃあ、次に婚約者殿に会えるのは精霊祭かな。楽しみにしてるね!」
そんな言葉を残して公爵邸を出た殿下でしたが……精霊祭とはなんでしょう、お父様やミリアムが出席していたことは覚えているのですが。
「あの、精霊祭とはなんでしょう?」
「説明は今度だ」
公爵様はもう一度だけ溜め息をついて、自室へと向かわれました。




