第17話 花瓶を探していただけなんです
公爵様がお花を飾るのを手伝ってくださってから一夜が明けました。昨日はあの後、平静を保たなければという気持ちばかりがいっぱいで、どんな会話をしたかも覚えていません。
今日は今日で公爵様がお忙しいようで、屋敷にはいらっしゃるもののずっと執務室にこもっています。朝食も別でしたので全くお顔を合わせることもなく、寂しいような、でもホッとするような。
こんな風に気持ちが落ち着かないときにはお掃除をするのがいちばんなのですが、私に与えられたお仕事はお花を飾ることです。……というわけで、昨日やり残したぶんをやっつけてしまおうと、水桶を片手に歩き回っているわけなのです。
午後になると、公爵様のおっしゃっていた新しい家庭教師の先生とのお顔合わせだそう。昼食をいただく時間やお客様をお迎えする準備の時間を考えれば、そんなに余裕はないので頑張ってます! おかげでちょっと気分も持ち直しました。我ながら単純です。
とはいえ。
「元気なお花が多かったせいか、だいぶ余ってしまったわ……」
しょんぼり呟いて水桶を覗き込みました。あと花瓶ひとつぶんくらいありそう。
少しずつ既存の花瓶の中に付け足して回るか、あ、もしかして自分のお部屋にいただいてもいいかしら! 実は小さな黄色の薔薇をテーブルに飾ってから、窓の側にもお花があったらなーなんて欲がわいてしまって。
お客様が来るのがわかってるんだし、応接室に増やすという手も。
どちらにせよ、もうひとつ花瓶を調達する必要がありますね。
昨日は心ここにあらずという状態になってしまったので、使わなかった花瓶をどこに保管したか聞きそびれたというか……覚えていないというか。
確か、地下の倉庫ではないということと、廊下の奥と言っていたような気がするのです。2階かしら、それとも3階?
「よし、空き部屋や物置き部屋をぜんぶ覗いていきましょう!」
恐らく3階だろうと思うのですが、念のため2階から。そもそも2階は目ぼしい部屋がほとんどありませんからね、確認するだけしておく感じで。
東側の納戸はリネン類が中心、西側は骨とう品が多くありましたが花瓶はなし。はい、目ぼしい部屋の確認は終わりです。さっさと3階へ……。
ふと目に入ったのは、以前お屋敷を案内していただいた時にご紹介いただけなかった部屋の扉です。公爵様や夫人用のお部屋と並ぶわけですから、物置き部屋ってことはないと思うのですが。
念のため、念のため、と心で言い聞かせながら、そっと近づいてドアハンドルに手を伸ばします。不思議と足音を忍ばせてしまうのはなぜでしょうね。
北方文化を感じさせる装飾のドアハンドルがカチリと音をたて、重い扉が開きます。鍵が掛かっていないということは、入るのを禁じられてはいないはず。
「書斎……?」
ここだけやっぱりヒンヤリしているというか、肌寒く感じるお部屋です。
正面に重厚な机があり、左手側の壁には本棚が並んでいます。机の前には小振りなローテーブルとソファが二脚。右手側には本棚のほかに胸までの高さの棚。中でも最も目を引いたのは、棚の前で机のほうを向く絵画でしょうか。
誘われるように室内に入り、絵の前に立ちました。
短辺は私の腕の長さと同じくらいでしょうか、貴族の屋敷に飾るものとしては小さいほうと言えるかもしれません。
ただ、そこに描かれているのは……。
「この真ん中の男の子は公爵様かしら。すると両脇にいらっしゃるのは前公爵夫妻?」
優しそうな女性と小さな男の子がソファーに並んで座り、その背後で厳めしい表情の男性がソファーの背に手を置いて立っていました。銀色の髪も金色の瞳も表情さえも前公爵様にそっくりで。けれども全体的なお顔の造形は夫人譲りのようです。すらっと細い鼻筋、薄く大きな口。
「可愛い……っ! これよく見れば瞳だってお母さま譲りなのだわ。月のような静けさがあるのは夫人のほうだもの」
最っ高に可愛いのです、本当に可愛い。幼少期の公爵様すごい癒し効果ですよ!
それに、こんなにすました表情の絵でさえ伝わって来る家族間の愛情。どれだけ渇望しても私には生涯手に入れることのできないものです。
まぁ、手に入れられないという意味では公爵様も同じですけど。こうして実感できる思い出があるのはちょっとだけ羨ましい、なんて。
「何をしている」
突然響いた低い声に、思わず拳ひとつぶんくらい飛び跳ねてしまいました。振り返ってみると、入り口に立っていたのは公爵様です。金色の瞳はかつてないほど鋭くて、でも怒っているというより混乱しているといった雰囲気でした。
「あの、か、花瓶がどこにあるのかわからなくて、それで、鍵が掛かってなくて」
「ここは……ここに花瓶はない。鍵を掛けていなかったのはこちらの落ち度だが、立ち入り禁止と覚えておいてくれ」
大きな歩幅でこちらへやって来た公爵様は、横に立って肖像画を見つめました。けれど、次の瞬間にご自身のジャケットを被せてしまったのです。
「え……」
「さあ、花瓶を探しに行くといい」
こちらを見ることなく発された言葉はひどく悲しげでした。
ひとつ頭を下げて部屋を出ようとしたのですが、公爵様の悲しそうな声が気になってつい振り返ってしまい……。
なんですかアレっ!
机のほうから何か青白く光るものが公爵様へと吸い込まれていきました。その瞬間、室内の温度が微かに上がったような。気のせいのような。
一体何が起きたかと思ったのですが、公爵様がこちらを振り向く気配を感じ取って逃げるように部屋を出ました。
それを追いかけるように公爵様の声が。
「午後、家庭教師と共に王子殿下もいらっしゃることになった。心の準備をしておけ」
「えっ……、えぇーーっ?」




