第14話 ここは大切な居場所なのです
エレナさんはすぐに部屋を出て行き、メイドはお茶の用意を終えると扉のそばに控えました。ミリアムはくるりと周囲を見回します。
「マリーノに関する大事な話をしたいの。メイドは下げてくれない?」
「このお屋敷に他言するような方は誰もいらっしゃらないわ。それでも聞かせられないような重大な話なのね?」
「ええそうよ。ただひとつ言っておくけど、それはお人好しではなく頭が足りないって言うの。お姉さまはまだ公爵家の人間ではないの、わかる? あの人たちにとってお姉さまはただの居候でしょ、誰が秘密を守るって言うのよ」
「なんてこと……!」
ミリアムの心無い発言に言葉を失いましたが、一方でそれを認める私もいます。そうです、私は居候にすぎず、ここに置いてもらうためにお仕事をくれとお願いしている身なのです。
だからと言って皆さんが私たちの話を言いふらすとは思いませんけれど、それをミリアムに一方的に信じさせることは難しいでしょう。加えて、家族以外には絶対に知られてはならない重要な機密であると言ってますしね。
私は息をついてメイドを振り仰ぎました。
「他言するとはもちろん思っていませんけれど、より重要なお話とのことなので。すみません」
「何かございましたらベルでお呼びください」
メイドは深々とお辞儀をして、応接室を出て行きました。
扉が閉まり切るのを確認したミリアムが、片側の口角を上げます。こちらのほうが見慣れたお顔です。
「えと、それで、何があっ――」
「ねぇ。さっきも言ったけど、お姉さまはまだただの居候なのよ」
「もちろんその通りよ。婚姻の儀は三月近く先だし……」
「あたしね、冷静に考えてみたんだけどやっぱりフォンタナ公爵家に嫁ぐべきはあたしだと思うの」
「えっ?」
ほんの少し前のめりになったミリアムがこちらを見つめたままテーブルの上のクッキーに手を伸ばしました。
「これは君命で決まった婚約でしょ? 目的はフォンタナ家の加護を薄れさせないため。だったらやっぱり精霊様の加護があるあたしが嫁がないと」
「でも、あなた公爵様は嫌だって」
「昨日の夜会で暴漢に襲われかけたところを助けていただいたのよ。ぜんっぜん冷酷非情なんかじゃないって気づいたの。あんなにカッコイイとも知らなかったし」
確かに公爵様は昨夜、夜会へとお出かけになっていました。
でも暴漢って!
「暴漢だなんて、大丈夫だったの? 昨夜の夜会は王家主催のものだったでしょう、身元の確かな人しかいないと思うのだけれど、何か抗議とか――」
「今はそんなことどうだっていいの! とにかくね、お姉さまがこの家でチヤホヤされるのはジョエル様の婚約者だからというだけのことでしょ。あたしのほうが公爵夫人にふさわしいし、それに、ジョエル様だってお姉さまよりあたしのほうがいいはずだわ」
社交に出るなと言われた私は、淑女教育だって中途半端なままでした。ミリアムのように手入れの行き届いた髪やお肌でもないし、肉の少ない体はドレスさえ貧相に見えてしまいます。
だからミリアムに返す言葉はありません。返す言葉はありませんけど、でも、そんな私に居場所をくれたこの家を……失いたくないっ。
「それを決めるのは私でもミリアムでもないわ。お話は他にある?」
「あ、あたしには決められるわ。お父様はあたしの言うことならなんだって聞いてくれるし。だってこれは元々あたしにきたお話だし」
「どちらにせよ、今ここで決められるお話じゃないでしょう?」
「アンタが家に帰るって、そう言えば済むでしょっ!!」
激昂したミリアムが、叫びながらテーブルに手をついて勢いよく立ち上がりました。ガチャガチャとカップ類が耳障りな音を立てます。
直後、ドアが強くノックされました。エレナさんの声です。
「アリーチェ様、いかがなさいましたかっ!」
大丈夫とも入ってとも言えないまま、私はミリアムと睨み合います。これだけは譲れない、譲りたくないのです。
私の事情に深く立ち入らず、けれども快く受け入れてくれた公爵家。やっとできた居場所。
公爵様とお父様とが婚約を取りやめると決めない限り、私は私の口から手放すなど言えません。
あまり間をおかず、エレナさんが応接室へと入って来ました。複数のメイドがその後に続きます。
「失礼いたしますっ!」
エレナさんは室内の状況をさっと見ただけで、私よりも前方、ミリアムをすぐに制止できるような位置へと移動しました。
テーブルには紅茶がこぼれ、仁王立ちしたミリアムが私を睨みつけています。
「ありがとう、エレナさん。私は大丈夫です。ミリアムはもう帰るようなので、どなたかエントランスまでお送りいただけますか」
私の言葉にメイドがふたり頷いて、ミリアムのそばへ。
「さっきから聞いていれば、使用人にも敬語を使うような卑屈な人間を主人と崇めなくちゃいけないなんて、公爵家で働くのも大変なのね。それとも、こんなに情けない主人のほうが楽でいいのかしら?」
「ミリアム、侮辱するのは私だけで十分でしょう」
「なによ偉そうに。アンタなんて――」
「お嬢様、お帰りはあちらでございます」
エレナさんは有無を言わせない様子で扉のほうへ促しました。メイドたちも口々に「どうぞ」とミリアムを案内しようとします。
「チッ……。覚えてなさい、絶対にここを出て行かせるから」
通り過ぎる際に私の耳元で囁くと、ミリアムは乱暴な足取りで応接室を出て行きました。
いつの間にか呼吸を忘れていたみたいで、私は深く息を吐いてソファーに身を預けました。
「ごめんなさい、私のせいで皆さんまで馬鹿にされてしまいましたね」
「何をおっしゃいますかー! でもあんな態度では使用人に受け入れられようはずもないのに、よく当家の女主人になりたいと言えるものですわ」
「えっ、聞こえてましたか?」
「いえいえ。でもああいった方の考えることなら、なんとなくわかりますから」
片目をパチっとつぶって見せたエレナさんに、私はついつい笑ってしまいました。




