第10話 妹は相変わらずのようでした
サンフラヴィア街という、王都の中でも高級店ばかりが並ぶ大通りがあります。馬車が悠々と行き来するため道幅も広く、万にひとつも危険がないよう狭い間隔で街灯が並ぶ、そんな通りです。
屋敷に商人を呼び落ち着いて買い物をするのも良いのですが、ひしめき合うショップを見比べながら服飾品から化粧品や香水に至るまでを、気ままに選ぶ時間を楽しむのが流行っているのだとか。
どちらにせよ、私には縁のないこと……と思っていた時代がありました。が。
はい、今、私はそのサンフラヴィア街に来ています。それどころか、途中で立ち寄った既製服店では購入したものへ着替えさせられもしました。マダム・ベッカにお譲りいただいたドレスだって素敵だったのに。
でも確かに、先ほどまで着ていた釣り鐘のように膨らむスカートではなく、腰の後ろにボリュームのあるこちらのデザインこそイマドキであることはわかります。ミリアムも何着も購入してましたし。
ただ何というか、私なんかがこんな素敵なドレスを着ていいのかしらって。着られているように見えますよね、きっと。嬉しいような恥ずかしいような申し訳ないような、そんな気分で裾にあしらわれたレースを見つめました。歩くたび表情を変える光沢のある生地と、定間隔でマッタリと光るパールが素敵です。思わずため息が出てしまうほどに。
私の装いを厳しくチェックするエレナさんが、私の顔を覗き込みました。
「アリーチェ様、お疲れではございませんかぁ? 次は雑貨店へヘアチャームや扇を見に参りますが。それからお化粧品と香水と、また宝飾も――」
「あらっ、雑貨はさっきも見せていただきませんでしたっけ」
「また別のお店でーす。先ほどとは変わり、南西部に広がるイージュラ大陸を原産とした……」
次のお店に向かいながら、エレナさんの講義が始まりました。貴族の女性として生きるなら、マナーや基礎的な学問だけを学んでおけばいいというわけではないことがよくわかります。
むしろ、家政をマッテオさんが担う公爵家において私が学んでおくべきは、こういった上流階級の流行とその歴史なのかもしれません。……って本当かしら、もしかして惑わされてる?
「でもそんなにいりませんから」
「何をおっしゃいます! 突然のご招待やお客様にもご対応いただく必要がございまーす。準備はいくらしても困ることはありませんよッ」
何度となくした問答を繰り返して、私たちは再び歩き出しました。社交禁止とは言え突然のお客様は確かにあり得るので断りきれません。
「でもその後で休憩にいたしましょうかぁ。王家からお呼びが掛かって一躍名を挙げた洋菓子店が近くにあるのでッ」
「わ。お菓子!」
「ふふ、決定ですね。実はわたくしのほうがそれを楽しみにしていたのでーす」
片目をパチっとつぶって見せたエレナさんはとっても可愛くて、それにそんな風に言われたらお断りすることもできなくて、私は大きく頷きました。
公爵様のことを冷酷非情だという噂は聞きますけれど、でもそのお屋敷で働く皆さんは誰もかれも優しくて。私は随分と久しぶりに、自分が存在することを認めてもらえたような気がします。
不安ばかりだったこの結婚が、人生を明るいものに変えてくれるようなそんな気がしました。
だからこそ、今日のお買い物を「無駄な出費だった」と思われないよう頑張らないと!
「お姉さま?」
気持ちを新たに顔を上げたとき、背後から声が掛かりました。幼い頃から聞き続けた馴染み深い声です。
振り返るとそこには、美しく華やかな装いのミリアムがいました。まばゆく輝く金の髪と海の水面のような青い瞳。さっと爪先から頭のてっぺんまで視線が上下し、少しだけ背伸びをした赤い唇が微かに口角を下げました。
「まさかこんなところでその顔を見るとは思わなかったわ。運良くどこかのブルジョワジーに拾われでもしたのかしら?」
「ミリア――」
「アリーチェ様、どうかなさいましたか?」
足を止めた私に気づいたエレナさんが、そばへと駆け寄って来ました。ミリアムはエレナさんに訝しげな目を向けます。
ミリアムの背後では顔馴染みの侍従が荷物をたくさん持って立ち尽くしていました。
「あ、妹のミリアムが……」
私がそう言うなり、エレナさんは真面目な顔でミリアムに相対し淑女の礼をとりました。いつだったか世間話の折りに、彼女が子爵家の末女だという話を聞いたことがあります。その姿はマナーの授業を嫌がったミリアムより美しく見えました。
「もしかして、お姉さまの侍女?」
「アリーチェ様にお仕えさせていただくエレナ・グレッカと申します」
「グレッカ……。子爵家ね。そう、つまりお姉さまはまだ公爵様のお屋敷に置いてもらってるのね」
「ええ、ええそうよ。とても良くして頂いているの。だから――」
「おめでたいわ」
冷酷非情だなんて噂はきっと噂に過ぎないし、君命であるこの結婚もきっと全うできるはずよ。どうかお父様やお義母様によろしく伝えてね。
そんな言葉を発する前に、ミリアムは背を向けてしまいました。
昔からいつだってそうでした。私の言葉が家族に届いたことはない。そんな当たり前を寂しく思うくらいに、私は公爵家での生活が楽しかったのかもしれません。
「忙しかったみたい」
「ええ、そのようですわ。アリーチェ様、やっぱり予定を変更して先にケーキにしませんか? わたくし、とってもお腹が空いてしまいましたー!」
私の視線を誘導するように、エレナさんが目の前でひらひらと手を振りました。「さあ行きましょう」と微笑んだ彼女の声があまりにも温かくて、三度瞬きをします。
一度だけ振り返った先で、ミリアムがこちらを見ていました。




