【短編】麗しき侯爵令嬢は彼女を逃がさない
初短編小説です。
侯爵家の令嬢アンディは完璧な令嬢だった。
透き通るようなブルーの瞳に長いまつ毛。
プラチナブロンドの髪はいつも美しく整えられ、毛先一本に至るまで余念がない。
染み一つない陶器のような肌は、規則正しい睡眠時間と日焼け対策の賜物。
仕草の全てが優雅でマナーも素晴らしい。
どんなダンスも間違えることなく踊れ、まさに歩く完璧令嬢。
「アンディ様よ!今日も美しかったわ」
「お通りになった後は薔薇の香りがするそうよ」
この王立学園に入学してからは全ての貴族令息からはもちろんのこと、ご令嬢からも物凄い人気で…。
「領地が近いというだけで交友の深いミュゼットさんが羨ましいわ」
ちらりと隣の伯爵令嬢がこちらを見ては、目が「男爵令嬢のあなたが親しくして良い方ではなくってよ」と訴えている。
いやいや、別に親しいわけじゃないんですよ。
向こうが勝手について来るんですよ。
お茶会とか、社交パーティとか、しまいには夏の避暑地まで。
何よりみなさん目が腐ってます。
美しいだの、麗しいだの、この世の女神のようだだの。
しまいには完璧令嬢?
ああ、声を大にしていますぐ言いたい・・・・・・。
あれは、男ですよ――――――――――――――――――――!!!、と。
初めて会った時五歳の時はまだ男の子の恰好をしていたのに、気づけば女の恰好をして。
まぁ、あの頃はまだ可愛いで済んでたけど、今や年は十六。
アンディの両親は何も言わないし、さすがに見かねた私が忠告したら何と言ったか一字一句覚えている。
― いやだね。だって女の恰好してた方が体触り放題だもん。
はぁ?
つまりは、あれか?
この貴族社会の男女間の交流は一定のルールによって成り立っている。
おいそれと異性の手に触れることすら厳しい世界。
唯一触れられるのはダンスの時だが、それでも手袋をはめたまま。
でも同性であればそれはない。
よって触り放題。
よってアンディはただの変態。
この事実を知っている私はアンディの魔の手が令嬢にのびないよう監視をしているわけだが、どうやらそれが気に食わないらしく、最近は以前にも増して行動がひどい。
と、途端にぶるぶるっと背筋に寒気がして振り返ると、そこにはアンディがにっこりと微笑んでいて、
「探しましたわ、ミュゼットさん。さぁ一緒に帰りましょ」
そういって後ろから軽く羽交い絞めにされる。
てか、手が!
手がさりげなく胸に当たってますけど!
ほら、皆さんも見てください!
明かに手が不自然でしょ!おかしいでしょ!
それなのに他の令嬢は全く気付かずに、
「まぁ、ミュゼットさんったらアンディ様をお一人になさったの?酷い方ね」
と顔を顰められなぜか私が悪者に。
いや、だから何でそうなる・・・・・。
あなたたちの目は節穴ですか?節穴ですよね?風通し良さそうですね!
「さぁ、行きますわよ、ミュゼットさん」
アンディが私の手をぎゅっと握ると、がっつり男の力で振り払えそうにもなく、そのまま馬車に連行され同じ方向だからと侯爵家の馬車へ押し込まれ…。
で、アンディの声色が変わるのだ。
「ミュゼット、どうして俺を待たなかった。まさか先に帰るつもりだった訳じゃないよな?」
「だったらどうなの?別にいいじゃないですか」
プイッと顔を背けても、顎を掴まれ思い切り振り向かされ、同時にもう片方の手はちゃっかり腰の位置に。
「この変態!さっきもさりげなく胸、触ってましたよね!」
「あれ、気づいちゃった?かなり自然にいけたと思ったんだけどな」
美しく微笑むアンディの瞳は正真正銘、男の目だ。
「いつまでそうするつもりですか?いい加減、無理があると思いますけど!」
他の令息令嬢たちは目にフィルターがかかっているせいで分からないようだけど、アンディの体は確実に男性のものへと変わっている。
女性と違って男性は十五、六歳くらいから急激に身長も伸びるというし、いつまでも騙しとおせるわけがないのに。
アンディは変態だけど、悪い人ではないから何とかしてあげたい。
たぶん・・・。
そんな心配をよそにアンディは呑気なことを言っている。
「ギリギリいけるところまで?出来れば十八まではこの恰好でいたいよなー」
は?、馬鹿ですか?と言っていやりたいところをぐっと抑えて、丁寧に反論する。
「十八なんて完全に男ですよ。女装の変態だってバレたら結婚できなくなりますよ」
本当にアンディの両親はなんで止めないんでしょう。
唯一の跡取りのはずなのに、公爵家の未来とか考えないんでしょうか。
私がはぁーとため息をついていると、私の髪をくるくると指で遊ぶアンディが呟いた。
「結婚ねぇ・・・」
おっ、そこはちょっとは気に掛かっているんですねと思っていると、今度は私の耳朶をイジリ始めたアンディがとんでもないことを言い出した。
「じゃあミュゼット、俺と結婚しよう」
ん・・・・・・?
何かの聞き間違いかなと首を傾げると、アンディはもう一度はっきりと言った。
「そうだろ?ミュゼットと結婚すれば何も問題ないじゃないか。こうしてずっと一緒にいるんだ。どうせ君に結婚を申し込む男もいないだろうし、その時はちゃんと俺も男の姿に戻る・・・」
「ふざけないで!」
思わぬアンディの発言に、つい私も声を荒げてしまう。
だいたい私が茶会やパーティで異性と話をしようとすると、アンディが近づいてきて何から何までかっさらって邪魔してきて。
本人にそのつもりがなくても、女より綺麗な男って一体何なの?
いつになく本気で怒る私に、綺麗な女の姿をしたアンディは私を思い切り抱きしめる。
「そんな大きな声出すなよ、な、ミュゼット。俺の言い方が悪かったかもしれないけど、実はずっと、俺…」
と、アンディが言いかけたところで、頭に血が上った私はアンディの話を最後まで聞けなかった。
どさくさに紛れてまた私の体を触っている。
しかも自分の体を思い切り押し付けて、もう許せない!
それで、つい出た言葉が、
「私、婚約者いるから、無理です!」
だった。
「は、・・・嘘。そんな話聞いてない」
アンディのいつになく低い声に驚くも、
「当たり前です!だって言ってないもの」
と強気に出る。
どうせすぐにバレる嘘だけど、ちょっとくらいお灸を据えたい。
冗談でも「結婚しよう」だなんて、ひどすぎる。
「誰?」
「言いません!」
「誰?」
「言いませんってば!」
頑なに言おうとしない私を見て、鋭いアンディはすぐに「ああ、なるほど。嘘か」と見破る。
それがまた悔しいやら腹立たしいやらで、さらに私はとんでもない嘘を重ねてしまった。
「嘘じゃないわ!とっても恰好良くて男前で、アンディみたいな女装の変態じゃないですし!言っておきますけど、こっ、侯爵家だからって怖くないですから。だって、だって、彼だって侯爵家の人だもの!」
息を切らしながら思い切り言って、そして襲ってくるのは後悔の嵐。
侯爵家の令息だなんて、よくもまぁそんな口から出まかせが言えたものだ。
これじゃあ、はい、嘘ですと言っているようなものです。
最初は勢いよくしゃべり出す私に押されていたアンディも、その言葉を冷静に考えるや、あり得ない内容にニヤニヤと笑い出す。
「へぇ、俺よりは劣るがカッコ良くて男前で、侯爵家の子息…、その上ミュゼットと面識があるのは、俺の知る限り一人だよなぁ」
ん、何か勝手に加わってますけど。
いつアンディよりは劣るけど、なんて言いましたっけ?
いやいや、それよりもアンディの話している人物は学園でも有名なウィルフレッド様のことでしょうか。
侯爵家令息で見目もよく、ご令嬢方に人気の…。
「バーハン侯爵家の長男、ウィルか…。お前、あんなのが好みだったのか?」
「へ?」
「まぁいい。なら明日、確認しに行こうぜ。これでもし嘘だったら、お、俺と結婚するんだからな」
「え?」
いや、なぜそうなるのかいまいち分からないのですけど。
そもそも確認とか、もうそれ、恥の上塗りですよね。
「いや、アンディ、ちょっとあの…」
と、そこで私の屋敷に到着し馬車からサッと降ろされ、「それでは明日、ごきげんよう」とアンディは美しい微笑みとともに去って行った。
♢♢♢
翌日、私はどんだけ仮病を使ってしまおうかと悩んだことだろう。
でも自分の身から出た錆びなので、こんなことで大切な講義を休むわけにはいかない。
と、言うことで今はまさに死刑宣告を受ける一歩手前。
「ウィル様、少しお話よろしいでしょうか」
アンディがティータイムを楽しむウィルフレッド様に話しかける。ここは彼専用のサロンだが、侯爵家のアンディは難なく通してもらえたのだ。そしてお付きのようにアンディの後ろに佇む私。
アンディに手をがっちり握られ、どうしても確認するときかなかったのだ。
― 終わった…。ただ私に恥をかかせたいために、ここまでするなんて、本当に意地悪だわ。
「これはこれは、アンディ様じゃないですか。それから後ろにいるのはミュゼット嬢かな。一体どうしたと言うのだい」
優雅な午後のひと時を邪魔してごめんなさい。
しかもくだらない私の嘘の検証のために。
名前を知っていてくださっただけで、もう十分です。
「ええ、実はですね、わたくしの親友であるミュレットさんがおかしなことを言いまして。一応確認させていただきたいのです」
もう、いいです。もう、いいでしょう?
アンディ、もうやめて下さい!
私が悪かったと謝りますから!
「構わないよ。で、なんだい?」
優しく微笑むウィルフレッド様にアンディがキラリと目を光らせる。
「率直に申し上げますわね。ミュレットさんがウィル様と婚約していると言うのですけど、あまりに馬鹿げて…、いえ、信じられなくてきちんと嘘だとウィル様の口から聞きたいのですわ」
ニコッと美しく微笑むアンディの後ろで、私は真っ青な顔をして目をつぶっていた。
そして心の中で豪快に叫んでいる。
この先私は二度とウィルフレッド様の目の前には現れません!
ですからこんな大それた嘘を言ったことを、出来れば大目に見てください――――!
チラッと薄目を開けると、丁度その視線はウィルフレッド様と真っすぐに合う。彼はそんな私を面白いものでも見る様に、少し含みのある顔で笑っていた。
そして…、
予想だにしないことが起こった。
「ふぅ、バレては仕方ないね。僕とミュレット嬢は将来結婚を誓いあっているよ。で、それがどうかしたのかい、アンディ様」
「は・・・?」
アンディの顔から微笑みが消える。
「え・・・?」
私の口はぽかんと開いて、状況を理解できないでいる。
ただ一人優雅に紅茶を飲むウィルフレッド様がニッコリと私に笑いかけていた。
「ミュゼット嬢、こっちへ来て一緒にお茶をしよう。それと、申し訳ないがアンディ様には退出願おうかな。恋人同士のひとときを邪魔されたくないんでね」
「なっ…!」
怒りに震えるアンディに、ウィルフレッド様は何だか楽しそうで、
「どうかしたかな?アンディ様は親友で、僕は恋人で口約束ではあるが婚約者なんだけど」
と、明らかに挑発的だ。
ひきつったアンディの顔にいつもの美しい微笑みはない。
「ウィル…、一体何を考えてる。ミュゼットとそんな仲なら気づかないはずがないだろ。絶対に嘘だ!」
完全に崩壊したアンディの口調に私は慌てて「アンディ様、アンディ様」と話しかける。でも、アンディは頭に血が上って声が聞こえていないようだ。
「ふふ、今の君では僕には勝てないよ。女の君ではね。もし勝負したいなら同じ土俵に上がって来なきゃ。でも、まぁ、無理だよねぇ。女同士、だからねぇ」
ウィルフレッド様の明らかに含みのある言い方に違和感を覚えつつ、アンディを見上げると彼はわなわなと唇を噛みしめていた。
そんなアンディをよそにウィルフレッド様は先ほどよりもさらに強い口調で私を呼ぶ。
「さぁ、ミュゼット嬢。こっちへ」
普段、温和そうな方だけに、真顔で呼ばれるとちょっと怖い。
そう思いながら私はウィルフレッド様の方へ近づこうとすると、アンディが咄嗟に私の手を掴んだ。
「ミュゼット…!」
けれども私の嘘でこんなことになってしまっているわけで、ウィルフレッド様に説明する必要もある。何より確かめに行こうと言い出したのはアンディだし、嘘だったら自分と結婚しろなんて冗談でも許せないことを言ってきた。
私だって怒ってるんです。少しは痛い目見ればいいんです!
「アンディ様、放してください」
その言葉にアンディは一瞬ビクッとし、そして掴んでいた手がズルっと落ちた。
それからアンディはフラフラとしながら扉の方へ向かって、一度振り返ると私に向けてなのか、ボソッと低い声で呟いた。
「こんなことして、後悔することになるよ…」
そうしてアンディはその場から姿を消した。
残った私は促されるままウィルフレッド様の真向いの席に座らされる。
「さて、ミュゼット嬢。だいたいは予想つくけど、一体どういうことか説明してくれる?」
ウィルフレッド様は面白いおもちゃでも見つけたかのような目で私に笑顔を向けていた。
♢
それから私は洗いざらいウィルフレッド様に本当のことを吐いた。
そしてこんなことに巻き込んでしまって申し訳ないということも。
でも実は前々からアンディが男だと言うことに、ウィルフレッド様も気づいていたらしく、
「僕はアンディに昔会ったことがあるからね。でも二回目に見た時は女の子の恰好をしていて、ずっと不思議には思っていたんだ」
とクスクスと笑いながら私に顔を向けた。さすが銀髪の貴公子と呼ばれるだけあって物腰が柔らかく、美しいエメラルドの瞳で見られるとついドキドキしてしまう。
ウィルフレッド様とこうして話をするだけでもおこがましいのに…。
「でも嘘だと分かったら結婚とは…、アンディも随分と乱暴な行動に出たね」
「それは売り言葉に買い言葉というか、本気ではないと思いますけど…」
優雅に紅茶を飲むウィルフレッド様を前に、ただただ私は縮こまっていた。
同じ侯爵家でもアンディとはこうも雰囲気が違うものなのかと。アンディだったら絶対このクッキーも美味しいから食べろと私の口に突っ込んできて、紅茶を味わってるところなんか見たことがない。
「どうしたの?」
「あ、いえ…。ウィルフレッド様は本当にお優しいなと…。こんな嘘をついた私の話に付き合っていただいて、それだけで十分に救われる気持ちです」
元はと言えば私が嘘をついてしまったのが原因。偶々機転を利かしてウィルフレッド様が合わせてくれただけで、アンディを騙したことには違いない。
「アンディ様には私が後できちんと謝ります。ですからウィルフレッド様もアンディ様が男だという事は内密に…」
「うん、それは口外しないけど…、でも多分もう無理じゃないかな」
「それは一体…」
するとウィルフレッド様は静かに目を閉じて紅茶の香りを楽しみながらこう言った。
「アンディはもう女装はしないと思うよ。賭けてもいい。明日からは男の恰好に戻るね」
「え…」
「そしてきっと君の自由はすぐに無くなるよ」
そのウィルフレッド様が最後に放った言葉が、その日はずっと頭から離れなかった。
♢♢♢
翌朝、いつものように屋敷を出るとアンディの家の馬車が門の前に止まっている。でもこれは見慣れた光景で王立学園に通うと決まった時から、毎日のように迎えにくる。ただ違ったのは馬車の中にいるはずの令嬢アンディ様がいなくて、
「あの、アンディ様は…」
私が戸惑った表情を浮かべていると、
「先にお待ちでございます。お乗りください」
と、御者は無表情で中に入るよう促した。
まぁ、一人の方が変なちょっかいをされずに済むから丁度いいかと思い、少し怪しいと思いながらも私はそのまま馬車へと乗り込んだ。
その馬車はいつもの馬車よりも頑丈そうで、外からガチャンと鍵をかけられる。
大抵は内鍵タイプだから珍しいなと思いつつも、私はぼんやりと昨日のことを浮かべながら何と言ってアンディに謝ろうか考えていた。
やはりシンプルに「嘘をついてごめんなさい。でも冗談でも結婚しようなどと言わないでください」がいいかなと、ふと窓の外の見慣れたはずの景色に目を細める。
そして私はおかしなことに気が付いた。
いつも見ている景色と違いますね…。
というより…、
「ちょっと、止めて下さい!どこに向かってるんですか!王立学園と方向がっ…」
御者に聞こえているのかいないのか、馬車は学園とはどんどんと違う方向へ進んでいく。
確かに馬車にはシュツバーク侯爵家の紋章があったはずなのに。けれどもいつもと違うことがあったのを思い出すと、震えが止まらなくなった。
私はどこに連れて行かれるのだろうか。
アンディの迎えだと見せて私をさらおうとしているのは一体誰なのか。
考えるだけで恐ろしくて、ただ私は馬車の中で小さく縮こまる。
馬車は王立学園からどんどんと遠ざかって、街のはずれのどこかの豪華な屋敷に着くとそこでやっと動くのが止まった。
外鍵がガチャンと外され、ドアが開く。
そして、恐る恐る顔を上げドアの先を見ると、ある男が手を差し出してきて、
「おはよう、ミュゼット。遅かったな」
と何事も無かったかのような朝の挨拶をした。
見覚えのある透き通るようなブルーの瞳に長いまつ毛。
プラチナブロンドの美しい髪は短く切られ、少し屈むと前にサラリと落ちていく。
染み一つない陶器のような肌は、男の姿になっても健在で。
「…アンディ、なの…」
「そうだ。ミュゼット、さぁ、行くぞ」
差し出された手の上にチョンと乗せると、そのままグイっと引っ張られ屋敷の中へ。そこがどこかもわからずに混乱しながら、二階の部屋へと入っていく。そこは誰かの私室なのかロココ調で統一された家具が置かれ、奥には大きな天蓋ベッドが置かれている。
「どう、気に入ったか?」
「あ、え、うん。素敵な部屋ですね…」
今なぜ私がここにいるのかも分からずに困惑していると、アンディが急に後ろから抱きついてきた。
「ちょっ、アンディ!何やってるんですか!」
女の恰好のアンディならまだしも今は完全に男の恰好をしている。その状態でむやみに女性に触れるのは貴族の間では非常にマナーの悪いことだ。
「何って、ミュゼットの匂いを嗅いでる」
「なっ、変態なこと言ってないで放してください。それにここはどこなんです!王立学園に行かないと、提出するレポートもありますし…」
するとアンディはさらに力強く抱きしめてきて、私の耳朶をペロっと舐めた。
「ひゃっ!」
「はは、可愛い声。最初からこうすれば良かった」
「ちょっとふざけてないで、放してください!」
私は何とかアンディの腕から抜け出そうと力を込めるも、どこにこんな力を隠していたのかというくらいビクともしない。
そしてアンディはまたも私の耳朶をペロリと舐めて、今度はカリッと軽く歯を当てた。
「っ!」
「痛かった?でも、俺は昨日もっと痛かった」
それからアンディの声はどんどんと低くなっていって、それから恐ろしいことを話し始める。
「もうミュゼットは王立学園には行かなくていい。これからはここに優秀な家庭教師が来るから。君は今日からここに住んで十八になったら俺と結婚するんだ。もちろんウィルなんかには二度と会わせない」
それが冗談とは思えない口調で、私はまたカタカタと震え出す。
「何言って、…アンディ、私の嘘に腹が立ったなら謝りますから。今日はちゃんと謝ろうと思って…」
「別にもういい。嘘だって分かってた。けど、ミュゼットが俺よりもウィルを優先したことが許せない。本当はあと二年は我慢して君を自由にさせてやるつもりだったけど、この恰好に戻ったらタガが外れた」
「タガが外れたって…」
今までアンディは女性に触りたくて女装して、だから他の人に被害が出ないように私が全部肩代わりして。
でも、本当は気づいていた。
アンディが触れてくるのは私だけだって。
でもアンディは侯爵家の令息で、私は男爵家の娘で。
女の恰好であれだけ美しければ、男の恰好に戻ったらすぐにでも縁談が組まれるだろう。私はどこにでもいるような容姿で。だからアンディが執着するのは、ただ揶揄って遊ぶおもちゃが一時面白いだけ。そう自分に言い聞かせないと、叶わぬ夢をみてしまいそうで怖かった。
ほどなくするとアンディの締め付けていた腕がするりと落ち、そして今度は私の真向いに立ってじっと見つめた。
「ミュゼット、俺は君を逃がさない。どんな手を使ってでも」
その瞳は生け捕った獲物を逃がさない、獣の目だった。
「待って、アンディ…。私の話をっ………」
気づいた時にはもう遅かった。
美しいサファイアブルーに私が映り、そして視界がぼやけて…。
「ミュゼット、愛してる」
なぜか甘いクッキーの味がした。
♢
それから本当にアンディは私を屋敷に閉じ込めた。
私の家には侯爵家に入るための花嫁修業だと言いくるめて。
そしてアンディもまた王立学園には行かずに、この屋敷にずっといた。
優秀な家庭教師が入れ替わるように訪ねてきて、そして一緒の授業を受ける。ずっと私の隣に座りながら。
後から侯爵様や夫人に聞いた話によると、アンディは初めて会った私に一目惚れをしたらしい。
琥珀色の瞳でキラキラと真っすぐに見られて、ドキドキしたそうだ。
自分ではくすんだオレンジにしか見えなかったけど、アンディの目にはそう映っていたようだ。
それからのアンディは私の行動を逐一調べ上げどこにでもついて行くようになった。そんなアンディをいつも笑顔で迎える私に、アンディの一目惚れは執着へと変わっていったと言う。
そんなある日令嬢だけしか参加できないお茶会があり、どうしても行きたかったアンディは女装をした。すると私にベタベタしても何も注意されないことに味を占めたアンディは、結婚するまでそうしようと決めたらしい。それは誰にも止められなかったと言う。
かくしてアンディは密かに私の家を支援しながら、虎視眈々と私との結婚を企てていたのである。
それを聞いた時はもっと素直に言ってくれれば私だってと思いつつ、まだ一度もアンディに好きであることを伝えていない。
これは勝手にこの屋敷に閉じ込めて、勝手にアンディの思う通りにされて、私だってアンディとの初めてはこうしたいという思いがあったのに。
だからアンディに本当の気持ちを伝えるのは、もっとずっと先。
これは私のささやかな復讐だ。
♢
それから二年の時が過ぎた。
私は十八を迎え、アンディとの結婚式。
真っ白なウエディングドレスに身を包み、顔を隠すようにヴェールが降ろされる。
王都で一番大きな教会には多くの参列者たち。
二年前に突然王立学園から消えたアンディの結婚式。驚かないはずがない。
所々から男だったのかとショックを受ける貴族令息の声と、男なのに何て美しいのとさらに見惚れる令嬢たち。
今更ですけど…。
そしてそこには懐かしいウィルフレッド様の姿もあって。
彼はやはり面白いものを見るような目で私たちに手を振っている。
それを見たアンディは私をサッと死角に移して。
そして小さな声で呟いた。
「ミュゼット、ごめんね。でも、愛してるんだ…」
それを聞いて私はふぅと小さく息を吐く。
そろそろ観念してあげましょうと。
やがて神父様のお決まりの言葉が始まった。
「新郎アンディ・シュツバーグ、あなたはここにいるミュゼット・マイオニーを、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「はい、誓います」
「新婦ミュゼット・マイオニー、あなたはここにいるアンディ・シュツバーグを、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「はい、誓います。愛していますから」
その後のアンディの顔は今までで一番喜びに満ちていた。
沢山の小説の中から読んでいただきありがとうございました。
少しでも面白いと思ったらブックマークや★評価をしていただけると嬉しいです。
また感想なども送っていただけましたら、真摯に向き合いたいと思います。
これからもドキドキするような小説を書いていきたいと思いますので、楽しんで読んで頂けたら幸いです。