Act9 記憶(たましい)の容(かたち)
ミハルと呼ばれるのにも違和感が無い。
一体私って、元はどんな子だったのですか?
(作者答え・単に損な子)
私の肩を掴んで、ルシフェルさんが訴えてくる。
「なぜ?どうして拒んでしまったんだ!」
紅い瞳を私に向けて質し、
「最期の瞬間までも、神を畏れたのか?
ミハエル義姉を助ける為には、兄タナトスの転移しか方法が無かったのに!」
掴んだ手に力が籠る。
「人の命を司れるのは神だけよ・・・そう言って拒んだ。
タナトス兄を最期の瞬間までも想っていたのは分かってる。
でも、兄は何が何でも助けたかったんだぞ!
ボクだって・・・命を永らえさせれるのなら悪魔と呼ばれたって良いと思ったのに」
私の姿が記憶の奥にしまった想いを吐露させているのか。
ミハエルさんの声を聴いたと言った私の中に、姿を観たのか・・・
「ミハエルさんはお二人を禁忌に触れさすまいとされたのでしょうか。
二人を想うからこそ、命を惜しまれたのではないのでしょうか?」
「命を・・・惜しむ?」
私は聴いていて、感じていた。
身体の奥で誰かが一緒に、ルシフォルさんの言葉を聴いているような不思議な感覚を。
その誰かとは・・・ミハエルさんではないのだろうかと。
私の容でもある彼女の魂が、宿っているのではないかと感じていた。
「そうです。
ミハエルさんは命を投げ出したのではありません。
大切な二人が神に背くのを、命に代えて停めたかったのではないのでしょうか?
夢で語り掛けて来たミハエルさんが仰られました。
<彼を停めて>と。<タナトス教授を闇から救って欲しい>と。
きっとミハエルさんは今でも・・・
今も尚、お二人を想われておられるのではないでしょうか」
「ミハルさん?
・・・そうか、そうなんだね?」
掴んでいたルシフォルさんが、手を開いて私から離れる。
「禁忌に触れるからと。神に背く行為だからと言って頑なに拒んでいた本当の訳は。
記憶を転移させるボク達が、迫害される虞があったからなんだね?
命よりも神を尊ぶ者達から命を弄ぶ者として、悪魔と断罪されると思っているんだね」
「事実を知りもしない人達は、そう言うかもしれません。
ミハエルさんはお二人を想うが故、命を失っても停めたかったのでしょう」
喩え一命を投げ打ったとしても、タナトスとルシフォル兄弟には転移を思いとどまらせたかったに違いない。それが宗教と倫理社会の弊害だと分かっていても。
「そう・・・だったのか。
ミハエル義姉は、そうまでしても思い留まらせたかったのか」
俯いたルシフェルさんは、ベットに腰を降ろして呟く。
「なのに・・・ボク達は止せばいいのに。
記憶の転移を強行実験しようとした。
・・・いいや、始めてしまったんだよ」
「え?ミハエルさんは拒まれたのではなかったのですか?」
転移の実験を拒んだ筈のミハエルさんに?
そう訊き直そうと思ったのだけど、先にルシフォルさんが言ったのは。
「そう・・・間に合わなかった。
ミハエルの脳波を検出する前に、停止してしまったんだ。
まるで最期まで拒むかのように・・・だけど」
「だけど?どうされたのですか」
ぐっと奥歯を噛み締めるルシフェルさん。
重い口が開いたのは、何かを堪えた後か。
「だけども、タナトス兄は微かに取り出せた記憶だけでも転移させようとしたんだ。
不完全な状態で、不可能と思える実験を・・・強行してしまったんだよ」
「失敗するのが分っていて・・・ですか?」
取り返せない命と分かりながらも、タナトス教授は復活を目指したのか。
「それこそが悪魔の所業だったのかも知れない。
科学者である兄とも思えない悪行、そして悪足掻きだった。
必ず失敗すると分かりながらも辞めなかったのだから」
「そうは言っても。愛する人を目の前で喪うのは堪え難いですよ。
どんな人だって間違いは起こすし、そんな状況では・・・」
タナトス教授を責めるのは酷な話だと思った。
自分だって見境がなくなってしまうかもしれないと考えるから。
でも、私の言葉にルシフォルさんが首を振る。
「いや、消えたモノを蘇らせるのは犯してはならない禁忌なんだ。
死者を蘇らせるのは、死も生をも冒涜するに値する。
死者の魂を蘇らせるなんて、神でもない人が手にするべきでは無かった。
そう・・・ボク達は禁忌を犯した。
悪魔が夜宴で死者を弄ぶような過ちを犯してしまったんだよ」
そして紅い瞳を澱ませて言うのだった。
「結果・・・ミハエルの死は変えられなかった。
そして失意に暮れた兄、タナトスは・・・
その時を境に、闇に飲み込まれていく事になった。
君が夢の中で聴いたと言ったミハエルの頼み。
彼女が言っていた通り・・・闇に堕ちたのだよ」
「え?!実験が失敗するのが分っていてもですか」
私が質すと、一頻り頷いた後。
「結果と言ったのはね。
ボクにも分からない何かが起きて、
微かなミハエルの記憶でさえも消されてしまったんだ。
まるで悪魔に盗み取られてしまったかのように。
記憶の欠片さえも奪われたのだから、兄タナトスには堪え難かったんだと思う」
「それで・・・闇に?」
コクンと頷いたルシフォルさんが、私に向けて・・・
「そう、闇に。
タナトス兄はその時を境に、自分の目的を変更したんだ。
人類を消し、世界をリセットし・・・
自分の思い描く世界へと書き換えようと、計画を改めたんだよ」
「人類の再編・・・人類の補完?
人類再編・・・計画・・・タナトス教授の?それはもしかして?!」
やっとタナトス教授が目指した未来像が判った。
「ミハエルさんの復活?
今を生きる自分と同じように・・・蘇らせるのですね?」
奪われた記憶だけではなく、命その物を蘇らせようとしていた?
それこそが、彼が目指していた最終目標?
闇に堕ちた理由が、あまりにも不憫に思える。
あまりにも理不尽な出来事の連続で、心に闇が忍び込んだのだとも言えた。
「それがミハエルさんの心配になったのですね。
教授を想うが故に、助けて欲しいと・・・願われた」
夢で伝えられなかった真実を、今ルシフェルさんに因って教えられた。
こうして仮初めとは言え、ミハエルさんの身体を授けられた私を頼って来たのだと想う。
「タナトス兄は、その後も実験を試みようとしていた。
折を観ては誰かを贄にしようと目論んでいた。
生に拘る者を探し、死の直前まで貶め、その記憶を転移させようと・・・」
「魂の転移を・・・それは人類再編計画に必要だと?」
訊き質した私に頷くと、ベットから立ち上がって。
「そうなんだよミハルさん。
成功すれば、自分も宿るつもりなんだ巨大コンピューターへ。
世界を牛耳れるほどの性能を持った演算処理機構の中へ。
そして・・・破滅を齎せる気なんだよ。
今迄の人類を消滅させ、自分が新たな世界の覇者になる。
そして思い通りに世界を変え、生み出したミハエルと巡り合うつもりなんだ」
「まさか・・・そんなことが出来る訳が」
数歩前に進んだルシフェルさんの背に向けて問うと。
「出来る・・・出来るんだよミハルさん。
愚かな人類は、再びバビロンの塔を造った。
神を超えようとした王のように、自ら破滅の道を選択したんだ。
残り半年の後には・・・
何もしなければ、死滅させられてしまうんだよ」
「・・・嘘、嘘ですよね?」
ショッキング極まりない事を、平然と言われてしまった。
「嘘だと良いんだけど。
ボクは何もしなければと言ったんだよ?」
「何も?じゃぁ防げるのですね」
殲滅されてしまうのが防げる方法とは?
「簡単なことだよ。
巨大コンピューターに宿られたのなら、悪夢は始まってしまう。
でも、それでも。タナトス兄を倒せさえ出来たら、防げるだろうから」
「え?!ルシフェルさんのお兄さんを・・・」
思わず言葉を控えてしまう。
機械に宿ってでも願望を叶えようとする兄を、倒せと言ったのだから。
「それしか停める方法はないだろう。
残念だけど、ミハエル義姉の想いは通じはしないだろうからね」
「そんな?!探せば他にも方法が?」
私が考えを改めて欲しいと手を指し伸ばしたが、
「無いね・・・もはや救えないかも。辛いけど」
拒否されてしまった。
そして・・・
「世界中で一斉に核攻撃が始った。
これが意味しているのは・・・宿れた証なのかもしれないね」
もしも、巨大コンピューターに宿れたタナトスさんが、
今回の核攻撃を起こしたというのなら・・・救うには値しない?
人類の3分の1を死滅させた、極悪人だから?
「もしも本当にそうだとしたら。
記憶を穢されたのを赦しておけない。
記憶を汚してまで、己の欲望を満たすのを看過しておけない」
私はミハエルさんの願いの為でもなく、過去の自分の為でもなく。
今を生きる人の為に、そう言ったのだ。
「そうかい?
それじゃぁミハルさんは何の為に?」
これから生きていくのかと問われた気がして。
「記憶を取り戻す為と、記憶を元に戻す為に。
私は捜し求めて行きたい・・・あの娘を拠り所にして。
・・・そして」
あの娘・・・あの茶髪の少女が、全てを知っている筈だから。
それともう一つ。
「この躰をミハエルさんへ返してあげたいのです。
既に肉体が滅んでしまっているのなら、せめて容だけでも」
「それはタナトス兄の実験を肯定する事になるのではないのかね?
人類再編計画をも肯定してしまうのでは?」
ルシフォルさんが私を質す。
「いいえ、そうではありません。
私という記憶が消えれば、ミハエルさんの憑代に成れる筈です。
本当の魂があるのなら、きっとミハエルさんの魂は戻って来られると想うのです」
「まさか?ミハルさんが身代わりになるのだと?」
身代わりと言うべきか、元に戻ると言うべきか。
「今ここに居られるのは、ルシフォルさんが助けて下さったから。
その恩に報いるには、タナトス教授を停めること。
それには、この躰とミハエルさんの心を送り届けるしかないと思うのです。
勿論、自分が誰で何者だったのかが分かった後に・・・ですけど」
最期の一言は、覚悟を示すのを仄めかさないように、誤魔化すつもりで付け加えた。
「ミハルさん・・・君って娘は」
でも、やっぱり無理があったみたい。
ルシフェルさんは見破っている。
「君の志は嬉しく想う。
だから、ボクも同道するよ。
残された日数で、目的地まで辿り着かなければならないのだからね」
「え?!ルシフェルさんは普通の人間でしょ?
ここから一歩外に出れば、放射能に汚染されてしまう・・・」
一緒に旅立ってくれると言うけど、いくら防護服を着ていても防げるかどうか。
「あ?!そうか・・・分からなかったんだね。
ボクが初めこの部屋でも防護マスクを外さなかった理由が」
白銀髪のルシフェルさんが華奢な身体を叩いて示すのは?
「いくらシェルターの中でも、放射能は完全には防げないよ。
ボクは既に光も浴びてしまっているんだから・・・」
「あ・・・そんな?!」
そう・・・すでに被曝していると言うのだ。
「目的地に辿り着けるまでに死ぬかもしれないね」
そして・・・死を宣言したのだった・・・
記憶を取り戻す為と、記憶を元に戻す為に。
私は捜し求めて行きたい・・・あの娘を拠り所にして・・・
ミハルを名乗る私が逢わねばならない娘。
その子とはどんな絆があったのか?
茶髪の娘は何て名前なのか?
知らないことばかりだけど、往かねばならない。
捜し求めて旅立たなければ、何も解決できないから・・・
次回 Act10 遥かなる旅立ち
私達はきっと目的を成し遂げてみせます!そうでしょルシフォルさん!