Act7 呼ばれた名
強烈な頭痛が、私を襲う時。
観えてきたのはどこかで見たことのある光景だった。
それは・・・私の過去なのだろうか?
薄ピンクの花弁が私向けて落ちて来る・・・
ひら ひら はらり・・・と。
春の日差しの中、桜が舞い堕ちる景色を眺めていた。
どこか郷愁を感じる桜の木の下で。
一片の花弁が私の目の前を過った・・・時。
「「・・・ハ・・・ル」」
誰かが。
誰かの声が聞こえて来た。
「「オオガミのミハル・・・ミハル」」
女の人の声?
呼ぶのは誰で、誰の名を呼んでいるのだろう?
ひら ひらり・・・また花弁が過る。
「「あなたは神子の御美なのでしょう?」」
手に持っていた科学雑誌を縁側に置いて、私は声の相手を探す。
学生服姿の私が辺りを見回して、呼んだ声に訊ねる。
「あなたは誰なの?どうして呼ぶの?」
姿を見せない相手に質すと。
ひらり・・・花弁から声が届く。
「「御美・・・私の代わりにあなたが停めて」」
声が頼んで来たのだけど、何の事やら皆目分からない。
「何を停めて欲しいの?あなたの代わりにって、どういうことなの?」
説明してくれても良いだろうにと、相手に向けて訊き返す。
はらり・・・桜の花弁が涙の様に零れ落ちる。
「「あなたの目指す、人が幸せに生きていける未来を創造するのなら。
あの人の元へ、そして彼を闇から救ってあげて」」
私の理想を知っているようにも採れる。
でも、彼って誰を指しているの?闇って何?
伝わってこない意味に、相手へ言い返した。
「誰の事を指しているの?私の目標はあの雑誌の人よ!」
縁側に置いた科学雑誌を指して教えてみるけど。
はら・・・はら・・・はらり・・・と、涙を流すかのように花弁が舞って。
「「お願いミハル、あなただけが希望なの。救って未来を」」
相手は懇願して来たけど、何が何やら皆目分からず・・・
「どうすれば良いのよ?!勝手なことを言わないで!」
声の相手に反発し、
「それに!私は人間工学博士に憧れているの。
不治の病までも治そうとされている博士に!
人類に出来なかった医療改革を齎そうとされているだから。
世界にいがみ合いが無くなるようにって論文を書かれたんだから。
あの雑誌にも載っているタナトス教授はね!」
自分の憧れである人の名を告げると、相手の声が教授の未来を知らせて来る。
「「そう・・・あなたの良く知っているタナトス・ターナーは闇に堕ちる。
あなたは彼を救う最期の希望にならなければならない」」
「教授が闇に堕ちるですって?!馬鹿も休み休みに言いなさいよ」
そして・・・私は。
「もしも憧れの教授が堕ちたのなら、私が滅ぼしてあげるわよ。
闇も、この戦争に満ちた世界も。何もかも!」
希望ではないと言い返してしまった。
それを最期に声は消え、そして明るい桜の景色も失われ。
残ったのは私が指し示した雑誌だけ。
そこに映っていたのは白銀髪のタナトス教授・・・そして。
蒼銀髪のジャーナリスト、ミハエル・クリュスターの可憐な姿だった。
・・・・
・・・・・・・・
・・・・
意識が飛んでいたみたい。
記憶に残っている過去の情景の中へと。
「ねぇ?聴いてるのかい」
不意に意識が戻ったみたいで、ルシフォルさんが私の顔を覗き込んでいるのも分かった。
「あ・・・その。すみません、少し惚けていたようです」
突然意識を失い、過去の記憶を観て惚けていたようなのだ。
そうなるきっかけは、ルシフォルさんのお兄さんの名前を聴いた所為なのだろう。
「タナトス・・・タナトス・ターナー」
もう一度呟いてみるが、もう頭痛は襲っては来なかった。
「ルシフォルさんのお兄さん。
タナトスさんという名前を知っていたのです」
だから自分から訊いてみたくなった。
「お聞かせくださいませんか?
人間工学教授のタナトスというお方と。
この躰のモチーフであるジャーナリストの・・・
ミハエル・クリュスターさんとの間に、何があったのかを」
惚けていた時に観た雑誌に記載されてあった写真と記事。
そこに書かれてあった名前を呼び起こして訊いたのだけど。
「なぜ?
ボクはミハエル義姉の本名を教えていないのに知ってるんだい?
まだジャーナリストだったなんて話してもいないのに?」
驚いたルシフォルさんが訊き返して来た。
「お兄さんの名前を聞かされた時、過去の記憶らしい夢の中で観たのです。
二人が一緒に載っていた雑誌を。
今の私にそっくりな人の映像と共に、名前も判ったのです」
「そうか・・・君は観たことがあったんだね、二人の写真を」
記憶と夢が混じり合ったのではない。
観ていないタナトス教授の顔でさえも覚えているのが、それを裏付けている。
「そうだとしか思えません。
この顏躰がミハエル・クリュスターさんの容だと分かりました。
それに・・・」
話している内に、私は夢の中で聴いた声が誰の物なのかが分かった。
「ミハエルさんが教えてくれました。
私の名前と・・・そして彼を救ってくれって」
そう。
声がミハエルさんの物だと分かったのは、今喋っている私の声と同じだったから。
この躰がミハエルさんを模しているのなら、声も似ている筈だから。
「確かめたいのですがルシフォルさん。
姿も声も、ミハエルさんと同じでしょうか?」
「・・・そうだよ」
やはり・・・間違いない。
「だったら・・・彼女の声が聞こえたのです。
タナトス教授を想っている人の声が届いたのです私の耳に。
闇に堕ちる彼を救って欲しいのだと・・・」
「ミハエル義姉が・・・そう言っていたのか?」
私の言葉を聞き入っていたルシフェルさんが、真摯な顔で確かめる。
「はい。祈るように、願う様に頼んでおられました」
「死して尚、タナトス兄を想って・・・」
私の答えに頷く。
「あれほど魂の転移に反対していたのに。
死の直前まで実験を拒んでいたのに・・・ミハエルは」
頷いたまま、手で顔を覆う。
過去にどんな悲劇があったかを物語るように。
「教えて頂けませんか、ルシフォルさん。
二人の間に何が起きてしまったのかを」
私は聞かなければいけないと感じていた。
悲劇の顛末とタナトス教授の身に、何が起きているのかを。
「分ったよ・・・その・・・」
ルシフェルさんは私の名を求めている。
「御美・・・そう呼ばれました、ミハエルさんが」
そっと名乗り、ルシフェルさんを見詰める。
「ミ・・・ミハ・・・ミハル?そうか・・・良い名だね」
口籠りながらも私の名前を口に出してくれた。
「聴いてくれないか、ボク達に何が起きたかを。
そして義姉が最期に残した願いも」
「ええ。私で良ければ」
きっとルシフェルさんの瞳には、私がミハエルさんと重なって見えるのだろう。
声も姿もミハエルさんなのだから。
じっと私を見続けている紅い瞳。
その色は雑誌に載っていたタナトス教授と同じ色。
知らない内に、私もルシフェルさんとタナトス教授を重ね合わせていた。
そして語られ始めるのは悪魔へと身を堕とす男の悲劇。
紐解かれるのは、悲劇の末に破滅へと堕ちて行く人の物語・・・
ミハエルさんの声が教えた<私>の呼び名。
どこかで聴いたようにも思え、遠い過去にそう呼ばれていたとも思える。
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この身体はミハエルさんの容。
そして彼女が付けた名は<ミハル>・・・
私は今からミハルを名乗る。
記憶を取り戻すまで仮初の名だと知りながらも・・・
次回 Act8 忌まわしき者共
ルシフォルさんの声に、心が震えた。今は無き人の記憶と共に・・・