チャプター5 よみがえる絆 <黄泉から再起する女神は望みを諦めない>Act3
黄泉の王城で、心身の回復に努める誇美。
脳裏に浮かぶのは幼き時の記憶。
まだ何も知らずに過ごしていた時の思い出だった・・・
何度目かの目覚め。
この冥界に来てから何日経ったのか。
日没の無い世界では、一日と云う概念が存在するのかも疑わしい。
眠っては目覚め、それが何回か繰り返された。だから数日が過ぎたのだろうと思っていた。
「うん。もうどこも痛みを感じなくなったわ」
ここで初めに目覚めた時に感じた痛みは消えた。
起き上がるのもやっとだった身体は、立ち上がることも出来るようになった。
だけど、まだ何かに掴まりながらでしか歩く事は出来ないけど。
「うう~ん。こんなに寝続けたのって、幼い時に風邪に罹った時ぐらいかしら」
背伸びして昔の記憶を思い出してみた。
「あの頃はフェアリアで暮していたっけ。
マンションの一室でマモルお義父さんやルマお義母さんと一緒に」
優しい二人と共に過ごした日々を。
「本当のお父様やお母様と暮らすことは出来なくても。
少しも寂しく感じなかった・・・まだ、幼かったからかもしれないけど」
魔界の大魔王として贖罪を遂げようとするルシファーお父様や、識天使と成って子を産んだ責めを享受したミハエルお母様とは一緒には居られなかったけど。
私を託されたマモルお父さんも、ルマお母さんも大切に育んでくれた。
本当の娘の様に・・・人の子として。
「ある日、あの子が寝込んでしまった。
元気が取柄だったのに、流行り病に罹ったの。
熱が出て辛そうだった。
お義父さんもお義母さんも苦しむあの子を心配したわ。
傍に居るのに手を出せないもどかしさが私を突き動かしたの。
だから・・・身代わりになって寝込んだのよね」
きっと、あの子だって知らないでしょうね。
熱に魘されて朦朧としていたんだから。
義父さんも義母さんだって分からなかったのだもの。
懐かしい思い出に、少しだけ心が和んだ。
だけど、思い出に浸っていただけなのに、不意に心が騒めいた。
「幼い時から一緒だったのは両親だけじゃないわ。
あの子もだけど・・・いつも身近にいたのは?」
思い出に誰かの存在を気付かされる。
「ベッドで寝込んでいても、傍にずっと居てくれた。
苦しくても悲しくても・・・寂しい時だっていつも」
幼い時から傍に居続けてくれた存在を。
「そうだわ。髭の狒狒が・・・ぬいぐるみの狒狒が。
いつでも傍に居てくれたのよ」
あの子の部屋に置かれていた縫いぐるみ達。
その中でも特別な存在。
「まだ私が魔王姫としての覚醒を成し遂げる前から。
ずっと寄り添ってくれていた。
魔力という物を知る前から語り掛けてくれていたっけ」
懐かしい声が思い出と共に蘇る。
年嵩だけど優しさの籠った男性の声と、縫いぐるみの姿。
「私が悲しい時は元気づけてくれて。
駄々を捏ねれば窘めてもくれた・・・」
そっと周りを見回して探してしまう。
懐かしく、そして頼りにする者の姿を。
「それなのに・・・どうして?
傍に居てくれないの?」
言葉に出してから悟ってしまう。
「私だけが黄泉に来てしまったのよね」
冥界と呼ばれるこの世界には、私だけが来てしまったのだと。
「狒狒の爺や・・・そう呼んでいたわね。
ずっと・・・そう、ずっと本当の名で呼ばなかった。
心の底では感謝し続けていたのよ」
どうして分かれ別れとなったのか。
理由は記憶が閉ざされていて思い出せない。
だけど・・・
「ねぇ、爺や。
ううん・・・今は呼べるから。
私の大切な・・・エイプラハム」
古城の陰で、一度だけ観たことがあった。
爺やの本来の姿を。
狒狒の縫いぐるみではない。
魔界の魔獣でもない。
況してや女神の使徒の姿でもなくて。
「爺って呼んでたけど。
本当はルシファーお父様と同じ位の年恰好。
上背のあるがっしりとした偉丈夫で。
髭を生やしているけど、その眼はずっと優しさに溢れていたわ」
古式豊かな衣装を纏った・・・人の姿。
いいえ。異性を感じさせられる漢の姿だった。
僅かな間だったけど、強烈な印象を受けたわ。
「私をいつまで経っても孫のようだと可愛がって。
ルシファーお父様の命令だと言い張って。
強情なまでに私に付き従って最期まで・・・」
時として険しい声で窘め、時には窮地を救ってくれて。
そして私が黄泉へと来ることになる瞬間までも・・・
ズキンッ!
何かを思い出すきっかけになるかと思えた時だった。
急に頭に痛みが奔る。
エイプラハムを想い、最期を迎える時に何が起きたのかを思い出そうとしたのに。
「痛い・・・まるで何かを隠そうとしてるみたい。
思い出せなくされてしまっているかのようだわ」
単なる偏頭痛とは思えない。
記憶を甦らせるのを拒んでいる訳じゃあ無いのに突然に起きるのだから。
「私自身の所為ではないとすれば。
一体誰が?どんな理由で?隠そうとしているの?」
最初に思い当たったのは、この記憶喪失が偶然ではなかったということ。
そして次に考えたのは、誰かに拠って記憶が奪われたのではないか。
魔法か、若しくは呪いに準じた術に因って封印されたのではないか?
「こんなタイミング良く頭痛が起きるなんて。
単なる記憶喪失とは思えないわよ」
それならば誰が?
何の目的で?
「爺やなら・・・何か意見を示してくれたかも。
エイプラハムならば必ず・・・助けてくれた・・・よね?」
頼ってしまってから気付く。
此処に居るのは私だけ。
頼れる爺やは居ないのに、独りになったのを気付いて。
ふるふる
眼を閉じて首を振る。
「頼ってばかりじゃ駄目だよね。
きっと爺なら叱咤激励してる筈。
独りでも成し遂げろって言ってくれるよね・・・爺なら」
心細く感じていたが、勇気を振り絞って声にしてみた。
そうすることで傍で爺やが観てくれているように思える。
「大好きなエイプラハムに、褒めて貰いたいから」
そう。
それが私の本心だと。
女神と使徒としてではなくて、姫と爺の関係でも無くて。
<好き> になっていたのに、気が付き始めていた。
女神の誇美が身体を癒している場所。
それは冥界と呼ばれる新世界。
目覚めたのは、高い城壁が囲む冥界の王の居する・・・
コツ・・・コツコツ・・・
仮初の陽光が差し込む広間に靴音が響く。
白いドレスを纏った貴婦人が、最奥部に向けて歩んで行った。
青味の差す黒髪と礼装が、彼女の佇まいをより上品に魅せる。
その後ろ姿は、誇美を見舞った女性だと思えるのだが。
豪奢な広間を歩む彼女は、何処へと行こうと云うのだろう?
大広間の、その先に居るのは?
天窓から降り注ぐ陽光。
広間の最奥部は陽光に満ちて眩いばかりに明るい。
そこに独り佇んでいる人が。
「だいぶ良くなってきたようだな」
柔らかな声で語り掛ける。
銀の髪色。
端正で整った顔。
そして紅く光る瞳の・・・高貴なる青年が。
「はい。
もう介添え無しでも歩けるぐらいには・・・陛下」
白い礼装を纏った貴婦人が、王衣に身を包んだ青年へと応える。
「タナトスの術で転生させたが。
あそこまで酷く傷ついていたとは・・・危なかった」
「陛下。どうか御自身を責めないでくださいませ。
あの子が喪われずに済んだではないですか。
今はそれで十分だと思わなくては・・・」
軽くドレスを摘まんで挨拶の礼を捧げた貴婦人が、陛下と呼んだ青年を諫める。
「そうだな。最悪は回避出来たようだが・・・」
応える青年王が頷いて。
「それはそうとして。
まだ見破られてはいないようだな、女神には?」
少しだけ、悪戯な笑顔になって訊いた。
「まさか、女神が仮の名を真に受けるとは。
どこにでもある草を意味する<ミントー>を疑いもしない。
確かに昔とは大きく違うが・・・くっくっくっ」
白のドレスを着た、二十代前半くらいに観える女性へと。
「むぅ。
陛下こそ、いつまで経っても意地悪ですね。
6年も経てば女は変わって当然でしょう?」
揶揄された貴婦人が、少し拗ねて応える。
「そうだな。
二人で過ごしたのは、たったの6年。
現実世界では半年にも満たないが。
こんなにも美しく、綺麗で高貴な淑女になるとは。
流石の女神でも気付かないだろうさ、ミハル」
「そう・・・かしら。
オルクス陛下こそ、立派になったと思いますわ」
褒め称えられた貴婦人は頬を赤く染める。
それを観た青年王の眼が優しさを増す。
誇美を介護していた淑女はミントを名乗った。
それは訳あって偽名を名乗った、冥界王妃だったのだ。
なぜ仮の名を使ってまで誇美に接触したのか?
どうして未だに兄妹の名乗りをしないままなのか?
今少し、時間を懸けなければならないのは何故?
全ては<あの時>に始まっていたのだ・・・
女神の誇美を看ているミント。
いいや、本当の名は王妃ミハル。
冥界の王に納まるオルクスと共に、何かを謀っているようなのだが?
そのオルクス神こそが死に瀕する美晴を救った識なのだったが・・・
次回 チャプター5 よみがえる絆 <黄泉から再起する女神は望みを諦めない>Act4
不幸な事故を経て、二つになった?光と闇は何故生まれたのだろうか・・・




