Act36 触れ合う絆(ふたり)
病院を後にしたリィン。
向かうは麗美の家。
人形少女レイは付き従うしかなかったのだが?
いつの間にか陽が暮れ、夜の帳が辺りを暗くしていた。
リィンと少女人形が辿り着いたのは、半年前まで麗美が住んでいた家。
週末になれば家族が揃う時もあっただろうが、最近では病院へ泊まり込む事が多くなったらしくエイジだけが帰って来るぐらいだった。
「まだ合鍵を返してはいなかったんだよ」
玄関を開ける時、リィンが誰言うともなく呟いた。
「だって、いつレィちゃんが目覚めてくれるか分からなかったから」
ドアを開けて中へと・・・勿論、少女人形も。
勝手知ったリィンが、先に入って照明を点ける。
ダイニングにはエイジのモノらしい科学技術書が所狭しと散らばっていた。
「もう、エイジったら!
散らかしっぱなしじゃないの」
そう言ったのはリィンの方だった。
呆れたように呟くと、室内を見渡してから。
「散らかっているけど・・・此処がね、あたし達の楽園だったお家なの」
玄関に佇む少女人形を振り返って教える。
「・・・そう・・・なのですね」
ぎこちなく答える少女人形。
ー 勿論、知ってるわ。
記憶と同じ・・・何も変わりはしないから・・・
目の前にある我が家。
だけど今は、初めて目にした風に誤魔化さねばならない。
「リィンタルトが仰られた楽園と云うのが、この家なのですね?」
「そうだったの、あたしにとっては・・・」
家の中を見渡し、知らぬ振りをして訊いたのだが。
「ここならね、遠慮をしなくても済んだの。
フェアリーの屋敷みたいに、始終監視されてなんかいなかったから」
パーカーを脱いだリィンが、リビングへと入るや否や。
「ふぁ~、この長椅子。久しぶり~」
ソファーにダイビングして寝転がった。
脱ぎ棄てられたパーカーが床に落ちる前に、レイが受け止めて。
「お行儀が良いとは言えませんね」
手早くクロスからハンガーを出して吊り下げる。
その姿を凝視していたリィンが、クスッと笑った。
「なにか?」
笑われたレィが怪訝そうに訊くと。
「やっぱりね・・・そうなんだ」
ソファーから起き上がったリィンが、一人納得したように頷く。
「なにが・・・なのですか?」
何食わぬ顔で訊き返したつもりのレイだったが、思わずへまをやっていたのに気が付かない。
「なにがって。どうして初めて来た家でハンガーの場所が分かったの?」
「え?あ・・・」
起き上がったリィンは笑顔のままで続ける。
「それにもう一つ。
ハンガーに吊る時、左腕から通したよね。
それってレィちゃんの癖と同じだったんだよ」
流石に癖までは誤魔化せなかった。
咄嗟に手を出してしまったのが、仇となったみたいだ。
「それは・・・偶然だとしか申し上げられません」
「偶然ねぇ?」
何とか言い逃れようとしたが、リィンは確実に怪しんでいる。
このままではレィだと言わざるを得なくなりそうだ。
「ハンガーの件ですが。
クロスの中には大概ハンガーが備えられてあるものだと認識しておりますので」
人工頭脳の知識で分かっていたからだと、なんとしても誤魔化そうと答えるのだが。
「ふぅ~ん。
そうなの・・・じゃぁ聴くけど」
「な、なにを・・・でしょう?」
冷や汗を流すとしたら、こんな場面なのだろう。
ビクリと身体を震わせたレイを観て、リィンはニマリと笑い・・・
「病院で言ったよね、レィちゃんを麗美だって。
あたしはレィちゃんとしか教えなかった筈だけど。
どうしてレィちゃんの本名を言えたのかなぁ?」
「ぎっくぅ?!」
ああ、あの時のことですか。
聞いた瞬間、リィンがびくりと身体を震わせた・・・あの時のこと?
やっぱり、気が付いていたようです。
「あ、あ、あれは。
そ、そうです!病室の外に名札がかけられてあるのを読み取っただけです」
動揺が顔にまで出ているなど、慌てるレイには分かる筈も無く。
「レ、レイミ様だと分かったからで・・・」
「そんな言い訳が通じるとでも?」
確かに名札は掛けられてあった。
ただし、集中治療室の外ではなくて、麗美が伏せている寝台に。
「う・・・信じてませんね?」
「うん、力一杯」
正体がバレた・・・完璧に。
これでは何の為に嘘を吐くのかまで訊かれてしまい兼ねない。
「わ、私は少女人形のレイです。それ以外の何者でもありません」
バレたと分っても嘘を貫かなければならない。
それがリィンと自分の為だと信じるから。
「そう?
だったら・・・そうね、これ以上訊かない事にする」
「え?!本当ですか」
驚いた。
本当に耳を疑う程。
「だって、レィちゃんなら最初から教えてくれた筈だもん。
人形へ宿って目覚めたのなら、あたしに教えてくれる筈だもん」
「あ・・・それは・・・」
言葉に詰まる。
少女人形だと言い張る自分へ、リィンが笑顔のままで応える姿に。
「もしもレィちゃんだったら、きっと深い事情があるんだよね?
あたしにだって話せない、教えられない秘密があるんだよね?
だったら・・・訊かない。訊けないよ」
「あ・・・あ・・・リィン・・・リィンタルト」
人形へ宿っているのを確認した今、レィの想いを考えて身を引いてくれたのだ。
あんなに辛い日々を送って来たというのに、リィンは我慢し続けると言うのだ。
「ご・・・いいえ、すみませんリィンタルト」
ごめんなさいとは言えなかった。
言いたくても言ってはならないと心を誤魔化した。
「私が人間の麗美では無くて・・・」
そう言うのが精一杯の謝罪。
「ううん、分かったから。
レィちゃんが何かを秘めているってのが。
あたしにも話せない訳があるのも・・・」
笑顔のままだったが、声は悲しそうだ。
あのやんちゃで甘えん坊なリィンが、精一杯の虚勢を見せているのだ。
「でもねレイ。今夜だけは・・・一緒に居てね」
明日になれば、ロッゾアとの面会がある。
一緒に行ってくれるのは分かっていたが、心細くて眠れそうになかったから。
「いいえ!いつも傍に居ります。
そう約束したではありませんかリィンタルト」
気丈に振舞いながらも、頼れるのは他に居なかった。
それを分かるからこそ、レイとして傍に居ると誓ったのだ。
「そっかぁ、約束だったよね。あたし達の」
「そうですとも」
二人は見つめ合う。
人間の瞳と機械のレンズで。
身体は生まれ変わっても、想いはずっと変わらない。
「ありがと・・・レイ」
目を伏せたリィンが落ち着きを取り戻し・・・
ファサッ・・・
ソファーに身を横たえる。
ほっとしたかのような顔を観たレイも・・・
トサッ・・・
傍らに座り、嘗てのように愛しい子の髪へと手を伸ばす。
「おやすみ・・・リィン・・・タルト」
リィンはレィと知りつつ身を引く。
レィは愛しくても手を拱くだけ。
「私はここにいるから・・・」
哀しい現実から、少しの間だけでも寄り添えれば・・・と。
二人はソファーに身を委ねるのだった・・・
二人の心に流れたのは・・・きっと昔を思い出したでしょう。
幸せだった頃の思い出を。
いつの間にか暗雲が垂れ込めてしまった今ではなく。
清らかな過去と幸せな思い出の中へ。
次回から第6章<思い出を穢す者>がスタートします。
本当なら祖父とも呼べるロッゾア・オークとの対決。
そしてオークの陰に潜む者との決戦が待ち構えているのですが。
まだ運命の対面を前に、静かな夜に包まれているのでした・・・
次回 Act37 姉と弟
正体を知る者、自分が誰なのかを知られたくない者。
ですが、本当の姉弟ならば・・・誤魔化せないですよね?