チャプター1 拗れる思惑 03
作戦を終え、陣地で寛ぐ搭乗員達。
話題は成功裏に終った作戦と。
戦いに不慣れな少女についてだったのだが・・・
ロッソア側の撤収により、一発の銃砲弾が飛び交う事も無くに済んだのは幸いだった。
両軍に物的損害も人的被害も無く済んだのは、一重に追い打ちを掛けずに引き返した八特小隊の判断に依るものと言えた。
その英断を下したのは・・・
「マリア小隊長の狙い通りです。
敵の前哨部隊は緩衝地帯を抜けて還ったようです」
通信を傍受していたレノア少尉がヘッドフォンを外しながら報告する。
「やはり、発砲を控えて追い打たなかったのが功を奏したようですね」
二号車の転輪修理を見守っていたミーシャも作戦が成功裏に進んだのを喜ぶ。
「うん。ロッソア側に流された噂やデマが巧く作用したようだ」
調整と修理に励む整備員達を見守る、指揮官のマリア中尉がスカーフを緩めて答えた。
撤収するロッソア側を追撃しなかったのは、マリア中尉の判断に依るものらしい。
「まさに諜報活動の賜物って奴ですかね?」
通信機を部下に任せたレノアがミーシャの傍まで来て、
「さすがは特務って云われるだけはありますね。中尉」
ミーシャに煎れたてのコーヒーをカップへと注いで手渡す。
「まぁ・・・な。こちらの小隊標識章を観て逃げたんだからな」
ミーシャ少尉も敵が認識していたのを実感しているようだった。
八特小隊の戦車に描かれてある<蒼き獅子>の小隊認識章。
魔鋼騎を表しているとは限らない部隊標識章なのに、ロッソア側は魔法の戦車だと知っていた。
そのことで判るのは、蒼き獅子のエンブレムを掲げた戦車が魔鋼騎なのを理解しているということ。
単に戦車だと言うだけならば、恐慌状態にはならなかったかもしれない。
只の魔鋼騎だというのならば、陣地を守り抜こうとしたかもしれない。
「ホント、噂って怖いですねぇ。
相手が怯え慄くなんて、どんな噂でしたっけ?」
「ああ。3両でロッソアの15両を瞬殺した・・・とかだったか」
いくらなんでも眉唾物にも程がある。
だが、死と隣り合わせの戦場では、嘘も誠に成り得るのだ。
過去の伝説が蘇った時、ロッソア将兵は恐怖に苛まれる。
「前の戦争だったらいざ知らず。
そんな大量の戦車が一か所に固まって行動する筈もないのにな」
マリアが噂をお披露目すると、ミーシャが速攻で否定した。
「そこが噂って奴の怖い処さ。
喧伝された情報を鵜呑みさせられちまうんだよ」
珈琲を啜っているレノアが訳アリ顏で、
「アイツだって・・・最初はそうだっただろ」
3号車から降りて来た美晴少尉を見つけて、顎を杓ってミーシャへと知らせる。
「っと、と。この話はもう辞めとくか」
その意を汲んだミーシャが、カップを手に離れて行った。
「あ、あの。どうかされたのですか?」
蚊帳の外状態だったミハル少尉が、話の輪から離れて行くミーシャを観て訊くが。
「いや、何も無い。作戦が巧くいったと話していただけだ」
士官用のパイプ椅子に座ったマリア中尉が、シレっと誤魔化す。
「こちらの思う通りに運んだのだからな。
敵側に我々の噂が浸透しているのが功を奏したようだぜ」
立ったままコーヒーを呑んでいるレノア少尉も話を併せて。
「ほんじゃぁ、ちょっくら1号車を観て来る」
カップを片手に、整備中の愛機へと足を向けた。
「あ、はい。ご苦労様です」
ミーシャとレノアがその場を去り、残ったマリアがカップを手にしていないのに気付いて。
「マリア中尉。コーヒーは如何ですか?」
湯気と珈琲の匂いを放っているポットへ手を伸ばし、
「ミルクと砂糖・・・入れますよね?」
カップへと注ぎながら訊ねる。
「ああ。すまんな、入れてくれ」
何気無い仕草で珈琲をカップへと注ぎ、濃縮ミルクと角砂糖を入れる美晴を見詰めるマリア。
「はい・・・どうぞ」
暫し呆然と美晴を観ていたのだが、眼の先にカップを差し出されて我に返る。
「ん・・・ああ」
湯気と共に、コーヒーの香りが漂う。
「良い香りだな・・・殺伐とした戦地だとは思えない程の」
香りが安らぎを齎してくれたのだろうか。
無意識での言葉だったが、聞かされた美晴の手が停まる。
ピクンッ
微かに指先が震え、カップの珈琲が揺れた。
「あ・・・ど、どうぞ」
一瞬だけ・・・停まっていた手が、マリアへと伸びてカップを渡すと。
「コ・・・コハル?」
カップを受け取ったマリアが、気遣うのだが。
「私も珈琲いただきますね。
あ・・・っと、ミルア伍長にも」
まるで聞こえなかったかのように、そそくさと二つのカップへ注いで。
「それじゃぁ、また休憩後に」
一つのカップにはミルクを注ぎ、もう片方はブラックのまま手に提げて。
「あ?おい?!」
待てとマリアが言う前に、美晴は駆け出していた。
背を向けて足早に3号車へと向かう美晴に、マリアは怪訝な顔を向けて。
「ミルアはブラックが呑めないんだぞ。
それにミハルだって・・・呑まなかったのに?」
一杯のブラックコーヒーの持つ意味を図りかねていた。
「ミルア。ひと息ついたら?」
操縦席ハッチに半身を突っ込んで整備を手伝っているミルア伍長に、カップを差し出しながら声をかける。
「あ~?
わざわざ持って来ていただいたのですか。ありがとうございますぅ~」
身体を起して振り返ったミルアが、顔を輝かせて嬉しがる。
「ミルクと砂糖。少し多めかも・・・だけどね」
「おお~!気が利きますねぇ」
甘党のミルアが目尻を緩ませて。
「いっただきまぁ~す」
美晴の手からにカップを受け取るとひと息に呑む。
「ぷっは~!生き返るぅ~」
ガブガブとコーヒーを流し込み、大袈裟に満足感を表すと。
「もう少しで作業も終わりますから。
整備を完了させてから休憩を採る事にしますので」
納得のいく整備をする為に、この場からは離れない旨を告げて。
「また後ほど・・・」
カップをハッチの側に置いて車内へと身体を突っ込むのだった。
「無理はしないでよ、ミルア?」
その後ろ姿へと労いの声をかけ、カップを手に美晴はそっと離れる。
車体を隠す林の中、整備場を少し離れた場所まで歩く。
木々の隙間から陽の光が零れている。
微かに小鳥のさえずりが聞こえ、風が葉を揺らす音が聞こえていた。
「・・・確かに。戦場だなんて思えないわね」
一際大きな木立の根本を見つけた誇美が、カップを手にしたまま座り込む。
「そう思えませんか・・・ルマ義母様」
ストレートブラックの珈琲を観て、
「こんなにも静かで・・・陽の光も遮られていないと言うのに」
過ぎた日を思い出して呟く。
「僅かな日々で私は変わってしまいました。
戦いは私を困惑し、戦場は理不尽を教えたのです」
ほろ苦いコーヒーを啜りながら思うのは、初陣を迎えてからの記憶。
「女神だというのに・・・私は。
人の希望には成れないままなのです」
カップを持っている指先が、微かに震えている。
それは記憶を呼び覚ました今、更に大きくなってくる。
スッ・・・っと、右の指先を目の前に据える。
震える指先。
「そう・・・この手で。
この指で・・・闘ったのです」
震える手を握り絞め、手の甲を額に当てて。
「人の乗った機体も。人の操る車体へも。
私は・・・この指で・・・撃ってしまったの」
震える手の感触が額を通して脳裏に映し出す。
「撃ってしまったんです・・・否応も無しに」
暗く沈み込む心を映し出すかのように、脳裏に蘇る・・・
「私は・・・私は!」
初陣となった、あの日の戦場が・・・
誇美の記憶が蘇る。
戦場という殺伐とした世界で経験してしまった過去を。
それは彼女が初陣を飾る数日前のことだった・・・
美晴として戦場へと臨んだ誇美。
女神の異能を封じて挑んだ結果、そこで観ることになったのは?
次回 チャプター1 拗れる思惑 04
丘の上に建つ古城に興味を惹かれた。そこには何が残されている?




