チャプター1 拗れる思惑 02
敵を退けた八特小隊。
作戦は巧くいき、損害も被らなかったのだが・・・
市街地から10キロ程隔たった森の中に3両の戦車が停められていた。
木々が天然のカモフラージュになっていて、近寄らなければ戦車が隠されているとは気付かないだろう。
「整備員整列ッ!」
怒気を孕んだビガーネル整備長の命令が、森の中に響き渡る。
二十人足らずの整備兵が、間髪を入れずに集合し終えると。
「貴様等っ、出撃車両の整備を怠ったな」
部下達の前で整備長が怒鳴る。
「今朝、俺が言った事を忘れちゃぁいねぇよな。
ビスの一本だろうが締め忘れたら赦さねぇって、言っただろうが」
怒りを顕わにするビガーネル・・・愛称のビッグの通りに大声で捲し立てる。
「それがどうだ。
二号車の転輪ボルトが一本抜け落ちているぞ」
眼をぎらつかせたまま、二号車の側面へと指先を向けて。
「多寡が一本と、軽く思うな。
その一本が元で行動不能に陥ったかも知れんのだぞ」
作戦行動中に不慮の故障に繋がったかも知れないと言うのだ。
まさか、たったの一本ボルトが抜けただけで?
「機動中に負荷が転輪に加わり、残ったボルトまでもが捻じ曲がったら。
予測不能の事態に成り兼ねん。
最悪、敵前でキャタピラが切れて行動不能に陥るかもしれんのだぞ!」
手抜き整備は故障を招く。
それが戦闘状態で起きれば、考えるだに怖ろしい結果を招くだろう。
「搭乗員の気になって考えろ。
不完全な整備の所為で死傷したとしたらどうだ?
整備した奴が悔やんでも、謝ったとしたって手遅れなんだぞ」
確かに整備不良で死傷したら、乗っている者は堪らない・・・で、済みそうにもない。
だからと言って整備員達を信じない訳にもいかない。
信頼しているからこそ、搭乗者は危険を顧みずに戦えるのだから。
「いいか?!
整備員の闘いは、砲火を交える前から始まってるんだ。
受け持ち部位を陣地と思え。
そこを守るのが俺達整備員の使命なんだぞ」
怒り狂っていたビッグの声が諄々と諭すように説く。
最初は鉄拳で制裁するかにも思えた整備長の声が、悟り切っている戦士のモノへと変わる。
「闘いは整備員も搭乗員も関係ない。
双方が全力を出してこそ、勝利を得られるのだと覚えておけ」
締め括るビッグが、整列している部下達に告げた。
全ての力を以ってこそ、戦闘に勝利する事が出来るのだ・・・と。
整備員達が訓戒を受けている姿を垣間見ていた。
「「良い整備長さんね。誇美」」
電源を落としてある筈のメインモニターから、女神の声が聞こえてくる。
「はい。美晴も信頼していたようですし・・・」
車長扉に背を預け、微笑ましく想えて。
「時々は茶目っ気たっぷりな冗談を放たれますけど」
図体が大きいだけの偉丈夫ではないと返す。
「「そう?そう言えば少し・・・彼に似てるかしら」」
帰還した心安さからか誇美が微笑んで応えると、女神も柔らかな言葉で話してくれる。
「彼?どなたの事でしょうか」
女神に彼と呼ばれる相手が気になって、訊き返してみたが。
「「昔の話よ。
まだ私が人として居られた頃に出逢えた戦友よ」」
「昔・・・ですか?」
女神の語る昔が、一体いつ頃を指しているのか分からずに訊ねると。
「「このフェアリアを守ろうと闘いに身を捧げていた頃。
民が呼んでいたのを覚えているわ、私を第4の皇女って・・・ね」」
「第4皇女・・・リーン様も王女として生きて来られたのですか?」
女神が教えるのは、当時帝国だったロッソアとの二国間1年戦争が起きていた頃の話。
「「えぇ、そうよ。
あの頃は愚直なまでに跳ねっかえりな皇女だって言われていたのよ」」
「へ?!審判の女神リーン様が・・・ですか?想像も出来ません」
通信装置を介さない通話。
半身をキューポラから乗り出して喋っていた美晴が微笑んだり難しい表情になるのを、操縦席ハッチから振り仰いだミルアが怪訝な顔になっていた。
「こんなにも麗しい美貌なのに?
お声だって落ち着かれて優し気で。
私なんか足元にも及びませんのに?
女神に昇華される前はおてんば姫だったのですか」
画面に映り込む女神の姿を観て、元が魔界の姫だった誇美が不思議そうに訊くと。
「「うふふ。ありがとう誇美。
そう言う貴女だって。
女神に昇華する前は、相当な悪戯姫だったと聞いたわよ?」」
「・・・チっ!爺やめぇ~」
揶揄われた誇美がモニターから顔を逸らして爺の悪態を吐く。
そこで話が逸れている事に気付いた。
「あの、上級女神様。
初めに戦友だと仰られましたが。
ビッグ少尉に似てるという彼って云うのは?」
女神の戦友だと言うのだったら、さぞや厳つい戦士だろうと思い込んで訊いたのだ。
「「・・・私達の整備班長。
フェアリア独立戦車第97中隊の整備長だったの・・・彼は」」
「・・・だった?」
女神の答えに、誇美は気付く。
過去形で応えた女神の言葉の意味を悟って。
「「今は、彼の魂が安らぎの中に居ることを願う。
冥界の王の許で平穏である事を・・・願うだけなの」」
続けて知らされてしまう。
女神の言った彼が、既に亡き人となってしまっているのを。
「そう・・・だったのですね。すみません、過去を抉る様な真似をして」
素直に謝罪する誇美に、女神は目尻を下げて応える。
「「気にしないで。
話したのは私なのですから。
きっと冥界でオヤジギャグでも噛ましてるわよ」」
「・・・は、はぁ?」
冥界・・・死者の暮す世界。
神々が暮す天界と対比される、地の底にあると謂われる冥界。
その世界の主は地獄の閻魔とは別で、天界の主と同等の権力を持つとされる。
つまり冥界の王とは・・・
「冥界の王様と言えば・・・ハーデス様でしたっけ?」
誇美が天界で聴いた名を溢す。
「「名前だけしか知らないけど。
確か、そう呼ばれているわね・・・ハーデスって」」
冥王ハデス。
死者の魂を計る者であり、死後世界で安住を齎すとされる・・・神。
「どのようなお方なのでしょう?」
「「案外・・・色男だったり?」」
悲しい話に染まりかけたが、女神の機転で払拭される。
「いやいや。ありませんって」
「「分からないわよぉ。会ってみなきゃ」」
二柱の女神が笑みを零す。
「後で爺に訊いてみます」
クスクスと笑う誇美が、今は席を外している使徒に訊くと応えると。
「「羨ましいわ、誇美のことが。
白髭の将にも、黒衣の剣士にだって・・・
多くの仲間に護られて女神へと昇華出来たのですもの。
私みたいに強制的に神格化されなかったのですからね」」
少しだけ、女神の表情が翳る。
「「邪悪に人として闘い、平和を手に出来たと思ったの。
だけど・・・運命は非情だった。
人の姿は仮初めに過ぎず、私から全てを奪い去ろうとした・・・」」
「リーン様?」
語られ始めた過去が、想像もつかない非情さを感じて。
「一体何が?審判の女神様に起きたのですか」
知りたいと思う心と、知らない方が良いのではないかとの想いが入り混じる。
「「知りたい?
でも、知った処でなんにもなりはしないわよ。
人の世界に遣わされた女神の過去なんて」」
だから、女神が話さなかったことに安堵を覚える。
「「人の世界を断罪する使命を託されるなんて。
産まれたことを恨めしく思うだけだったわ」」
「審判を司る女神として産まれたことを・・・」
だが、審判の女神の一言で、如何に非情な運命を辿ったかを匂わされて。
「どんなに過酷な宿命を背負われてきたのだろう。
戦いも・・・心労も。私には務まる訳がないわよね」
そっと画面に映り込む女神を観た。
輝く金髪・・・瞬く蒼い瞳・・・麗しい口元。
どうすればこんなにも優しくなれるのだろう。
どれだけの想いを抱き留めたら、これ程の神々しさを手に出来るのか。
「私だって女神の端くれなんだもん。
リーン様には及ばなくっても、出来ることがある筈よね」
比べるべくもないけど、自分にだってやり遂げなければならない事がある。
「女神の意地って訳じゃないけど。
必ず助け出してみせるんだから!」
この躰の持ち主を生還させること。
身代わりとなって異界に囚われている美晴を助けると。
「「頑張るのよ誇美。
あなたにしか出来ないことを」」
キューポラから空を見上げて想いを溢す、芽吹きの女神。
「「多くの困難にも負けず。
どんな理不尽にも打ち勝って」」
その若き女神に、審判の女神リーンが力添えを確約する。
「「世界の理にも打ち勝って。
邪悪から想い人を救ってあげなさい」」
青い空に流れる雲。
まるで平和を謳うかのような空の果てに。
あの人が居ると信じて。
「美晴・・・待っていて。きっと助け出すわ」
女神の異能が少しだけ溢れ出す美晴の髪色が、陽の光に照らされて輝いていた・・・
誇美に諭す審判の女神リーン。
如何なる過去があったのか。どんな経験を積んできたのか?
人として戦争を経験した女神リーンの過去とは?
それが分る日が来るのだろうか・・・
一作戦を終えて休息を執る搭乗員達。
僅かな休息の間に交わす言葉は人の情なのか。
次回 チャプター1 拗れる思惑 03
勝利を収めても心は晴れなかった。それはこれまでの経験からなのか?




