Act18 蠢く悪魔
焦燥に囚われるリィン。
大切な人を逝かせない為には、どうすれば良いのか?
今、悪魔がリィンの元へ忍び寄ろうとしていた・・・
北部や西海岸で雪の便りが届く頃。
リィン達が住むマンハッタンではクリスマスキャロルが流れていた・・・
「今年も残り僅かになったね・・・レィちゃん」
集中治療室に入る事も叶わず、窓辺で話しかけるのが日課になっていた。
「来年はきっと善い年になるわ・・・きっと」
どれだけ話しかけようが、声は返って来ないのに。
「私・・・ね。
レィちゃんが諦めるなって言ったのを忘れちゃいないんだよ。
だから今ね、病理学の勉強をやってるんだ。
どんな病だろうが治せれるようにしてみせるんだから」
主治医は麗美の身体は、このままだと1年も持たないだろうと宣告した。
一年も持たずに脳は死を迎えるだろうとまで言い渡された。
心臓は動いていても、脳が反応を見せなくなる・・・脳死。
その時は日々近づいて来ている。
「だからねレィちゃん。
私が助けてみせるから・・・最期の瞬間まで頑張ろうよ」
麗美の父母、蒼騎夫妻は医師から宣告されたが、リィンとエイジの反対で生命維持装置を停めることを望まなくなった。
最後まで手を尽してくださいと医者に頼んだぐらいだ。
望みがあるとすれば、劇的な回復を齎す薬が発見されることぐらいだろう。
それがリィンの微かな希望だったのだが。
「でも、たったの1年・・・私には短すぎるよ」
医者になるにしても、劇薬を開発するにしたってリィンには時が足りなかった。
「何か別の方法で。
レィちゃんの身体を、これ以上悪化させずに済ませられないのかな」
死を先延ばしできるのならば、それだけチャンスは増える筈だった。
それが叶うのならば、自分にだって救えることが出来るかも知れないと思った。
「誰でも良いから・・・時間を停めてくれないかな」
神に縋り、奇跡を願ったが何も起きはしなかった。
でも、希望は絶やしたくはない。
「もしもレィちゃんを救えるのなら・・・どんなことだってやってみせるのに」
手を尽したとはいえ、まだ何か方法があるかもしれない。
誰かの力を借りてでも、助けれるのなら・・・
出来るのは奔走するより他は無い。
リィンは独り、死を先に延ばせる方策だけを考えていた。
研究室の中では、大型コンピューターが試算を繰り返していた。
プリントアウトした用紙には成功の確率が書き込まれている。
「やっと半々か。
これでは奇跡に頼る他ないな」
演算処理された確率は50パーセント。
「完全ではないにしろ、実験は行わねばなるまい」
指で弾いた用紙を、ダストケースへ無造作に放り込む。
「私の試算だと、記憶処理に必要な電力は原発1基分に相当するのだが。
それがネックになっているみたいだな」
強力過ぎる電力を求めれないのが実験の齟齬となっている?
「だが・・・他に方法が無いとすれば。
悪魔に頼ってみるのも悪くはないのかも知れん」
嘯く者は、タブレットに映し出された絵をなぞる。
絵には雷を受ける禍々しい館が描かれ、題名が躍っていた。
「寓話にしか過ぎなかった絵物語。
だが、私がその主人公を造り出す日がやって来るのだ」
禍々しい表紙に書かれてあるのは<フランケンシュタイン>
「新たな命を授けるにも等しい。
生まれ変わる身体を造ってみせようではないか」
ダストケースに放り込まれた用紙の端に記載されてあるのは。
・・・・<人類再編計画>・・・・
街中がクリスマス気分一色に染まって浮かれていても、リィンにはどうでもいい事の様に思えた。
もしこれが去年なら、レィとどこに行こうかとか、イブには何をしようかとか。
今の街と同じように燥ぎまわっていただろうに。
冬空の元、心までもが凍てついてしまったかのように感じる。
「急がなきゃ・・・何とかしないと」
焦燥感に囚われて、リィンはレィの研究室に来ていた。
ここは先日までレィの持ち場であり、世界平和を目指した研究資料が手付かずのまま残されている。
手書きのノートや走り書きされたメモ。
そのどれもがレィが居た証であり、レィだけの記憶でもあった。
「これを見せる事が出来たら・・・目を開けてくれないかな」
疲れ果てていたリィンは、瞼を開けもしないレィに見せれたらと思った。
不可能なことでさえリィンには一縷の望みに思えてしまう程、焦燥していたとも言えた。
「ああ、私ってどうしてこうも駄目な子なの。
自分が何も出来ないからって、レィちゃんばかりに頼ろうとしているなんて」
不治の病に罹ったレィを助けたい一心で、研究室にまで足を運んだというのに。
リィンは自分の不甲斐無さを嘆くばかり。
「何か見つけないと。
どんな方法でも良いから、レィちゃんの命を繋ぎ止めないと」
今日明日にでも死が訪れてしまうかもしれない。
もしもこのままの状態を看過していれば・・・間違いなく悲劇はやってきてしまう。
「神様、どうかレィちゃんを逝かせないで」
縋る神あれば、救う神ありきか。
いや・・・リィンは神だろうが悪魔だろうが関係なく望んでいた。
奇跡という名の劇薬を。
「君は彼女を繋ぎ止めたいと願うのかね」
不意に男の声がリィンへかけられた。
半ば朦朧とした頭の中へ、誘惑する声が響き渡る。
「時間が欲しいの。レィちゃんを救うだけの時間が」
振り返るリィンが奇跡を求めた。
「死ぬことを防げる方法があるのなら何だってやるわ」
求めるのは死の回避。
奇跡が起こせるのならば・・・自分がどうなろうとも。
「宜しい。君が求めるのなら私が彼女を蘇らせてみせよう」
蘇らせる・・・そう言われたリィンが振り仰ぐ。
「このターナーが、君の望みを叶えてやろう」
そこに居るのは白銀髪の教授。
細く切れ上がった眼を澱ませた、マッドサイエンティスト。
「ター・・・ナー・・・教授?!」
リィンも顔は知っていた。
レィがいつも苦言を呈していた相手なのは聞いていた。
「あなたにレィちゃんが救えるの?」
「フフ・・・それは運次第なのかも知れないがな」
ニヤリと口元を歪ませた相手にリィンは躊躇してしまうが。
「運次第・・・って?」
助けを求めるあまり、訊いてしまうのだった。
「成功の確率は半々だと言った処だからな」
「半々・・・もしも失敗したら?」
心配するのは事後の話。
もしも成功しなかったらレィはどうなるというのかと。
「心配する事はない、失敗しても元のまま。
つまり今の現状からは何も変わらんと言う事だ」
「え・・・今のまま。だとしたらやる方が良いって話ね」
不治の病からの脱出か、何も変わらないかの違いなら。
「それなら何もやらないでおく方が損に決まってるじゃない」
「そうかなリィン嬢。
君は神に背く実験に彼女を巻き込もうとしているのだよ」
顔を挙げたリィンへ、タナトスが嗤う。
「彼女を蘇らせる方法はな。
彼女自身の肉体から魂だけを抽出し、他の物体に宿らせる事なのだ。
つまり・・・魂の転移。新たな命の容とでも言えば分かるかな」
「え・・・レィちゃんが、レィちゃんではなくなってしまうの?」
あまりにも突飛な話に、訳が分からなくなる。
「いや、麗美君は厳然として麗美君だ。
ただし、死に逝く肉体を放擲した神とも呼べる、不死の身体を持つ事になる」
「死なずに済むの?もう一度私とお話しが出来るの?」
だが、誘惑されるリィンの心は奇跡を求め続けて。
「レィちゃんともう一度逢えるのなら!
神様に背こうが、どんな賭けだってやるわ」
そう・・・眼前の悪魔に手を差し出してしまうのだった。
「宜しい。
それならば・・・言われる通りに準備しなさい」
悪魔は嗤う。
遂に獲物を手に出来たと。
とうとう、禁忌を開く時が来たのだと。
悪魔は人へ贈られた箱の中から飛び出そうとしていた。
その後の事だった。
両親が病室を後にした晩、二人の影がやってきた。
二人は集中治療室の患者を医師達の許可も取らずに移動させようとしていた。
緊急搬送を装い、ナース姿と医者に化けて運び出したのだ。
他にも数名の協力者が居たのだが、そっけない態度から誰もが金で雇われただけに見える。
主犯は二人の男女。
二人共患者と同じ年恰好に思える。
ナース姿で栗毛の少女と、黒髪の男子。
何かに憑りつかれたかのように急く姿が監視カメラに記憶されていた。
クリスマスイブの晩で警備が手薄なのを見越したかのように、二人と共謀者を載せたワゴン車が奔り去って行ったのも・・・
その行先は。
「いよいよだ。
これで成功の暁には、私が創造者として地上を変えてみせる。
私も中央演算機へ宿ってやろう!」
暗雲が垂れ込め、稲光が近付くニューヨークで。
室内の装置が魔物の様に蠢く研究室で。
悪魔が嗤っているのだった・・・
遂に人柱を手にするのか?
実験台に供されるとも知らず、リィンは悪魔に手を差し出したのか?
もしも成功してしまえば、人類再編計画が発動してしまう?!
神は人類に何を送ろうとしているのだろう・・・
次回から第3章<記憶の傀儡>が始まります。
タナトスの策謀は成功するのか?
人類は悪魔によって破滅の時を迎えてしまうのか?
目覚めないレィは?懸命に救おうとしているリィンは?
次回 Act19 冬の稲妻
魂を弄ぶ者・・・狂った試みを成そうとする者・・・その名は。<悪魔>




