第6章 鬼さんこちら♪
「殺してくれなかったのか」
気絶した青鬼を念のため木の根元にしばりつけてすぐ、彼は目を覚ました。
それの第一声がこれである。
「えーと。殺して欲しかったってこと?」
なんと物騒な。
生き残ってしまって落胆感満載の青鬼の表情をみれば、美音の問いかけの答えは聞かずともわかる。
そしてもう狂気の色は見えない。
そればかりか、瞳には理性の光が見える。
正気に戻った。これならもうむやみに人を襲うような事はしないだろう。
(あーこれはもしかして、自分から望んでこの状況になったのかなあ)
呪を描いたのは、本人ではないだろう。この死にたがりの鬼が断らないとわかって渡した者がいる。
(わあ。性格悪るそう)
「死にたかったなら、勝手に死んだらよかっただろう」
「それができていれば、こんな面倒な事はしない」
青鬼が不貞腐れたように吐き捨てる。
「あー。もしかして、お前、不死系か」
合点がいったように航生が頷いている。
「何?」
美音はわからず、航生を見上げた。
「あー。多分こいつ、どんなに大きな怪我しても、回復してしまうんだよ。アンデットだ」
「そうだ。一瞬で消し炭にでもしてくれないとおそらく死なない」
「うわあ。それはすごい」
だが、死を望んでいる本人にとっては地獄かもしれない。
「そもそもなんで死にたいんですか?」
青鬼は一瞬黙ったが、やがてぽつりぽつりと話し出した。
「俺は元は人間だった。それがこうして鬼になったのは、俺が鬼を食ったからだ」
「鬼を食べた?」
「ああ。10年前、俺は妻と娘と三人で普通に暮らしていた。だがある日、家に帰ると、鬼が妻と娘を食らっていた」
青鬼はぎりっと唇をかみしめる。
「リビングの入り口で、鬼の背中越しに見えたのは、妻のあるいは娘の血に染まった指のかけら。振り返った鬼の口はピンクの服の切れ端が。なによりおびただしい血が、鬼が妻と娘を食らったのだと証明していた。俺はキッチンに駆け、包丁を取ると、鬼に向かって切りつけた。何度も何度も。殴られようが腕をへし折られようが俺は鬼に向かって包丁を突き刺し続けた。その時の俺の頭には、ただただ、妻を娘を返せ。それしか頭になかった。気が付くと、鬼は床に倒れていた。そして俺は鬼を食った、かけらも残さず」
青鬼は座り込んだ先の地面に視線を落とす。
「食った後の記憶はない。気が付くと、俺は鬼になっていた。食らった鬼と同じ青鬼に。俺はすぐさま、その場で妻と娘の後を追おうとした」
「が、できなかったと。お前が食らった鬼がアンデット系の鬼だったんだな。ある意味お前の行動は正しい。もしお前が食わなかったら、そいつは復活してきただろうからな。だがそのせいで、お前は後を追えなくなったと」
「そうだ。どうやっても死ねない俺は、この山で暮らすことにした。鬼となった俺はもう普通には暮らせないからな」
「なぜ、この山に?」
「この山の謂れは前から知っていたし、来てみると、確かに鬼の俺には心地よい気だったから」
「へえ。私には空気がいいなあくらいにしかわからないなあ」
「あー。この山は異界と繋がりやすいんだ。なぜかは知らないが。だから、たまに次元の裂け目ができて、そこから妖が転がり込んで来る。大概は、小物ばかりだが。おそらくこの鬼の家族を襲ったのも、異界の裂け目からやってきたんだろう。こいつがその鬼をやっちまわなかったら、もっと被害が出ていたかもな」
家族を殺され、不死になってしまって家族の後を追う事もできない。
どう慰めてよいやら、わからない。
ただ。
「あー。貴方が死にたい理由はわかりました。話してくれてありがとうございます」
美音はぺこりと頭を下げた。
「鬼になってしまったのは、本当不幸ですが、その鬼を食べてしまった、のは、なんとなく理解できます」
「美音!? お前、妖を食いたいのか?!」
「違うよ! この人が食べた理由がね、わかるかもってこと! きっと奥さんと娘さんを返して欲しかったんだよ。だから食べてしまった」
青鬼が、大きく目を見開く。
「鬼に奪わられままだったら、二人が浮かばれない。だからこの人は鬼ごと家族を取り戻したんだよ」
そして美音は青鬼の角を見る。
「それが正しいかどうかわからない。けど、奥さんと娘さんを取り戻したいという気持ちは本当で。だから、きっと鬼のシンボルである二つの角は、こんなに透明で水晶のようになったんじゃないかな。曇りなくとっても綺麗だよね」
青鬼は美音を凝視した後、再び視線を落として、身を震わせた。
鬼からの返事はない。美音の答えが正しいかどうかもわからない。
それを問いつめる必要もない。
「で、美音。どうする?」
「そうだねえ。もう人間を襲わないって約束してくれれば、解放してもいいと思う」
「こいつを信じると?」
「あーうん。元々人を襲いたかったわけじゃないしね。ね、約束してくれますか?」
青鬼は無言で頷く。
「よかった。じゃあ、解決だね」
「まて。原因を突き止めないでいいのか」
鬼がなぜ、人を襲うようになったかはわかった。死にたいから、人を襲って、殺されようと思った。
けれど、鬼に眼帯を渡した人物の目的はわからない。航生の言う通り秋月に喧嘩を吹っ掛けたかったのか。はたまた全く違う理由か。
「あー、やっぱり。そうだね。うん。いちおう聞いてみようか。青鬼さん、もし差し支えなければ、あの眼帯をくれた人のこと教えてくれるかな」
「普通のヤツだった。20代くらいの男で、グレイのスーツ姿で、俺が住んでいる小屋にやっていて、眼帯を差し出して言った。これを付ければ、俺の願いが叶うと」
「それで、信じて眼帯をつけたと」
「やつを信じる信じないじゃない。うまく死ねればどうでもよかった。だから、従ってみただけだ」
「その他には?気づいたこととかないですか?」
「別に。何も聞く必要がなかったからな」
「あーそうなんですね」
きっと、この青鬼は、惰性で生きているに違いない。
生きているのは、死ねないから。
それはなんと苦しいことか。
「あの、これからどうしますか?」
「どうもしない。殺してくれないなら、ここにいるしかない」
「あー、そうですか」
美音はちらりと航生を見てから、また鬼に向き直った。
「よければ、一緒に来ますか?」
「はあ?」
「あの、この航生の家の別邸にお部屋がたくさんあります。航生の仕事を手伝ってくれるなら、私そこに住めるように頼んでみます」
「だが、俺は見てわかるように化け物だぞ。街中に住める訳がない」
「変化ができないんですか?」
「できない。出来ていれば、そもそもこの山にいないだろう」
「あーそうですね」
航生が一歩前へ出て、くいっと親指を手前に振る。
「お前がうちに来る気があるなら、町に住めるように考えてやる」
うん。格好いい事いってるけど、おそらく長兄に丸投げする気だろう。
「そこにはもう一人? というか私の友人の妖もいますから、寂しくないと思いますよ。こんな山で一人で暮らしていたら、寂しいですし、どうでしょう?」
鬼がどう思うかはわからない。
けれど、人間ならば惰性で生きているにしても、ここではあまりに寂しい。
「鬼殺しの俺が怖くないのか?」
「うーん。実際見た訳ではないので。けど、青鬼さん、見た目強面なので、夜に見たら、驚くかも。それはそれですいません。最初に謝っておきます」
「は、変わった娘だ」
「で、どうです?」
「そうだな。だが、おまえになんのメリットがある?」
「あー。そうですね。私この航生のサポートをしなければならないんですけど、相談する人がいないんです。貴方がいれば、愚痴も言えるし。それに居場所がわかっていれば、その眼帯をくれた怪しい人物について何か思い出した時にすぐに聞けますし」
「なるほどな」
鬼はしばし、考えたのち、頷いた。
「どうせどこにいても同じだ。ここにいるのにも飽きた。世話になろう」
「よかった。航生いい?」
「ああ。もちろん」
安定の返事。凌生に合掌しておく。
「じゃあ、帰ろうか」
美音はふもとで待つ伝田に、どう伝えればよいか思考を巡らした。