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ジパング大航海時代  作者: 扶桑かつみ


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ジパング大航海時代 略歴年表

●西暦12世紀


 ・1180年

日本、源頼朝挙兵

 ・1185年 

日本、源義経放逐

 ・1187年 

日本、平家が太宰府近辺で滅亡。安徳天皇行方不明

 ・1192年

日本、源頼朝、征夷大将軍に任じられる

日本、鎌倉幕府開かれる(鎌倉時代)

 ・1193年

日本、奥州藤原氏滅亡

日本、源義経、日本外に亡命(蝦夷より先の行方は確定せず)



●西暦13世紀


 ・1206年

日本、北方探索始まる。表向きの目的は北方開拓だったが、真意は源義経探索にあった。政権を握った北条氏が源氏血統の生存を恐怖した

 ・1209年

日本、アイヌの中に源義経の痕跡を見つけるも消息不明

 ・1256年

日本、幕府による義経探索中止。義経探索により、オホーツク海沿岸の探索が進み、一部ではアイヌなどとの交易が始まる

 ・1271年

蒙古より日本への服属(朝貢)迫る使節が到着。日本黙殺

 ・1271年(〜79年)

マルコ・ポーロの東方旅行

「東方見聞録」を記し、ヨーロッパ世界に「ジパング」として、日本が初めて紹介される

 ・1271年

「文永の役」

元帝国、日本に侵攻。しかし外交としての攻撃だったため、元軍は数日で日本から離れる。その後二度元帝国の使者が日本に来るが、日本側はこれを殺害

 ・1279年

元帝国、南宋を滅ぼす

 ・1281年

元帝国、日本への遠征を準備不足を理由に一年延期

 ・1282年

「弘安の役」

元帝国、4400隻の軍船と14万の大軍で日本に襲来

筑前、長門、筑後の各地に上陸。筑前で激しい戦いが展開され、三ヶ月の攻防戦の後に元帝国軍は壊滅。旧南宋系の将兵約6万人が助命され、荒廃した地域の再興と交易の仲介を条件に、幕府から日本での居住を許される。

以後旧南宋人は、南方交易に力を発揮する

元寇を撃退したのが武士の力となったため、公家や寺社の権威が落ちる

 ・1299年

オスマン朝トルコ勃興(〜20C)



●西暦14世紀


 ・1302年

羅針盤の発明。その後改良が続く

 ・1333年

日本、鎌倉幕府滅びる

 ・1334年

日本、建武の新政(中興)

 ・1338年

日本、足利尊氏、室町幕府開く(室町時代)前後して南北朝時代到来

 ・1338年(〜1453)

「英仏百年戦争」勃発

イングランドとフランスの戦争。主にフランスが戦場となる。

この頃、ヨーロッパ全土でペストが大流行。総人口の三分の一を失う。十字軍遠征の影響もあって地中海側が発展

 ・1354年

この頃、倭寇が朝鮮半島南部で活発化

 ・1368年

明朝(明帝国)が勃興

 ・1370年

ティムール帝国勃興

 ・1392年

日本、南北朝統一

高麗滅びて朝鮮(李朝)建国。以後500年以上続く

 ・1392年

金閣寺(外交施設)造営(97年完成)



●西暦15世紀


 ・1402年

明帝国で永楽帝即位

明帝国、日本に国書送る

 ・1404年

明帝国と日本の間に国交と通商開く(勘合貿易始まる)

日本の元南宋移民に焦り。東南アジア進出を強め始める

 ・1405年(〜1430年)

鄭和の遠征開始

 ・1409年

鄭和の遠征第3次航海に出発。分艦隊が東方及び北方を航海。副産物として、日本に航海技術が伝えられ、当時の記録が残る

 ・1410年

新華シンカ」後の蓬莱(北アメリカ)大陸を発見。伊達浜近辺まで南下するも国を発見できずに帰投。アジアでの新大陸発見の起源とされる。アラスカ地域やアレウト列島もこの時に発見

 ・1417年

鄭和の航海に付き添った日本人が、初めてインドとアフリカ大陸東岸に到達

 ・1429年

琉球王室の成立。明帝国の中継貿易点として発展

フランス、ジャンヌ・ダルク登場

 ・1437年

日本商船、初めてインドに到達

 ・1446年

グーテンベルグ活版印刷術発明

 ・1453年

東ローマ帝国滅亡

コンスタンチンノープルはイスタンブールと改名され、以後オスマン朝トルコの首都となる

 ・1467年 (〜1477年)

日本、「応仁の乱」始まる。戦国時代の幕開け

 ・1476年

日本商船、自力でアレウト列島に到達。以後毛皮狩りで北方航路の開拓が少しずつ進む

日本、この頃に外海廻船(ジャンク型カラック船)登場。東アジア交易で大きな勢力を持つようになる

 ・1480年

モスクワ国自立(後のロシア帝国)

 ・1483年

日本、不確かな記録だがアラスカを経て伊達浜近辺に到達。しかしバイキングの新大陸到達と似た解釈しかされず

 ・1488年

ヴァーソロミュー・ディアス、喜望峰発見

 ・1492年

クリストファー・コロンブス、アメリカ(西インド諸島)発見

 ・1498年

ヴァスコ・ダ・ガマ、インドに到達。

不確かな記録では、白人と日本人の初めての接触があったとされる

 ・1499年

アメリゴ・ヴェスプッチ、南アメリカ大陸(ラテン大陸)発見。その後ヨーロッパでは、新大陸をアメリカ大陸と呼ぶようになる



●西暦16世紀


 ・1510年

ポルトガル、インドのゴア占領

 ・1511年

日本、マラッカのポルトガル人と出会い商取引を開始。しかし日本の位置は教えず

 ・1516年

ポルトガル、中華の広東に到着。日本の話を聞きつける

 ・1519年(〜22年)

マゼラン一行の世界一周

 ・1520年

オスマン朝トルコ、スレイマン一世即位(〜66年)

 ・1521年

日本、マスケット銃を初めて試作。戦国時代だったため、以後急速に普及していく

 ・1523年

日本、大内氏と細川氏が海外貿易で競争。東シナ海の海賊討伐も行われ、海賊(後期倭寇)発生の要因の一つとなる。またこの時期に日本型帆船の改良と大型化が進み、カラックからガレオン船に向けての変化が始まる。

船舶の大型化に伴い、建材獲得のための北方開拓が進む

 ・1529年(〜32年)

「第一次ウィーン包囲」

オスマン朝トルコの最盛期到来

 ・1532年

イスパニア、ピサロがインカ帝国を滅ぼす

マキャベリの「君主論」

 ・1534年

イエズス会(ヤソ会)設立

 ・1543年

日本、種子島にポルトガル船来航

コペルニクスの「地動説」

 ・1549年

宣教師のサンフランシスコ・ザビエル、日本に渡来

 ・1550年

日本、ポルトガル商船が平戸に来航

 ・1551年

日本、大内氏滅亡

日本、大砲の試作に成功。最初は船舶に搭載

 ・1556年

インド、ムガール帝国でアクバル大帝即位

日本、商人の一部が明帝国の倭寇討伐に協力

 ・1558年

日本、商人が小琉球に明帝国の許可を得て拠点を建設

イングランド、エリザベス女王即位(〜1603年)

 ・1560年

日本、「桶狭間の合戦」。この前後から、日本各地で大規模な大名が各地で台頭するようになる

 ・1564年

日本、上杉謙信の部下がアムール川河口部に到達。現地での交易と狩猟を開始

 ・1565年

イスパニア、フィリピン(呂宋)を征服

 ・1568年

日本、織田信長が軍を率いての上洛に成功。織田信長台頭

 ・1571年

「レパントの海戦」

イスパニアが地中海の制海権を獲得。無敵艦隊と呼ばれるようになる

イスパニア、マニラ市を建設しアジア交易の拠点とする。明帝国との絹交易で日本に打撃

 ・1573年

日本、室町幕府滅亡(以後、安土大坂時代)

 ・1575年

日本、北条氏政が千島列島からアレウト列島にまで船を派遣。甲冑などに使う高級毛皮ラッコなどの獲得を図る

 ・1576年

日本、織田信長が安土城築城

「第一次大坂湾海戦」

日本初の大砲を搭載した帆船同士の海戦。織田水軍が敗北。以後日本型ガレー船は急速に姿を消す

 ・1577年(〜80年)

イングランド、ドレークの世界周航

 ・1578年

「第二次大坂湾海戦」

「オダ・ガレオン」と呼ばれる日本製の大型戦列艦(2000トンクラス)が登場。艦隊による横列砲撃で毛利水軍を殲滅。大きな衝撃を与え、以後日本中で大型の戦列艦の建造が盛んになる

ロシア、コサックのシベリア進出始まる

 ・1580年

イスパニア、ポルトガルと合併。「日の沈まない帝国」となる

 ・1581年

ネーデルランド連邦独立宣言

 ・1582年(〜90年)

日本、天正少年使節をヨーロッパに派遣

 ・1583年

日本、織田信長が大坂城築城開始

 ・1584年

日本、織田信長が日本を再統一。

以後織田信長による事実上の絶対王政が始まる

 ・1585年

織田信長、天皇の代理である関白に就任。

織田信忠が将軍に就任。大坂に織田幕府が開かれる。

朝廷の三顕職が武士に取り上げられる

 ・1588年

イスパニア、無敵艦隊敗北

「日本・イスパニア戦争」

貿易摩擦から、日本がフィリピンに侵攻

 ・1589年

日本、フィリピン征服を完了して呂宋と改名。東アジア各地のイスパニア(ポルトガル)勢力圏も積極的に攻撃

明帝国、相次ぐ内乱で国力衰退

朝鮮、日本に通信使節を派遣

 ・1590年

日本とイスパニアの間に講和条約締結。

日本は、マラッカ海峡以東の旧ポルトガル利権をイスパニアから割譲。日本は、フィリピン、マカオ、マラッカ、スマトラ島、ジャワ島、ブルネイ島のそれぞれ一部を領有

 ・1591年

ヌルハチ、東満州を統一。この頃に黒竜川の日本人と交易を始める

 ・1592年

日本、朝鮮に開国と交易を求めた船団を派遣。直接ソウル近辺にまで船で赴いたため、朝鮮側が侵略と誤認して戦闘に発展。以後1607年まで両者の交流は途絶える

 ・1595年

日本、片倉景綱の新大陸探索船団が布哇諸島に到達

 ・1596年

日本、片倉景綱が新大陸(蓬莱大陸=アメリカ大陸)に到達。その後南下してノヴァ・イスパニアとの交易を行い、日本と新大陸間の航路を開く。またこの時の航海で、新大陸の物産が日本に多数持ち込まれる

ネーデルランドがジャワに到着。以後、現地の利権を巡って日本との小競り合いが長らく続く

 ・1598年

日本、世界周航が行われる。織田信長の抜擢で真田信繁が総指揮官となる(〜1601年)

航海中に真田信繁は主に太平洋で新たな島々を発見するが、信長から自らの名と一族の名を付けることを禁止されたため、命名に苦心したと言われる

 ・1600年

イングランド、東インド会社を創立



●西暦17世紀


 ・1602年

ネーデルランド、東インド会社設立

 ・1604年

フランス、東インド会社設立

 ・1606年

ネーデルランド、太平洋の南半球側で新大陸(新ネーデルランド、後の南天大陸)発見

 ・1613年

ロシア、ロマノフ王朝成立

 ・1614年

日本、南半球の新大陸を「南天大陸」と命名。南東部沿岸に最初の入植地を建設。切支丹が入植

 ・1616年

日本、大坂切支丹大学が完成。東洋に初めて西洋教育が導入される。同時期、日本各地で高等教育機関が設立され、その後大学に発展する

 ・1617年

日本、織田信長没。

織田信忠を中心に大坂幕府は安定(以後大坂時代)

 ・1618年(〜48年)

「ドイツ三十年戦争」(ドイツ宗教戦争)

ヨーロッパ列強のほとんどが介入した大規模な戦乱が断続的に続き、戦場となったドイツ地域は大きく荒廃

 ・1619年

ヌルハチ、後金建国。満州での女真族の勢力が強まり、日本は黒竜川から順次後退を強いられる。代わりに、大蝦夷各地への進出が強まる

 ・1620年

イギリス、ピューリタンが新大陸に到着

日本、切支丹大名明石全登に率いられた4隻の船団が新大陸に到着。サンフランシスコ市(聖府市)を建設。

この時期に新大陸の和名「蓬莱大陸」が定着

 ・1624年

日本、小琉球に本格入植開始

フランス、宰相リシュリュー登場

 ・1636年

後金、国号を「清」に変更

清帝国、朝鮮半島を服属。同時期に、沿海州や黒竜川から日本の勢力もほぼ追い出される。

このため、以後日本の大蝦夷進出が進み、各大名が編成したマタギ衆による毛皮や金を求めた北極航路開発と西進が活発化

 ・1637年

日本、明帝国に援助のための国書を送るが謝絶される

日本、飢饉を契機に蓬莱大陸に大規模な切支丹移民発生。約二年の間に4万人近くが移民。新大陸に華楠市を開く

 ・1638年

日本、大蝦夷の北斗川(レナ川)中流域のロシア人入植地で戦闘状態。これを破壊し、ワーストコンタクトとなる。以後ロシアのコサックとの衝突が日常化。以後250年間続く、ユーラシア北方の覇権競争ノーザン・ゲームが始まる

日本、ユーラシア大陸と蓬莱大陸の間の海峡を発見。発見者の名から「正雪海峡」と名付ける。探検隊はそのまま北極探索を進める

 ・1639年

イングランド、マドラス建設

 ・1640年

日本、バイカル湖の西に拠点を建設。上杉などの北方有力諸侯が大蝦夷開発に力を入れる

 ・1643年

フランス、ルイ14世「太陽王」即位(〜1715年)

 ・1644年

明帝国滅亡、後明成立

 ・1645年

日本、「唐出兵」(〜46年)

後明の要請を受ける形で、中華地域に大規模な遠征実施。大規模な略奪と破壊を行って現地経済が壊滅。後明、清双方との関係悪化

 ・1648年

「ウェストファリア条約」締結。

三十年戦争終戦。世界初の国際条約となる。

フランス、スウェーデンが大幅に領土を拡大。プロイセン、ネーデルランド連邦が、正式に独立を認められる

 ・1651年

イングランド、「航海条例」を発布。ネーデルランドとの対立激化

 ・1652年

「第1次英蘭戦争」(〜1653年)以後イングランドとネーデルランドの衝突が多発

ネーデルランド、アフリカ大陸南端にケープ植民地建設

 ・1656年

ネーデルランド、セイロン島のコロンボ領有

 ・1658年

ロシア、シベリア東部にネルチンスク建設。日本の大蝦夷内だったため、3年後に壊滅。ロシアの東進止まる

インド、ムガール皇帝にアウラングゼーブ帝即位(〜1707年)

 ・1660年

イングランド、王政復古

 ・1661年

清帝国、康煕帝即位(〜1722年)

フランス、ルイ14世即位(〜1715年)

フランス、ヴェルサイユ宮殿造営開始

イングランド、ボンベイ建設

 ・1669年

ムガール帝国、ヒンズー教禁止

 ・1673年(〜1781年)

清帝国、「三藩の乱」

 ・1674年

日本、三藩の乱の呉三桂の要請を受けて再度唐出兵。総大将には、大陸出身の鄭成功が任じられ体裁を取り繕う

インド、マラータ同盟成立

 ・1676年

ジュンガル、ガルダン汗即位。ジュンガルの挑戦始まる

 ・1683年

オスマン朝トルコ、ウィーン包囲

日本、大陸から完全に撤退

 ・1688年

イングランド、名誉革命

清帝国、外蒙古服属。ダイハーンの称号得る

 ・1689年

「ウィリアム王戦争」北アメリカ(蓬莱)大陸での英仏の戦い。以後約100年間の戦争を「第二次英仏百年戦争」とも言う(〜1697年)

イングランド、権利の章典。世界に先駆けて議会制国家となる

ロシア、ピョートル大帝親政開始(在位1682年〜1725年)

 ・1690年

イングランド、インドカルカッタ建設

「第一次ウランプトゥンの戦い」

清帝国、モンゴルに遠征するもジュンガル・日本連合に阻止される

 ・1694年

「第二次ウランプトゥンの戦い」

清帝国とジュンガル・日本連合軍最大規模の戦い。痛み分けで終わる

 ・1696年

ロシア、初めて北極海を通って太平洋に出て日本と交易

 ・1697年

ジュンガル、清帝国への朝貢受け入れ。両者の事実上の独立と相互承認が行われる

 ・1698年

「ハミの戦い」

清帝国とジュンガル・日本連合軍の最後の戦い。康煕帝の遠征は失敗。織田信宗が歴史上に登場

 ・1699年

日本、ムガール帝国に傭兵派遣。両者の親交深まる

オスマン朝トルコ、ハンガリーの大半失い、退勢が明らかとなる

ロシア、ピョートルの改革始まる

 ・1700年

「西征」(〜05年)

ジュンガルのガルダン、トルキスタン地域に遠征。各地の騎馬民族を服属させカスピ海に至る。日本が物心両面で活躍

「北方戦争」(〜21年)

ロシアとスウェーデンの戦争。バルト海の覇権を賭けて争うが、最終的にスウェーデンが敗北し大国の地位から転落

清帝国と日本の国交回復。広東、マカオでの交易も始まる



●西暦18世紀


 ・1701年

「イスパニア継承戦争」(〜1713年)イスパニア没落強まる

日本の将軍家とムガール帝家の婚姻成立

 ・1702

「アン女王戦争」(〜13年)

「イスパニア継承戦争」と合わせて、イスパニアは多くの領土を失って没落を加速

日本、現地奉行(総督府)の半ば独断により新大陸で戦乱に介入。日本が西洋の戦争に初めて介入。ただし、欧州の外交に疎いこともあり、正式な宣戦布告はされず

 ・1703年

ロシア、ペテルブルグ建設開始

 ・1704年(〜13年)

日本、多数の探検隊を新大陸各地に派遣して、多くの土地を日本領とした。これにより、新大陸は、日本、イスパニア、フランス、イギリスによりほぼ分割される

 ・1706年

日本、大商人の淀屋が新大陸に大挙進出。冥加金逃れと言われるが、以後新大陸への日本資本の進出と開発が進む

 ・1707年

イングランド、スコットランドを併合してグレートブリテン王国成立(以後ブリテン)

 ・1708年(〜11年)

日本、イスパニアからノヴァ・イスパニア北部全土を正式に譲り受ける

日本、加州奉行を蓬莱奉行(蓬莱州)に拡大。蓬莱奉行は、記念事業として大規模な航路開拓船団を編成して長期航海に派遣。日本による二度目の世界周航になる

 ・1709年

日本、南アメリカ大陸北端部の領有を宣言。以後、大西洋、インド洋、太平洋の南方海域を探索して多数の島々を発見

 ・1710年

この頃に、東南アジアやインド洋で、日本とイングランドが何度も戦闘を行うが概ね日本が優勢を維持

 ・1712年

ロシア、ペテルブルグに遷都。ロシアの近代化が進む

 ・1713年

「ユトレヒト条約」

フランスは、日本の援助により新大陸利権を保持。しかし日本は自ら宣戦布告しなかったため、会議には呼ばれず。フランスよりハドソン湾の利権などを譲渡される

プロイセン、フリードリヒ・ヴィルヘルム一世即位。革新的な軍制改革に着手

 ・1714年

ブリテン、ハノーヴァー朝始まる

 ・1716年(〜45年)

日本、織田信宗将軍親政開始。享保の改革始まる(日本の絶対王政と言われる)

 ・1718年(〜21年)

日本、欧州視察団派遣

ネーデルランド、フランス、イングランド、ベルリン、ストックホルムに赴く

 ・1719年

ムガール帝国、大規模な内紛起きる

 ・1720年

イタリア、サルディニア王国成立

 ・1721年

ロシア、ロシア帝国の成立が宣言される。以後、シベリア、大蝦夷での日本との小競り合いが増える

 ・1724年

日本、軍制改革を行い、武士による常備軍を設置

(フリードリヒ型軍制を取り入れ)

 ・1728年(〜31年)

日本、幕府が大規模な海洋探索を実施

マダガスカルで白人海賊に日本船が初めて攻撃を受ける。以後、インド洋で被害と戦闘が増加。幕府は、インド洋の航路保護のために海賊討伐を熱心に行う。逆に、白人船や国家に対する私掠船を認めて活動させる

 ・1733年

日本、「享保の飢饉」。国内対策として、新大陸への移民が奨励される

 ・1735年(〜95年)

清帝国、乾隆帝即位。清帝国黄金期の最後を飾るも、各地に遠征して国は疲弊。日本とも何度か小競り合い

 ・1735年

ペルシャ、アフシャール朝起こる。最盛期の頃にトルキスタンのジュンガルと何度も衝突

 ・1740年

プロイセン、フリードリヒ・ヴィルヘルム二世即位(フリードリヒ大帝)

 ・1744年

「オーストリア継承戦争」(〜48年)

オーストリアのマリア・テレジアの継承を巡る戦争

「ジョージ王戦争」(〜48年)

新大陸での英仏の争い

「第1カーナティック戦争」(〜48年)

インドでの、ブリテン、フランス(+日本)の勢力争い。第2次まではフランスが戦況を優位に運ぶ。日本は、フランス側に傭兵を派遣したに止まり宣戦布告せず

 ・1745年

日本、織田信重が将軍就任(〜61年)。信宗は勇退(1751年没)

 ・1748年

「アーヘンの和約」

 ・1749年(〜54年)

「第2次カーナティック戦争」

インドでのブリテンとフランスの争い。日本はフランス側に傭兵を派兵

 ・1755年(〜63年)

「フレンチ・インディアン戦争」(〜63年)

ブリテンとフランス、日本による新大陸を巡る戦争。日本が大規模に介入したため、ブリテンの劣勢続く。この時日本は、初めてヨーロッパ諸国に宣戦布告を行う。前後して大量の日本私掠船が各地で活動

 ・1756年

「七年戦争」(〜63年)

ヨーロッパ大陸でのプロイセンとその他の列強の戦争。プロイセンは戦術的勝利を積み上げるが、次第に劣勢に追いやられる

「第3次カーナティック戦争」(〜63年)

インドでの英仏の戦争。日本はマラータ同盟からの政治干渉を受けて参戦せず

 ・1757年

インド「プラッシーの戦い」

ブリテン、インド支配の基礎を築く。以後、フランス、日本はインドから実質的に手を引く

 ・1760年

ジュンガル、トルキスタン地域のほぼ全土を掌握。ロシア、オスマン朝トルコ、ペルシャ、アフガン地域と境界線を接し、ペルシャとの戦闘にも勝利。同時期、トルキスタン地域での改宗が盛んに行われ、ラマ教が広まりイスラム教が駆逐される。一方で旧時代的国家だったため、近代化のために商工業分野で日本人の進出が強まる

 ・1762年

ロシア、エカテリーナ二世即位(〜96年)

 ・1763年

「パリ会議」(パリ条約)

プロイセンヨーロッパの大国として隆盛。

日本、初めてヨーロッパの国際会議に参加。

日本、新大陸(蓬莱大陸)での優勢確立。ルイジアナのミシシッピ川以西獲得。以後日本は、四半世紀近くの重商主義路線に傾倒。以後半世紀ほどは日本の黄金期と言われる

フランス、ルイジアナ東岸、カナダを保持。

ブリテン、インドの覇権を確立。一方で新大陸で不利となり、ブリテン十三植民地が脅威にさらされ続け、多くの努力を新大陸に注がなくてはならなくなる。十三植民地も反発しつつも、ブリテンの庇護下に甘んじる

 ・1767年

ブリテン、ワットの蒸気機関発明(ブリテンで産業革命が始まる)

ブリテン、4度に渡る「マイソール戦争」(〜1799年)でインドでの勢力を広げる

 ・1768年(〜74年)

「第1次露土戦争」

ロシアの南進と膨張政策が顕著になり始める

 ・1772年(〜95年)

ポーランド分割(ロシア、プロイセン、オーストリアによる分割)

 ・1773年

イエズス会解散。しかし新大陸の日本の領域で生き残る

ロシア、「プガチョフの乱」(〜76年)

 ・1783年

ロシア、クリミア汗国を併合

 ・1784年

日本、火山噴火とポテトの全滅を原因として大飢饉発生。大量餓死回避のため、1782年〜87年に600万人、18世紀中に総計約1000万人の日本人が海外に移民。逆に蓬莱、南天など日本の入植地の開拓が大きく進み、国内の混乱も最小限で切り抜ける

 ・1787年

日本、織田信斉が将軍に就任(〜1837年)。日本の啓蒙君主として知られる

「第2次露土戦争」(〜92年)

 ・1789年

「フランス大革命」始まる

フランス人権宣言

以後「フランス革命戦争」(〜1897年)

 ・1792年

「日本=ロシア協定」

大蝦夷、シベリアの境界線を設定。ジュンガル、日本にとっては不利な条約のためロシアへの反発強まる。しかしロシア側にも不満が残る

 ・1793年

フランス、ルイ16世を処刑

「第1回対仏大同盟」(〜97年)

フランス革命の拡大阻止を目的とする。新大陸では、フランス側に日本が与して、ブリテンと対立

 ・1795年

フランス、ナポレオンがイタリア遠征

 ・1798年

フランス、エジプト遠征

 ・1799年

フランス、ナポレオンがクーデターで第一統領となる

「第2回対仏大同盟」(〜1802年)

以後「ナポレオン戦争」(〜1815年)



●西暦19世紀


 ・1803年

フランス、日本に東ルイジアナを1500万両で売却。日本は蓬莱に併合し、ブリテン十三植民地と接触。フランスは戦費を獲得

フランスと日本は事実上の同盟関係を結ぶ

日本、ヨーロッパ以外の地域でブリテンと戦闘に発展

 ・1804年

フランス、ナポレオン皇帝即位

フランス、「フランス民法典(ナポレオン法典)」制定

 ・1805年

「第3回対仏大同盟」(〜05年)

「トラファルガー海戦」

フランス、スペイン聯合艦隊にブリテンが勝利

「アウステルリッツの三帝会戦」

オーストリア、ロシアに対してフランスが勝利

 ・1806年

「アメリカ独立戦争」(〜15年)

フィラデルフィアでアメリカ合衆国の独立宣言。ブリテンの重税と防衛不備への反発。ブリテンが回せる戦力は少なかったため、大規模な戦闘はほとんど発生せず。日本、フランス、スペインは独立を援助

神聖ローマ帝国滅亡

「大陸封鎖令」

 ・1808年

スペイン反乱(〜14年)

ナポレオンの覇権が傾き始める

 ・1810年

ナポレオン、オーストリア皇女と結婚

ネーデルランド、フランスに併合。植民地のほとんどはブリテンに占領される

 ・1811年

パラグアイ独立。以後ラテンアメリカ地域での独立相次ぐ(〜25年)

 ・1812年

「ロシア遠征」(〜13年)

フランス、日本が中心となってロシア帝国に侵攻。

日本側は一定の成果を挙げてロシアと停戦するが、フランスがその後大敗

 ・1813年

日本、フランスとの同盟関係を解消

「諸国民の自由解放戦争」起こる。フランスへの反撃開始

「第4回対仏大同盟」(〜14年)

同盟には、日本も参加

 ・1814年(〜15年)

「ウィーン会議」

ヨーロッパ列強と日本が出席

フランス、ナポレオン復活。「百日天下」

「ワーテルローの戦い」

ナポレオン敗北

フランス、ブルボン朝復活

 ・1815年

「ウィーン会議」閉幕。

ヨーロッパではフランス革命以前への復帰、他の地域では新たな境界線の設定が行われる。

アメリカ合衆国の独立認定。

カナダ自治権獲得。

王国となったネーデルランドは、植民地の殆ど全てを失った上に後にベルギーが独立して完全に没落。スペインも完全に衰退。

会議の結果、ブリテンと日本の台頭が強まる。

織田幕府の版図が世界最大規模に拡大。織田幕府(大坂時代)の絶頂期を迎える

 ・1821年

日本、東インドのアチェの独立運動に干渉。ブリテンがウィーン体制への逸脱として強く非難して以後浸透強める

ナポレオン死去

 ・1823年

アメリカ、「モンロー宣言」

新大陸以外の不干渉を宣言

 ・1830年

フランス、「七月革命」

 ・1833年

日本、「天保の大飢饉」(〜36年)

日本列島で大規模な飢饉発生し、植民地などに穀物の拠出や重税を課す。一方で、大量の逃亡移民が発生

 ・1834年

「蓬莱独立戦争」(〜40年)

日本からの重税などに対して、蓬莱が独立を図る。アメリカ、ブリテンが独立勢力を支援

 ・1835年

「蓬莱連合共和国」櫻芽市で独立宣言。初代議長に二宮尊徳

 ・1836年

新大陸のフロリダが、スペインから独立。その後1845年にアメリカ合衆国に合流

 ・1837年

日本、「大塩平八郎の乱」

日本本国で封建制に対する反発。首都大坂が火災で壊滅し、幕府の統治能力低下

ロシア、大蝦夷に対する圧力強める。日本人全体に危機感

ブリテン、ヴィクトリア女王即位(〜1901年)

日本、織田慶信第十代将軍就任。最後の将軍となる

 ・1838年

日本、国内の混乱強まり事実上の内乱状態

ブリテン、織田幕府を支援するとして、マレー半島南部一帯を占領。アチェにも進軍

 ・1839年

「日本帝国」成立。古代権威の天皇を名目君主とした議会制民主国家として成立。幼少の孝明天皇が新たな天皇(121代代)として即位(〜66年)。「孝明」に改元し以後一元一世とする

日本、「革命戦争」

日本が大蝦夷西部でロシアに対して反撃。逆侵攻を行う。

他の地域でも、諸外国の干渉に対して反撃

 ・1840年

日本、蓬莱の独立を承認。相互に国交樹立

日本人圏内の国民国家化プロセスが完了

「アヘン戦争」(〜42年)

ブリテン、清帝国に一方的に戦闘を仕掛ける。清帝国は敗北して、開国に転じる

 ・1845年

アイルランド、ポテト飢饉。餓死を避けるため、多数が新大陸に移民

アメリカ、「明白な運命マニュフェスト・デスティニー

発表。新大陸での膨張主義に転換し、蓬莱やカナダ、メヒコが脅威を感じる

 ・1848年

「フランス二月革命」

ルイ=フィリップ亡命。第二共和制成立

オーストリア帝国からハンガリーが共和制国家として分離独立

「ドイツ統一戦争」

オーストリアを中心にした大ドイツ成立を前に、フランス、ロシアが干渉。プロイセン、オーストリアの勝利に終わる

「南天連邦共和国」、「朱雀列島共和国」が日本から独立

 ・1849年

ドイツ帝国成立。

ドイツ、オーストリア、プロイセン地域の全てが統合。独立当初は連合国家として運営

フランスは、アルザス・ロレーヌをドイツに割譲

「カナダ連邦」がフランスから独立

これで、自由主義に関連する動きが一旦沈静化。

 ・1851年

ロンドン万国博覧会

清帝国、「太平天国の乱」(〜64年)

清帝国は大きく疲弊

 ・1853年

「クリミア戦争」勃発(〜56年)

当初はロシア、トルコ間の戦争だったが、トルコ側にブリテン、フランス、ドイツ、サルジニアそして日本が荷担。ロシアは袋叩きに合う

 ・1855年

パリ万国博覧会

 ・1856年

「アロー戦争」(〜60年)

清帝国に、ブリテン、フランスが荷担。日本が講和を仲介

「パリ宣言」

列強全てが参加して、略奪許可状を禁止する(海賊禁止)

クリミア戦争終戦。ロシアはバルト三国の独立、フィンランドの自治、日本への領土割譲を認める

 ・1857年

インド、「シパーヒーの乱」(〜58年)

 ・1858年

「アイグン条約」、「天津条約」

アロー戦争の決着を付けるための条約だが、戦争継続

「デンマーク戦争」

ドイツ、デンマークと戦争。ブリテンがデンマークを支援して戦争が長引く

「仏越戦争」(〜62年)

フランスが、インドシナ進出を本格化

インド、ムガール帝国滅亡

 ・1859年(〜63年)

「イタリア統一戦争」

フランスの支援を受けたサルジニアが、イタリアの回復と統合を掲げて戦争。ドイツはデンマークとの戦争もあって後手後手に回る

蓬莱、最初の大陸横断鉄道開通

 ・1860年

英仏連合軍、北京占領

「北京条約」

清帝国、戦争敗北を認め領土割譲とさらなる開国を進める。また日本に対して講和の報償として多くの領土を割譲(日本沿海州、黒竜川以北を獲得)

戦争後、列強は太平天国の乱鎮圧に積極的に協力

 ・1861年

「統合戦争」勃発(〜65年)

アメリカと蓬莱による新大陸での全面戦争。史上最大規模の戦争となり、世界初の工業力を前面に押し出した国家総力戦となる。双方で約800万人の兵士が従軍

 ・1862年

ドイツ、ビスマルクが宰相就任。以後ドイツ外交及びヨーロッパ外交の安定化が進む

 ・1863年

ドイツ、イタリアと講和

イタリア王国成立

 ・1865年

「統合戦争」終戦。

アメリカ合衆国滅亡。蓬莱に併合される。

また、以後アメリカという名前が消え去る。

(北アメリカ大陸=蓬莱大陸、中米=カリブ、南アメリカ大陸=ラテン大陸)

 ・1866年

日本、明治天皇即位。明治に改元

朝鮮、ドイツの手により強引に開国

「独清戦争」

清帝国にドイツが宣戦布告。朝鮮の所属を巡った戦争。その後、フランス、ブリテンがドイツ側に荷担。日本が清側に仲介を申し出る

 ・1867年

「博多会議」

独清戦争の講和会議。ドイツは朝鮮、フランスはインドシナの優先権を獲得。ブリテンは清国内の権益を拡大。仲介した日本は、仲介料として北満州の割譲を受ける。また既に決まっていた上海租界の拡大も決められる

 ・1868年

日本、大蝦夷鉄道建設開始

日本以外にも、蓬莱、ドイツが資本参加して建設が進む

蓬莱、アフリカ奥地の探検成功。以後アフリカへの進出強まる

 ・1869年

スエズ運河開通。ヨーロッパのアジア進出が加速。

日本圏内での結束強化の会議が初めて開催される

中華、上海に広大な租界出現。

ブリテン、フランス、日本、ドイツ、蓬莱、共同租界に分けられる

 ・1871年

イタリア、首都がローマになる(教皇領消滅)

 ・1875年

蓬莱、アフリカ大陸に初めての拠点を建設

 ・1876年

日本、大蝦夷鉄道開通。日本の大蝦夷開発が大きく進展し、ロシアに強い懸念

 ・1877年

ブリテン、インド帝国成立

「露土戦争」

何度目かのロシアとトルコの戦争

 ・1878年

「サン=ステファノ条約」でロシアの横暴に列強が反発

「ベルリン会議」

露土戦争の講和会議だったが、ドイツ優位の条約となる。バルト海に公国3つが成立。またフィンランドの自治権も拡大してドイツ資本が進出

 ・1881年

ロシア、皇帝アレクサンドル2世爆殺

 ・1882年(〜84年)

「日露戦争」

ロシアが日本の大蝦夷、ジュンガルに侵攻。戦争後半に逆侵攻を受けてロシアが敗北。日本の大量動員と文明力の差が勝敗を決める

 ・1884年

「パリ会議」

日本とロシアが講和。ロシア、ウラル山脈西部を失う。

またジュンガルの統治能力の低さから、ほとんどが日本の手に帰する

「清仏戦争」(〜85年)

戦争はフランスの一方的展開で、フランスがインドシナ利権を完全獲得

 ・1885年

「ベルリン会議」

実質的な蓬莱領であるコンゴ連合国が成立。

ヨーロッパ列強によるアフリカ分割が本格化

 ・1887年

フランス、インドシナ連邦結成

 ・1889年

「北アジア首長国連合」成立。

大蝦夷が日本から独立してジュンガル汗国と合併。世界最大の面積を持つ国となる。トルキスタンとも呼ばれる

 ・1890年

ブリテン、セシル・ローズがケープ植民地の首相に就任。南アフリカでの拡大政策を推進

 ・1894年

「京都会議」

ドイツと清帝国の対立を前に世界中の列強が調停。

京都議定書と呼ばれる約束が交わされる

 ・1895年

ブリテン、マレー連邦結成(アチェとの内乱が続く)

ドイツ、朝鮮植民地成立

 ・1896年

ブリテン、「3C政策」推進。インド洋帝国建設

フランス、本国、カナダ、サハラを軸とした「北大西洋国家政策」推進。ブリテン、ドイツに対抗

同時期、ヨーロッパ列強によるアフリカ分割が進み、ブリテン、フランス、ドイツ、蓬莱が中心となる

「第一回近代オリンピック開催」

 ・1898年

「蓬西戦争」

蓬莱とスペインの戦争。蓬莱の一方的勝利に終わり、蓬莱の帝国主義的傾向強まる。

蓬莱、キューバ、プエルトリコ、グァム島を領有

ヨーロッパの対蓬莱及び日本圏への脅威感情が強まる

 ・1899年

「ブーア戦争」(〜1901年)

ブリテン、南アフリカ近在のトランスバール、オレンジ自由国に侵攻。既に多数が移民していた現地アングロ系住民が大量に動員され、南アフリカがアングロ系の入植地であることを印象づける



●西暦20世紀●

 ・1901年

ブリテン、ビクトリア女王死去 (※本編終了時点)


 ・1901年

「義和団の乱」

清国の衰退決定的になる。

北アジア首長国連合(北亜)が万里の長城以北を完全に自国化。列強とも交渉を持って国境線を確定。

清国の領域は完全に縮小。

国土のほとんども、列強の半植民地化する。

北亜と朝鮮の利権を有するドイツとの関係悪化。


 ・1904年(〜05年)

「ペルシャ戦争」 ロシア帝国と北アジア首長国連合(北亜)が、ペルシャ利権を巡り戦争。

日本、ブリテンが北亜を支援、フランス、ドイツがロシアを支援。蓬莱は北亜寄り。

主戦場はペルシャではなく、ボルガ川流域。激しい戦争が行われるが、両者痛み分け。

戦後、ブリテンがペルシャ東部の利権を多く得たことで、戦後北亜の反発強まる。


 ・1905年〜

ペルシャ戦争後、日本はトルコとの関係強化が露骨になる。

裏にはアフリカでの植民地獲得ができないことへの補完外交があった。

最後の頃は、日本と蓬莱の間で植民地獲得競争で不和が見られる。

これを見た欧州列強は、日本人世界も一枚岩ではないと見る向きを強める。

しかし、中東では日本とブリテンの対立が激化。合わせて東南アジア、中華でも対立深める。


 ・1910年

ドイツ、朝鮮王国を保護国にする。

近隣日系諸国は、朝鮮民族の移民、流民、難民の受け入れ禁止を決定。


 ・1911年

蓬莱、モロッコ獲得。列強によるアフリカ分割完了。

モロッコ獲得を競いあった、蓬莱とフランスの関係が悪化。


 ・1911年

「辛亥革命」清帝国崩壊。中華世界の復興を掲げた「漢国」成立。

(※当初は中華の文字を国号にしようとしたが、支援した日本の忠告(干渉)で中止)

北亜、漢国と国境線の確定を実施。万里の長城以北の領土化確定。


 ・1914年(〜18年)

「欧州大戦」

ドイツ、ロシア、ハンガリー、トルコを中心とする同盟軍、英仏を中心とする連合軍の戦争。

途中からイタリア、北亜が参戦。

北亜は、戦争半ばでロシアと単独講和して多くの領地を獲得。

日本は参戦して、インド洋側から中東に進軍して、自分たちとの今までの友好関係を裏切った形になるトルコを攻撃。ペルシャ湾岸地域を占領。

蓬莱、英仏が不利になると戦費回収を確保するためにも参戦。しかし大軍派兵は、英仏の警戒もあって行わず。


 ・1918年

ドイツ革命。ハプスブルグ家、ついに玉座から追われる。

全方位を敵としたドイツ、ロシアが敗北。欧州全土が疲弊。

蓬莱など日系国家の経済面を中心とした覇権が大きく拡大。

欧州諸国に、日系諸国への不満。


 ・1917年

日本、織田信長没三百年


 ・1919年

「パリ講和会議」

日系国家のうち、日本は中東利権、蓬莱はアフリカと中東の一部、北亜はヴォルガ川以東を獲得。


 ・1919年(〜22年)

ドイツで共産主義革命。

共産ドイツ政権は、賠償不払いを宣言。欧州世界が干渉。

その後、欧州諸国はドイツから叩き出される。

東欧の一部も共産化。

フランスは賠償を得られず、国力回復頓挫。


 ・1920年代

蓬莱の経済がさらに拡大。「蓬莱の時代」とも言われる。


 ・1921年〜

欧州で共産主義への恐怖からファシズム台頭。

イタリア、ロシア、スペインでファッショ政権成立。


 ・1929年

蓬莱を震源地として、世界大恐慌発生。世界の政情不安が拡大。


 ・1937年

「ロシア戦争」

共産ドイツ、ファッショの殲滅を目的としてロシアを攻撃

北亜がドイツ側で参戦。世界が驚愕。


 ・1938年

ドイツと北亜がロシアを分割

両国はモスクワで握手。しかしコーカサスの領土問題で不和。

ファッショ・ロシア滅亡。過酷な占領統治が行われる。


 ・1939年

「第二次欧州大戦」

共産ドイツ、バルカン諸国の進駐開始

英仏、共産ドイツに宣戦布告

ドイツ、西欧侵攻。

フランス崩壊。

イタリア、ファッショ政権崩壊後に降伏。

スペイン、中立のまま日和見。


 ・1940年

ドイツ、英本土侵攻。

ブリテン政府、南アフリカに亡命。

ドイツ、中東に侵攻。

「第二次欧州大戦」は終戦。


 ・1941年

ドイツ、共産主義国家連合の「欧州社会主義連邦」成立を宣言。

日系国家の危機感増大。戦時体制への移行。

ドイツ、日系諸国の軍備増強を平和を乱す行為だと強く非難。


 ・1942年

ドイツ、インドに進駐開始。

ドイツ、旧ドイツ領だった朝鮮を橋頭堡にして漢国と連携強める。


 ・1943年

世界大戦グレートウォー」勃発。

ドイツ、北亜を総攻撃。年内は攻めきれず。

それでも旧ロシア領域を占領。


 ・1944年

ドイツ、蓬莱の海軍拠点を攻撃。蓬莱参戦。

欧州ロシア地域、大西洋が主戦場となる。


 ・1945年

日本参戦。インド方面で攻勢。以後、続々と日系諸国の参戦が続く。

インド、中華地域も戦場となる。

欧州諸国の海外植民地の多くが、戦争中に連合軍の占領下となる。


同年半ばから、日系諸国の戦時生産がフル稼働。物量で欧州共産軍を押しつぶしていく。


 ・1947年

連合軍、英本土占領。

核兵器、実戦初使用。

休戦成立。

核兵器を双方保有した状態で、そのまま冷戦に突入。


 ・1948年〜

「日欧冷戦」

蓬莱を中心とする日系国家群と日系に占領されたブリテンが自由主義陣営

共産ドイツを中心とする「欧州社会主義連邦(共産欧州)」などが社会主義陣営

戦争中に日系連合が欧州諸国の植民地の多くを占領したため、共産陣営は欧州に押し込まれた状態。

ロシアは東西分裂。


 ・1950年(〜53年)

「支那戦争」

共産化しようとした漢国内での、共産陣営と自由主義陣営の戦争。

漢国と支那共和国に分裂。冷戦の舞台の一つとなる。


 ・1962年

「キューバ危機」 全面核戦争1分前。

北大西洋上では、日系vs共産欧州の大艦隊が睨み合う。

以後朝鮮半島は、完全な封鎖、孤立状態に置かれる。


 ・1960年代〜

「インドシナ戦争」 共産仏からの独立をめぐる戦争。


 ・1970年代〜

緊張緩和デタント。しかし真実は、共産欧州の国力疲弊が背景。


 ・1985年

織田幕府、開府より四百年


 ・1990年代

ドイツ共産主義体制崩壊。

「欧州社会主義連邦」崩壊。欧州自由化



●西暦21世紀


 ・2017年

日本、織田信長没四百年

これにて本当に幕となります。

この度も、お付き合いいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この世界の国連では京言葉が飛び交うのか...
[一言] もともとサイトの方で閲覧していましたが改めて読み直して面白かったです。 年表でドイツがすごいことになってて笑いました
[一言] お疲れ様でした。最後の年表の書下ろしはとても楽しめました。まさか、ドイツが共産化とは(まぁ、マルクスはドイツ人でしたし)。そしてやっぱり舞台となるキューバに封鎖されるキムチ。なかなかにカオス…
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