夜半の会議
カール候の城で行われた会議での結論は、まず王を抗戦派になびかせるためにヒンターが演説で民衆を扇動。民衆と兵が王の城まで行進し、摂政を解任と提示された改革案受諾を訴える。抵抗する構えを見せたら、兵士を城に突入させ摂政を投獄、非抗戦派の領主三人ものちに逮捕・投獄する手はずである。
そして、王に改革案と抗戦に賛成をしたのち、すべての領主の兵権を一旦王に持たせて軍の統一化を図る。さらに王の命令によって、投獄された領主の土地をカール候の会議に参加した領主達で分割する計画であった。
そして作戦は、ほぼ成功した。だが、ひとつだけ問題が発生した。王が抗戦に反対したのだ。王は、改革案自体に問題はないがそれを受け入れてしまえば、ダルフーン国と戦わなければならないということで拒否してしまった。オイシュ国王に、戦う意志ははじめからなかったのだ。
夜となったカール候の城の外では、民衆の行進が松明をもって続いていた。勝利と改革をの掛け声が城の中にいても聞こえてくるほどだった。
城内の回廊に設置されている松明の明りにもひとつの影が静かに映る。ヒンターが王に呼ばれて広間に向かうため回廊を早足で駆け抜けていた。ヒンターが広間への扉にたどり着きドアノッカーでノックしようとすると、甲冑をまとった男が扉から出てきた。甲冑の男は、カール候領地内で大規模な土地を所有し、信頼厚く武勲誉れ高いリヒト伯だ。リヒト伯は、ヒンターの顔を一瞥するだけでぶつぶつ呟きながら通路の方へと去っていった。ヒンターは、改めて扉をノックすると扉が開かれた。広間の奥にはカール候が白いひげが混じったあごひげをいじりながら座り、すぐそばには側近が直立不動で立っていた。
「候。お呼びでしょうか?」
「うむ。先ほど密偵から連絡があった。南の海岸にダルフーン軍の大軍が上陸してきた。後十日もしないうちにわが領土に侵攻を始めるだろう。おそらく最初に襲われる町はヴォンであろう」
南の海岸は、カール候領に最も近い所だ。おそらく海岸で物資集積所と陣を構えてカール候領に向けて攻撃を開始するのが相手の算段だと理解した。
「だが、今の王の状態では、改革も軍の統一化もままならない。そこで、現国王を退位させて王子を新王として即位させ、わしが摂政に就く」
摂政に就く。その言葉の意味をヒンターは理解した。カール候は戦場となる自分の領地を離れることになると。
「では、候の領地はだれが治めるのですか?」
「すでに決めておる。息子に家督を譲りわしの領土を受け継がせる。近々家督を譲ろうと考えていたからな。だが息子にこの大役をすべて担わせるのは酷だ。軍は、先ほど君と入れ替わりに出てきたリヒト伯が領内の全軍を総指揮する。そして君は」
ヒンターは、つばを飲み込んだ。カール候不在のこの領地に自分が与えられる役割が何か期待と緊張で体が硬直していた。そして、カール候が口を開き役割が与えられた。
「民衆を扇動し、民衆を率いる役割を担ってもらう」
扇動という言葉にヒンターは、目を丸くした。
「候。扇動とはどういう意味ですか。私は、民衆に共に戦う意志と団結を訴えただけで。扇動だなんてそんなこと」
「君にしかできないことだと思うことだが?そもそも、私は、君のその力――人を高揚させ、重みがある言葉を話すその話術が権力を手にするのに使えると登用したのだ。でなければあの日、追放していたぞ」
ヒンターは、自分の力だけで民衆が動いたこと、そして権力獲得のために拾われたことに納得できず。思わず、カール候に反論した。
「ですが、民衆はダルフーン国に対する危機感と改革で自由と権利が与えられることに意欲を示しているはずです。でなければ、私の言葉だけで動くなど」
「君はそんな民衆をだます甘い言葉を本気で信じていたのか?おめでたい奴だな」
カール候は、驚き混じりでその老練な目でヒンターを冷ややかな視線で見つめた。
「それに民衆はそんなことを望んでいたか?奴らは、一言も改革についてあの行進では叫んでおらなかったぞ。害獣を追い出せとは言ってたが。私が部下に命じて別の街で同じ趣旨を話したがてんでだめだったのにな。そういえば君がしつこく繰り返してたダルフーン国を下等な害獣だ、は耳に残るほど聞こえたな。君を除いてそんなことを述べた過激な奴はまったくいなかったぞ」
思い返してみると、確かに民衆は敵を打ち倒すと声高に叫んでいたが、民衆の自由と権利を求める言葉は一言もなかった。そもそも演説していたヒンター自身、まったく話していなかった。話したのは、敵の脅威と団結して打ち破れという扇動の言葉だけであった。
あの会議の時カール候が沈黙に徹し、そしてヒンターに頷いた真の意味をこの時察した。カール候が待っていたのは、ヒンターただ一人だけ。まじめでわざわざ現地へ赴いて民に寄り添う優しい彼ならば、民を抑圧する敵を打ち払い自己保身だけの貴族達に憤るのは同然の理。そして彼の持つ言葉の力で弱腰の会議をひっくり返せるとカール候は睨んでいたのだ。
自分にそんな力があるならば、演説を聞いた人があっという間に団結できたのも理解できた。できすぎていたと思った。ヒンターは、独裁者の手法を真似たのではなく、話術で人を扇動する才能があった。いや、人々を扇動させる姿こそ自分の本性ではないかと体が震えを起こした。そしてハンナのあの言葉が脳裏をよぎった。「あなたは誰なの?」本当の自分とはどれなのか。勤勉で大人しいヒンターが自分の姿なのか、それとも雄弁で人々を扇動する能弁家のヒンターこそが自分の姿か。
「わ、私はそんな。もしそうならそれは、私ではないです」
「ほう、つまり君の演説は偽りだったのかね?それとも、君自身本当は戦う意志がないというのか。そんなことでよく民衆を扇動できたものだ。ただ吠えるだけ吠えた犬め」
カール候がつばを吐くかのような言い方でヒンターを睨んだ。そしてその言葉で、ヒンターは自分を抑えていたものを封じていた門がひび割れていく音が聞こえた。