異世界からの流れ者
燃え盛る私たちの森やいつも訪れた広場や何気なく見てきた家々が炎によって崩れ落ちていく。逃げ延びた私たちや町の人はただ呆然と立ち尽くす者もいた。だが、逃げ延びた人の中には怒りで地面を叩きつける人もいた。
それは、天災のによる怒りでも敵に対してでもない。街を燃やしつくさんとする炎を作り出したのは、私の目の前にいる彼が命令したものだ。それに対しての怒りだ。
さっきまでむせび泣いた一人の男が、大粒の涙を流して街を燃やした男に怒声を浴びせた。
「これが、お前のやり方かよ!団結とか言って町も森も!みんな燃やして!!あんたは、一体何様なんだよ!!」
男は、わめき叫ぶ男の方に一切振り向きもせず自身が燃やした町の方を見続けていた。そして発した言葉は、落ちついた口調で淡々としていた。そこには私が知っている男のものではなくまるで感情がない冷酷な男のものだった。
「お前達人民は、私についてくるだけでよいのだ。私は指導者――フューラーだ」
1
地下の牢屋にてミシミシと音立てている不安定な机の上に書物を積み上げて、本をとっては黙読する一人の男。名前は流れ者という意味のヒンターという。ヒンターという男は、雷が落ちた畑の真ん中で大の字に倒れていた所を農民が見つけ怪しいものとして領主に引き渡された。
ひげも薄く、皺もない張りのある健康そうな肌をしていて男は若く、二十代前半ぐらいの若者と判断できた。若者は発音は異なるが共通語を会話をすることは可能だった。
だが、若者の話は、領主やお付の者にも理解できないことが大半だった。まず、異国語を使わないにもかかわらず、文字がわからない。おまけに自分の名前を覚えておらず、領主が知りうる限りの国を列挙していても、若者は首を縦に振らない、デンワというものはないかとわからないことを話した。しかも若者がなぜ畑にいた理由を訊いても気づいたら倒れていたというだけで奇怪であった。
領主は、この若者を追い出すか悩んでいた。決断に躊躇していたのは、若者の話の内容よりも若者の発する言葉にずしりとくるものがあり興味を引いたのだ。領主はそこでいくつか問題を出し、若者がそれをものの数秒で答え、頭が良い人物と判断し領主は決断した。
「一月ばかり機会を与えよう。それまでに文字を覚え、仕事をこなせばお前を雇わせてやる。できなければ追放する」
その時若者では呼びにくいということから、ヒンターの名前を与えられた。
ヒンターが入れられた牢屋には、彼の背よりもはるかに高いところにある外に通じる格子から入り込む太陽の明かりがわずかばかり入り込むばかりで、夜は一本のろうそくで僅かばかりの明かりを灯して必死に文字を覚えていった。ヒンターにはここから脱出考えは毛頭なかった。脱走しても見知らぬ土地で明日も知れず彷徨うよりも、課題をこなして生き延びることが賢明だと考えていたのだ。もし脱走したらしたらで、確実に殺されるだろう。
「夕食だヒンター」
領主の兵が小さな窓から、食事が入ったお盆を渡した。食事は麦粥に豆のスープとたまに川魚が一切れとヒンターにとって味が薄く量も少ないものであった。どうやら、これでも一般に食される食事の量だそうだ。それでもヒンターは、黙々とそれらを食べた。食事は、朝と夕方の二回だけで昼間になるとどうしてもおなかがすいてしまう。すきっ腹を少しでも満たすために、食事にパンが出たときは半分を昼ごはんのために残しておいた。夜は、ろうそくから出る甘い匂いに胃袋が刺激され空腹に負けそうになるとヒンターは勉強を止めて眠りにつく。
だが、ヒンターがもっとも苦痛であったことは、話し相手が誰もいないことである。牢屋は、扉と小さな格子以外は石の壁で囲まれていて、閉塞感があった。牢屋の外には見張りの兵が一人いるが、領主からの命令で口を利いてはならないと厳命されていた。
牢に入れられて十日目になるが、すでに彼の精神は蝕まれていた。わけもわからず見知らぬ世界の暗い牢の中で独り、意味理解できない文字を必死に覚えることしかない孤独感とヒンターが覚えている故郷の世界の思い出がシャボン玉のように浮かび上がり望郷の念にかられて、打ちのめされそうになるのをヒンターは、目を潤みながらも涙をこぼさず我慢した。
とにかく、文字を言葉を覚えなければ二十日後ヒンターは、あてもない世界に放り出される。だから、早く食事を終えて勉強を再開しようと川魚の切り身をつまんだ。そのつまんだものに、違和感を感じた。それはやわらかくもしなやかな構造を持った昆虫の羽根であった。虫が食事に入り込むとは、ついていないとそれを持ち上げてみると、羽の持ち主は一枚の布をワンピースのように着て体長三十センチほどで小さな女の人間であった。
「あ、あの。食べないでください……私、間違ってここに入ってきただけで……す」
「妖精……さん?」
「は、はい」
妖精は、自分がこの囚人に嬲られるのではないかと、体を震えさせ涙を浮かばせていた。しかし、ヒンターは物珍しそうに妖精を数秒だけ見つめた後、ゆっくりと地面に下ろして再び机に向かって勉強を始めた。妖精は、何もしてこなかった囚人に首をかしげ、机の上に降り立った。城に囚われる囚人はたいてい何か大きな罪で捕らえられるのだが、この囚人があまりに若く、おとなしかったので不思議に思ったのだ。
「あの、何をしているのですか? あなたは何の罪でここに囚われているのですか?」
「僕は、ヒンターという。文字の勉強中だ。これをしないと、僕は、追放される。僕は、何もしていない」
くぐもった声で言葉を途切れさせながら答えた。妖精に一切見向きもしないでじっとページをにらみつけていた。
「私は、ハンナです。外を散歩していたら私たちが作っている蜜の焼ける甘い匂いがここから漂ってきて、入ってみたら牢獄で……あのお邪魔でしたらすぐに出て行きますので」
だが、ヒンターは今度は言葉を返さなかった。同じページをずっと見ていたままだった。ハンナは、ヒンターのそばに近づき耳を澄ませた。ぶつぶつと小声で文字を復唱していた。だが、アンナはページに書かれている言葉と違う発音をしていることに気づいた。
「それは、『フ』じゃなくて『フィ』って発音するんですよ」
その言葉にハッとしたヒンターは、自分の両腕の中にハンナがいたことにようやく気づき、その顔を見た。
「ご、ごめんなさい。悪気はなかったんです。もう、帰りますので」
ハンナは、気に触れてしまったと思いそこから立ち去ろうと羽を広げたが、ヒンターは手を壁のように遮り行くてを阻んだ。そして、一粒の大きな雫がハンナの頭の上に落ちてきた。
「待って!お願い、僕に文字を、言葉を教えて。僕、独りじゃできない。耐え切れないんだ……」
ヒンターは、言葉を詰まらせながら懇願した。ヒンターの我慢の涙が決壊しかけていたのだ。ハンナは、羽を羽ばたかせ飛び行く。そして、ヒンターの肩の上に乗り寄り添った。ヒンターは、洪水のように涙を流した。
それからの牢獄生活は、暗雲に太陽の陽が差し込んだかのように暖かだった。ハンナは、ヒンターがわからないところを答えてくれた。献身的にもハンナは出入り口にしている格子から小さな木の実や蜜蝋の原料である蜜を採ってきてくれた。だが最もすばらしいことは、ヒンターに話し相手ができたのだ。
ヒンターは、ハンナのような人間と異なる種族はいるのか?国はいくつあるのか?などとにかく外の世界がどのようになっているのか知りたく次から次へ質問を繰り返した。だが、ハンナが無学であっても答えられることには限度があった。結局ハンナから知りえることができたのは、ここはオイシュ国のうち最大の領地をカール候が治めるところで、今は冬に入りかけでみんな飢えをしのぐのに必死であること。そして、この国のほとんどはヒト種族であり異種族は少数で、そして言葉を解する種族は、この国ではハンナら妖精だけである。
一方で、ヒンターも彼がいた世界のことを語った。鉄でできた馬のいない馬車が大勢の人を運んだり、小さな木の板ほどの大きさの箱から遠くの人と会話できるものや一年中冷たい氷ができる箱がありその氷を削って蜜をかける甘味があるなど。ハンナには、あまりにも信じがたく現実離れして滑稽な絵空事だと思っていた。だが、ヒンターからつむぎだされる言葉の一つ一つに何か惹きつけられる感じがしていた。そして今日も牢獄の中でヒンターは唯一の友人であるハンナと語り合う。
「僕が考えるに、みんなが飢えないようにするには国が農業を大規模に支援したらできると思うんだ。それでいてみんなが働いた分だけの報酬を受け取れば意欲がわいて作物を増やす努力ができるから作物が増える。僕の世界では、それが機能しているところはみんな飢えが起きてないし、自給自足の生活をしなくても生きられるんだ。まあそのためには、大規模な政治改革が必要だから難しいけどね。でも絶対飢えがない世界は来るさ」
そして期限の一ヵ月後、ハンナと共に勉強のおかげか、ヒンター自身の頭の良さもあってか、ヒンターは領主カール候に課された仕事――主に書類仕事をこなしたことで、ヒンターはカール候に召抱えられることができた。
ヒンターが勤勉でまじめな性格もあり、たびたび街や農地を訪れてはそこの問題点や民衆の意見を調査しては建議を行い、それらが成功を収めたため民衆やカール候に気に入られ、さまざまな仕事を与えられ続けた。おかげでカール候の領地だけでなくこの国の内情や世界のことも知りうることができた。
ヒンターのいた世界とは異なり、農奴制やギルドとヒンターのいた世界の用語では封建制度がある世界だと判明した。ヒンターが仕えるカール候は、カール候を含めた十二の領主から構成されるオイシュ国の中で、最大の土地と軍を持っている有力貴族であるが常に外的の危機にさらされやすい位置にあった。王はその十二の領主の主として君臨しているものの、強権的な支配を実行できるほどの力は持っていなかった。