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 すきだといって

作者: 藤村綾

 ひどく暑い日だった。

 おもてに出たらどっと汗が吹き出だし、歩んでたった5分のコンビニに行くのにも意を決する思いだった。誇張ではない。照りつける太陽はあたしのことをひどく虐めた。

 おもてに出てせつな踵を返す。

「あー、ダメだぁ、やっぱり夕方に買い物に行こーー」

 なだめるようにひとりごち納得をする。暑さのせいだと、さらに輪をかけなだめる。

 なおちゃんに買い物を ー公共料金の支払いが今日までだったー を頼まれていた。ついでに、ビールも買ってきてね、と、付け足される。

 うん、わかったわ。

 お願いね。

 あたしはたちまちかわいくなる。なおちゃんと数時間前にあった分だったのに、もう逢いたくなっている。暑いから。暑かったから。などと言ったらかなり深く眉間にしわを寄せるに違いない。眉間のしわに汗を滲ませながら。

 あたしは、パソコンを開きマウスを握る。冷房を緩くともし、傍にアイスカフェオレを置いて。地道な作業が好きだ。図面はPDFという拡張子できて、それをIllustratorというソフトで開き、トレースをするというなんとも言い難いあたしにぴったりの作業なのだ。最終的の拡張子は【ai】声に出していうと、【えーあい】響きは至極かわいいが、最近流行りの人工知能ではない。

 午後4時になる。

 やっとこ、夜の気配を察知する。とおくでセミの鳴く声がする。夕方になるとセミの鳴き声はとても疲弊nの声を滲ませる。

 あたしは夕方という曖昧な時間が1日の中でもっとも好きだ。昼でもなく、かといって、夜でもなく、よくわからない不明瞭あやふやな時間が。

 幼い頃。

 あたしは夕方の色が緑色だった気がしてならない。おもての、記憶はすべて緑色なのだ。空を見上げても緑だったし、家の中を見ても緑色だった。世界にあたししかいなかった気がした。そんなとき、飼っていた茶色の猫だけ色を持っていた。そこにいるんだとう誇示しているかのよう、あたしは茶猫をきつく抱きしめた。なんていう名前の猫だったのだろうか。

 夕方はそんな緑を、異様な緑を思い出させ、思わずかなしくなってしまう。とうぶん緑の世界だったから。

 

 夏はなかなか夜が来ない。7時でも明るいのだから時間の感覚がおそろしく狂ってしまう。あたしは自転車をこいで少しとおくのセブンイレブンに行った。ここは最近オープンしたばっかで、700円ごとにくじがひけるのだった。なので、公共料金の支払いはカウントされないので、くじを引きたいがために2300円ほど買い物をした。ーこれはまさにコンビニの陰謀であるー

「nanacoで」

 あたしは基本財布を持たない。SuicaかnanacoかTカードにポンタカード。とにかくこれらのカードにお金を常にチャージしておく。

「2424円になりまーすー」

 おお、くじが引ける。

「では、3枚おねがいしますー」

 コンビ二定員は皆一様に語尾を伸ばす。そういうマニュアル?

 まず、ここが一番にワクワクするところだ。しかし、終わってしまえば後の祭り。結果応募券というハズレ券を3枚引いただけだった。

 たちまち途方にくれる。

 重たい足取りでビールとビールとビールとビール……。なおちゃんのビールと焼き鳥、唐揚げと、アイス。おにぎりと金の食パンと98円のでかいメロンパンなどを買った。お腹が空いていたので、メロンパンを袋から取り出し頭からかぶりつく。

「おいしい」

 途方にくれていたが、メロンパンのうまさと、涼しくなった夜気の風があたしの心の邪気を埋めてゆく。


「ただいま」

 20時8分。なおちゃんは作業服を汚して帰ってきた。おもての仕事だったようだ。首から青いタオルをぶら下げている。急いで靴下とタオルを洗濯機に放り込んだ。

「おかえり」

 足を洗い終えたなおちゃんが、どさっと、コンビニの袋を無造作にテーブルに置く。

「あれ?なおちゃんも、セブン行ったの?」

 今日はあたしが買い物をしてくるはずだったよね、と言おうとした矢先、なおちゃんの方が先に口を開いた。

「ああ、そうそう。昼間さ、取引先のところに行ったの。で、何か買って行くことになってね、セブン寄ったらくじをしていてさ、3枚引いたんだよ」

「あ、うん、セブンってあの角の?」

 なおちゃんは、そう、そう、と、頷く。

「でね、なんともまあ、3枚ひいてね全部当たり。それも、全部ビールだったんだよね」

「え!」

 自慢げに話すなおちゃんは、ついでと言った感じにスマホの画面をあたしに見せる。

「ふーちゃん、これみてよ」

「ん?」

 小さな画面にお相撲さんのような風貌の女性が映っていた。

「だれ?知り合いなの?」

 まさかぁ、知らない人だよ、

 なおちゃんは、クツクツと肩を震わせ笑う。

「あまりにも大きかったから写真撮ったの」

「そう」

 この前も出張先の新幹線の中で背の高い ー2メートルはあったというー 白人の写真を撮ったりしていた。

「ビールはさ、得したよ。部下と行ったんだけれど、誰もビール飲まないんだから」

 結構さ、こういう小さなくじあたるんだよね、と、付け足す。

「そう」

 あたしはたちまち黙ってしまう。

 まさかあたしも3枚ひいて3枚ともはずれだったなんていうタイミングを逃す。

「なおちゃん、」

 上半身裸のなおちゃんは、うっすらと汗をかいている。けれど抱きついた。

 またはがされそうだったけれど、なおちゃんは、どういうわけだかあたしの頭をそうっと撫ぜる。

「あまえんぼうだよね」

「……、そう」

 冷蔵庫の中にビールが5本入っているし、セブンに行ったこともすっかりわかっているが、特になおちゃんはなにも言わない。

「パピコ食べる」

「いらないよ」

「違うわ。あたしが、食べるの」

 冷凍庫からコーヒー味のパピコを取り出す。なおちゃんは早速ビールを。

「おお、焼き鳥だ」

 袋から出し、温めずに頭から食らいつく。あたしはさっきメロンパンを頭からいった。

 メロンパンのカロリーは510カロリーと表記されており、あたしは見てみぬ振りを決める。

 なおちゃんの背後に回る。

「逢いたかったの」

 またか、あるいは、暑苦しいな、などと思っているだろうなおちゃんの表情を思い浮かべあたしは頬と頬を引っ付けた。

「だって好き」

「ねぇ、なおちゃんは?」


 細く開いたドアの隙間から雨の匂いが風にのって流れてくる。明日は雨かしら。明日は内職先まで行かないとならない。


「ねぇ、なおちゃんは、好き?」

「ん?」

 しかしあたしはなんでこうも寡黙なこの人が大好きなのだろう。よくわからない。

「ふーちゃん、ビールとって。キリン」

「え?ぞうさん?」


「ははは」

 あたしたちはくだらないことでクククとよく笑う。

 なんて凡庸な日々。

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