第九話
十五の断崖さんがあっさり倒れてしまって、当初の想定よりも喋らせられなかった気がします。
もっと嫌なやつになるはずだったんですが。
平成二十九年五月十八日、記述ミスを一部修正。
見ていることしかできないのか。秋森は自問した。けっこうな距離があったにも関わらず、秋森はさっきの男が銃弾に当たったことがわかったし、みすずが男を斬るところまで見えていた。秋森の本来の目に、そんな仕事ができたはずがない。セインの記憶は戻る気配もなく、秋森はただ雪の上に伏せて寒さに震えているだけで、宇宙人たちのお荷物でさえある。秋森が余計なことを言いださなければ、佳奈は帝国軍の残党にとどめを刺さなくても済んだかもしれない。擬態核を破壊するには、佳奈の光剣が必要だったことはわかる。かといって、佳奈以外の誰かなら、同族にとどめを刺していいという話でもなかった。
擬態核という言葉が脳裏に浮かんだことに、秋森は戸惑った。セインの記憶だとは思いたくなかった。秋森の中のセインがなしくずしに復活するなら、秋森隆一郎は、気がついたらぼろぼろになって消滅するのかもしれない。みすずから擬態の説明を受けていたから、無意識のうちに造語したのだろうと秋森は思おうとした。考えることが苦痛になってきて、秋森はひたすら藻岩山の斜面を注視した。
銃声がいくつか聞こえた後、一人の男が、力のない足取りで開けた斜面に入ってきた。前の男と同様に背広姿で、片手には銀色の拳銃を下げているが、背広の袖や裾に千切れた跡があり、顔面から液体を垂らしていた。
男が死体に気がついて足を止めた。みすずが立ち上がって姿を見せ、今度はゆっくりと男の方へ歩き出した。別な方向から佳奈が男に歩み寄っていった。最後に、新菜が男の背後から姿を現した。薫が秋森の肩を叩いた。
秋森たちに取り囲まれ、男はふてくされたように雪の上に座りこんだ。がっしりとした顎に丸い目、大振りの鼻が印象的だった。血にまみれているし、目元には険があるが、意外にもそこそこ精悍な顔つきに見えた。男は、秋森の顔を見て目を見開いた。
「殿下? あんた、跳ねあがる超空洞殿下なのか?」
「銃を放しな」
新菜が拳銃を男に向けて言った。男は銀色の拳銃をそっと雪の上に押しやった。
「俺がいると思わなかったのか?」
秋森は言った。
「思うわけがない。こっちは、襲ってくださいと言っているような単独航行船を追いかけてきただけだ」
男を除いた宇宙人たちに衝撃が走った。佳奈は体を震わせ、みすずは刀の柄を握り直し、薫が息を呑み、新菜の拳銃がわずかに揺れた。
「嘘をつくと、痛い目にあいますよ」
みすずが言った。
「リグズどもが、気取りやがって。殿下、なんだってこんな連中と一緒にいるんです? いや、殿下が皇帝とケンカしてたのは知ってますが、こんなやつらとつるむことはねえでしょう。そこの女の子は別としてですよ」
男が佳奈を目線で示した。
「何を言ってるのか、意味がわからないな」
「そいつら、リグズでしょう。装備でわかります」
「お前とリグズの、何が違う?」
秋森が言うと、男は秋森にすがるような目を向けてきた。
「俺は十五の断崖、フィフティーンオブクリフス、れっきとした帝国平民です。平民てのは正直で働き者なんですよ、殿下。だから、平民の権利向上のために殿下が動かれるのは、俺だって悪くないと思ってました。わからねえのは、二十番台とかフィフティオーバーの連中にまで優しくしようってところです。だって、リグズじゃねえですか、卑小体ですよ。口を利くだけの家畜です。俺たちみたいなちゃんとした人間と家畜を一緒にするなんて、そりゃ納得がいかねえってもんです」
秋森にも、卑小体というのが蔑称であることはわかった。二十番台とか、五十越えというのも似たようなものだろう。数字が大きいと、少なくとも十五の断崖の中では、人間扱いされないらしい。十五の断崖は、状況の打開を秋森に求めていた。セインを説得できたなら、確かにこの男は生き延びられるかもしれない。七十九の段丘の新菜が拳銃の先で、十五の断崖の頭を小突いた。
「帝国平民様、その五十越えにぶたれて逃げて、お仲間まで見捨てて、情けなくはならないかい?」
十五の断崖が怒鳴った。
「卑小体は黙れ! 俺は殿下と話をしてる。調子こいてんじゃねえぞ。擬態で人間に化けたからってな、卑小体が平民に口を利く権利はねえんだよ」
新菜が危険な微笑を浮かべ、左手の指で、十五の断崖の頭を示した。撃っていいかという意味にしか見えなかったので、秋森は小さく首を横に振った。新菜の気持ちは、秋森にも少しはわかる。今は、十五の断崖の精悍な顔が下卑た感じに見える。
「少し、話がしたい。お前は、セインがこの星にいると知らなかったのか?」
「そりゃ、知るわけがないですよ、殿下。銀河連合とかいう反乱軍が幅を利かせるようになっちまって、最近の帝国軍に補給なんてありませんや。宇宙船の一隻とその補給物資でもほしいくらい、いつも懐が寒い。現地調達するしかねえでしょう。もうちょっとのところで相手に逃げられちまったが、向こうの船はこの星から出た様子もない。銀河連合とやらは、卑小体にも気を使うって看板背負ってるようだから、この星の原生生物をちょっと脅かしてやれば、看板を気にして出てくるかと思いましてね。ちょっとばかり燃やしてやりましたが、殿下がいるとわかっていたら、そんなお遊びはやらなかったですよ」
十五の断崖が訝しげに秋森の顔を見上げた。秋森に違和感を覚えたようだった。
「殿下、そういえばどうしてこんな星にいるんですか? いや、それよりも、どうして今、姿を見せたんですか?」
「詳しいことは話せない。それより、お前たちは全部で何人いる?」
「殿下、一つだけ、聞くのを許してほしいんですが、皇帝陛下のお名前は何と言いましたか?」
十五の断崖は、許しを請うような卑屈な笑いを浮かべて言った。秋森は言葉に詰まり、顔に焦りが出ていないことをただ願った。
「皇帝陛下様に名前があるわけないだろう」
新菜が言った。十五の断崖の顔から表情が消えていった。危険なものを感じると同時に、秋森は、薫に引き倒されて仰向けにひっくりかえった。銃声が響き、刃が骨を打つ音が聞こえた。十五の断崖は立ち上がり、片手で新菜の拳銃をつかみ、反対の手でみすずの刃を握っていた。
「舐めるんじゃねえぞ、卑小体ども、殿下の死体で俺をだましたな」
十五の断崖がわけのわからないことを言いながら、拳銃と刀を押さえたままで、秋森の方へ一歩踏みだした。秋森は起き上がろうとしたが、手足が思うように動かなかった。心臓だけが強く脈打った。
「殿下、いや卑小体、お前はもう死んでる。本当は、自分が誰なのかもわからねえんだろ。また殿下のふりをされると迷惑だ。今、きちんと殺してやる」
十五の断崖がさらに一歩、秋森に近寄ったとき、赤い光の刃が秋森の上に差しだされた。佳奈が光剣を抜き、秋森をかばうように前に出ていた。忌々しいことに、秋森には、十五の断崖が佳奈の光剣をかいくぐって飛びかかり、秋森の首の骨を踏み折るのが見えた。正確には、それが十五の断崖に可能だと理解していた。
十五の断崖が秋森に向かって飛び、そのまま秋森を飛び越えた。秋森は上体を起こして振りむいた。十五の断崖がうつ伏せに倒れ、その片腕を薫がつかんでいた。
「セインに触れるな」
言いながら、薫はつかんだ腕をねじった。骨が砕ける鈍い音が聞こえた。薫は腕を放さず、さらに回していく。
「腕の骨一つで粋がるんじゃねえよ。卑小体の装備で俺をどうこうするつもりかよ」
十五の断崖が折れた腕を無視して起き上がろうとした。
「そうだね、僕の装備じゃ君は殺せない」
薫に背中を踏みつけられ、十五の断崖が再び雪に頭を突っ込んだ。薫がもう片方の足で十五の断崖の両足を踏み抜いた。十五の断崖の両足は、おかしな方向に広がっていた。
「でも、君をセインに触れられないようにすることは、今の僕にもできる。僕は二十二の隕鉄だ。君とはあまり装備の差がないからね、それと、僕は、セインを傷つけようとする人間には、どんなことだってできるんだ」
薫が十五の断崖の片腕をちぎって放り投げた。背中においていた足の裏で十五の断崖の首にひと蹴りくれて、次には十五の断崖の片足を蹴り飛ばした。十五の断崖の苦悶の叫びが藻岩山の空に吹きあがった。薫が足で十五の断崖の胴を転がして仰向けにさせた。
佳奈が、光剣の赤い刃を十五の断崖の喉元に突きつけた。秋森は立ち上がることも忘れていた。新菜が、十五の断崖に拳銃を向けて言った。
「さて、こちらとしては、もう殺してしまった方が早いわけなんだけど、こっちの質問に答えてくれたら、いくらか長生きできるかもしれないね?」
「この星の雄はどうだった、クソ卑小体? てめえを最初に見たときは、ひんむいて犯してこの星の放送に流してやろうかと思ったが、やらなくて正解だったぜ。俺はてめえらと違って羞恥心があるからな。卑小体とヤったなんて仲間に知られたら、俺は生きていられねえ」
十五の断崖が残った腕で中指を突きたて、その顔面を新菜が撃った。すでに判別できない顔から濁った音を立てながら十五の断崖はまだ呼吸していた。新菜が十五の断崖の頭部に顔を寄せた。
「痛覚を遮断する暇があったかな。まあ、痛みがなくても嫌なものだよね。目が見えなくなる感覚は、なかなか慣れるもんじゃない」
新菜の横顔には笑みが浮かんでいる。邪悪なものにしか見えなかったが、秋森は、なぜか目をそらすことができなかった。
十五の断崖の頭部から、くぐもった声が漏れた。
「皇帝陛下、万歳」
秋森は言いようもない不吉さを感じた。佳奈が光剣を十五の断崖の胸に突き刺したが、遅すぎた。十五の断崖の体が、不気味に痙攣しながら白い煙を噴き出し、人の形を急速に失っていった。何が起きているのか秋森はわかっていなかったが、十五の断崖の企みを阻止できなかったのは間違いなかった。秋森は喉に強烈な刺激を受けてむせた。
「秋森、息を止めてください」
みすずの声が聞こえ、秋森は気づくと抱えあげられていた。冷気が秋森の顔を切る。みすずに下ろされたのは、十五の断崖から数十メートル離れた斜面だった。佳奈と新菜、薫が雪を蹴立てて、次々と秋森の周りに集まった。秋森はぽかんと口を開けていた。白煙の中に、信じられないものがうごめいていた。
高さ三メートルほどの赤黒い触手が、束になって激しく無秩序に動いていた。縦長の巨大なウニを、針を太くしたような形に見える。まるでファンタジーに出てくる怪物だが、怪物は現に藻岩山に存在していた。触手がざわめくごとに白煙が濃くなっていくようだった。秋森は咳きこんだ。
「失敗しちゃった」
佳奈が手に光剣の柄を下げて、茫然と呟いた。
「いえ、宮沢さんのミスではありません。まさか、擬態のリリースと同時に同期も強制解除するなんて、無意味すぎます。こんな事態は誰も想定しません」
みすずが苦々しげに言った。
「あれじゃ自爆ですらない。嫌がらせのために死ぬとか、本気で理解できない」
新菜が、額に指を当てて吐き捨てた。秋森は嫌な予感を胸に抱えながら聞いた。
「あれは、何だ?」
「私たちの本来の姿です。地球人の視点だと、あまり気持ちがいい姿ではないですね」
みすずが言った。
「どうしてだ?」
「あの男は、最期の瞬間に擬態と同期を解除しました。生命体としては、もう終わっています」
擬態を解除した状態で同期を怠った場合、宇宙人は即死する。以前に秋森は、みすずから説明を受けていた。
「動いている」
「体内の物質が化学反応を起こしているだけです。風上ですが、もう少し離れた方がいいでしょう、秋森?」
秋森はみすずの顔を見た。
「あの白い煙は、毒なんだな?」
「ええ、そうです」
みすずが気まずそうに頷いた。触手の周りは見る間に白い煙が濃くなっていく。そして、ゆっくりと斜面を下り始めていた。流れていく先は、札幌の市街地しかありえなかった。
「どれくらいの毒なんだ?」
秋森の質問は少しの間、宙に浮いた。気の進まない様子でみすずが答えた。
「長く吸わなければ、命に別条はありません。ただ、この状況であれば、山麓の住宅街を覆う程度のガスが出るでしょう」
「だめだ、何か方法がないのか?」
「私たちの手持ちの装備では、あの死体とガスを処分することはできません。私たちにできることは、警察や消防に連絡して、避難を促すくらいです」
「どうやって説明する? 匿名で毒ガスの通報をしたって、警察がまともに聞いてくれるわけがない」
秋森は宇宙人たちを見回した。佳奈はうつむき、新菜は白煙の方に目をやっている。みすずは夜空を見上げ、薫だけは秋森の視線を受け止めたが、首を横に振っていた。秋森はさらに言い募ろうとしたが、急に脱力感に襲われて雪の上に膝をついた。
「本当に、何も、方法がないのか」
闇夜にも関わらず、秋森の目には、白煙が雲のようにはっきりとした形を取って、触手を覆い隠し、山裾の方へゆっくりと流れていくのが見えていた。
「望、あの煙を消す方法はある?」
佳奈が虚空に話しかけた。秋森と宇宙人たちの注意がいっせいに佳奈に集まった。
「うん、それでいい、周りに影響が出ないように、防護力場は全開で展開して。後のことは後で考える」
「待ってください、それは宮沢さん一人の問題ではありません」
みすずが切迫した口調で言ったが、佳奈はみすずを遮って叫んだ。
「望、これは命令! すぐに実行して!」
秋森は、空が唸ったように感じた。巨大なものが秋森たちの頭上を通過して、秋森たちに一陣の風を浴びせた。
白煙と触手を青白い炎が覆った。目に痛いほど眩い炎だった。炎の上に、秋森は一瞬だけクジラのような影を見た。クジラよりもはるかに巨大な影だった。青白い炎は一秒とたたずに消え、後にはすり鉢状の雪のクレーターが残った。触手と白煙は消滅していた。
「凄い、ありがとう、佳奈」
秋森は立ち上がって、佳奈に礼を言った。
「ううん、気にしないで。地球人に、これ以上犠牲を出させるわけにはいかない、だよね」
佳奈は嬉しそうな顔をしていたが、目には疲労の色があった。
「それはけっこうですが、望が言いたいことがあるそうですよ」
みすずが憂鬱そうに言った。望の声は、秋森には聞こえないが、宇宙人たちには聞こえている。宇宙人たちの顔から、いっせいに表情が消えるのだけが、秋森には見えた。
「ウソ、エネルギー不足で、同期ができない?」
佳奈が声を裏返した。秋森は、さっきの青白い炎が、深刻な事態を引き起こしたらしいと思った。実のところ、それは宇宙人たちへの死刑宣告だった。