第二話
ルビが振れるのがうれしくて長いルビを振りましたが、長すぎた気もしました。
2017年3月31日、誤字を一か所訂正。
四つの丸い影が見えた。逆光になった四つの顔だった。秋森の体は背中側に引っ張られていた。秋森は寝かせられ、四人に見下ろされていた。
「セイン!」
声とともに、秋森の胸にやわらかいものがかぶさってきた。大きな茶色の瞳が、吐息の感じられる近さから、秋森の目をじっと見つめている。大きな瞳とふっくらとした頬の印象で童顔に見えるが、鼻筋の整い具合からして、二十歳くらいだろうか。秋森の顔を覗き込むためにうつむいているせいで、茶色のセミロングが白い首から頬の方へ流れているが、そんなことは気にならないようだった。秋森は、見たこともない美少女にすがりつかれていた。
「彼の目が開いた途端にこれですか」
右上の方で、少女の声が、愛想っ気なく言うのが聞こえた。秋森の中の後輩属性と書かれた箱に、何かがすとんと入った。
「ずっと仲が良かった幼馴染ってこんなもんでしょ」
左上から、別の若い女の声が答えている。明るい声だ。連想されたのは夏と海と水着で、秋森の脳裏をビールのポスター広告がよぎった。
「単に性格だと思いますが。あんな距離からトラクタービームを最大出力で照射するとか、まともな神経の幼馴染にはできませんよ」
「こうるさいこと、言わない。これ、感動の再会ってやつよ?」
「もうちょっとで死体と再会するところだったんですが、というか、この子のおかげで出航からこっち、物資積み込みから航宙計画やら跳躍座標の設定やら、手順がぐちゃぐちゃで、ようやく休めると思ったら速攻大気圏突入してトラクタービームぶっぱとか、戦時の緊急出航でもないのに、私、死ぬかと思いました。まあ、あの秒数で極指向性トラクタービームの調節ばっちり決めたのは自己最高記録なんで、今回は大目に見ます」
「ん、ずいぶん言ったね。照れ隠しか? 憧れの王子様に会った気分はどう?」
「最高に感動しているので茶化さないでください」
「わかりづらいって、あんた」
上で声が飛び交う間、秋森を見つめる女の子は、両腕と上半身を秋森の胸に押し当てて、そっと息をしていた。空気の流れ一筋が、大事なものを壊してしまうと思いつめているかのようだった。可憐な唇から、かすれた声が漏れた。
「ずっと、探してたんだよ。絶対、生きてるって、信じてた」
秋森は、何も言うことができなかった。彼女は秋森の返事を待っている。きっと、この世の終わりまで待っている。秋森は勇気をふりしぼって口を開いた。
「どちらさん?」
謎の美少女の瞳が大きくなり、涙をためて潤んだ。秋森と二人きりだったなら、次の瞬間に泣いていただろう。
「ミヤザワ カナちゃん、彼はこの星であんたを見るのは初めてだからね」
ビールの声が言った。ミヤザワ カナは、秋森の胸に乗ったまま、はっとしたように身じろぎした。
「でも」
ミヤザワ カナの潤んだ目が、そこに本当の答えがあると信じて、秋森の瞳をもう一度のぞきこもうとする。
「乙女パワーでミミクリイが見破れるなら、連盟の辺境捜査官はみんな乙女になってます。そこで三十億年ほど見つめあっても、どこかの星で単細胞生物が多細胞生物に進化するだけです。彼が、自分の正体を、この星の原生生物の雌にカミングアウトするわけがありません。とりあえず、そこから離れてください。話しづらいんです」
ミヤザワ カナの視線はまだ秋森の顔をさまよっていたが、後ろから肩を引かれると彼女は案外おとなしく身を引いた。茫然としていたのかもしれない。
秋森は、ようやく上体を起こすことができた。物理的にも精神的にも、周りを見渡すことができるようになった。そして目を瞬いた。めまいを感じた。理解できなかった。
秋森は病院によくあるストレッチャーに乗せられていた。気絶する前と変わりなくダウンジャケットを着ている。マフラーも手袋も着けたままだ。秋森の足の方から向かい合う形で、左右に二人ずつが立っている。
ミヤザワ カナは秋森の左腰のあたりに立っていた。ベージュのセーターに、白地にグレーのチェックのスカート、下の方に、黒いストッキングに包まれた細い足が見える。スタイルのいい女子大生といった雰囲気だが、秋森がさっき間近で見た顔を合わせると、実は映画の女子高生役で大ブレイクしたアイドルだと聞かされても納得できそうだった。セーターだから、というのを差し引いても、胸回りは顔の印象以上に膨らんでいた。もう一度目を合わせるのが怖かったので、秋森は、ミヤザワ カナの首から下だけに注意を留めたのだが、予想外のちょっとした幸せを拾った気がした。
ミヤザワ カナの斜め後ろにはメイド服がいた。黒いストッキングを穿いた太股を、膨らんだ黒いスカートが覆い、スカートの内側には純白のフリルが広がっている。スカートの前面に小さな白いエプロンがついている。ほっそりとしたウェストに飾り紐のついた黒いコルセットを着け、白いシャツの胸のあたりがつつましく盛り上がっている。黒い髪は眉の上で切りそろえてあり、後ろ髪は華奢な首の横を通って背中に伸びている。一見すると丸顔だが、顎のラインがすっきりとしているので、妙に大人びた雰囲気がある。十代は卒業しているだろう。ミヤザワ カナよりも頭半分ほど背が低い。ミヤザワ カナの肩の後ろから少し首を傾けて、やや瞳が浮いた目を秋森に向けている様は、少女と女の中間の儚さというか、ロリコン垂涎というか、どこか非現実的な愛らしさがあった。
秋森の右側には金髪の女性が、はちきれんばかりに立っていた。輝く金色のロングヘアを肩に流し、ハーフかクォーターらしいくっきりとした目鼻立ちに、太陽のような笑みを浮かべている。とはいえ、はちきれんばかりなのはやはり、白い前結びシャツで下半分を押さえている胸だった。シャツの結び目からこぼれだしそうな胸は、深い谷間を惜しげもなく見せて、その重さと柔らかさを奔放に主張している。ウェストに着けているグレーのデニム地のコルセットベストは、ちょうどお腹の正面だけ布地がなく、健康的な肌色とへそが、不意打ちのように秋森の目に飛び込んでくる。ミニスカートの下にグレーのサイハイソックスを着用し、黒いガーターベルトを足に沿わせているせいで、布の隙間、太股の白さがかえって強調されている。ミヤザワ カナが映画のアイドルなら、こちらはグラビアアイドルに違いない。レースクイーンもありえる。
金髪の隣にいる四人目は、この場で出会った唯一の男だった。黒いスラックスの上にダークブルーのワイシャツを着て、ネクタイは着けていない。金髪の女性より少しだけ背が低いが、彼女は女性にしては長身のようだから、彼は男としては小柄な方だ。体の線も細いが、貧弱というよりも清潔な印象がある。前髪の一部が頬までかかっていているが、不潔な感じがしない。後ろ髪も首の後ろまで伸ばしている。唇も目元も細く、鼻筋はすっきりと通っていて、中性的ながら相当な美男子だ。涼しげな口元には微笑みを湛えている。秋森は見たことがないが、知性的なホストというものがいるなら、きっとこんな格好だ。もちろん、お姉さまやおばさま方に人気があるのだ。ナンバーワンかどうかまでは、秋森は関心がなかった。
他に見えるのは壁と天井だけだった。壁と天井は白く、しっくいか、白く染めたアスファルトのようだが、どこか違和感があった。ここまで白一色となると、病院くらいしか似つかわしい場所がない。かといって、周りにいる人物から判断するなら、ここはキャバクラである。キャバクラだとすると、ミヤザワ カナの露出が少なすぎる。秋森の位置からはドアの類は見当たらなかった。秋森は混乱していた。ぼったくりバー、という単語が秋森の意識に飛び上がってきた。ススキノでは、通行人の顔を強力なライトで照らし、後頭部を殴って気絶させ、鍵のかかった白い店内に拉致して女の子に介抱させ、治療費と接待費を要求するという、新しい悪質商売が流行しているのだ。ダークブルーのワイシャツの男は、一見すると優男だが、実は、キレると近くにいる人間の鼻を折る癖があって、どこに行っても使い物にならず、ついにヤクザに拾われてぼったくりキャバクラの集金係をさせられているのだ。そんなバカな、と秋森は思った。同時に、一度ヤクザに支払うと後々までつきまとわれるという豆知識を思い出した。絶対に支払わないぞ、と秋森はストレッチャーに横たわりながら悲壮な決意を固めた。
「疑われるのも無理はないけど、ちょっと傷つくぞ。君をセインと呼ぶ人は、まあ、たくさんいるけど、長いこと探していたのは本当なんだからね」
金髪の女性が言った。ビールの宣伝ポスターの声だった。らしいといえば、これほど夏と海と水着とビールが似合う女性もいない。
「いっつも急にいなくなるし、久し振りに会っても、何してたのか全然教えてくれなかったよね。セインも、もう子供じゃないんだから、連絡くらいしてくれてもいいと思う。あんな風にいなくなったら、みんな、心配するんだよ」
ミヤザワ カナが言った。声の最後は呟くようだった。セインというのは、秋森を指すらしい。
「君が無事で、こうして会えた。嬉しいよ、セイン」
ぼったくりキャバクラ集金係の男が言った。声まで中性的なハスキーヴォイスだった。
「私は初対面だと思いますが、広い意味ではあなたに救われたことになります。あなたが世界を壊してくれなければ、私は、故郷で生ゴミと有害ゴミを分別して回るだけの、ゴキブリと変わらない人生を送っていました。ダンスとレース編みくらいしか取り柄のない公女様が婚約を決められるくらいの年齢で、私は粉塵を肺に貯めて寿命を使い果たしていたでしょう。これは比喩ですが、わかってもらえると思います。もうひとつ、跳ねまわるダークマター宙域の戦いで、危険を冒して、私の乗艦の進路を指し示してくれたのもあなたでした。わかりづらいとよく言われますが、会えて光栄です、嬉しいです」
メイド服が後輩属性の声で淡々と言って、こくんと頭を下げた。目の光が強い。
秋森は居心地の悪さを感じた。怪しげなピンクの店に対する警報とは、少し違うところにあるセンサーが、何かを拾っている。これは、善意を装った悪意ではない。彼女たちの態度には、本当の感動があるように思える。四人とも、まるで、生き別れの家族か恋人を探し当てたような顔をしている。
「こぼれおちる小惑星帯」
ミヤザワ カナが言った。
「七十九のダンキュー」
金髪の女性が言った。
「二十二のインテツ」
知性派のホストが言った。
「私は三十五のカイショーです」
メイド服が言った。
秋森の背筋を悪寒が這いのぼった。ぼったくりキャバクラではなかった。カルト宗教のサークルだった。そういえば、トラクタービームがどうとか、意味不明な単語を聞いた気がする。言葉が通じるだけヤクザの方がましかもしれない。黙っていたら、秋森はセインとやらの生まれ変わりにされてしまうだろう。その後、何をされるのかはわからない。わからないことが猛烈に怖い。力づくでも脱出しなくてはならないが、相手は女混じりとはいえ三人だった。この部屋の出入り口を、秋森はまだ見つけていなかった。絶対絶命の四文字が秋森の頭の中で、切れかけたネオンサインのように明滅した。冷や汗が脇の下を湿らすのを感じた。
「悪いけど、人違いだと思うよ」
秋森は相手を刺激しないように慎重に言った。効果はなかった。ミヤザワ カナが両手を握りしめ、ビールの女が眉を寄せ、知性派ホストの口元から微笑みが消え、メイド服の目が冷たくなった。
「こぼれおちる小惑星帯、こぼれおちる 小惑星帯」
ミヤザワ カナが不気味な呪文を唱えた。
「七十九の段丘、七十九の段丘」
ビール女が言った。
「二十二の隕鉄、二十二の隕鉄」
ホスト野郎が言った。
「この星で公用語にもっとも近い言語では、私は三十五の海嘯ですが、やはり通じていないようですね」
メイド服を着たコスプレマニア女が言った。
ミヤザワ カナが秋森に飛びつこうとして、背後からメイド服に腕を回され、肩を抱きとめられた。ミヤザワ カナが首だけを秋森に突きだした。
「セイン、本当にわからないの? 嘘だよね、帝国を気にしてるんだね。大丈夫、帝国はなくなって、今は銀河連盟というのに変わってる。セインが嫌ってたグロリアも、真っ先に壊されて、もうない。まだ帝国を信じてる人たちは逃げちゃって、大公も侯爵も警察が捕まえてる。最近は審査なしで結婚できるし、ナンバーズでも船を持てるようになった。フィフティーオーバーだって、インテリジェンスチェックさえ通れば、連盟議会の議員になれるんだよ。貴族もただの人になったから、名前に番号を付けない人もいっぱいいる。セインが、昔から言ってたことがどんどん本当になってる。私はよく知らないけど、セインは、そのためにあんなに頑張ってたんだよね。一緒に帰ろう。これから、なんにでもなれるし、やりたかったこと、なんでもできる。セインは、帝国に勝ったヒーローだって言われてるんだよ。だから、心配しないで」
「ミヤザワさん、落ち着いてください。今の彼にそういうことを言っても意味がありません。それと、連盟で英雄扱いされるのは間違いないことですが、帰還を望まない人たちも、いえ、本題はそこではありませんでした。彼は記憶を失っています」
ミヤザワ カナが、メイド服の方へ首をねじまげた。
「どういうこと?」
「まず、彼に張りつかないでください。何度でも言いますが、それで問題は解決しません。彼も戸惑うだけです」
メイド服がミヤザワ カナの両肩から腕を放した。
「ノゾミ、ちょっといい?」
金髪のビール女が秋森に顔を向けたまま、誰かに呼びかけた。
「はわわ~、ちょっと待ってください。ええと、これをこっちによけて、はい、なんですか?」
すぐ脇から元気のいい声が上がり、秋森はびくりと肩を縮めた。右を見ると、白いセーラー服の少女が立っていた。女子高校生の制服ではなく、水兵の服だった。上半身はセーラー服だが、下には白いズボンをはいている。
「念のために聞きたいんだけど、検査結果は間違いないね?」
金髪のビール女が腰に手を当てて言った。セーラー服が答えた。
「はい! 理論上、絶対の保証はできませんが、法的な要件はクリアしています。バイタルと現地の公的記録も解析、照合しましたが、彼がセインであることを否定する結果は出ていません。これ以上の精度を求めるなら、彼がアプライしたミミクリイシステムを使用するか、連盟の総合遠宇宙通信研究所に照会する必要があります」
「エンウケンか、ノゾミ、無茶を言うね。命の恩人の頼みでも協力しないってのが、あそこの石頭たちの生きがいだ。だいたい、エンウケンのデータ再編成は議会決定で凍結されてる」
ビール女が低い声で言った。他人を責めているようには聞こえなかったが、セーラー服はぴょんと床から飛び上がった。
「はわわ~、やってしまいました、実現不可能な選択肢は自然言語処理の前に除外しておくべきでした。気をつけます!」
秋森は、肌に氷をぴったりと寄せられているような気がしてきた。喋っている内容が異様だ。セーラー服は花が咲くように笑っている。クラスのちょっとした出来事を友達と笑い合っているような、十代半ばだけにできる顔だ。額を見せるように前髪を分けて、後ろは二つのおさげにしている。周りが美形すぎるので顔立ちは地味に見えるが、実際に学校で見かけたら、学年で五指に入るほど可愛いだろう。怖気を覚えるほどのちぐはぐさだった。声を聞くまで気配がまるでなかった。検査結果とは、何を意味するのか。
金髪のビール女が、メイド服に目を飛ばしてから、気持ちを切りかえるように腕を組んだ。
「少しずつやっていくしかないな、いろいろと。ノゾミ、カナを医務室に案内して、ミミクリイチェックを取ってきて」
白いセーラー服が朗らかに、はい、と言うと同時に、ミヤザワ カナが不思議そうに周りの男女を見回した。
「メディカルキットのこととか全然詳しくないけど、私がノゾミから教えてもらうより、みっしーが行った方が早いんじゃない?」
みっしーが誰だか知らないが、秋森の目にもそう見えた。メイド服が眉ひとつ動かさずに口を開いた。
「この船は帝国時代の認証システムが半端に残ってるんですよ。こんなギリッギリのスケジュールで航行してきたら、細かいところまでプロテクト解除する暇なんてありません。汎用のミミクリイチェックなんて後回し中の後回しです。ミヤザワさんでなかったら、メディカルキットの蓋を開けるのに二時間かかります」
ミヤザワ カナは重々しく頷いた。言われた意味がわかっていないのではないかと、秋森が余計なお世話を焼きたくなるくらい似合っていなかった。アイドル顔も、ときによっては不便なのかもしれない。
「ちょっと待っててね、セイン。すぐ戻ってくるから」
秋森に笑いかけて、ミヤザワ カナが小走りにセーラー服の後を追いかけていく。セーラー服が白い壁に額をぶつける寸前で、空調の作動音のようなものが聞こえ、壁の一部が引き戸のようにスライドした。口を開けた白い通路の中に、セーラー服とミヤザワ カナの背中が走り去っていった。再び空調の作動音が響き、壁がスライドして通路が消えた。
秋森としては、何かの間違いだと思いたかった。ひょっとすると、出口がない。秋森がさっきの二人と同じように走っていった場合、壁と衝突する予感しかしない。
「カナには悪いけど、彼の記憶がすぐには戻らないなんて言ったら、あの子、何をやるかちょっとわからないからね。特に、セインのことだと必死になりすぎる」
ホスト野郎が、仕方がないというように小さく首を振った。
「ちょっとどころか、私には全然わかりません。最悪の想定として、船長権限で秋森隆一郎をこの船のミミクリイシステムにぶちこむくらいは、たぶん平気でやりますね」
メイド服が言った。秋森の心臓が跳ねた。名乗った覚えはない。秋森のフルネームくらい、気絶している間に財布の免許証を見ればわかることだが、おそらく、そういうことではない。
「ごめんね、記憶がないってわかっていたら、怖がらせることもなかったと思うんだけど、私らも余裕がなくて」
優しげな声色を使った金髪のビール女に、秋森はできるかぎり不機嫌な顔をつくってみせた。
「俺は交通事故にあった覚えはないし、大きなけがも、小学校のときに足を骨折したことがあるだけだ。用事があるし、すぐに家に帰りたい。どうしても俺に用があるなら、そっちの連絡先を教えてくれ。後でこっちから連絡する」
秋森はダウンジャケットのポケットにそっと手を入れ、携帯に指で触れた。交番から何分で来てくれるのかわからないが、ここは、警察を呼ぶぞと叫んでしまった方が話が早いかもしれなかった。金髪のビール女が生命保険の営業担当者のような笑顔を向けてきた。
「私らとしては、今、秋森隆一郎に用事がある。そっちの用事が何かは知らないけど、秋森隆一郎に会うために遠くから飛んできた相手には、少しくらいつきあってくれてもいいと思う。本当に、遠かったし、時間もかかった。私は、タカナシ ニイナ、こっちはアイハラ カオルとオザキ ミスズ」
金髪のビール女がどこからともなくクリップボードとサインペンを取り出し、高梨新菜と書いて秋森に見せた。ホスト野郎が相原 薫と書いたクリップボードを持ち、メイド服が尾崎みすずと書いたクリップボードを手にして、軽く会釈した。
「あと、さっきの二人はこう。セーラー服の方がノゾミね」
金髪のビール女が、高梨新菜の下に宮沢佳奈、河合 望と書いた。
秋森の中のチキンが、ぱたぱたと羽ばたきはじめた。ペンが出てきたのはいい。クリップボードは背中に隠して持っていたのだ。そうでなければつじつまが合わない。ならば、これまで喋っていた間、ずっとベルトの背中側にクリップボードを挟んでいたとでもというのか。いや、この流れであれば、当然、宮沢佳奈もクリップボードを背中に隠し持っていたはずだ。しかし、さっき走り去った宮沢佳奈の背中にそんなものはなかった。
「まさか、外国から来たわけでもないんだろう。あんたたちは、見た目は外人っぽいけどな」
自分の声が上ずったことに自分で動揺して、秋森は言葉を切った。高梨新菜が小さく吹きだした。
「逆だよ、秋森隆一郎。外国よりももっと遠くから来てるし、見た目と言葉は完璧にこの辺に合わせてる。高梨新菜は、戸籍も個人番号もある日本人にした。秋森隆一郎にはできなくても、私らにはそれができる。この辺りだと、百聞は一見に如かず、と言うんだっけ。外部映像、投影」
高梨新菜の声に合わせて、部屋の照明が消えた。下から光が湧きあがった。オレンジや白い光が集まって直線をなしている。秋森から水平線上に、巨大な灰色の四角形がそびえ、白い光をいくつも吐き出している。雪のかけらが型を取ったように丸く、四角く、光の中で踊っている。精巧なミニチュアの車が動いているのを見たとき、秋森はストレッチャーの手すりを握りしめていた。秋森は札幌の夜空に浮いていた。地面が近すぎて、落下する錯覚を打ち消しきれない。ビルが真横に見えることからして、高度百メートル以内だが、こんな高度で高層ビルの間を飛ぶ航空機に、秋森は乗ったことがなかった。
高梨新菜は顔に深い陰影を落とし、札幌の明かりを瞳に反射させていた。
「私らはこの恒星系の外から来た。秋森隆一郎にわかりやすく言うと、宇宙人になる」