第十四話
スカイプの友人から「宇宙人が地球の酒を飲んでぐだる」というのをやってほしいといわれてましたが、これはまだまだぐだり方が足りないと思います。
「一年、お疲れ様でした、秋森」
みすずが、秋森のコップにビールを注いだ。
「クリスマスから今日までで、一年分の出来事があった気がするよ、みっしー」
「迷惑でしたか」
「意外と、そうでもないみたいだ」
秋森は、みすずのコップにビールを注ぎかえした。テーブルの中央にはガスコンロと鍋がセットしてある。特に理由もなくつけているテレビは紅白を流しているが、誰もあまり気にしていない。佳奈も、新菜も、薫もくつろいだ恰好をしているのに、みすずだけは頑なにメイド服を着ていた。理由を尋ねても怒られそうなので、秋森はあえて聞いていない。なんにせよ、みすずにメイド服は似合っているので、秋森に不都合はなかった。
クリスマスから一週間が過ぎ、野幌原始林から全員で生還し、宇宙人たちの同期も無事に済ませたというのに、彼女たちは誰も宇宙に帰らなかった。秋森が同期を行う現場を押さえて、セインの思惑を確かめるまでは帰るわけにはいかないとのことだった。秋森には、せっかく見つけたセインと離れたくないという方が本音に見えたが、指摘するのは避けた。セインでも、あからさまにそうは言わないだろう。
「はわわ~、おいしそうです。私も義体を作っていればよかったです。そうすれば、お鍋に参加できました」
テーブルに置いた秋森の携帯から、河合 望の声が流れた。
「義体とか、現状の資材で作られたら私らが困る。却下」
新菜が鍋のものを自分の椀に入れながら言った。
「高梨さんが冷たいです」
「鍋するたびに義体を作られたら、それこそ私らの生活はどうなるのさ」
「社会的にも擬態して、きちんと働くべきだと思います」
「苦学生の擬態までしたくないよ、みっしーはどうか知らないけどね」
新菜がこれみよがしにビールをぐっと飲んだ。テレビCMに出られそうなくらい美味そうだった。
「私だってしたくありませんよ。赤貧とか苦学とかは、帝国時代だけでもうお腹一杯です。せっかくの擬態ですから、私がやるのは、学生しながらの優雅なお小遣い稼ぎアルバイトです」
アルバイトはするのか、と思った秋森だった。宇宙人たちは、地球に長期滞在するにあたり、学生の身分でいることにしたらしい。口で言うほど勤労意欲に欠けているわけではなくて、秋森が同期を行う現場を押さえるためには、時間的な自由が必要だということらしい。監視されているようで、秋森は嫌な気がしないわけでもないが、秋森も自分の過去に多少の興味はあったし、美人に囲まれているわけだからまあいいかと思っている部分もないでもなかった。十年前の秋森なら、美人だからこそ反発したかもしれない。宇宙人本来の姿については、みすずの主張通りに考えないことにしてある。現在の秋森のいい加減さも、年の功というか、おじさん化によるものかもしれなかった。
「やっぱり髪、伸ばそうかなあ」
薫が前髪を引っ張りながら言った。
「その髪も似合ってるよ」
佳奈が薫に顔を向けて言った。
「嫌いじゃないんだけど、男と間違われるのは、ちょっと嫌」
「その件は、つくづくすみませんでした」
言いながら、秋森は頭を下げた。誰も相手をしてくれなかった。秋森も自分の目に自信をなくして、いくらか気落ちしたし、わざわざ中性的な見た目で擬態することはないだろうと言いたかったが我慢している。まさか佳奈が男だということはあるまいが、それもあえて聞かない。年の功だということにしておきたい。
「みっしー、それまだだよ」
佳奈が慌てたように言った。
「見た目は大丈夫そうなんですが」
「全然大丈夫じゃないよ、見るからに生だって。いいから戻して!」
みすずがしょんぼりとした箸の動きで、生煮えのつみれを鍋に戻した。秋森もうすうす勘付いたが、みすずは料理の類だけはまるっきりだめらしい。装飾的なメイド服を着ている割に、車とかバイクの分解整備の方を軽くやってのけそうな感じがある。
「みっしー、そんなんで一人暮らし大丈夫? 佳奈と一緒に住んだ方がいいんじゃない」
新菜が背後から焼酎を取り出しながら言った。すでにビールは二杯飲みほしているから、その意味では遅くはないが、ペースが早い。
「問題ありません。この機会に自炊を極めます」
みすずは鍋をにらんで言った。
「無洗米を炊くところから始めた方がいいよ。おかずはお惣菜を買うの。割高だけど、食中毒の心配はないから」
佳奈は割と酷いことを言っているが、さっきのつみれ事件を目撃した身としては、秋森も佳奈に同意せざるを得ない。みすずも、分が悪いと思ったのか佳奈に反論はしなかった。秋森が思うに、みすずを放っておくと、自宅で紫の鍋をつくって救急車で運ばれかねない。
本来、宇宙人たちは自炊どころか働く必要がない。地球上で表ざたにできないブラックな資金をくすねているらしい。だが、尾崎みすずはある意味で闘志の女だった。実学であれば、それが自炊であれバイトであれ、極めなければ気がすまない性格であることは、短い付き合いでも秋森にもわかってきていた。
「秋森、カラオケ行こう、カラオケ」
新菜がおもむろに言った。少し酔った感じだ。秋森は新菜のコップに焼酎を注ぎながら言った。
「なんで急にカラオケ?」
「テレビのあれ、楽しそうじゃない」
「ああ、歌ったりしたことがないのか」
なまじ現代日本の知識と感覚があるものだから錯覚してしまうが、宇宙人たちは歌ったり踊ったりしたことが、実体験としてはまったくないのだった。地球に来てからしたことといえば、秋森を拉致し、秋森の家を掃除し、帝国軍の残党と戦ったことだけだ。
「来年になったら行こう」
「来年て、秋森、ああ、そういうことか」
新菜が幸せそうな笑顔になった。彼女にとっては、友人とカラオケに行くような、そんな当たり前のことが、帝国時代にはできなかったのかもしれなかった。来年になったら、と秋森は思った。宇宙人たちに札幌の街でも案内しよう。地球の思い出が、帝国軍の残党との戦いだけでは、秋森としても寂しい気分になる。
酒が回り、みんなの声が大きくなってきた。秋森は気分よく酔っていた。野幌原始林まで、あれほど辛かっためまいも吐き気も、今はない。触手が体の表に出たときから、身体の不調は消えていた。あの触手の正体は、結局、わかっていない。宇宙人たちは、セインの擬態の追加設定か、装備のひとつだと考えているようだが、確かめるのは秋森が拒否した。自分の人生が虚構であることなど、まだ確認したくなかったし、宇宙人たちもどうしても調べたいというわけでもなかったようだった。
「秋森、ごめん」
薫が泣きそうな顔で秋森を見ていた。
「謝られることなんてないと思う」
秋森は薫の顔を見返して言った。
「僕たちがしたことは、秋森の人生や、地球人の未来をおかしくすることだったんじゃないかって、思ったんだ」
「そんなこと」
秋森は苦笑した。クリスマスから、いろいろなことがあった。死にかけたし、自分の人生は嘘だったらしいし、肩から触手が生えるし、宇宙海賊を刺し殺すし、想定の範囲外ばかりだ。宇宙人と鍋を囲んで年を越すなんて、今年の秋まで想像もしたことがなかった。当たり前の人生がこんなものだと思いながら、生きてきた。
「俺のために遠くから来てくれたんだ。友達がいきなり来たんだと思ってるよ」
言って、秋森は薫に日本酒を注いだ。