第十一話
秋森の屁はプロットの段階から予定してました。
自宅に着くと、秋森は宇宙人たちを二階を追い上げ、自分は和室にこもった。冷え切って散らかった部屋は秋森の肌によく馴染み、今夜の出来事が全て夢だったのではないかと思わせてくれたが、二階から聞こえてくる物音が、秋森の小市民的な幻想を揺さぶっていた。秋森が高校生の頃までは、自室が二階だったので、二階の音を下から聞くことは、秋森の人生でもほとんどなかったのだった。
秋森は布団に倒れこんだ。全身の疲労は耐えられる。耐えられないのは頭痛と吐き気の方だった。昨夜から、頭痛とめまいと吐き気が次第に強くなってきていた。本格的にインフルエンザにかかったのかとも思うが、喉や鼻に異常はなく、熱っぽい感じもしない。結局、秋森は体温計すら使わなかった。寝ているしかないが、秋森には、寝る前にやるべきことがあった。秋森は河合 望に電話をかけた。
「こんばんは! どうかしましたか、秋森さん」
河合 望は、エネルギー不足の宇宙船とは思えない元気さで応答してきた。
「いくつか聞きたいことがあったんだ。今、話して大丈夫かな」
「はわわ~、嬉しいです。私の方は、お話しするだけなら全然問題ありません。答えられる範囲で答えますので、何でも聞いてください」
「擬態の状態で同期をしないと、いったいどうなるんだ?」
「そうですね、同期に失敗した場合、最終的には死は避けられないのですが、擬態を適用しているか、いないかで、具体的な状況は違ってきます。擬態を行っている場合は、同期に失敗しても、ある意味では死なないとも言えます」
「そこのあたりを詳しく頼む」
これは、今夜の宇宙人たちには振れない話題だった。
「まず、擬態を行っていない場合ですが、十五の断崖さんと同じことになります」
「穴という穴から毒ガスを吐きながら死ぬ?」
秋森は冗談のつもりで言った。
「地球人視線でストレートに言うとそうなります」
秋森は、こんな死に方だけは嫌だリストの一行目を更新した。もし宇宙船に乗ることがあれば、擬態だけはさせてもらうことにしたいと思った。
「次に、擬態を行っていて、同期に失敗した場合です。例えば、宮沢さんが同期を忘れたとします。その場合、宮沢さんの本来の情報は失われ、擬態をリリースすることができなくなります。具体的には、宮沢さんは自分が宇宙人だったことを忘れて、宮沢佳奈としての意識だけが残ります。不可逆的に意識が変質するという意味で、秋森さんの見方では宇宙人ですが、宇宙人としては死ぬということです」
秋森が想像していたのとは違っていたが、意識の変質が死と同義だというのは納得できた。秋森が、身も心もタコ型宇宙人に変わってしまうとなれば、それは、秋森も死と同じだと思うだろう。
「苦痛とか恐怖はないのか?」
「基本的にはありません。ただ、そうなった場合、宮沢佳奈さんは実際に存在しますが、彼女の記憶は全て偽物です。地球人として、精神的に不安定になる可能性はあります。宮沢さんを、高梨さんや、尾崎さんや、相原さんに変えても同じです」
地球人、宮沢佳奈が帰るべき家は、地球には存在しない。宮沢佳奈のよりどころとなる記憶は、事実と食い違う。下手をしたら精神病院入りだろう。
「なるほど、そうすると、俺の場合はどうなるんだろう。俺は、同期が失敗したセインだという可能性があるんじゃないか?」
「はわわ~、それは、十五の断崖さんの言っていた件ですね?」
「そういうつもりじゃなかったけど、そういえば、俺は死体だとか言っていたな。それとも関係がある?」
「関係はありますが、それは十五の断崖さんの勘違いです。あの人は、秋森さんを同期に失敗したセインさんだと思っていたみたいですが、秋森さんは、同期に失敗していません。秋森さんは、遺伝子を解析したらセインさんになります。擬態のまま同期に失敗した場合、元の個体の情報は完全に失われますから、解析結果がセインさんになることはないんです」
「そういうことだったのか。やっとわかったよ」
秋森は複雑な気分で頷いた。地球人、秋森隆一郎の人生は、いろいろな意味で風前の灯のようだった。
「十五の断崖さんのことで言えば、私からも謝らないといけません」
「何の話だい」
「帝国軍の人たちは、私が連れてきたようなものでした。ごめんなさい。戦闘用のセンサの類が外されちゃってたせいもあるんですが、私も戦争が終わったと思って、すっかり安心してました」
秋森は、河合 望の発言の中に、おかしな単語があった気がした。
「戦闘用のセンサって、どういうこと?」
「その通りの意味です」
「軍艦なのか?」
「今は違います。私の大本は、大銀河戦争中に帝国軍の駆逐艦に実装された操船補助AIです。今の船体も、武装は下ろしてありますが、基本は駆逐艦です」
秋森は、武装解除した元軍艦と話していたらしい。一瞬、河合 望の力で帝国軍の残党と戦えるのではと考えた秋森だったが、非武装で無理に戦った結果が、エネルギー不足で同期不能という現状だった。これ以上、無茶な要求はしない方がよさそうだった。
「武装があれば、新菜あたりがとっくに攻撃してるか。でも、佳奈たちは、どうしてセインが追われていると思ったんだろう。セインが重要人物なのはわかるけど、帝国軍の残党がやるなら、単純な海賊の方が可能性は高いと思うな」
「それは、勘違いですね。帝国軍の人たちの呼びかけに、反逆者セインとそれに連なる者たち、というフレーズが入っていたんです。ちょっともってまわった言い回しですが、帝国側から連盟への呼びかけとしては常識の範囲内です。ただ、秋森さんが実際にいたので、宮沢さんたちは早とちりしてしまったんだと思います」
酷い偶然もあったものだと秋森は思った。
「俺が、というよりセインが地球にいることを、帝国軍の残党はもう知っているかな」
「十五の断崖さんが、帝国軍の人たちに連絡していれば知っていると思いますが、あの状況で通信できたか、私にはわかりません。宮沢さんたちにもわからないと思います」
超技術の宇宙船にわからないなら、これ以上調べようもなさそうだった。秋森がこれからやろうとしていることを考えれば、帝国軍の残党が、今の時点でセインの存在を知っていようがいまいが、どちらでもいいことではあった。
「ところで、銀河連盟に助けてもらうのは、やっぱり無理なのか? 今夜の件で、宇宙船の場所が帝国軍の残党にばれたなら、救助要請を連盟に送ってもかまわないんじゃないか」
「はわわ~、それはできないです。まだ、私は帝国軍の人たちは見つかっていないと思います」
「見つかってる可能性はある?」
「可能性で言えば否定しきれないです。でも、連盟に事情を話すことは、絶対にお勧めできません」
河合 望は慌てていたが、銀河連盟への救助要請については頑なだった。秋森は内心で首をひねった。今の河合 望の状況を地球の船に例えるなら、食糧と水が尽きた難破船だった。そんな状況で、SOSを送りたくないというのは、宇宙船の倫理観として不自然な気がする。
「どうしてお勧めできないのか、教えてくれないか」
「連盟に知られたら、みんな逮捕されてしまいます」
秋森の携帯から、衝撃的な内容が聞こえてきた。
「実は宇宙船を盗んだとか?」
「そううことではないんです。みんな、当たり前みたいに地球人に擬態して出歩いてますが、地球みたいに、宇宙人の存在を知らない文明に接触するときは、本当は、連盟法で定められたファーストコンタクト手順を厳密に守らないといけないんです。量刑は幅がありますが、基本的には重罪です。最悪のケースでは、終身刑か、極刑もありえます」
「そんな危ない橋を渡っていたのか」
「誰も気にしないのが、私には不思議です。宮沢さんと高梨さんはともかく、尾崎さんと相原さんまで法律を無視するなんて、ちょっと信じられないくらいです。今回のケースは、地球の統治機関に介入していなくて、技術を流出させたり、生態系を破壊したりもしていません。なので、最悪ケースには当たらないと思いますが、間接的には地球人に被害者が出ているので、無罪にもならないと思います」
河合 望は申し訳なさそうに言った。勝手に追いかけてきた宇宙海賊が地球人を傷つけたことについては、秋森は不可抗力だと思っているが、それだけでも宇宙の法では許されないらしい。
「それじゃ、結局、銀河連盟に助けてもらうわけにはいかないな。あの子たちが刑務所に入るのは、俺も嫌だ」
何が宇宙の正義なのか、秋森も自信を持っては言いきれない。ただ、秋森は藻岩山で死んでいてもおかしくなかった。命の恩人を宇宙警察に引き渡したりしたら、秋森は一生後悔する。それだけは確かだった。
「連盟に事情を話せないのは、他にも理由があるんです。セインさんのことも、連盟には言わない方がいいと思います」
「俺が関係ある? セインは帝国と戦った英雄なんだから、連盟では歓迎されると思ってたよ」
「その通りなんですが、セインさんのことをよく思ってない人たちもいるんです」
「どうしてそういうことになる?」
秋森が知るかぎり、セインは完全無欠のヒーローに見える。むしろ、非難する方が勇気がいると思える。
「帝国を倒す戦争では、数え切れないほどの犠牲が出ました。それに、帝国が倒れた後も、政治的な空白によって、一時的に相当に治安が悪化したんです。戦争と、その後の混乱で、帝国時代よりも疲弊してしまった星系も、少なくないんです」
「ああ、わかってきた。そういう責任を、セインにかぶせようとしているのか」
「私は、人間のすることについて、良否を判断できません。ただ、政治的な動きとして、セインさんを非難するのは、ある意味では有効だと思います。戦争の結果を批判するなら、戦争を始めたセインさんを弾劾するのは、間違いとは言い切れないです。理由は別にしても、連盟はセインさんに、勲章と起訴状を用意しています。公的には、セインさんは死亡したことになっていますから、勲章も裁判も棚上げですが、秋森さんのことが知られたら、連盟の人たちが何をしたがるのか、私にはわかりません」
「俺にもわからないよ」
秋森は苦笑した。勲章と裁判所の被告席が同時に用意されているなど、ユーモラスな立場になったものだった。河合 望の話でわかったことは、連盟といっても人間の集まりということだった。嫉妬や欲望という点では、地球人とさほど違いがあるとは思えない。あるいは、政治というのは、どんな世界でも同じような物語を産むのかもしれない。もちろん、実物のセインも、完全無欠のヒーローなどではないのだろう。
秋森は、連盟に助けを求めるという考えを捨てた。ものは試しのつもりで河合 望に話してみたことだったので、さして落胆もしなかった。そして、河合 望に本当の頼みごとを伝えた。
「はわわ~、それは困ります!」
秋森が思っていた通り、河合 望は断ろうとした。
「やってくれないなら、俺が自分で、インターネットか何かを使ってメッセージを書くよ」
「それはもっと困ります!」
「佳奈たちには、明日、俺から説明する。河合さんのせいにはしないよ。ああ、誤解されると困るから、俺から説明するまで、他の人には内緒にしておいてくれ」
「そういう問題じゃないんです~!」
「無理にとは言わないよ。だめならだめと言ってほしい。実は、体の調子がよくないんだ。早く結論を出して、寝たい」
数分ほど押し問答を続け、ついに秋森は、河合 望を頷かせることに成功した。秋森は礼を言って電話を切った。手元の携帯をしばらく眺めていたが、河合 望からの着信はなく、彼女は秋森の頼みを聞いてくれたようだった。明日を思って、秋森は手に汗がにじむのを感じた。
秋森の尻から長々と屁が漏れた。宇宙の命運など俺には関係ないとでも言いたげな、力強い音だった。
「考えてもしゃあねえな」
秋森は万年床の上で独り言を言った。セインのことも、帝国軍の残党のことも、秋森の明日のことも、考えて解決できる問題ではない。その通りだと言うかのように、もう一度、秋森の尻が屁をこいた。
「考えてもしゃあねえな」
中年臭く呟いて、頭痛とめまいに誘われるまま、秋森は布団に倒れこんだ。