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二話

「おかえり〜」


「…………」


家に帰って来ると、先ずは部屋の掃除を始める。

これは私が綺麗好きだからではなく、単純に座る場所さえ確保が怪しい状態まで毎回汚されているからである。

どうやらコノエルは部屋を汚す才能はピカイチだったようだ。

なんて迷惑な。


コノエルが散らかした漫画やお菓子の包み紙を片付け、布団周りに散乱しているコノエルの羽根を無言で回収した。

コノエルの羽根は、翼にくっついている時こそ鈍く輝いているが、抜けて落ちればただの羽根。毎日そこそこの量が落ちるので、折角だから集めて羽毛布団を作ってやろうと画策中だ。


コノエルは私がそうして気の済むまで片付けるのをただ見つめている。

もはや日課になっている作業を黙々と終わらせ、やっと絨毯の上に座りひと息ついた。


「それで、私に何か言うことは?」


「また全部食べちゃったことは悪かったと思ってる。だけどそもそもはこのお菓子がこんなに美味しいのがいけないんだよ〜、君の怒りは作ってる会社にぶつけるべきだ」


「やかましいわ!」


一喝してから長い溜息をつく。

もうこんなやり取りをして二ヶ月になろうとしていた。

なんとコノエルは、私が生き返ったあの日から我が家に住み着いてしまったのだ。


つくづく一人暮らしで良かったと思う。

今も全く悪びれずにゴロゴロしているコノエルだが、道を歩けば振り返るほどの美丈夫であることは間違いない。

そんなコノエルと年頃のか弱い女子(私だ)が一つ屋根の下。

最初の数日こそ警戒やら緊張で気が気じゃなかったが、毎日のように私にハッピーダーンを強請り、部屋でこのように我が物顔で寛がれるうちにそれが杞憂であったことはすぐに分かった。

コノエルは初日に食べたハッピーダーンの魔法のように美味しい粉に骨抜きにされてしまっている。

これでは死神も形無しだ。

何しにきたんだ死神よ。


「それで、ターゲットはどんな感じだった?」


コノエルはベッドの上で胡座をかくと、私を真っ直ぐ見つめてきた。


そう。

告白をして振られるという私にとって拷問のようなこのミッションは、なんと一回だけではなかったのだ。


それを知った時の私の悲しみがお分かりいただけるだろうか。

御堂太一への気持ちすら満足に収束させることもままならないのと言うのに、何度こんな辛い思いをしなければならないのか。


あの日家に帰った翌日、学校を休んだ。病気以外で休んだのはこれが初めてだった。意外と私は真面目なのだ。

失恋のショックでどうにもテンションが上がらず、せめて悲しみを癒そうと、棚に隠しておいたハッピーダーンを手に取った。


因みに私はお菓子の中ではハッピーダーンが一番好きだ。

食べると手軽に幸せになれるので、何かあると食べる癖があり家には常に常備されていたりする。

そんなわけで、今回も例に漏れずハッピーダーン様に助けを求めたわけだ。


袋の中身は空だった。コノエルを振り返ると、口の周りに粉を付けたまま口笛を吹いていた。

それを見た瞬間、身体中を蝕んでいた悲しみは一瞬で怒りに塗り潰された。


それはきっかけだったに過ぎない。

だが、私にはやり場のない気持ちを発散させる場所が必要だった。

その日、私は死神と喧嘩した。


「本当にあの人をターゲットにするの?」


「近江蓮二のこと?勿論さ。だって彼は将来君とくっ付いたら、子供の世代で爆発的に増えるからね〜」


「爆発的……」


「あ、そこ聞きたい?えっとね、まず君と」


「いやいいです結構です!」


何だかとても恥ずかしくなって急いで遮った。

赤の他人(神)から自分の子作りの話を聞かされたくない。

コノエルはそんな私をニヤニヤと見つめて楽しんでいる。


次のターゲット。

それは私の通う大学の近くにあるパン屋で働いている、近江蓮二という男だ。

将来は自分の店を持つのが夢だという、優しい雰囲気を持った好青年である。


実のところ私は入学した時からずっと、大学に行く日は大概そこのパン屋で昼食を買って行くようにしていた。

そのパン屋は外観こそ商店街にひっそりと馴染んでいるが、毎朝焼きたてのパンの香りが外に漏れ出していて登校中の私をふんわりと癒してくれるのだ。

そして実際パンも美味しかった。

そんなわけでそのパン屋は、毎朝カウンターで私の選んだパンを包んでくれる近江蓮二の、その柔和な笑顔も相まって私の癒しスポットとなっていた。


「近江さんは今日も相変わらずだったよ。試作のパンもらった」


「えっ!」


「あげないわよ」


「なんで!!」


コノエルが身を乗り出したまま抗議の声を上げる。

私は何も言わず、ハッピーダーンの包み紙が大量に詰まっているゴミ箱を指差した。

コノエルは察したようだ。そのまま布団に倒れこむ。


「ぐう」


なんだその抗議は。

悔しいのはわかるが、もっと他になかったのか。

コノエルはさておいて、私はもらってきたパンに噛り付く。


その瞬間、衝撃が体を駆け抜けた。


「こ、これは……!」


甘さとしょっぱさが口いっぱいに広がる。

わざと少し焦がした部分が絶妙な苦味を出しており、練りこんだハーブが鼻腔を爽やかに抜けていった。

近江さんは春の新作だと言っていた。タイトルは「期待と不安」だそうだ。

まるで絵画のようななんとも抽象的な名前を付けたものだと思ったが、なるほど確かにそんな気もする。


「甘さや爽やかさは新しい場所へ行く期待を、苦味は今までとは違う環境への不安を、しょっぱさは同時に味わうであろう別れの悲しさを表現したのね」


なんて複雑で切ない味わいだ……。近江さんは天才かもしれない。

私は感動に打ち震えた。


「ひとつのパンを食べただけでそこまで理解できるのは君くらいのものだよ……」


そう言いつつも、すかさず私の手にあるパンを一口齧ったコノエルは「うえ〜、変な味〜」などと言いながらすっかり定着したベッドの上に帰って行った。

まったく、失礼なヤツだ。

私が引き続き近江さんのパンを堪能していると、コノエルがなにやら寝癖を直し始めた。


「あれ、出掛けるの?珍しい」


「ちょっと〜、僕だってずっとゴロゴロしてるわけじゃないんだからね!」


どの口が言うのだ、直すほどの寝癖付けといて。


「じゃ、ちょっと行ってくるね〜。くれぐれも寂しくて泣かないように」


「は?」


むしろ帰ってくるなと言おうとした所で扉が閉まった。

……妙なところが素早いヤツだ。


相変わらず死神ということ以外は謎な男だが、コノエルにもきっと色々あるのだろう。

決してハッピーダーンの補充をしに行ったのではないと信じたいところだ。

それよりも今はパンを堪能しよう。

私は静かになった部屋でパンを噛りながら、近江さんののほほんとした顔を思い出して心を慰めるのだった。







「もー!遅いっすよ先輩!」


「ごめんって〜、僕だって暇じゃないんだよ?朝からもう色々あって大変だったんだから」


「その割に寝癖付いてますけど」


「えっ!さっき直したのに」


「……」


「……」


「……」


「てへぺろ〜」


高層ビルの屋上。

吹き抜ける風をもろともせず、二人の人物が対峙していた。

一人はコノエル。外出時は羽根を隠しているため、やたら美しい人間にしか見えない。

もう一人はコノエルの後輩に当たるようだ。ストレートの長い髪を一つに纏め、簡単なシャツとスラックスだけであるのに、恐ろしいほど美しく着こなしていた。

涼しげな目元を縁取る長い睫毛が顔に影を落としている。その中性的な顔は、一見しただけでは性別の区別が付かないほどだった。

その美しい顔をひくつかせ、サリーヤは組んだ腕に力を入れた。


「サリーヤ、あんまり怒ると可愛い顔が台無しだよ〜?」


「怒らせてるのは先輩でしょうよ……」


それでもサリーヤは慣れているのか、軽く溜め息をつくとすぐに表情を切り替える。


「先輩の狙い通りでしたよ。里穂はクロでした」


「やっぱりね〜」


「それに、太一は限りなくクロに近いシロってとこですかね」


「そうなんだ。あそこは二人ともグルだと思ってたけど」


「ところが。太一ってヤツ、あれはとんだ狸ですね〜。本当人間って恐いわあ」


そう言って大袈裟に肩を竦ませるサリーヤに、コノエルはおざなりな相槌を打ち思案に耽る。

太一がシロだったことは予想外だったようだ。


「それにしても、先輩も物好きですよね。そんなにあの鎌瀬まりあって人間が気に入ったんですか?」


コノエルが一人の人間に執着することは殆どないことをサリーヤは長い付き合いから知っている。

そのコノエルが、諜報部の自分に契約者の周りの人間まで探りを入れさせるほど執着したのが、鎌瀬まりあだった。

ここ50年ほど味わえなかった類の楽しみを味わえるのではと、サリーヤは二つ返事で引き受けたのだが。


「(早くも当たりを引いたようだ)」


思わずニヤニヤしてしまうサリーヤを無視してコノエルは先を促す。


サリーヤは、コノエルに仕事を頼まれていた。

つい二ヶ月ほど前、コノエルが契約を結んだ不憫な魂である鎌瀬まりあの、これまた不憫にも恋人になるはずだった男、御堂太一。

そして、その御堂太一に想いを寄せる幼馴染みの斎藤里穂。

この二人の動向を探ること。


「まず、斎藤里穂。彼女は援助交際の常習犯でした。まあ、全ては御堂太一に振り向いてもらえないことのストレス発散だったようですが……。あの日も御堂太一に帰された後、たまたま近くにいた男をカモにしたみたいですね。公園で御堂太一と鎌瀬まりあを見張ろうとしたところ、勘違いした相手の男に襲われたためにそれを利用して鎌瀬まりあを牽制したようです」


「可愛い顔してやることエグいな〜、まあそんな気はしてたけど」


「そして、御堂太一ですね。彼は斎藤里穂が自分を好きであることは知っていたようですが、援助交際をしていたことまでは知らなかったようです。……というより、知る機会はあったと思いますが極力見ないようにしていたみたいですね。足を突っ込むと里穂という沼に落ちることを本能的に理解していたんでしょう。まあ、結局は落ちましたけど」


「そりゃあ落とすよね〜。鎌瀬まりあとくっつけさせるわけにはいかないし」


本当にそれだけなのかと聞いてみたい気持ちを抑えて、サリーヤは肩を竦めてみせた。

甘い実は熟すに限る。


「そうは言っても、魂の最終人数は500程しか変わりませんし、どっちとくっつこうが誤差の範囲じゃないですか?」


「そんなことないよ〜!天界老人ホームだって入居者が溢れかえってるんだから、500人は結構デカイでしょ」


「そうかなあ……」


正直、毎日何千という魂がやってくるのが天界だ。500なんて微々たるものだと思うサリーヤだが、もしかしたらコノエルはサリーヤよりも先輩な分、何か他に知っていることがあるのかもしれない。

なんせ、コノエルとサリーヤは生まれが200年ほど違うのだ。単純な数だけではなく、鎌瀬まりあと御堂太一の子孫の与える影響というものも考慮している可能性がある。


コノエルは基本的に自堕落ではあるが、それでも年相応に実績を積んだ立派な天界の住人だ。サリーヤはそういう意味でコノエルを尊敬していた。


「それで?御堂太一はそのまま斎藤里穂とくっついたの?」


「それがですね……、くっつくどころか逆に御堂太一が諦めきれないみたいで」


「チッ」


「これは一筋縄ではいかなそうですね〜、むふ、むふふ」


「何楽しそうに笑ってるの?ん?久々に召されたいのかな?」


コノエルの笑顔の奥のイラつきに気付いたサリーヤは、もう面白くて仕方がない。


「まあ、とはいえ御堂太一もハッキリと自覚するレベルまでは行ってませんから、もう少し様子を見ますよ。……場合によっては干渉してもいいですよね?」


「いいけど、まりあと接触しそうになった時だけね〜」


何でもないことのように言うが、内心では面白くないんだろうと想像してサリーヤは口の中だけで笑う。

サリーヤはコノエルを先輩として尊敬はしているが、崇拝しているわけではない。


「(ちょうど日頃のルーチンワークに飽き飽きしていたところだ。しばらくはこれで楽しませてもらおう)……それじゃあ、また動きがあったら報告しますね」


「よろしく〜」


サリーヤはコノエルに背を向けると、翼を広げて飛び上がった。

夕日に照らされた翼を優雅にはためかせ、あっという間に飛び去っていく。

いくつかの羽根が舞い落ちる様は幻想的でもあり、幸運にも見かけた者がいれば天使だと思うだろう。

尤も、翼を出している間は生きている人間に姿は見えないのだが。


コノエルはサリーヤが見えなくなる前に徒歩での移動を開始した。

翼を出して飛んで帰ることも出来るのだが、今日はわざと歩いてることにしていたのだ。


何故なら、コノエルには帰りに有り金を叩いてハッピーダーンを買うという、重大なミッションが残っているのだから。




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