美しい天使(四下)
屋敷に着いたと御者が扉を開き、シャルロットは馬車を降りた。
「…ほう、田舎にしては豪華だこと。」
大きさこそ違いはあれ、都の城にまさるとも劣らぬ佇まいである。
庭は青々とした木々が日にあたりのびのびと枝をのばし、可愛らしい季節の花が咲き誇り、自然を感じさせつつ手入れの行き届いた見事なものでつい見とれてしまう。
館は白を基調に、貴婦人の首飾りのような優雅な金の装飾が施されている。
「随分と手間のかかった屋敷ね。」
リアがハシェスト家から得た情報によれば、オリビエ・マクマージュは某家の愛人の子らしい。
某と伏せているのは軽々しく口に出来ないほどの名家であるからだとリアはいった。
ハシェスト家を除くとどこかは限られてくる。
「…全く家が何だと言うの。人一人を何だと思っているのかしら。」
お家のために一生日に当たることは無い。
その代わり、一生何不自由のない生活が、恐らくは約束されている。
自由だが貧しいのと裕福で不自由なのはどちらが幸せなのか、シャルロットにはわからなかった。
リアが言った。
「ここの若様は大層お身体が弱いとかで、ほとんど外出もなさらないそうです。」
「そう…」
ここまでくると哀れとしか言いようがない。
リアも悲しそうな表情だった。
自分の主がそんな環境だったらと考えたのかもしれない。
しかし、行動を制限される身ならばそれも幸せかもしれないと思いもする。
「どんな方なのかしら。」
シャルロットはぐっと姿勢を正し、口を引き結んで玄関口へと歩き始めた。
***
通された応接室で待っていると、しばらくして玄関ホールで応対したのと同じリエという女性が現れ、
「長らくお待たせいたしまして申し訳ありません。どうぞこちらへ。」
恭しい態度で二人を招き二階の主人の部屋へ案内した。
「オリビエ様、よろしいですか。」
「?…どうぞ。」
少しの間をおいて穏やかな返事が返ってきた。
穏やかと言うよりは、元気のないといったほうが良いかもしれない。
実際部屋に入ると奥のベッドで横になっていた。
「オリビエ様、お客様です。」
「…え。……あっ」
館の主人は驚いた様子で慌てて身を起こしにかかるが、力が入らないのかなかなか起き上がることが出来ず、ふたりを案内してきた女性がさっと傍に寄ってその背を支えた。
「ああ、ありがとう。ええと、どうも、初めまして。オリビエ・マクマージュと申します。」
オリビエの髪を見た瞬間、シャルロットはオリビエがどの家の愛人の子なのか分かった。
(リュシアンヌ家か。なるほど、知られたくないはずだわ。)
リュシアンヌ家は代々政治家を輩出してきた家柄で、その昔外国から移り住んできたらしい。その為かこの国に多い金髪や茶髪ではなく、珍しい白みがかった銀色の髪をしている。オリビエも、艶には欠けるが美しい白銀の髪をしていた。
オリビエは日に当たっていないこと久しいようで、東の地から輸入される陶器の様にシミ一つ無い白く滑らかな肌だ。世の婦人が聞いたら羨ましがりそうだが、そう思えないのは痩せた身体のせいだろう。
正直、見ていて痛々しい。
「お初にお目にかかります。わたくしはシャルロット・ベル・ア・ヤーデン・ハシェスト。ルベルト・ウォン・ア・ヤーデン・ハシェストの長女ですわ。そしてこちらはわたくしの身の回りの世話をしてくれているメイドのリアです。以後お見知りおきを。」
シャルロットはドレスの裾をつまみ、優雅な所作で軽く腰を落とした。
メイドのリアも続いて深く腰を折る。
「ハシェスト家の方、ですか。世の中の事には疎い方ですが、ハシェストの名は、存じ上げております。手堅い商売と名高い宝石商の。」
「光栄ですわ。」
訪ねる人もあまり無いであろう田舎の、隠すように住まわされている名家の愛人の子の館に名の通った裕福な家の娘が訪ねて来たとなれば、こういう顔もしたくなるだろう。
とまあ、予想を裏切らない不審顔をされ、これ以上警戒されないよう人生で一番くらいの笑顔で続けた。
「贈り物が必要となられましたらどうぞご贔屓に。」
「私は、お恥ずかしながら養われる身。新しい取り引き先をご所望なのでしたら、残念ですがお役には立てないかと。本家への伝手がお望みでしたら一筆認めますが、どうなさいますか。」
一瞬、言葉に詰まる。
言い慣れているのかスラスラと出てきた台詞に自己嫌悪を覚えつつぐっと堪え、
「わたくしの配慮が足りず申し訳御座いませんでした。大変有難いお話では御座いますが、本日伺いましたのは商売の為では御座いません。」
何とか取り繕う。
「魔法学校からの使いで参りました。学校長直々に、わたくしがお迎えにあがるよう仰せつかりました。」
「マホウガッコウ?」
オリビエが、目を瞬いておうむ返しに問い返す。
「マホウガッコウって、魔法学校ですか?」
「ええ。私立ウェルフェルム魔法学校ですわ。」
「はあ、魔法学校から。それは、どうも、遠路はるばるよくぞおいでくださりました。」
「お気遣い、感謝致します。」
「…ええっと、それで、どういったご用件でしょうか?私はこの通り自由の利かない身ですから、学校はあまりご縁のない場所と考えておるのです。」
「こちらに、ライラックという者がおりますね。」
「はい、おりますが、彼が何か…?」
「ご存知かどうか存じ上げないのですが、あの者は異界の住人。議会より“捕縛せよ”との命を学校が承り、不肖わたくしめが代表という大役を任されこうしてオリビエ様の御前におるのでございます。」
「ちょ、ちょっと待ってください。捕縛ってどういうことですか!」
今まで、戸惑いつつ落ち着いた態度を崩さなかったオリビエが、目を見開き声を荒げ、驚きと焦りを抑えられないようだった。シャルロットは冷静になるよう促し、静かな声で続けた。
「この話にはまだ続きがございます。議会は強制的に捕縛はしたくないとの意見です。異界との関係を悪くしたくありませんから。そこで一度、議会に御出席くださいませ。今後ライラックをどうするのか、そこで詳しい説明や話し合いが持たれるでしょう。」
「説明や話し合いって、居てはいけないんですか?何処でどうしていようと、それはライラックの自由でしょう?異界の住人だからって、すぐ捕縛命令が出るなんておかしいではありませんか!」
シャルロットはため息を吐きたいのを我慢し心の中で毒づいた。
(ああ、だから嫌だったのよ。面倒臭いったらないわ。こんな見るからに身体が弱そうなお人は苦手だし、嫌がられるのは分かっていたし。もっと強気な態度に出られる方だったら楽でしたのに。だいたいどうして議会の尻拭いをわたくしがしなければならないのかしら。しかも五年も経ってから!信じられない。単位を貰えるよう取り計らうぐらいはして頂かなくちゃ。それと校長にお菓子をたんと奢らせましょう。ええ、それが良いわ。)
「お、お嬢様!お気持ちはお察しいたしますが放り出すのが早過ぎます!」
リアの囁く声で現実に引き戻されてはっと視線を上げると、驚いたように口を閉じたオリビエと目が合った。シャルロットの見間違いでなければシャルロットへ同情の眼差しを送っているようだ。オリビエの背中を支える女性もこちらを見ることはないが、笑いを堪えているような苦笑しているようなおかしな表情だった。
オリビエが眉尻を下げて、
「申し訳ありません。お見苦しいところをお見せしました。行って、話し合おうと、そういうお話でしたよね?承知しました。ライラックにも私から伝えておきます。子どもじみた駄々をこねましてお恥ずかしい限りです。お詫びに私から僅かながらもてなしをさせて頂きたいのですが、よろしいですか?」
急な変わりように、しかし驚いていたのはシャルロットだけで、リアはホッとした顔をし、リエは支度のため他の使用人へ伝えに部屋を出て行った。
顔を強張らせたまま、シャルロットは恐る恐る考えたことを口に出してみた。
「まさか、わたくし、全部口に出してた、なんて……」
「お嬢様」
リアが気遣いに溢れた優しい微笑みを浮かべて、
「その、まさかです。」
シャルロットにとって耐え難い現実を突きつけた。
シャルロットはこれ以上ないというぐらいに顔を赤くし、ああと呻いて顔を両手で覆った。