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獅子譚  作者: 毛野智人
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(三)

 アルケイデスは一度父の元に戻り、テーバイ勢への助力を依頼した。すると父のアムピトリュオンは喜んで加勢を申し出た。というのも、かつてアムピトリュオンがクレオンを頼ったとき、援軍を出す代わりにとある条件を提示されたのだが、アムピトリュオンは結局自力ではその条件を達成することが出来なかった。それでも何とか援助を取り付け、遠征に赴いたという経緯があった。故にいつか恩に報いねばという思いがあったのだろう。

 (いくさ)のために参じたアルケイデスら一行がテーバイ王と改めて謁見した日の夜、出陣前の宴が開かれた。王はアルケイデスの父アムピトリュオンの隣で、アルケイデスの隣には王の娘が来て饗応した。

「アムピトリュオン殿。この度の申し出、誠に痛み入る。それにしても、国を手に入れた後にかように立派なご子息もお持ちとは存じあげなかった」

 クレオンの謝辞にアムピトリュオンの表情が曇る。

「アルケイデスは我が子というよりも神からの賜り物。奇異なことを申す若者と思われたでしょう」

「正直戸惑いはした。しかし不思議と説得力のある男だ」

「あの者は神々に愛されている。貴公がそう思われるのも無理はないことです」

 アムピトリュオンの他人行儀な言い様にクレオンは困惑した。我が子を褒められたのだから、もっと自慢しても良いだろうに。

「そういえば、あちらにいるのも貴殿のご子息らしいな」

 アルケイデスは今回の援軍の指揮官の一人として弟も連れてきた。クレオンがアルケイデスの向かいに座る若者を示して言うと、アムピトリュオンは即座に頷いた。

「如何にも。あれはイピクレスと申します私と妻アルクメネとの息子。アルケイデスより一晩遅く生まれた双子の弟でございます」

 その発言にクレオンは驚きを禁じ得なかった。イピクレスという名のその弟とアルケイデスとは、双子だというのか。しかし一見しただけでは双子とはとても思えない。それほど、アルケイデスとイピクレスは似ていなかった。

 クレオンの表情を読み取ってか、アムピトリュオンは苦笑して葡萄酒を(あお)った。

「この際ですから貴公には全てお話しておきましょう。アルケイデスは私と血の繋がりのある子ではないのです」

「どういうことだ?」

「あの者の本当の父親は、遙か天空に御座(おわ)すゼウスに他なりませぬ」

「なんと――」

「私がタポス人との戦いを終えてテーバイへ戻ったとき、妻は既にゼウスの寵愛を受けた後でした」

「ゼウスに見初められた女は決してその愛を拒めぬものだ」

「ええ。しかし我が妻アルクメネは身持ちの堅い女です。私以外の男に心を許すことなどあり得ない。彼女自身のその言葉を信じたからこそ、私はテーバイに妻を残して戦いへ赴くことが出来た。しかしゼウスは人間の誠実さなど歯牙にも懸けぬのです。私がどこで何をしているかも全て見通しているあの方は、私がタポスの島々を平定してテーバイへ戻る間に、私に化けて妻の寝所に現れた。そして妻はそれが凱旋した夫であると疑わずにゼウスの腕に抱かれたのです」

「しかしどのようにしてその真相を知ったのだ?」

「予言者テイレシアスから聞き出しました」

「テイレシアス!」

 キタイロン山に棲む盲目の老予言者。彼には人の目には見えない真実が見える。彼がもたらした恐ろしい真実は今もこの国に深い傷を残していた。

「あの者が言ったとなれば紛れもなく本当だ…」

「私もすぐに予言者の正しさを知りました。アルケイデスとイピクレスが生まれて八ヶ月の頃、子供達の寝床に蛇が紛れ込んだことがあったのですが」

 身を守る術のない赤子に蛇など近付けばどうなるか。噛まれたら、その牙に毒があったら。惨事は避けられない。

「イピクレスは泣き喚くのみだったのに対し、アルケイデスは立ち上がりその蛇に向かって行きました。そしてあろうことか両手で蛇を掴み捕らえると、そのまま絞め殺してしまったのです」

 生まれて一年(ひととせ)も経たぬ赤子が獰猛な蛇を退治するとは、確かに人の子の成せる(わざ)とは思えない。獅子を独りで仕留める胆力は既にその頃からあったということか。アムピトリュオンの話を聞いて、クレオンのアルケイデスという男に対する畏怖は益々募った。

「それから成長するにつれ、アルケイデスの力は強くなる一方でした。人より優れた力は時と場合によっては脅威になり得る。むやみに力に訴えてその使い方を誤らぬよう、戦車の操法、体技、弓術、あらゆる武器の使い方を教え込みました。その甲斐あって、武術に関しては今やアルケイデスの右に出る者はいません」

「確かにそのようだ。(たくま)しく頼りがいのある武人と見える」

 クレオンが褒めるとアムピトリュオンの目が(かげ)る。

「しかし心は力と釣り合いが取れてはおらぬのです」

「というのは?」

「思い通りに行かぬことを力でねじ伏せようとするところがありましてな。そのせいで既に一人殺めております」

「なんと…」

「そのときはラダマンテュスの法により正当防衛が認められたので無罪となりましたが、またいつ同じ過ちを犯しやしないかと私は恐れているのです。故にあの子を人の間に置かず、牛飼いをさせていました」

 クレオンはアムピトリュオンに同情すべきか、アルケイデスを哀れむべきか選びかねた。アムピトリュオンは他人の子を、それも神の子を懸命に我が子と同じく育てているのだ。人並み以上の力を持つ者が道を誤らずに生きていけるよう手を尽くしている。だが他方で、イピクレスという彼自身の子もいる。血を分けた我が子を前にして、他人の子の方に厚い情を注ぐことなど出来ようか。そのような境遇の下で、アルケイデスは本当の父親からの情愛を知らぬまま、人とは異なる能力を恐れられながら生きてきたのだ。牛の群れの中で、キタイロンの山中で、たった一人で、己の力が役立つ機会を探し彷徨(さまよ)っていたのかもしれない。

 そうだとすれば、誰かが彼を肯定してやらねばならぬ。

 育ての父であるアムピトリュオンは彼を人の世から遠ざけたが、異能の(さが)を救うには、むしろ民草の近くで役割を与えることだ。獅子退治やオルコメノスへの反撃を志した彼の心は、アムピトリュオンが恐れるような危ういものではないようにクレオンには思われた。単に未熟なのだ。何が正しいかを知っているし、誰かの役に立ちたいが、どう振る舞うべきか解らぬのだろう。彼自身に出来ることは武力を用いることだろうが、平生ではそのあまりの強さ故に力を発揮すればするほど恐れられ、孤独を深めてしまう。彼の武力が歓迎される場所――例えば戦場での活躍があれば、変わるかもしれない。出自の偉大さのみに()らず、彼自身の偉大さでもって民に報いるのだ。それが明日であるならば、テーバイは本物の英雄の誕生を目にするだろう。

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