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赤の章 15

 アルベール・フォンクの眼前に漆黒の機体が迫る。互いに相手の上に出ようと上昇しつつ直進をしていたのだ。結果、互いに互いの上を取る事はかなわず、左に避けてかわすことになった。

 だが、その時に僅かに見えたフランツ・ブランドの瞳は、アルベール・フォンクに「なぜ?」と問いかけているようにも見えた。

「戦争には、勝たなければいけないという前提もあるんだ、悪く思うな」

 と、ばつの悪い気持ちを隠す為に、誰に言うわけでもなくアルベール・フォンクは声に出して言う。

 その間にも、真紅の機体をそのまま大きく左に旋回させて、フランツ・ブランドの機体の後ろに付こうと試みる。

 その瞬間。

 エドモンがフランツ・ブランド機の上を押さえ、機銃を放つ。

 数に勝るがゆえに、エドモンはアルベール・フォンクに加勢することが出来た。この強敵と二機で渡り合おうという事だろう。

「ちっ」

 アルベール・フォンクは舌打ちを禁じえなかった。

 無論、エドモンの機銃にやられるような失態を漆黒の機体の主が犯すはずもなく、難なく宙返りをすると、そのままエドモン機の背後に付く。

 エドモンは、宙返り、旋回、下降を試みるが、漆黒の機体はピタリと付いて離れない。それどころか、背後からのすばやい機銃攻撃でエドモンは、被弾もしていた。

 アルベール・フォンクは一端下降し、フランツ・ブランドの視界から自らをはずして、そこから一気にスロットルレバーを全開にする。そして真紅の機体がもつ最大速度で、フランツ・ブランドの左翼後方に出現した。即座に機銃は咆哮を上げ、漆黒の機体の後方下部に七.七ミリの弾丸がすいこまれてゆく。

 否……正確には、吸い込まれてゆくかに見えた。

 フランツ・ブランドの駆る漆黒の機体は、上昇してアルベール・フォンクの攻撃を僅かの差でかわしていたのだ。そして、その勢いのままで大空に円を描いてゆく。それは、そのままアルベール・フォンクの背後に回る事を意味し、再度、真紅の機体を狙うという意思表示に他ならない。

 だが、アルベール・フォンクも、それを黙ってみている程お人よしでもない。漆黒の機体の尾翼を、正確に追尾してゆく。

 それにより開放されたエドモンは、一人、安堵のため息をついていた。

「まさかここまでの実力差があるとは思わなかった……」

 まさに、アルベール・フォンクの機銃が数秒遅ければ、今、エドモン・バルビエは「空」にいる事は出来なかったであろう。

 エドモンは、さすがに、もう、あの二人の戦いに入り込もうという気は失っていた。

 ふと、エドモンは北の空を見ると、暗緑色の機体が十数機迫っていた。東の基地からも三十、四十と舞い上がってくる。

 アルベール・フォンクも気がついていた。そして、おそらく北か、基地からか、その両方かに、ハンスとコンラエートの両エースも含まれているであろう事も。

「退くなら今なんだが……」

 フォンク空戦隊は偵察から帰還してきたのであろう敵部隊に一撃を与え、現在、この空域の制空権をほぼ奪っているのだ。むしろ、今を逃せば撤退の機会を逃すであろう。

 アルベール・フォンクは、ベーゼルきっての空戦の名手と背後の取り合いを続けるなかで、覚悟を決めて撤退の信号弾を上げた。

 そのアルベール・フォンクの行動は、部隊長として正しかった。だが、撃墜王としては、その信号弾を上げる動作は致命的な危機を呼び寄せた。自らの背後にフランツ・ブランドの機体を迎える結果になってしまったのである。

「やむをえん」

 アルベール・フォンクは急降下をかけた。機銃の射線を外す為だ。すると、眼下には、撤退を始めた味方機の集団と、それを追う敵機の集団が見えた。

「ええい! ついでだっ!」

 そう言って、暗緑色の機体に機銃を浴びせかけつつ、一気に地上二百メートル付近まで下がる。当然の如く暗緑色の機体は、黒煙を上げ、空での制御を失い地上に吸い込まれていった。

 フランツ・ブランドもアルベール・フォンクを追って、さらに高度を下げる。

 まだだ……。

 アルベール・フォンクは、操縦桿をさらに押し込んで下降を続ける。そして、高度が五十メートルを僅かにきった所で、スロットルレバーを押こみ、エンジンを最大出力に、操縦桿を一気に手前に戻す。だが、機体の下降は止まらない。地上と僅か数メートルというところで真紅の機体は揚力を取り戻し、そこから円を描いて漆黒の機体の後部、上方に出る。

 漆黒の機体もアルベール・フォンクと同じ軌道で追っていたものの、急降下からの急上昇に対応することに僅かにタイムラグがあった。

 その僅かな隙を見逃すアルベール・フォンクではない。

 バリバリバリ……と咆哮を上げて再度、真紅の機体から放たれる弾丸が漆黒の機体を襲う。

 漆黒の機体は上昇をかけている最中だ。そして上昇しなければ下は地上、上昇すれば、弾丸。逃げ場など、並みのパイロットには到底無く、撃墜王と言えども、回避方法は、到底、考え得ないはずであった。

 だが、フランツ・ブランドは並みの撃墜王ではなかったのだ。

 機体後部に僅かな着弾を認めたものの、アルベール・フォンクの意図を悟ると、その瞬間に、機体を捻るように回転させながら、上昇させてゆく。それにより、放たれた弾丸の射線から、僅かに機体をそらしていったのだ。

「まったく、何てやつだ」

 アルベール・フォンクは、この恐るべき敵に対して、思わず感嘆の声を上げていた。


 すでに、ここで交戦を始めてから、二時間近くが経過していた。

 この時刻ともなると、いかに初夏とは言え、太陽は西の地平線に身体を半分ほど預けて居眠りを始める。代わって現われるのは、はかなげな蒼銀色の月だ。

 大気は未だ、赤と青と濃紺のコントラストに彩られているものの、あと三十分もすれば夜の闇に取って代わられ、天空では月と星々が、仲良くダンスを踊る時刻になるのだ。

 そんな中、アルベール・フォンクは、フランツ・ブランドと交戦しつつ、おおよその味方の撤退を見届け、同時に多くの敵に囲まれてしまった己の状態を認識していた。

「戦いつつ逃げるっていうのは、こんなに難しいか……」

 旋回しつつ僅かに上昇を繰り返し、雲の中に逃げ込んで、そうひとりごちた。

 上昇する過程で目の前にいた敵は、すべて叩き落としてはいるものの、いかにも多勢に無勢であり、燃料はもはや『空』に近い状態であった。

 だが、せめてもの幸運と言えば、アルベール・フォンクが雲に紛れて暫くすると、ベーゼル側の基地から撤退命令の信号弾が上がったことだ。それ故に、敵に囲まれた状況からは、なんとか逃れることが出来た。おそらく、たった一機の敵に多数の戦力を割き続ける事を、基地司令官あたりが嫌ったのであろう。

 だが残念なことに、フランツ・ブランドは、命令に従う気が無いらしい。

 それとも、逃がしてやろうという優しさが無いのか、互いの距離が近すぎて、「離脱できるほどの隙が、互いに作れない」だけなのか。

 どちらにしろ、互いに撤退のタイミングを測りかね、いつまでも交戦を続けるという状況に陥ってしまっているのだ。

 また、バリバリバリ! と、下方から機銃の咆哮が聞こえる。

 それがアルベール・フォンクを狙ったものであることは明白だ。それを右に旋回して避けると、漆黒の機体が雲の中に躍り出る。

 その時、アルベール・フォンクは漆黒の機体の後方から流れる、薄黒い液体を見た。燃料が漏れているのだ。エンジンの音もどうもおかしい。その後すぐに力尽きたように漆黒の機体のエンジンは止まり、滑空に入った。

「なるほど、燃料切れは俺だけじゃなかったか」

 フランツ・ブランドの機体は、一度入った雲を抜け、機首を東に向ける。

「この期に及んで一応は……帰るつもりか」

 アルベール・フォンクは愉快だった。

 これは、フランツ・ブランドに空中戦で勝利したと言える出来事であったし、何よりフランツ・ブランドの潔さも良かった。

 燃料が無くなったから戦えない。だからそのまま自分に背を向けて、撃ちたければ撃てと言わんばかりに戦場から立ち去ろうとするのだ。

「どうせ滑空だ、あいつもリムスブールまでたどり着かないだろう。俺もナントにはとどかないな……」

 ならば……と。

 アルベール・フォンクはスロットルレバーを僅かに押し込み、漆黒の機体の左側に、真紅の機体を寄せる。

 もう、攻撃する気もおきなかったのだ。そこまで堂々と背中を向けられては、逆に、撃てる筈もなかった。ならばせめて横に並んで、言ってやりたい言葉があった。

 「俺の勝ちだ!」

 アルベール・フォンクは右を向くと、フランツ・ブランドに大声で叫んだ。

 その時……

 真紅の機体が不平の声を一度だけ上げて、沈黙した。

 アルベール・フォンクの機体も、エンジンが止まったのだ。

「あはははははは……!」

 アルベール・フォンクにとって、誠に不本意であった事は、自らの勝利宣言は自らのエンジン音にかき消され、フランツ・ブランドの笑い声だけが大空に響いたことであった。

 だが、考えてみれば、なんとも間の抜けた話である。そう思った時、自らの事でありながらも、アルベール・フォンクも、つられて笑い始めたのであった。

 

 空は、いよいよ闇の勢力が拡大を始め、それに対抗するように星々が瞬き初める。その下では、真紅と漆黒の推力を持たない機体を駆る二人の撃墜王が、もはや意味も無く笑い続けていたのだった。

 

 

 

14/8/1 修正

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