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終章 44

終章43に記載してあったアルベール・フォンクの部隊が「一個空戦隊」と表記されていました。

正しくは「一個空戦中隊」です。

訂正しておきました。

すみません、よろしくお願いします。

 アンセルム・エナルはアルベール・フォンクに伴われて、ひんやりとした薄暗い場所に来た。そこは、生きている人間ならば、あまり入りたくない場所である。何しろ、遺体安置所なのだから。

 ましてや、今はジョレスが軍を率いて政府軍と戦っているのだ。負傷し後送された兵の中でも治療の甲斐なく命を落とした者が何名か、この空間で無念と共に眠っているかと思えば尻込みもする。

 しかし、司令官に「見せたいものがある」と言われれば、部下としては、ついて行かざるを得ないというものであった。

 空戦団司令部から地上部隊の司令部へと移動し、階段を下りて地下室へと入る前に、アンセルム・エナルは司令官に問いかけた。

「見せてくれるものってのは、なんです?」

「すぐにわかる」

 前を歩く赤毛の司令官の背中は、どこか寂しげであった。その為、それ以上追求する事が出来ず、目的の場所に到達するまで言葉を発する事が出来なかったアンセルム・エナルである。

 途中、アルベール・フォンクは幾人かの人物に話しかけ、幾つかの作業を手配していた。

 それ故に、本来静かであるべきこの空間が、突如として騒がしくなる。

 唖然としつつ、周囲を見回していたアンセルム・エナルの眼前では、俄かに進入してきた作業服の軍属に、巨大な砲弾とも思しき黒い塊が手際よく運び出されつつあるのだ。

 運び出された砲弾__ヴァイス・シュツルム__は二つであった。

「ヴァイス・シュツルムだ。たったの十発でランスの人々が全て死ぬという。ベーゼル軍が一〇万というのなら、この二つで十分だと思わないか?」

 アンセルム・エナルは、アルベール・フォンクの意図を理解したくなかった。為に、下唇をかみ締めて、彼は何も答える事が出来ない。何より、まさかこんな所に忌むべきヴァイス・シュツルムが隠されているとは。

「俺は、これをベーゼル軍の頭上に落とす。奴等は、自らの作り出した物で、この世から消えることになる」

 何処までも冷徹な声を、アルベール・フォンクが出している。その姿がアンセルム・エナルには、どこかゼンマイ仕掛けのブリキ人形のように見えた。まるで、何かに操られているかのように感情を宿さず、ただ前進を続けるだけの存在に。

「なぜ、俺にその説明を?」

「なぜ? エナル、お前は、この任務を拒んでも構わない。俺のやろうとしている事は、とてもじゃないがまともな人間のする事じゃない。だから、選べ」

 空気が重い__アルベール・フォンクの表情は真剣である。一人でも、この「業」を背負うつもりだろう。そう思えば、アンセルム・エナルは口の中に渇きを覚えているにも関わらず、”ごくり”と不意に喉仏が上下した。

 右手で金髪をかき回し、脳裏を過ぎるのはベルンハルトの嫌みったらしい作り笑顔だ。しかし、嫌味だからといって、それで大量殺人を犯す動機にはなりえない。たとえ戦争だとしても、だ。

 だが、トロワ襲撃隊の無念を思えば、ここで負けるわけには絶対にいかない。

 何よりアンセルム・エナルは、赤毛の司令官が抱え始めた心の闇に気がついたのだ。もしも自分が断れば、彼は一人でもこの酷い仕事をやり遂げるつもりだろう。そうはさせたくなかった。ならば、「業」を共に背負うのも悪くはない、と、アンセルム・エナルは決意した。

「……俺も、まともな人間じゃあいられなくなりますねぇ」

 アンセルム・エナルの導き出した答えは簡潔なものである。しかし、だからと言って簡単なものではなかった。

 アルベール・フォンクは頷くと、ひんやりと冷えた地下室を後にした。


 新空戦団長と元空戦団長が地上に戻り、容赦のない太陽の光に眉を顰めていた頃、すでにイレーネ・フランツ率いるフォンク空戦団はジョレスの元へと発進していた。

 格納庫まで戻ると、アルベール・フォンクは整備士長ルコントを見つけて声をかける。

「輸送機の方は、もう飛べるかい?」

「ああ、ばっちりだ! だが、まあ、なんだな。あまり気持ちのいい仕事ではなかったかな」

「すまなかった」

 ルコント少佐の眉がやや険しくなったが、司令官に謝罪されては、それ以上の追及も出来ないというものである。何より、かつての様に気軽に話しかけられる雰囲気が、今のアルベール・フォンクには感じられないのだ。

 確かに、大衆は彼を「王」にと騒ぎ立てていたりもする。その雰囲気に呑まれているのだろうか? 違う、それを呑み込んでいるのだ。だから自分が気後れする、と、そう結論付けてルコントはアルベール・フォンクに敬礼を向けた。

「エナル、ちょっと大きい機体だが問題ないか?」

「ええ、問題ないですね。司令が俺をしっかり守ってくれれば、敵のど真ん中にでも落としてやりますよ!」

 口調こそ普段どおりに軽いが、エナルの表情には苦悩が表れている。アルベール・フォンクもそれを見逃している訳ではないが、殊更言及する事は無かった。

「ああ、頼んだぞ」 

 

 ナント上空は快晴であった。

 二正面作戦ともなれば、フォンク軍に出し惜しみしている余裕などない。司令官であるアルベール・フォンク自ら一個空戦中隊を率いてスダン方面を目指す。付き従う者は、アンセルム・エナルが操縦する大型輸送機と、彼の直属中隊三十五機である。

 当初、輸送機の操縦はアルベール・フォンクが自ら行おうと思っていたのだが、エナルに反対されて翻意したのである。

「悔しいがフォンク司令の方が格闘戦に優れています。といって、爆撃も最重要だ、下手な部下には任せられない。俺にやらせて下さい」

 金髪を太陽の光に煌かせながら、暗澹たる任務をエナルが買って出てくれたのだ。

 無論、彼の意見は正しい。単純な確率論でいえば、任務の達成確率はこちらの方が上であろう。ならば、司令官として断る理由がなかった。

 とにかくも、アルベール・フォンクは進路を北東に取りつつ、二個小隊を散開させて索敵に当たらせる。

 ベーゼル軍は、スダンを経由して北東からナントへ迫るつもりのようである。ならば、スダンでアルベール・フォンクは敵を捕捉するつもりであった。あの地ならば、ヴァイス・シュツルムを使用しても問題は無い。スダンとは、アルベール・フォンクにとって、全く因縁深い場所である。

 およそ一時間半程で、スダンを囲む山々がアルベール・フォンクの視界に入る。萌える緑と霞がかった雲、その下にはベーゼルの軍団が悠々と進軍している姿が見えた。

 周囲に空戦団規模の戦闘機群は確認できず、敵の直上には、直援の空戦隊があるのみ。それでも、戦力差はおよそ三対一である。

 アルベール・フォンクが横に並ぶ輸送機に手信号を送ると、機体が一気に上昇してゆく。高度六千五百メートルに位置させる為だ。この高度に到達できるベーゼル機は、未だ存在しないはずであるし、操縦は他ならぬアンセルム・エナルなのだ。ならば、機会の到来まで上空で待機する、というのが今回の作戦の概要である。

 輸送機の上昇を確認すると、アルベール・フォンクは真紅の機体を敵機に突入させるべく、高度を下げてゆく。

 四〇〇〇メートルから三八〇〇メートルへ。下降と共に増速する機体を、微笑みを浮かべて称えるアルベール・フォンクである。

 機体を捻り、空中で渦を描くように回転をしつつ敵中に真紅の機体を躍らせる。それは後に、バレルロールと呼ばれる機動であった。無論、その間にも七・七ミリの機銃は暗緑色の機体を捕らえ、業火の中に包み込んでいる。

 機体を回転させたのは、アルベール・フォンクにとってただの余興だった。ここの所、司令官として指揮室に座していた鬱憤を晴らす為の行為でもあったのだ。

 だが、彼の背後に続くパイロット達にとっては、まさに士気を上げる効果をもたらした。

「三倍の敵に勇躍して突入する司令官」と、彼等の目には映ったのだから、それも当然のことであろう。

 彼等も次々とベーゼル機の中にその機体を踊りこませている。

 アルベール・フォンクは、一つ、また一つと着実に撃墜数を伸ばしていた。しかし、今回の目的は空戦ではない。あくまでも、ベルンハルトが標的なのである。

 それゆえに、高度を徐々に落として敵の機体を落とす場所すらも計算し、地上にいる敵部隊の損害を拡大させてゆく。

 アルベール・フォンクの眼下では、戦車、騎兵、野砲兵、歩兵、それぞれが上空に対して応戦の構えを見せている。

 歩兵は散開し、所々に姿を隠す。機関銃は、適所に固定し上空を狙う。戦車は、歩兵の盾になるかのように展開し、砲身を上空に向けていた。

 見れば、見事な用兵と言えるのかもしれない。

「ならば、その中心に居るのがベルンハルトのはずだ」

 知らず、アルベール・フォンクは地上三〇〇メートルまでも低空で飛行し、幾度か地上にも攻撃を仕掛けていたのである。


 皇帝が座する装甲車の中では、コルドゥラがその身を怒りに震わせていた。

 それほどの時を経ずとも、空戦団の援軍は来る。しかし、直援機として、そもそも一個空戦隊程度は展開させていたのだ。それをあの程度の寡兵で攻めて、しかも地上にまで損害を与えるとは。

「あの赤い機体がアルベール・フォンクなんだな? 我が軍の威信にかけて撃ち落せ!」

 秀麗とも言えるコルドゥラの表情が、怒気に曝されて凶悪に歪む。

 車内には、コルドゥラとベルンハルトの他には、車長、砲手、通信手、それと運転手が居るのみである。故に、本営としての機能は最小限であり、完全に機能しているとは言えない状態であった。

 それでも、コルドゥラは瞬時に状況を察し、各部隊に最小限の指示を与えて、最大の効果を引き出している。

 それは、皇帝調査室長ゼレンカがこの場に居たならば、口笛くらいは吹いたであろう、見事な手腕であった。

 __ドンっ! ドンっ!

 炸裂音が、車外から聞こえ、コルドゥラは、自らの額に汗が伝うのを感じた。

(爆撃か? いや、まさか。まだ此方とて開発段階なのだぞ……)

 だが、周囲の状況を確認しなければならない。もしも爆撃が行われているのならば、此方の被害が増す。ならば、いかに損害を抑えるかを考えなければならない。

「車長! 状況を知ら……」

 その先を、コルドゥラは言い終える事が出来なかった。声が出なかった。全身が弛緩してゆき、力が入らなくなったのだ。

 だが、僅かに背後を振り返る力は残っていた。

 ベルンハルトが蒼白な顔をして、指揮席から立ち上がっている。

 どうやら、気に入らない主君は無事のようであった。

「コルドゥラ!」

 闇の中、ベルンハルトが呼んでいる名前は、紛れもなく自身のものである。

(そう、私はイレーネではない、コルドゥラ。やっと暗がりの中でもそう呼んでくれるのね……そう、それなら私も、貴方のことを……)

 急速に失われてゆく視界の中、コルドゥラの意識は混濁し、為に、自らの深層にたどり着いたのである。

 ベルンハルトは、コルドゥラの身体を抱きかかえ、絶叫する。

「コルドゥラ! 馬鹿な、こんな馬鹿なことがっ!」

 コルドゥラの頬を静かに伝った涙が雫となって、ベルンハルトの袖を濡らした。

「なぜだ!」

 一瞬の出来事であった。息絶えた者は、コルドゥラだけではないのだ。ベルンハルトは車中を見回して、全員の絶命を知る。

(なぜ、敵がヴァイス・シュツルムを持っているのだ。なぜ、予は解毒剤をコルドゥラに投与しておかなかったのだ!)

 不条理に身を焦がれる想いで、ベルンハルトは装甲車の扉を開けた。すると、やはりそこには無数の死体が散乱している。

 だが、上空では未だ戦闘が続き、あちこちで黒煙を巻き上げている状態であった。

 草原の鮮やかな緑には釣り合わない、亡骸となった兵士達。それらを掻き分けるように、ベルンハルトは歩みを進める。

 だが、これがヴァイス・シュツルムであれば、この一帯、地上で生きている者はいないだろう。

 絶望が、ベルンハルトの胸を締め付ける。

「いや、だが、まだ本国に帰れば……」

 その時、ベルンハルトの視界に真紅の欠片が現れた。頭上に舞う轟音が、一瞬にして静寂に変わる。それから、真紅の欠片をベルンハルトは見据え、ただ念じた。

「当たるはずが無い。予は、世界に冠たるベーゼル帝国皇帝なるぞ!」

 しかし、ベルンハルトの願いは、無慈悲な機銃の爆音により破られる。

 上空から突き刺さる銃弾は、彼の黄金の髪に吸い込まれ、身体をなぎ払い、四肢を四散させたのであった。

 フリードリヒ・ベルンハルト・フォン・ベーゼルは、ここに二十七年の生涯を閉じたのである。

 もしも、彼の才能が僅かでも早く開花していたのならば、このような場所で死なずに済んだであろう。

 その事を思えば、彼もまた、この戦争に翻弄された被害者だったのかもしれない。


 

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