7. リベンジ
――稲光が奔った。
巨木や他の何モノにも見向き一つせず、その稲妻は水戸の左手へと殺到した。
周囲に光をまき散らし、その余波が周囲の大地を焼いていく。避雷針としての彼の手から離れた電撃とでも言うべき光の筋は、あたかも空中に蜘蛛の巣を張る様にして、大気の間を伝った。
眩い光が止み、見ている者に視界が戻った頃、水戸は言う。
「なんか、違う」
そして、手のひらの水が蒸発するジュゥという音を聞きながら、水戸は残念な顔で屋敷に戻るのだった。
火魔法の進化形、名付けて『電離魔法』を開発した水戸は、それから自分の適正である雷魔法の訓練に入った。
それは初め、手の平にビリビリと電撃を這わせるだけに留まっていたが、その数時間後には手の平を中心にして半径二十メートルは覆う、巨大な雷のドームを形成するに至った。
元は他の魔法の様に球の状態で発射できればと思っていたのだが、何が原因か、適性のある魔法に限って上手く形にする事が出来ないでいたのだ。
ただ、何とか他の属性と同じように最終進化形を作ろうと画策していて、しかしその結果が『空から稲妻が降って来る』という、水戸曰く使い勝手の悪いものとなってしまった。
そこまで魔法を改良するのに要したのがおよそ八日。
ミレーナに付きっきりでアドバイスを貰い、時にくだらない事で笑いながら過ごした。
ところで、水戸が屋敷で目を覚ました時、初めにミレーナが使った魔法――水戸の身体を検査した魔法は、治癒魔法の一種だった。
それは水魔法の系譜であり、水戸もそのさわりだけを学んだ。
ところが、専ら水魔法の攻撃系は得意だったにも関わらず、治癒魔法はからっきしだった。
なんとか切り傷までは治せるようになったが――怪我の無いミレーナに魔法を行使して、それくらいの強度はあると言われた――それでも、そこから先に進む事ができなかったのだ。
ちなみに、この治癒魔法にいくらか時間がとられてしまった事は、お互いに口にしない事にしていた。
屋敷の自室に戻った水戸は、変わらず自分の食事を見に来るミレーナに言う。
「もしかして、適性が無いのが……雷魔法なんじゃないか?」
それを聞いた彼女は、あ、という顔になる。
思えばそうだ。水戸が魔力を測定する紙に魔力を流したら、結果として無色透明になった。
もしそれを“魔力が濃過ぎた”と仮定すると、それを何百と重ね、できるだけ色が残る様にして見た色は――。
「つまりあの黄色は……一番薄かった魔力の色という事……?」
言ってみて、彼女は理解する。
もしや、水戸の魔力は適性の無いものまでもが人間の考える基準に無く、それに伴って魔力を測る紙を通しても正確な結果が出なかったとしたら。
一番劣った適性を、“辛うじて容量オーバーしなかった”手のひらから見て一番外側の紙が色で示してしまったとしたら……。
「そうね。可能性としては……否定できないわ」
ただし、そんなのは聞いた事がない。言外に彼女は言う。
ぼそりと「人生の中でも……」と言った彼女に水戸は一瞬眉を顰めるが、それを誤魔化す様に言う。
「まぁ、それ以外の使い勝手が良い。良過ぎるくらいだ。だから全く問題ない――……あれでも、リベンジも成るしな……」
彼女の溢した言葉より数段小さな声。水戸は数日前の事を思い出し、決意を新たにする。
――そんな水戸の顔を見て一度はキョトンとするミレーナだったが、彼女も何かを思い出した様に部屋から退出したのだった。
夕食も終わり、人型――等身大のデッサン人形――が食器をひく。
入院ベッドの様な机を収納し、開放感を得た水戸は足を投げ出す様にして天井を見上げた。
(そろそろ、お暇しなくては、な……)
地獄から引き上げられ、こんなにも良い生活を与えられている。
正直言えば、いつまでもここにいたいのだ。
昼は魔法の訓練をして彼女と笑い合い、夜は前の世界よりも長い睡眠――最早、惰眠に等しい時間を享受できる。
食事は文句のつけどころが無く、毎日大企業の役員が食べていそうなフルコースを味わえる。――おかわり自由だったな、と幸せな笑いさえこみ上げるくらいだ。
そんな怠惰にも等しく、それでいて豪華な生活。全てにおいて不自由せず、しかも教養を与えられる生活。それを水戸は手に入れていた。
しかも困った事に、日々のミレーナの行動が、それを手放す事を阻む。
彼女は、同じ家の中だというのに、水戸から離れる毎に寂しさを隠さない。しかも極め付けは、水戸がステンドガラスの外を眺めていると、その度に悲しそうな顔をするのだ。
ここから去らないで欲しい。いつまでもここにいて欲しい。
ミレーナから感じる想いは、女性経験の無い水戸でさえも判り易い……否、判り易過ぎた。
(なんだって、そうまで……)
彼女の意図は分からない。しかし、そこから離れようとするのが愚かな行為だという事は確か。それを与えられなかった人達から見れば、唾を吐きたくなる愚行であることは明らかだ。
それでも水戸は思う。明日には、ここを旅立とうと。
理由、と言われれば、それは水戸にも分からない。否、分かっているが記憶がそれを表に出そうとしないのだ。
目的が確かに在って、それでいてその正体も、どこで、誰から聞いたのかも分からない、思い出せない。
複雑怪奇、不可解。そこにはそんな単語しか残らない。
――ただ、“その目的”を果たさなくては。その一点が水戸の無意識を占有し、意識の深層まで登って来ている。それは、確かな事。
そう、ここ二日のことだ。
漠然と、ただ漠然と、頭の奥底に存在する主張が、煌めき瞬く様にして脳内を席巻する事があった。それは偶然にも、昼間に放った雷魔法――空から振り下ろされる稲妻の衝撃にも似ていた。
降り注いだ圧倒的な光は、脳が処理しようとして、しかし明暗の制御が間に合わず瞼の裏が明滅した。水戸はその微小な時間の中で、脳を駆け巡る衝撃を得たのだ。
しかし、未だ正体は分からない。
その衝撃は壮大で荘厳で、雄大で豪気。まるで全ての偉大さを兼ね備え、圧倒する様な出来事だったと、体だけが記憶していた。
脳では処理しきれなかった出来事。それは、全身を駆け巡る血液だけが、熱を帯びる事で辛うじて憶える事のできた、人間にとって余りある衝撃だった。
――それでも、一つ。分かる事がある。
ここ数回にわたるその体験は、“とある意思”だけは明確に伝えてきていて、それはあたかも、耳元でそう囁かれている様だった。
『――討て。――救え』と。
「――あ゛~、訳が分からん……」
確実で不確かな体験。不確かで確実な――想い。
水戸はこの状況に、安直に“哲学”という単語を脳内に並べて、忌々しいその単語を、想像のアーチェリーで気晴らし気味に射抜いていった。
とはいえ、水戸の決意は変わらない。
謎の意思であるにせよ、ここでの暮らしを捨てる事を愚かな事だと分かっているにせよ、その他全てを排除したって、いつかはここを出る事には変わりなかった。
――子はいつか親の元を巣立つ。思えば単純な事だ。
自分の両親も大学に進学した時から半ば巣立ちを終えていた。新しい環境、新しい人々との交流、それらを経て両親は出会い――自分達の巣を持ったのだ。
水戸は、種の保存とか、そういった難しい事は知らないが、人間の営みの上で世代を引き継いでいく事の“重さ”は本能で分かっているつもりだ。
だから、水戸は理解していた。ここの環境にいつまでも身を置く事、それが甘えではなく、“停滞”である事を。
ミレーナだって、無限の知識を持っている訳ではない。悲しいが、あれから勉学の時間もなかった。
魔法だって、失礼だが彼女の知るところ以上、……それどころか、常識の範疇さえも吹き飛ばす程の魔法を自ら会得してしまった。
とどのつまり、ここでの生活を維持する事は、“立ち止まる”以外の何物でもないのだ。
「明日……。明日、ここを出よう」
巣立つ。そう言える程にここで生活はしていない。だから、安易にその言葉は使わない。
でも、もしかしたら実家に帰省するように、少しだけ立派になって帰って来られるかもしれない。
だから思う。それが出来るくらい、彼女の“息子”になったら、ここを第二の巣と呼ぼう。
あわよくば、第一の巣をつくれるくらい立派に育ったら、胸を張って帰ってこよう。
――絶望の中。異世界で初めて得たこの安らぎに、帰ってこよう。
水戸は、久方振りに訪れた強い微睡の中で、決意と未来を思って意識を閉じた。
――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ―――
「少し、出て来る」
目を覚ました水戸は、横にいるミレーナに言った。……起きる前からいたのは、初めてだった。
水戸は無言で頷く彼女から目を逸らすと、いつもの様に人型に連れられ衣裳部屋に行く。
そしていつもの冒険者服に着替えると、屋敷の外に出た。
「――相変わらず、と言ったところか……」
玄関の外に見える風景は深い霧、天を指す巨木。そう、全く変わらない。
昨日の今日で変わられても困る、と呟いた水戸は早速塀を越えた。
一度越えたらそこは視界を霧に奪われ、魔物を闊歩する地獄の世界だ。だが、最近は散歩気分で歩けるようになったのだから、自分も成長したな(?)と、頭を捻りながら器用に納得した。
それから歩くこと五分。
落ちていた木の枝(直径二十センチ)で巨木をガンガンと打ち鳴らしながら歩いていると、その音に導かれる様にして、彼等はやって来た。
「よ、久し振りだな」
「――ヴゥッ……」
通称、化け物オオカミ――前の世界で言うオオカミの五倍の巨体を持ち、体の関節から棘を生やした魔獣だ。
そのオオカミは頭にそそり立つ赤い角を水戸に向け、露出する程長い牙をカチカチと鳴らしている。しかし、初めての邂逅と違うところを挙げるとするならば、それは威嚇の唸り声が短く、違った感情を――明らかに、恐怖を含ませている事だろうか。
水戸は、その一匹が引き連れて来たであろう数十匹のお仲間を見据えて、言う。
「初めまして――の時は、まともに相手を出来なくて、すまなかった。なぁに、俺だって怖かったんだ」
ドンッ、と丸太の様な枝で地面を打ち鳴らす。それに伴って、オオカミ達がピクリと体を震わせる。
別に、力を誇示する訳でもないが、水戸は何故かこうする事が正しい様に思えた。
それから彼は枝を放り投げると、これまた意味があるのか、指の骨を鳴らして言う。
「あの時のお礼と俺の旅立ちに、どうか付き合って欲しいんだ」
礼儀がある様でない。その後の頭を下げる動作も丁寧というよりは緩慢で規律がない。
だが、その挑発ともとれる行動に、魔獣達の反応は予想に反して薄い。
「――さぁ。どうぞ“おいでなすってぇ”。さぁ」
挑発に次ぐ挑発――そういった事に慣れていない水戸はそう思っている。
だが、やはり彼等は動かない。初めの一匹もそうだが、それ以外の個体も全て姿勢を低くしながら重く唸り声を上げているだけだ。
だったら、と水戸は言う。
「しかたない。では、そのお心に甘えて、俺から行かせてもらおう――」
衝撃が、あった。
――直後、水戸の輪郭が変化する。正確には、水戸の周囲が揺らめき、衣服の上に新しい外装が追加される。
現れた兜には鬼を彷彿とさせる一対の角、左右を護る吹き返しの張り出し、首を護る襟廻し。
肩から上腕部を護る様に張り付く大袖。胸と内臓を護る胴。腰から腿にかけて垂れる佩楯。臑当。靴の周りに纏わせる足袋。
最後に、厳つい鬼の形相を持つ面――面貌を顔に現した水戸は、一歩を踏み出す。
当世具足と大鎧のハイブリッド。それを纏い、魔力の化け物となった水戸は、魔力を感じるとされる魔獣に対して、一歩、また一歩とにじり寄っていく。
ところが、ここでありがちなオオカミ達の“引き”が見えない。水戸は、ここは一歩踏み出す毎に一歩下がるのが礼儀だろう、と彼等に自分なりの礼儀を強要していたが、それは成らなかった。
――ならば何故か。簡単な事だ。彼等は動けないのだ。
唸り声に付随する様に、顔に刻まれた深い皺も、威嚇のヒクつきを起こしているかと思えば、そうではない。
ただ、動いていないのだ。
本能として強者には従う彼等も、目じりを下げようにも顔の筋肉が硬直して言う事をきかない。
どうにかして媚を売ろうと座ろうとする尻が、尻尾が、意思に反してその高さを維持してしまう。
地面を掻くのでは無く、ベタリと前足をつき頭を垂れようとしているのに、胸の下の空気が硬くて、それも叶わない。
ただ座るだけの動作。それが今はどこまでも遠い。
“絶対強者”に服従する本能に、体がついていかない。
だから、結果はこうなってしまうわけで……。
「そうか……。ならば――」
一呼吸。
「――咲け」
その号令で、大きな、余りにも大きな大輪が開いた。
雷魔法。それを行使した水戸を中心に、赤くて、水っ気があって、暖かい、歪な花が一杯に開いた。
それは濡れた地面をさらに濡らし、ただでさえ歩きにくい土地を軟い汚泥に変えていく。
そして、その赤い水が水位を減ずる頃、水戸は花びらの一つ――どの個体の物か分からない臓物を踏みつけて、呟く。
「なんだ、そこにいたのか」
やっと会えた。水戸は続けて呟く。
それは、オオカミに殺されそうになったあの時、水戸を救ってくれた英雄。
今見ている風景と“寸分違わぬもの”を見せた英雄。
遠慮も、配慮も――残酷な光景など見た事のない水戸に対して、何一つ慮る事のなかった英雄。
水戸は再度、やっと会えた、と呟く。しかし、その声は自分以外には届かず、あたかも“自らに”囁いているようでもあった。
そしてこうも言う。
「本当に、あの時はすまなかったな」
――こんな光景を見せることになって。
それはあの時、咄嗟に雷魔法を発動させ、水戸を救った“英雄水戸”が、残酷な光景を見てしまった過去の“凡人水戸”に対して言った、最初で最後の謝罪だった。