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軍師皇妃は街を出歩く

「城下が見たい?」

(ああ)、見ておきたい。……勿論、辺境や戦場になりそうな平野、国境付近の山脈なども見られれば良いのだが、それには疑われる危険が伴うしな。()ずは近場からだ」

「そうか」


翔呀ユゥグはそこで、ニヤリと何かを思いついたように笑った。


「二人ほど護衛をつけてやろう。行くと良い」








やはり何か企んでいたのだ、問いただすべきだった、と梨由リユンは思った。


「……様、梨由リユン様!」

「え?」

「どうされたのです、ぼうっとなされて」


翔呀ユゥグの側近だと名乗った青年が、梨由リユンの顔を覗き込んできた。


「……いえ、何でもありませんわ」

「それならば良いのですが。さぁ梨由リユン様、此方こちら(いち)にございます!」


両の手を広げて、子供の様にはしゃいで見せる青年に、梨由リユンは覚えず溜息を吐いた。

妙に無邪気な振る舞いが、どうもやり辛いのだ。


そもそもこの無邪気さ自体、天然のものなのか、それとも考えられた上で装われたものなのか未だ梨由リユンは見極め兼ねていた。

正直なところ、前者の方が梨由リユンにとってはたちが悪い。


いや、更にたちが悪いかもしれぬのは、梨由リユンたちの後ろを歩くもう一人の護衛の方か。


「……」


同じく側近と名乗る彼は、元来無口なのか知らぬが、一言も発しないのだ。

無骨で無口で無愛想。

何を考えているのか分からぬ様な者も、梨由リユンは得意ではないのだった。


あの皇帝、翔呀ユゥグは人を見る目はあると聞いていたが……こうも見事に梨由リユンの苦手とする類の人間を付けてくるあたり、その目は随分と確からしい。


だからこそ梨由リユンは、翔呀ユゥグをどこか、


——侮れぬ。


と感じているのである。ふぅと溜息のように深く息を吐いた。


「随分と賑わってますね」

「でしょう? 何か召し上がりますか?」

「いえ」

「あ、然し此方の店のは美味しいですよ! 此方のも……」

「あの、どうかお静かに」

「何故です?」


コテンと首を傾げられて、頭を抱えたくなった。


「目立っております」

「あはは、それでいいんですよ」

「……どういう意味です?」


今度は梨由リユンの方が首を傾げる番だった。

然し、青年はにっこりと笑うだけで、それ以上は何も言うつもりはないらしい。


——訳が分からない。

お忍びという自覚があるのだろうか。


勿論のこと男二人も軍服ではないし、梨由リユンも皇妃の服でこそないものの、貴族の子女とその護衛、といった雰囲気である。


これでは観光でこそあれ、調査には程遠い。

どうしたものか、と梨由リユンは考えを巡らした。


先ずの問題は、この護衛二人であった。


名前も名乗るには、明るい方が藜燈ライマ、暗い方が瑶秋ヨウシュンだそうだ。

どちらも梨由リユンには聞き覚えのない名前である。


じぃと、その姿を観察してみる。

藜燈ライマという方は、茶に近い黒の短髪に、愛嬌のある顔つきをしている。

頭に布と飾り紐を巻くのは昨今の流行りだと聞くが、実際にしているものは初めて見た。

背はそれなりだが……いやだからこそ、か? 動きが随分と身軽そうだった。


もう一人の方は、と梨由リユンはちらりと振り返った。

藜燈ライマとは対象的に此方の髪はふくらはぎに届くほど長く、一つにくくられている。

着物も古風であるし、動きは如何にも戦う者らしいそれである。

何より着目すべきはその長身であった。

背も六尺どころか七尺に近く、翔呀ユゥグやあの一の側近も背の高い方だと思ったが、それどころではない。


そして二人とも側近である。

——側近?


「そういえば、お二人は側近ということですけれど、護衛とは……」


遠回しに「出来るのか」と尋ねてみる。藜燈ライマの表情は別段変わらなかった。


「他の国では側近と言えば政務補佐のことなんでしたっけ」

「ええ、我が燕青国でも」


そう言うと、藜燈ライマの笑みが一瞬消えた様に見えた。が、気のせいだった様だ。

すぐさま元の表情に戻った。


「まぁ、俺らは側近と言えど軍属でもありますし、そもそもこの国における側近っていうのは寧ろ選りすぐりの武人ばかりですしねぇ」

「武人?」

「だって皇帝陛下自ら戦場に乗り込むんですもん。そばに付く俺らが弱くちゃあ話にならないでしょう?」


後ろで瑶秋ヨウシュンもコクリ、と頷く。


誰よりも軍人然とした、皇帝にして一個の軍人たる男。

それが琅 翔呀ユゥグ。軍人皇帝と名高き者。

その名は旅芸人の歌物語によく聞いたが、まさか真実とは思っていなかった。


梨由じぶんの兄であれば、と考えてみる。

彼であれば、自分の代わりに万の兵を戦場に送って、そして何も感じぬだろう。

民からすれば無情だが、然し皇帝が(たお)れば国が揺れる以上、それを間違いということもできなければ、翔呀ユゥグが戦場に出ることを正しいとも言えぬ。


だがそのやり方を貫いてきたという事実はただ、


「……凄いですね」

「陛下ですか? ええ凄いですよ、あの人は」


その表情は誇らしげで、彼が如何に翔呀ユゥグを好んでいるかが見て取れた。


羨ましい、と梨由リユンは少し思った。

自分の主に対する絶対の信頼。

梨由リユンはそれを持ち得なかった。


()の方になら、俺は何処までもついていけます」


青年はそう言ってから、ちょっと微笑んで付け足す。


「時々、先鋒すらやろうとするのは一寸ちょっと困りますけどね」

「ばっ——」


馬鹿か、と言いそうになって口を抑える。


先鋒なんて一番死亡率の高い役職だ。自ら務める皇帝がいてどうする……!

頭を抱えたくなるが、怪訝な視線に笑いを繕った。


「あ、でも清豹シンフェオ兄ィは軍属じゃないですよ」

清豹シンフェオ殿……(ああ)、一の側近の方ですね」

「はい。あの人は寧ろ丞相とかに近いです。

蔡郭サイカの初め、というのをご存知で?」


聞き覚えがある、と梨由リユンは顎に手を当てた。


「確か、(セイ)丞相のお話でしたよね」

「そうです。当時、名家である斉家の出来損ないとまで呼ばれた斉 蔡郭どのを丞相にするよう勧めたのが、清豹シンフェオ兄ィでした」


話を纏めればこうだ。

即位後すぐの頃、信頼できる有能な者を探していた翔呀ユゥグは乳兄弟である清豹シンフェオに案を求めた。


そこで清豹シンフェオは斉 蔡郭を丞相に立て、一言、「死馬すら()(これ)を買う」と言ったという。


それが今や、蔡郭サイカの初め、という故事にすらなりつつあるのだ。


「死馬すら且つ之を買う、(いわん)や生ける物をや……成る程、“先ず隗より始めよ”か」

「はい?」

「あ、い、いえ……」


女で学があると言うのは好まれないことが多い。

不思議そうな顔をされたが、曖昧に笑って誤魔化した。


「それでその斉丞相って……」

「ああ。彼が“死馬”であったのはあえて爪を隠していた一年だけで、その後は幾つもの改革を成し遂げ、今や蘭杳国の名丞相ですよ」


確かに彼の名はよく聞く。

然し実際に会ったというものは少ない。


「お会いしてみたいですね」

「あ、それは無理かと」

「何故です?」

「あの方は、それはもう人見知りで、普段は部屋から出てこないですから」

「はぁ……」


なんと言うか、皇帝が変わり者ならば周りも変わり者だということか。


梨由リユンは自分の秘密を知らせる可能性のある人間の中に斉丞相の名を入れていたが、こうなるとそれは如何なものかと思えてきた。


ううん、と唸る梨由リユンにふと、思いついたように、


「……ああ、そうだ、梨由リユン様」

「はい?」


藜燈ライマが笑った顔のまま、梨由リユンにずぃと近付いた。


「俺からも一つ、質問しても良いですか?」

「え、ええ、どうぞ」


藜燈ライマはそうして、何でもないことの様に言った。


「先日の朝餉の時の、あの涙は……全て、演技なのでしょう?」

「——え」


思わず言葉に詰まる梨由リユンに対し、藜燈ライマは続ける。

その笑顔は、最早凶悪さすら纏っていた。


「そして、貴女が、(いや)貴女こそが軍人玲瓏(リーロン)。違いますか」


違いますか、などと聞いているが、実際のところは、


——全て、分かっているのだ。


そう確信した梨由リユンは、藜燈ライマに負けず劣らず凶悪な笑みを浮かべた。


「ここは少し騒がし過ぎますね。何処か静かな場所をご存知です? 貴方がたと、もっとお話ししたくなりましたわ」

「奇遇ですね梨由リユン様。俺もきちんと話したかったんです」


その二人の後ろで、静かに瑶秋ヨウシュンが饅頭を頬張っていた。

この男、顔に見合わず甘党らしい。

《豆知識》


“隗より始めよ”…『戦国策』より。


戦国時代の中国、燕の国の皇帝が、郭隗という人物に良い人材を集める方法を聞いた。

郭隗は、昔、良い馬を集める為に死んだ馬の骨を高く買った男の話をした。


「死馬すら且つ之を買う、況や生ける物をや。(死んだ馬の骨ですら高く買ったのだから、生きた馬ならもっと高く買うだろう)。そう思って、沢山の良馬が集まりました。

なので、私のような凡人をまず優遇してください。そうすれば、次第に優秀な人材が集まってくるでしょう」


と言った。噂を聞き、多くの人が集まったと言う。

……ただよく考えてみると、郭隗さん、高職に付けてもらい、館まで建ててもらってかなり得してるよね、と言うお話。


↑意訳が少しあるのでご留意ください。



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