軍師皇妃は策を弄する 前編
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「陛下よ、梨由を粗略に扱ってくれ」
恒例になりつつある夜の軍戯の最中、玲瓏は唐突に言った。
月の綺麗な日の事だった。
あの初夜以来、玲瓏は翔呀を陛下と呼ぶ様になっていた。
自らの主として翔呀を認めたということなのだろう。
とはいえ、そんな事を回想している時ではない。
「おい、粗略とはどういう事だ?」
「ぞんざいに扱ってくれ、という意味だが」
「そんな事は分かっている。意図を問うているのだ」
翔呀がそのまま一手させば、それは悪手だ、とぴしゃりと指摘される。
パチリ、パチリ。
翔呀が別の手を打つと、続いて間を開けることなく、玲瓏も打った。
「少し拙いことになっている様なのでな、策を練っている」
「策だと?」
「ああ、玲瓏は軍師だからな」
——パチン。
玲瓏が一際大きな音で駒を盤に置いた。
「軍師はさながら息をする様に、策を練るものだ」
そう言った時の玲瓏の眼光に、翔呀は改めて向かいに座るのが皇女たる梨由でなく、軍師たる玲瓏であることの意味を理解した。
此の夜の軍戯の間、玲瓏がその仮面を外したことは一度も無い。
其処までは翔呀を受け入れていないという意思表示かと思ったが、違う。
彼女は軍師として、翔呀と話しているのだ。
翔呀は一手打って、目の前の軍師に相対する。
「……目的は何なのだ」
「言えぬ」
「何だと?」
翔呀が睨みつければ、玲瓏も睨み返した。
「陛下は口を出されるな。此れは、梨由の問題だ」
「梨由の? 玲瓏のではなくか」
「……これ以上の詮索はなされるな」
拒絶する様に盤上に視線が戻される。
駒を一つ手にとると、玲瓏はそれを指で弄んだ。
「知らない方が良いのだ、陛下よ。知らぬが花という言葉があろう」
「ああ」
「無知は罪、有知は罰という言葉もある」
「其れは知らんが」
「……ちなみに後者は今私が作った」
「おい」
思わず翔呀が声を上げれば、玲瓏はすまぬ、と言ってくすくすと笑った。
「然れども陛下、知らぬ方が良いと言うのは真であるぞ」
「何故だ」
仮面から僅かに覗く唇がにやりと笑う。
「その方が面白いからだ」
「は?」
それから玲瓏はいきなり立ち上がって、
「陛下よ、どうか暫しお待ちを。
一つ、余興をお見せ致します」
恭しく腰を折ってみせた。
ふさり、と仮面に付けられた飾り毛が舞う。
軽く上げられた視線が全てを物語る。
面白いものを、見たくはないか?
そう問うている。
翔呀は自分の唇が緩んでいくのを感じていた。
やはり、此の女は面白い!
「いいだろう。ならば見せてみろ、軍師玲瓏よ」
「是、陛下」
玲瓏は更に深く腰を折った。
「必ずしも」
「ああ」
再びにやりと笑って——そして呆気ないと思う程ストンと、玲瓏は元の様に椅子に腰掛けた。
「所で陛下。先刻のも又、悪手であったな」
「は?」
「王手だ」
「なぁっ!?」
「……成る程、最近の陛下の態度はそういう訳でしたか」
「ああ」
「流石に陛下にしても、飽きるのがあまりに早過ぎると思っておりましたから、漸く納得できました」
玲瓏の“策”についてのことを話せば、清豹はそんなことを言った。
ちなみに清豹の言う最近の態度とは、政務室に尋ねてきた梨由を追い払うだとか、朝餉の時に一切会話しないだとか、その様なものである。
「十中八九、その目的は側近らや近衛兵、将軍も含めた貴方様の部下の不満解消でしょうね」
「不満?」
「色々と、声が上がっておるのです。ほら、梨由様は玉座の間で随分とその……尊大に振舞われたので」
「成る程」
確かに元とは言え敵国の皇女が自らの主に対して無礼な態度を取れば、其れは気に障ることだろう。
「それなのに皇帝の寵さえ得ているようだ、ああ皇帝の物好きにも困ったものだ……と、俺の悪評にすら繋がる訳か」
「その通りですが……」
自覚があるのならば直す努力をしてくださいませ、という清豹の言葉を、煩い、と翔呀は一蹴した。
「然し、今のままでは何ら意味の無い様に思えますが」
「む?」
「幾ら日中は酷く扱われておられると言えど、毎夜尋ねられているでしょう?」
「ああ。夜は行かない方が良いかと問うたら、来て欲しいと言われたからな。まぁ、一局さす程の時間だけだが」
少し嬉し気に言うが、其れの真意を図り兼ねているのは翔呀とて同じだ。
「大丈夫、なのですか。このまま玲瓏殿の策に乗って……」
「大丈夫か? 其れは知らん」
「そんな」
少し心配性の気がある側近に、翔呀は泰然と笑ってみせた。
「彼の女はな、俺を試したのだ」
「? はぁ……」
思い出す。初夜の日、合格だと言い放った不遜な態度。
「ならば次は、俺が彼奴を試す時ではないか?」
——俺にも、試させてもらうぞ。
「お手並み拝見だ、軍師」
そして、数日後の朝。
此の国のしきたりに沿って、隣に座って朝餉をとっていた二人だが、やはり一切会話は無い。
何時もは重い沈黙の満ちるその空間は然し、今朝は妙に騒ついていた。
誰もが梨由に視線を送っている。
つられて翔呀も其方を見て——ぎょっとした。
「陛下、妾はもう……」
梨由は、
「耐えられませぬ」
泣いていた。
諸事情により前編と後編を分けました。
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