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軍師皇妃、命を狙われる

シリアスです。

夜。

玲瓏リーロンの部屋を訪れた翔呀ユゥグが目にしたのは、普段通り、椅子に腰掛け軍戯盤に向かう玲瓏リーロンと、そして、


「……?」


机に置かれた一杯の茶だった。

玲瓏リーロンが淹れてくれたのか、と一瞬思ったが、すぐに否定する。

まさか、であるし、何より手に取った茶はとうに冷め切っていた。


そんな翔呀ユゥグをちらりと見やって、


「ああ、陛下よ。気をつけられよ、その茶は——」


玲瓏リーロンは自陣に駒を並べながら、なんでもないことのように言った。


「毒入りだ」






「毒、だ?」

「ああ」


玲瓏リーロンは平然としている。

翔呀ユゥグはその向かいに腰掛け、いささか身を乗り出した。


「まさかお前、飲んだのか」

「飲んだ」

「っ!!」


翔呀ユゥグの顔が引きつったのを見て、玲瓏リーロンはクククッと笑った。


「安心なされよ。こうして座っているのだから、大事ないことは分かるであろう? 私は毒に耐性もあるし、飲んだのも少量だしな」

「……そうか」


ふっと翔呀ユゥグが安堵すると、ただ、と玲瓏リーロンは付け足した。


「ただ、体に溜まる毒だ。長期に渡って摂取すると病のような症状が出る」

「大丈夫なのか」

「ああ」

「……狙われたのは、どちらだ?」


聞けば、フンと鼻を鳴らされた。


「この部屋の主だ」

「……梨由リユンの方か」


まあな、と玲瓏リーロンは何ともなしに言う。


軍師という生き物は、騙し騙される世界にいる。

そのことは翔呀ユゥグとて理解していたが、こんなにも自らの命を狙われることに冷静でいられるものなのだろうか。


玲瓏リーロンは、変わらず落ち着いた声音で続けた。


「しかし、毒が入っているのが茶であること、そして長期に飲ませられる立場にあることを考えると……恐らく、梨由わたし付きの女官の中に、毒を仕込んだものがいるな」

「女官? ああ、その為に女官に変装していたのか」

「え?」

「ん?」


玲瓏リーロンには珍しく、きょとんとした顔で見つめられた。


「……違うのか?」

「ああ……いや、違わぬ。違わぬぞ」

「今の間は何だ?」

「ちと痰が絡んでな。ゴホンゴホン」


嘘くさい、と翔呀ユゥグは思ったが、追求すれど煙に巻かれるのが分かっている。

そうかそうか、と言って話を進めることを選んだ。


「それで、毒を入れた女官に心あたりは?」

「新しく入ったものが怪しい……と思うが、少し前に人員は一気に増やされたからな」

「その中におれば、特定は難しい、か」

「ああ。それに、もし新たに入ったものに目を向けさせる為にあえてこの時期を選んだと考えるなら、むしろ怪しいのは古参の者になるが」


然し、後者の可能性は低いだろうと玲瓏リーロンは思っていた。

梨由リユンの輿入れが決まったのはそう前のことでない。

それに、玲瓏リーロンの考えが正しければ……。


「お前は」

「……ん?」


いつの間にか、思案に沈んでいたらしい、翔呀ユゥグの声にはっとした。


「お前は……いや。何処でそんな知識を付けた」

「何処で、というよりも、母親から習った。森に入ってな、一通りの毒草と薬草を教えてもらった」

「そうか」


聞いたくせに、翔呀ユゥグの返答はどうも気のないものだった。


首を傾げながらも、駒を並べ終わったのだろう、玲瓏リーロン翔呀ユゥグに座れとばかりに向かいの椅子を示した。

翔呀ユゥグはゆっくりと腰を下ろすと、陣形を変更すべく幾つかの駒をいじった。


「ともかく、しばらくの間、私は女官の方への潜入に集中したい。敵を欺く意味も込めてしばらく体調を崩したふりをするが、心配なさるな、と。そう伝えておきたかったのだ」

「分かった」


——俺に頼るつもりは、ないのだな。


先刻、翔呀ユゥグはそう聞こうとしたのだ。

その強さに感嘆する一方で、翔呀ユゥグの内心には幾ばくかの不満が渦巻いていた。


翔呀ユゥグが他国の間者などを放置している理由は、前に蔡郭サイカの言ったことが大半だ。

しかし、その根底には、蔡郭サイカによって重要な情報などが厳密に秘されており、なおかつ今は戦時ではないからそう警戒することもないだろう、という思いもあった。


それはつまり、害がないということだ。


ゆえに間者でなく、刺客、あるいは暗殺者の類ならば、話は別である。

加えて翔呀ユゥグは、剣を用いる者、藜舜ライサオのような刺客よりずっと、毒を用いる者を嫌っていた……それこそ、憎いほどに。


然し、翔呀ユゥグはそれを見せることなく、一手目を打った。


すぐに玲瓏リーロンが手を返す。

そうして翔呀ユゥグが数手目を差したとき、珍しく玲瓏リーロンが一瞬詰まった。


「……ふむ」

「どうだ?」


それは、今日翔呀ユゥグがずっと考えていた手だった。

ここからの応手は難しくなる、然しそれこそこの軍師には……


「面白い」


玲瓏リーロンがニヤリと笑うのに、翔呀ユゥグも同じ笑みを返した。

その内心に、お互い渦巻くものを隠したまま。








朝になって、翔呀ユゥグと入れ替わるように、蕗春ルシュン玲瓏リーロンの部屋からの通路を用いて入ってきた。


「失礼します。……! それは……」

「ん?」


蕗春ルシュンの視線の向く方を見て、梨由リユンはああ、と少し表情を緩めた。


「だいぶ、詰められてしまった。危なかったぞ」

「……そうですか」


そう言って、先程まで打ち合っていた盤を優しく……何処か愛おしげにすら見える様子で梨由リユンは撫ぜた。

しかし、その表情も一気に冷めると、


「それで、何か分かったのか」


蕗春ルシュンに問うた。

彼の手に持たれていたのは、例のお茶と、それを入れていた碗である。


「調べてみたところ……やはり、毒は器でなく茶の方についていました」

「そうか」

「そして、やはり使われていた毒は、辰砂草でした」

「……そうか」


辰砂草は蘭杳国に多くある草ではない。

蘭杳国よりも東方……そう、燕青国で多く採れる草だ。

それを、恐らく茶葉に混ぜたのだろう。


つまりこの刺客は、


「燕青国からの、者か」

「……そうかと、思われます」


蕗春ルシュンの表情は沈痛だった。

蕗春ルシュンにとって、梨由リユン、そして玲瓏リーロンは命の恩人なのだ。

その命が故国から狙われているとあっては、冷静ではいられないのだろう。


その気持ちを、梨由リユンは頭では理解した。

理解したが、事実感情として受け入れられることはなかった。


梨由リユンは自分の命を、そう重くなど思ってないのだ。

もし、何かをなす為に死ななければならなくなった時。

梨由リユンはその命を捨てることに、躊躇はしないだろう。


ただ、今がその時で無いだけで。


それにしても、と梨由リユンは落ち着いた調子で呟いた。


「これは、私が毒に強いと知っての所業かな」


だとすれば、燕青国からの宣戦布告だ。

今や梨由リユンを狙うことは燕青国を狙うことと同じである。

蘭杳国と戦争を始める準備があると、暗に示しているのか。


「それは……まだ分かりませぬ」

「ああいや、ただの独り言だ。しかし、恐らくそうではなかろうな。兄上も誰も、私が毒に詳しく、強いことは知らぬ」


せいぜい知っているのは梨由リユンの実弟である羚由レイユンくらいだが、その裏切りは考えていなかった。

姉弟の情、だけではない。

梨由リユン羚由レイユンの間にはとある密約があるからだった。


「然し、そうか。知らぬとなると……私の存在が、単に邪魔なのか」


恐らく、燕青国と蘭杳国の同盟を破り、梨由リユンの死を理由に再び戦争を始めるつもりなのだ。


もし今だ開戦の準備という準備はなくとも、いずれ戦を始めるとして……その時、梨由リユンという自国の人間のいる国を攻めることには非難が集まりうるが、敵討ちなら話は別だ。


自国で死なれては厄介な玲瓏リーロンという存在が他国で殺された。

そしてそれは皇族でもあった、となれば、世論はそちらに傾く。


厄介払いができ、そして大義名分さえも得る……ように、思えるが。


「これだから、兄者は阿呆なのだ。蘭杳国という鬼に挑むのに、私という金棒を送っておいて。それで金棒を折ったからとて、鬼は鬼に相違あるまいに」


ふう、と呆れたように梨由リユンはため息をついた。


「そして何より、玲瓏わたしを舐めすぎだ。兄者よ、貴方はいつも……」


コツリコツリと梨由リユンは駒を幾つか移動させた。


玲瓏わたしを甘く見過ぎて、負けるのだ」


並べられた盤上の駒々、それは昔、梨由リユンが兄に勝ったときの、そのままだった。

作中に使った辰砂草、ですが、こちらは架空のものです。

辰砂、というのが水銀であり、遅効性の蓄積毒である為、このような名前にさせてもらいました。


ちなみに昔暗殺などでよく用いられたのは水銀よりもヒ素であり、よく、銀の食器などを使って毒を見つける描写がありますが、この時使われているのはヒ素です。

ヒ素が含まれていると、銀は黒くなりますので。

水銀でも恐らく同じことにはなると思われます。


水銀の毒性が発見されたのは中世以後であり、昔は水銀を含んだ白粉がよく使われていました。

水銀を含んでいる白粉は白色が綺麗に出たそうです。

ただ、よく白粉を使う者は皮膚から水銀を吸収してしまう為、皇族や貴族などの死因には水銀中毒は多かったようです。

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