軍師皇妃はお披露目される 後編
祭りは一層盛り上がっていた。
藜舜がさながら水を飲むかのように酒を呷れば、同じ卓についていた男が崩れ落ちる。
五人抜き。
藜舜は杯を掲げてみせた。
「さすが、将軍!」
「底なしの酒豪だなァ!」
拍手と笑い声の中に翔呀が乱入する。
「おい、藜舜! 相手しろ」
「あはは、酔ってらっしゃいます?」
「酔ってはおらんさ。お前も男なら、酒を飲んだら剣を取れ」
「意味が分かりませんよ。それにお相手するなら……」
と、藜舜は群衆に合図して瑶絽を押し出した。
「……! !?」
無表情ながら、精一杯驚きを露わにしながら、頬にパンパンに詰まっていた菓子をゴクンと飲み込む。
「……俺?」
「よし瑶絽! 来い!」
「……」
味わえなかった分の菓子が惜しかったが、けれど今の酔っている翔呀なら、勝てるかもしれない。
そうすれば、より高級な菓子が……。
そんなことを考えながら、瑶絽が槍を構えかけた、その時だった。
「待たれよ、ご両人」
名前の通り玲瓏な声がかけられた。
其処にいるのは、仮面の軍師。
「なっ、お前……!」
思わず梨由の方を振り向くが、椅子は埋まったままだ。
ただ、梨由をよく知るものがじっと見れば、その髪が普段よりいくらか長いことが分かる。
替え玉。
当て付けのように思えた薄布もこの為だったのだ。
——面白い。
翔呀は内心ニヤリと笑いながら、
「何の用だ、軍師よ」
そう聞けば、群衆がざわついた。
今だ民に披露目されていなかった最強の軍師の登場に、盛り上がらないはずがない。
「いやいや、陛下。皇妃様にとっても勿論ですが、わたしにとっても、此れがこの国に来て初めての国事。やはり、参加したいと思いましてな」
「……どういう意味だ?」
聞きながらも翔呀にはその答えが分かっていた。
玲瓏につられたように、その顔が笑っていく。
「お相手願います、陛下」
「ふん……受けて立つ」
盛り上がりはついに、最高潮に達した。
「得物は何でいく?」
「剣で」
「そうか」
これを使ってくだせぇ、と武器屋の主人が二振りの剣を手渡す。
二人ともそれを試しに振りかぶると、お互い、示し合わせたように構えた。
「いざ、」
「尋常に——ッ!」
カキン、と火花さえ散りそうな勢いで剣がぶつかった。
二人は一旦離れ、そしてまた剣を交わす。
キン、キィンというその音が、拍子を刻んでいることに気づいたのは誰が初めだったか。
「これは……」
「……剣舞だ……!」
翔呀は荒々しく、野生的に、
玲瓏は神々しく、流れるように舞う。
剣先が空気を切り裂き、掠め、そして引き合うようにお互いの剣へと向かっていく。
喧騒も鎮まるほどに、誰もが二人の動きに見とれていた。
「誰か楽を!」
玲瓏が叫べば、誰かが剣舞に合わせるべく、楽器を鳴らし出した。
玲瓏に配慮したのか、燕青国でも歌われているという曲だ。
——成る程な。
翔呀は思った。
酔っているとは言え、翔呀を負かすことはできず、また負かすわけにもいかぬ。
だからとて、大衆の前で負けることを良しとする性格でもない。
だからこその、剣舞。
剣舞ならば、この曲の終わる時が終了の時だ。——例え勝敗が着いておらずとも。
「やはり、やるな玲瓏よ!」
翔呀の顔は覚えず喜色に満ちた。
そもそも翔呀には剣舞などを踊るつもりなど毛頭なかった。
だのに、誘導され、気づけば剣舞の動きへと持ち込まれていた。
打ち合う瞬間の、一瞬の視線の交錯。
仮面の向こうの瞳は、先日のものとはまるで違う。
曲が終盤に近づいてくる。
翔呀も玲瓏も、名残惜しさを覚えた。
観客らを沸き立たせる興奮など、本人らのものの一部にしか過ぎない。
この歓喜は、見ているだけの者には、決して分からない。
そして——ダン!
太鼓の音が響いて、曲は終わりを迎えた。
せりあっていた剣を互いに引き、そして一礼する。
一瞬だけ沈黙し、遅れて拍手と歓声が辺りを包んだ。
こうして、軍師玲瓏は、新たに蘭杳国の者として、民に向かい入れられた。
……そして拍手が鳴り響く、その時。
誰一人として、梨由のいた場所へ視線を向けるものはいなかった。
「あれで、宜しかったのですか」
仮面を外し、梨由に戻った時、まずそう声をかけてきたのは、清豹だった。
「何がだ?」
「あの様に……敢えて自らの、梨由様の存在を薄めるような真似をなさるなど……」
ふっ、と梨由は笑った。
燕青国にいた時から、正体を知る者たちには何度も聞かれた問いだった。
梨由はその時と全く同じに答えた。
「問題ない。梨由から玲瓏に目線がいくのは、むしろ喜ばしいくらいだ。
私は影で良い。陛下との不和を疑われない限り、私の存在は、忘れられるくらいの方がちょうど良いのだ……色々とな」
その言葉は、過去に聞いたよく似たそれを彷彿とさせ、清豹は思わず眉を寄せた。
梨由は清豹とは反対の向きを向いていて、表情は窺えなかったが、恐らく、昔その言葉を言った人物と同じ顔をしているのだろう、と思った。
「梨由様」
「む?」
「かつて……幼い少年であったある方が、こんなことを仰いました」
突然何を言い出すのか、と梨由は清豹に向き直る。
清豹は痛みをこらえるような顔をしていた。
「『俺は誰にも注目されないとしても、そして誰もに嫌われるとしても、別段構わない。ただ、大事な人だけを守ることが出来たら、それで良い』——と」
「……其奴は、」
梨由はその結末が決して幸せなもので無いことをその表情から悟りながらも、聞かずにはいられなかった。
「其奴はその後、一体どうなった?」
「……その一番大事だった方を、失いました」
ハッと、梨由は自分の中に浮かんだ恐怖を吹き飛ばすかのように笑った。
「それから?」
「それから……その方は、様々なことに傷付き、傷付けられ、自分を責めて……強くなられました。
果たしてそれでも、今幸せであるのか、私には分からなくなりましたけれど」
「……そうか」
なぁ、と梨由は雑ともとれる口調で聞いた。
「今の話はもしや——陛下の、ことか」
「……さぁ、どうでしょうね」
清豹は曖昧な表情を返すだけだった。梨由がその顔を少し睨んでも、微塵も揺れることはなかった。
「では、私はこれで」
「ああ」
「そうそう、一つだけ言い忘れておりました」
と、去ろうとしていた清豹は振り返る。
「先ほどの話したことは……決して陛下にはお伝えなさらないようにお願いしますね」
そう言って笑う清豹に、梨由は言葉を失った。
先ほどの煙に巻くような発言は、一体なんだったのだ!
「はぁ……」
梨由は思わず、深く溜息をついた。
梨由であれば……否、梨由でなくとも、その答えが分かってしまう。
然し、それを敢えて聞かせた意味を——梨由はまだ、計り兼ねていた。