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軍師皇妃は丞相と話す

玲瓏リーロン殿は、この国の一番の問題は何だと思われますか?」

「そうですね……資源の少なさ、でしょうか」

「ほう」


玲瓏リーロンは珍しく、敬語で返答した。


「海に面していない為に塩の供給を他国に頼っているというのも、戦となれば弱みとも成り兼ねませんし……」

「ふふっ、やはり戦を前提に考えられているのですね」

「まぁ、軍師ですから」


さて。

この会話、見る限りでは一国の丞相と軍師の物として最もたる物に見えるだろう。

然し、実際はこの二人……反対を向いて会話しているのである。






玲瓏リーロンが部屋に至ってまず疑問に思ったのは、貴人の部屋だというのに、衛士の一人もいないことだった。

追いついてきた蕗春ルシュンに目配せをして、扉の前で揖礼(ゆうれい)する。


(セイ)丞相、軍師玲瓏(リーロン)、今至りましてございます」


お入りしても宜しいでしょうか、と玲瓏リーロンがそう問うや否や、室の中からガチャン、ガチャンガチャンと音がする。

鍵を開ける音だ。

錠前では衛士の代わりには頼りないと思うが、それでも人を近づけたくは無いのだろう。


それから、落ち着いた雰囲気の声が聞こえた。


玲瓏リーロン殿のみ(﹅﹅)、お入りくださいませ」


話していない蕗春ルシュンの存在にも気づいていたらしい。

騙すわけではなかったのだが、気配に聡いという話を聞いたので、試してみたくなったのだった。

蕗春ルシュンは黙ってサッと扉の横に寄る。


ぎぃ、と扉を開いた。


丞相の姿は見当たらなかった。どこに行ったのだろうか。

丞相の部屋というだけあって、かなり広い。

積み重ねられた竹簡や木簡、紙などが如何にも仕事部屋と言った風情である。


ただ。極めておかしなところがあるとすれば、椅子だった。

椅子自体が奇妙であるのでなく、その向きが奇妙なのだ。

それは扉に向けて、つまり部屋の主に背を向けるように置かれていたのである。


「……?」


置物か何かだろうか、とも考えたが、置いてある場所にせよ形にせよ品にせよ、客人用の物であることに間違いなさそうである。

ただ、向きが反対のだけで。


玲瓏リーロンは反射的に、その向きを正そうとした。

瞬間、


「ああ、動かさないでくださいっ!」


悲鳴のような声が飛んできた。

よくよく聞いてみれば、


「……(セイ)丞相?」

「そのままっ! 振り返ることなく、また動かすことなくお掛けくださいっ!」


おずおず、といった様子で玲瓏リーロンはその椅子に腰掛けた。

目の前に見えるのが入ってきたばかりの戸であるのが、それはもう奇妙な印象を抱かせる。


「ふぅ、やっと落ち着いて話せます」

「……」


言葉通り、途端に落ち着いた声を出す蔡郭サイカに、玲瓏リーロンは何と返すべきか戸惑った。

彼女にしては、珍しいことである。


「驚かせてしまいましたでしょう? 僕は、人と面と話すことが出来ないものでして」

「……左様ですか」


相手の丁寧な口調につられて、思わず敬語になってしまう。

流されてしまうのも、また玲瓏リーロンにしては珍しい。


蕗春ルシュン殿には悪いですが、二人以上の見知らぬ方といることにも耐えられませんので、外に居ていただくことにいたしました」

蕗春ルシュンをご存知でしたか」

「ええ勿論。城で働く者はほぼ皆覚えております。

貴方と先刻の訓練で戦い、敗れ、監視を申し出た青年。右軍の精鋭部隊の所属にして、貴方の抱えの隠密、ですよね」

「っ!?」


動揺は出すまい、と玲瓏リーロンは一つ呼吸を置いた。


「……なぜ、それを?」

蕗春ルシュン殿に関わらず、この国に潜む他国の間者の類は皆、知っております。そもそも、兵士にせよ女官、文官にせよ、雇い入れる際、身辺調査するのは僕の仕事の一つですから」


有能、という言葉では足りない男。

そう玲瓏リーロンの師匠が蔡郭サイカを称したが……その理由が少し分かった。


「陛下はご存知ないようでしたけれど」

「それは、陛下自身が拒否されたからです」

「拒否?」


ええ、と返答し、これは昔、陛下がおっしゃったことなのですが、と蔡郭サイカは続けた。


「『もしもこの国に間者がいたとしても、俺はその者が間者であると思いながら接したくはない。そもそも、この国が裏切りたくなくなるほど魅力的な国であれば、何の問題もないことだ』——と。そう、陛下が」

「……それはそれは」


無茶なことを言う。

実際に隠密を抱える身としては、玲瓏リーロンはその言葉が夢物語のようであるとしか思えなかった。


愚かである、けれど。

そんな国であれば、と確かに思う。


「陛下はきっと、この国の歴史を見ても稀なほどの名君になるでしょう」

「……」

「例えならずとも——僕が、僕たちが陛下をその名君にします」


声だけであるのに、否、声だけであるからこそ、その真剣さが伝わってくる。


玲瓏リーロンは全く別のところで納得を覚えていた。

翔呀ユゥグら蘭杳国の者たちが、仮面の表情の分かりにくさに不平を言わない理由、である。

成る程、声音だけで感情を判断せねばならぬ相手と比べれば、仮面と言えど顔を向き合わせている相手の感情の方が読みやすいものであるだろう。


「今日は、この話をする為に……?」

「え? いいえ、ただ陛下の妻となられるお方と、お話ししてみたかっただけです」

「そうですか」


クスリと、後ろで笑う気配がした。






カタン、と戸が開く音で蕗春ルシュンはハッとした。いつの間にか、ふと眠ってしまっていたようだった。


辺りを見回すが、人影はない。

というよりそもそも、この辺りは人が滅多に近づかぬようにしているのだった。


「失礼致しました、(セイ)丞相」


玲瓏リーロンは戸を閉めた上で一礼した。パタパタと蕗春ルシュンが駆け寄る。


「有意義な話はお出来になりま……痛っ」

「寝るとは何事だ、不用心にもほどがある」


蕗春ルシュンの額を強烈な指弾が襲った。

痛みに思わず打たれたところを摩りながら、歩き出した玲瓏リーロンを早足で追う。


「えへへ、すみません。それで……」

「有意義な話か? そうだな、陛下のことがまた少し分かった」

「へぇ」

「陛下はついていきたいと思わせる君主かと思っていたが、違った。

率いてほしいと、そう思わせる君主なのだな」


ついていくのでなく、自分らを引っ張り上げてもらう為に。自分らの前にいてもらう為に。

そうして、多くの者たちが翔呀ユゥグを押し上げる。


私が知らなかった君主の形だ、と玲瓏リーロンは呟いた。


「随分、充実した時間を過ごされたようですね」

「それは……どうだろうか」


玲瓏リーロンの声が途端に苦渋に満ちた。


「まぁ前半は確かに充実していたが……」

「前半?」


顔をちらりと覗き見ると、なんだか疲れたような表情をしているのが蕗春ルシュンには分かった。


「では、後半は何の話をなされたんです?」

「半刻にわたって……丞相の奥方の惚気話をな……」

「ああ……」


蔡郭サイカの愛妻家っぷりは有名である。

玲瓏リーロンにも、惚気て良いのですよ、と言われたが、残念ながらその手の話の持ち合わせはない。


「奥方様……彩鳴タァナム様、だったか」

「ええ。何と言うか、どんな場にも溶け込めるお方ですよ」

「ふうむ。丞相とはあまり似ていないのだな」

「いえ、そんなこともないのですが……」


そうなのか? と玲瓏リーロンが首を傾げれば、蕗春ルシュンは曖昧に頷いた。


「それにしても、やはり陛下の周りは変人が多いのだな」

玲瓏あなた様に言われたくはないでしょうけどね」


この後、蕗春ルシュンがまたもや額を指で弾かれたのは言うまでもない。

《豆知識》


揖礼(ゆうれい)

礼の一種で、挨拶や発言の際に使われる。

腕で円を作るようにして掌を正面で重ねたもの。ちなみに、左手が上。

中華ものではよく出てくるので、見たことのある人もいらっしゃるかもしれません。


◯指弾

要するにデコピン。


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