第34陣 いつも側に
間に合わなかった。
もう少し早ければヒスイ様を助けられた。
それなのに、今彼は大きな怪我を負って、今私の目の前で眠っている。
「ヒスイ様、一体何が……」
彼を見つけるのは簡単だった。姿を消したと思われるその場所に枯葉倒れていた。
背中に大きな傷を負って。
そして何故彼は姿を消していたのか?
謎ばかりが残っていた。
「ノブナガ様、サクラギヒスイの容態の方は」
目を覚ましてくれるその時を待っていると、ミツヒデが部屋に入ってくる。
「未だ目を覚ます様子はありません。かなり傷が深いせいだと思います」
「そうですか。でもノブナガ様もそろそろ寝ないと、体調を崩してしまわれますよ?」
「心配してくれてありがとうミツヒデ。でも私は大丈夫ですから」
「無理だけはしないでください」
そう言ってミツヒデは部屋から出て行く。
(心配をかけてすいません、ミツヒデ)
私は心の中で彼女に詫びた。彼女の言う通り私も少し休むべきなのかもしれない。
けど少しでも長く彼の側にいてあげたいと思っている自分がいる。
彼の抱えている傷を聞いて、その想いは一層強くなった。
私はサクラさんのようにいなくならない。
彼を苦しめたりしない。
そう信じてもらうために少しでも長くここにいたい。
(だからあの提案も、自分のためにしたのかもしれないですね……)
心の傷を癒せるなら、力になりたい。
ううん違う。
彼の傷を癒せるのは私だけでいたい。その気持ちが膨れ上がっていた。
(この気持ちってもしかして……)
◼︎◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎
『忘れないでサッキー……。私はいつでも……』
どうしても思い出せない。サクラの偽物が言っていた言葉の意味が示すものを。
俺はとても大事な何かを忘れている。大事な大事な何かを。
(サクラ! どこにいるんだ、サクラ!)
その為に俺は彼女をひたすら求め続けていた。アテも何もないけど、いつかもう一度会えるのではないかと、彼女を追い求めていた。
だからあの頃の夢を見た。
だから俺は、あそこでサクラの幻を見た。
だから俺は……。
俺の事情を全く知らないはずの、今川義元に騙された。
何故彼女はあの場にいたのか?
何故彼女は知らないはずのサクラの幻を出せたのか? そしてどうやってあの空間を作り出したのか?
この時代の深まる謎と何か関係しているならば、恐らく彼女は只者ではない。
(誰かその答えを……教えてくれ)
『教えてあげるよ』
「え?!」
誰かが俺の言葉に対して、返事をしたような気がする。だが目を開いた先に俺を待っていたのは、
「あれ? ここは?」
俺がかつて旅した異世界、ディリアモンデだった。
「な、何で?」
俺が目をさますべき場所はここではない。ノブナガさん達のところだ。
「しかもここって……」
今俺が立っているこの場所に見覚えがあった。ここは全ての終わりを告げたあの場所。サクラが俺を庇って、倒れたあの場所。
『何でだよ、何で俺なんかを庇ったんだよ……サクラ!』
そして目の前では、思い出してくないあの忌まわしき記憶が再生されている。
(何で今こんな物を……)
『どうして……かな。体が勝手に……動いちゃってた』
『だからって、こんな俺のために命を張る必要なんてないのに……』
彼女は世界を救った英雄。
俺はそれを支えただけの魔法使い。
どちらの命が大切なのか? そんなの言わなくても分かる。それなのに彼女は、俺の命を守った。
『サッキーの……命だから守ったんだよ……』
『え?』
『サッキーは……私にとって大切な存在……だから守ったの……。それにサッキーには帰る世界がある……でしょ?』
『確かに俺にはある。だけどお前にだってあるだろ!』
どんどん声が弱々しくなるサクラに、その時の俺は号泣しながら叫んでいた。
そして今の俺も……。
(俺には帰る場所があった。けどサクラにもある。それなのにあの時)
『私には……帰る場所……ないからいいの。ここだけが帰る場所……だったから……』
何で彼女がそんなことを言ったのか分からなかった。
『どういう意味だよ、それは』
『私にとって……皆が家族だった……。そしてサッキーは……その中でも一番大切な……人だった……』
『それは俺も一緒だ。だからお前がいなくなるのは、考えられないんだよ。頼むから……死なないでくれ、サクラ!』
消えゆく大切な命。
一番大切にしたかった命。
『大丈夫……。サッキーの側に私はずっといるから。だからこれは……おまじない……』
それが今消えていく。
俺の頬に優しいキスを残して。
『ばか……やろう』
それは愛しい人からの最初で最後のキス。
それは彼女が俺にかけた、小さなおまじないの魔法だった。
その時になって俺は気付いた。彼女の事が好きだったんだと。
『ありがとう……サッキー……』
彼女は、笑顔で最後にそう言って力尽きた。俺の腕の中で。
『サク……ラ?』
その瞬間、全てが終わりを告げた。
一つの命を引き換えに。
(そうか、思い出した……)
忘れようとしても、忘れられなかった。俺がずっと忘れられなかったあの長い旅の記憶。
楽しい思い出。
悲しい思い出。
いつかは消えてしまうのではないかと思っていた。けどそれはずっと俺の心の中に残り続けた、
それは何故か。
『やっと思い出してくれたんだね、サッキー』
「ああ。思い出したよ」
彼女が全てを忘れないように、おまじないの魔法をかけてくれていたから。そして、
「今度こそ本物なんだよな、サクラ」
『うん……』
姿形が見えなくても、彼女がずっと側にいてくれたからだった。
『本当サッキーは、何でもかんでも忘れるんだから』
サクラの呆れた声が聞こえる。だがどこを見てもその姿は見えない。きっと声だけが俺に語りかけてくれているのだろう。
「馬鹿、これでも一応忘れはしなかったんだぞ」
『嘘ばっかり。さっきだって、私の偽物に騙されかけていたくせに』
「あ、あれは……てか、見てたのかよ!」
『当たり前じゃない。私はいつもサッキーの側にいるんだから』
「そっか。ありがとうな」
その言葉が俺にとってどれだけ大切なものなのか、ようやく分かった気がする。
「なあサクラ」
『ん? 何サッキー』
だからしなければならない。
「俺……そろそろサクラの事卒業しようと思う」
サクラからの卒業を。
別に忘れるわけではない。けど前を進む為には、サクラという人間から卒業しなければならない。
ノブナガさんやヒデヨシ達と前を進む為にも。
『そっか。サッキーもやっと卒業か……』
サクラの寂しそうな声が聞こえる。自分を好きでいてくれた人が離れていくのがどれほど辛いものなのか、俺には正直分からない。
だけどこれだけははっきり言える。俺は今でも彼女が好きなのだと。
けど居ない人を思い続けても叶うはずがない。
だから勇気を出して一歩を踏み出す。
「勝手な事言ってごめんな。でもいつまでも未練たらたらに生きて行くのも格好悪いだろ」
『うん。そうだね。それがサッキーらしいよ』
(俺らしい、か)
これが自分らしさというのなら、それもいいのかもしれない。
『さてと、そろそろお目覚めの時間だよサッキー』
「やば、そういえばあれから意識を失ったままだった」
『偽物に騙されるから悪いんでしょ。ほら、しっかりしてね!』
背中が叩かれる感触がする。彼女が本当に触れられたのか不確かだが、それを感じられただけで、俺は元気が湧いてきた。
「よし、まだやる事もあるし頑張らないと」
『頑張ってねサッキー。私応援しているから』
その言葉を聞いて視界が滲む。泣きそうな自分を何とか堪えて彼女に言う。
「ありがとう、サクラ」
それは沢山の意味を込めた言葉。最初で最後になるかもしれないサクラへの言葉。
『元気でねサッキー。私はいつでもここにいるから』
「サクラも元気でな」
視界に光が溢れ出す。目覚めの時が来たようだ。
(本当に今までありがとう、そしてさようなら。サクラ)
最後に心の中でそう呟く。きっとサクラには届かないだろうけど、それでいい。
そして意識が覚醒する。
目に映ったのは心配そうに俺を見ているノブナガさんの顔。
(帰ってこれたんだな、俺……)
「ヒスイ様!」
◼︎◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎
それから数日後。
あそこでサクラと出会って以来、あの夢を見ることはなくなった。でも忘れる事は絶対にない。
それがサクラとの約束だから。
「まだ痛むなぁ……」
「槍で貫かれているんですから、簡単には治りませんよ。しばらくは安静にしていてくださいね」
「分かっていますよ」
そして俺はあの日を境に、少しずつではあるけど感情が変化していた。
「でも本当に何があったんですか? 突然姿が消えるだなんて」
「多分ヨシモトが、あの空間を作り出してそこに俺を誘ったんだと思います」
「その空間とは、ヒスイ様の魔法と似たようなものなのでしょうか?」
「恐らくは」
忘れていたがあれと似たようなものを一度見たことがある。ただその力を何故義元が使えるのか?
結局謎だけは残ってしまった。
「でも、その人物がヒッシーと関係があるなら、確実にこの世界の人間じゃないって事だよね?」
「多分な。そして恐らくではあるけど、俺がここに来てしまった事と、直接的ではないにしろ関係していると思う」
「でも私そんな話聞いたことないよ? 特にそういう話は」
「そうですね。今川家は今までも存在していましたから」
「それは分かっているんですけどね……」
今川義元は実在する人物。その彼女が異世界から来た人物だとしたら、義元が二人いるという可能性はある。
そしてその片方が俺のよく知る人物で……。
「そういえばヒスイ様、少し前にお話しした件、考えてくれましたか?」
「少し前の話?」
ノブナガさんが話題を変えるように切り出したのは、先日の俺のトラウマ克服の件。
「ああ、あれなら、もう必要なくなりました」
「それはどういう意味でしょうか」
「俺、サクラの事は吹っ切れたんです。夢だったのかもしれませんが、意識を失っている間に彼女と話ができました」
「亡くなられた方と話すってあり得るんでしょうか?」
「それはちょっと分かりませんけど、でも俺はそこで彼女の声を聞けたんです。そして気がつきました、サクラはずっと俺の側にいたことを」
「ずっと側に、ですか?」
あの時全てを失ったと思っていた。けどそれは違った。
俺は何も失っていないんだって。見ないけどそこに確かにあるんだって教えてくれた。
「だからもう、俺は迷わないって決めたんです。他の誰の為でもない、自分の為に。サクラから卒業しようって」
「そうですか。よかったですね」
「え?」
「これでまた誰かを好きになれるじゃないですか」
「ま、まあそうですけど」
そう簡単になれるものかな?
「これで私達も一安心です」
「ひ、一安心? 何がですか」
何か意味深なことを言うので恐る恐る尋ねる。
「だってこれで、ヒスイ様に誰が告白しても、受け入れてくれるんですよね」
「い、いやそこまでは言ってないですけど」
そんなことを言われ、俺は更に困惑する俺。それに対してノブナガさんは、
「楽しみにしていますからね、ヒスイさん」
優しく微笑みながら、そう告げるのであった。
(これは……困ったな)
サクラは乗り越えられたけど、ノブナガさんの未来は変わらないから、今度は別の問題に直面するする事になってしまう。
(でももしかしたら……)
その未来を変えられる可能性がないわけではない。




