第33陣 君の声に誘われて
もしこの時代、いやこの世界でそれが起きていないのなら、恐らく遠くない未来に起きてしまう。
そしてそれは同時に、早くもやって来てしまうノブナガさんとの別れだ。そんな中で、特別な感情を俺は抱けない。たとえノブナガではなくても、だ。
「ま、またまたぁ、ご冗談を」
流石の利休さんも動揺を見せる。
「信じてもらえないなら、それで構わないんです。とにかく俺はノブナガさんには」
言い直そうとしたその時、再び俺の視界は正気を保てなくなり始めていた。
『さ……き……』
だが今度は声が聞こえただけで、俺の視界は正常に戻った。
(まただ……誰かが俺を……)
「サクラギくーん?」
しばらくボーッとしていると、利休さんの声で現実に引き戻される。
「あ、ごめんなさい。ちょっと目眩がしただけなんで、部屋に戻りますね」
フラフラになりながら立ち上がる。
「サクラギ君、まだ話がぁ」
「また今度話をしますから、だから今日は帰ります」
おぼつかない足取りで俺は離れを出る。
(あの声、どうしてあんな所に……)
幻聴ではないはっきりとしたサクラの声が。彼女が亡くなってから一度たりともそんな声が聞こえてくる事はなかった。
(それなのにどうして)
『来て……サッキー』
そして再び聞こえてくる声。俺をそう呼ぶのはただ一人しかいない。
(行けばいいのか? サクラ)
俺はその声に誘われるように歩き出した。
「サクラギ……君?」
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知らぬ間にかなりの距離を歩いていた。
外はすっかり明るくなっていて、俺は見知らぬ地にただ一人放浪していた。
(どこだここ)
声が聞こえなくなってしまってから、しばらくが経つ。俺が辿り着いた場所、そこは、
(まるで屋敷みたいだけど……)
戦国時代のものとは似ても似つかない屋敷。まるで俺を歓迎しているかのように扉が開かれていた。
(とりあえず入るか)
躊躇うことなく中に入る。だが中は真っ暗になっていて、何も見えない。
(明かりもなさそうだし、どうするか)
そう考えていると、突然光が灯り玄関先が急に明るくなる。
「ようやく来てくれたね、サッキー」
そして明かりがついた先に、俺を待つ一人の影が見えた。そこにいたのは、少し短めの黒い髪、整った顔立ち。そして俺をサッキーと呼ぶただ一人の人物。
「サクラ? どうしてお前がここに……」
サクラだった。
「サッキーが何か大変なことに巻き込まれている、って聞いたから来ちゃった」
笑顔でそんな事を言うが、絶対にあり得ないのだ。彼女がもう一度俺の目の前に現れる何てことは。
「いや、来ちゃったじゃなくて。だってお前はあの時……」
俺を庇って死んだはず。それなのに、どうして?
「そっか。サッキー、忘れちゃったんだ」
「忘れたって、何をだよ」
「思い出せないならそれでいいや。それよりさ、私サッキーに一つ提案があるんだ」
「提案?」
まだ色々聞きたいことがあるが、今はとりあえずその提案というのを聞いてみる。
「サッキーさ、またこうして私と再会できたんだからさ、結婚してまたあの世界で一緒に生きようよ」
「はい?」
それは、俺の予想を逸脱した提案だった。
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「ヒスイ様が行方不明?!」
その知らせが私の耳に入ったのは、様子がおかしくなった次の朝の事。
離れを出るまでは利休さんが知っていて、彼はそのときどうも足元がおぼついていなかったらしい。
「どうしてまた、行方不明だなんて……」
「ヒッシー、昨日様子がおかしかったですよね」
「そういえば昨日、突然倒れましたよね。それと何か関係があるんでしょうか」
「もしかしたら、あり得そうですよねノブナガ様」
前回の行方不明の際は、まだ理由もあったし、行動範囲も何となくではあるが分かっていた。しかし、今回に限っては理由も行動範囲も把握できていない。
二人が唸っている中、伝令が入ってくる。
「伝令! 桜木翡翠殿の所在の確認ができました」
「本当ですか? ではすぐに呼び戻してください。もしくは私が向かいます」
「それが一つ問題が起きていまして」
「問題?」
「実は……」
伝令からの報告は、私達の予想をはるかに超えるものだった。
「何もない所で姿が消えた?」
「はい。場所はここからそんなに離れていない場所です。恐らくヒスイ様を拾われた辺りだったと思います」
「確かにあの周辺はとくに何もありませんが……」
とても現実とは思えない話に、私とヒデヨシさんは戸惑う。けど伝令がある物を取り出した事で、それは確信へと変わってしまう。
「実は消えたであろう場所に、これが落ちていました」
「これは」
「ヒッシーが使っている太刀だ」
「私があげた太刀です。いつも持っていましたから、その辺りに落ちていたというのなら、恐らくそれは」
「ヒッシーがその辺りで消えたっていう証拠になる、ですか?」
「はい。信じられませんけど」
それでも彼がそこにいるのだとしたら、私達は向かわなければならない。
「ヒデヨシさん、準備してください」
「え?」
「今からヒスイ様の所へ私達も向かいます」
「は、はい!」
(ヒスイ様、待っていてください。必ず見つけ出してみせますから)
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「結婚って、何度も言うけどお前は死んでいる。そして俺はあの世界に戻るどころか、元の時代にすら戻れない。だからその提案は受け入れないぞ」
一瞬サクラの提案に、動揺をしてしまったが、色々と不可能なことがあるので、絶対に無理だと分かった。だがサクラは、引き下がろうとはしない。
「何を言っているのサッキーは。よく考えてみなよ、ここはサッキーがよく知る時代なの?」
「俺がよく知る時代?」
確かにここは本来の戦国時代とはかけ離れている。だから本当なのかは定かではないが、
(やっぱりか)
「お前……サクラじゃないな」
これで革新した。彼女はサクラではない。では誰がこんな幻影を俺に見せている?
「い、いきなり何を言い出すのサッキーは。私はサクラだよ」
「だったらどうして、俺の世界のことを知っている?」
「そ、それは……」
「とんだ墓穴を掘ったようだな、偽物。さあ、早くその姿を……」
ドスッ
そこまで言った所で、背中に何か強烈な痛みが走るのを感じた。それはまるで、何かに貫かれたかのような痛み。血が出ているのを背中から感じる。
「う、そだろ……」
「幻想空間、この世界ならではの方法だったんですけど」
あまりの痛みに意識が遠のき始める中で、屋敷が崩れ去り元いた場所に戻ったのを確認する。そしてサクラであった人物がそこに姿を現す。
「お前……は」
「おやすみなさい、サクラギヒスイ」
だがその名を呼ぶ前に、俺の意識は無情にも途切れてしまった。
(何が……どうなっているんだ……。この時代、いやこの世界は)
最後の最後に見たその顔は……。
「サクラギヒスイ、討ち取ったり」