過信している、大事なもの
投稿してから15回近く書き直してるので、見る度に違うかもしれません。
家族から離れて、『生きている?』なんて不吉なメールが、お母さんから届く。私は今までそれに文字入力最低記録を打ち立ててしまうことも、時々あった。
ん
という一文字だけ。姉が、『もっと字返せっ!』なんて叫んだ母を見たらしい。うん、ごめん。色々と言い訳は出てくるけれど、これからもそんなのをし続けたとしても、絶対に離れていかないなんて、変な自信があったから。
生きている事を、知らせばいい。
そんな風に甘えてしまっている。いつ、何が起こってお互い居なくなってしまうかも分らないのに。
心は一緒だから、喩え普段煩わしく感じていようとも。
家族の存在が私に安らぎ、前に進む力、居場所をくれる。気にしている、気にされている。その関係が当たり前で、意識せずとも繋がりがあって。話さなくても、用事がある時だけにメールを送るという行動をしても、呆れながら私の事を考えてくれている。心の片隅に居させてくれて、それはとても幸福なことで、私は家族を大事にしていきたい。
傍に居ないから、表情とか雰囲気から感じられる気持ちは、さすがに明確には分からない。悩んでいても、文字ではちょっとした機微なんて読み取れない。文字だからこそ、言えることがあると思う。でも、それは傍に居てもできる。逆は出来ないから。次帰った時は、ゆっくりと話を聞こう。会わなかった時間を埋めるように。
ねぇ、私も、皆何しているのだろうか、今日楽しんでいるだろうか、なんて考えているよ。伝えないだけで、大切に思っています。
これからもよろしくお願いします、こんな自由気ままな私だけど。
ちなみに、これを家族に見られると悶絶確定です。
小説を夢中で読んでいる時とか、話しかけられると不機嫌になってしまいますね。でも、無視せずそのままの気分で対応するのが私。心の中では「小説読ませろや!」なんてやさぐれていて、顔にすぐ表れるので、きっと伝わっているんだろうな。気分屋だから話したいときだけ集中して話す、無心or話したくない時は返事が異常に短い。(話したくない時は自分的に忙しいとき。でも、大抵そんなことは思っていない。無心に近い)
確実に自分から離れていかないと分かっていたら、その存在を時々確かめる、それでいいと思っているからなぁ。ただ”いつも”が崩れると物凄く不安になったりする。全て無常だから、これからも過信はできない。
なんて気を張ってしまいそうだけれど、もっと気楽に考えよう!自分!
過信っていうタイトルの言葉をやっと使えて満足。
もう、後書きとか活動報告がエッセイでいっか。