聖女から心を込めた中指を
いつからだろうか。
物心ついた時には『聖女様』と呼ばれていた。
大きくも小さくもない平凡な街の聖教の教会で孤児として育てられた私にとって、それは唯一の呼称だった。身だしなみには気を遣い、老若男女に分け隔てなくに手を差し伸べ、いつも笑顔を浮かべている。教えに背く事なく、自己よりも他者を慮る姿はまさに人々の望む聖女そのものだった。
そんな私は買い出しを兼ねた人助けが毎朝の日課になっていた。
行きつけの食料品店に顔を出すとジョンが待っていた。
「おはようございます、聖女様。はい小麦粉いつもの分ね」
「おはようございます、ジョンさん。毎回ありがとうございます」
ジョンから受け取った小麦粉の入った袋には少し違和感があった。いつもより軽かった。
「聖女様、すみません。最近、魔物やら盗賊やらが物騒でしてまた物価が上がりまして・・いつもの金額だとこの量になってしまって」
「そうなのですか。わかりました」
「いや、ほんと申し訳ないです」
「ジョンさんの謝る事ではないですよ。それよりジョンさんたちは大丈夫ですか?何かありましたらいつでも声をかけて下さい」
平謝りする彼に笑顔で語りかける。
店を出ると袋の重さに意識が移る。スープを水でかさ増しして、私が何食か我慢すれば大丈夫だろうか。配給の分も考えなければいけない。せめて育ち盛りの子供たちにはお腹一杯食べて欲しい。
上の空で歩みを進めていると誰かにぶつかり後ろによろめく。
「申し訳ございません。考え事をしてまして、大丈夫ですか」
「こちらこそすまない。よそ見をしていた。君こそ怪我はないかい?」
「はい、大丈夫です。あなたは・・この街の人ではないですよね」
黒髪に青い目、長身で細身だがしっかり筋肉のついた体をしている男。記憶の誰とも一致しない。何より身にまとう騎士団の制服がこの街のものではなかった。
「慣れない街で少々道に迷ってしまって」
「でしたら目的地まで私が案内いたしましょうか」
見た目に似合わず、しゅんと肩を落とす彼をほっとけるわけはなかった。推測するに新たに別の町から配属された騎士の方だろう。そうなると行き先はこの街の兵舎か宿屋あたりだろうか。
予想に反して彼の答えた場所は思いもよらぬ場所だった。
「ならこの街の1番美味しい甘味を出す場所に連れてってくれ」
「何処か行かれる場所があったのではないですか?」
「いや、早朝に少しばかりと思って散歩していたが時間的にどうせ抜け出した事はばれているだろうからせめてと思ってな」
「ふふっ」
思った以上に子供っぽい答えに自然と笑みが溢れる。
「ではこの街1番のスイーツ店へ連れて行って差し上げます」
メインストリートの一つ隣、人通りが減った街角には街の人のみが知る穴場のスイーツ店がひっそりと佇んでいる。
「では楽しんでください。私は失礼致します」
店先で一礼し帰ろうとする。
「ん?君は食べて行かないのかい」
「持ち合わせてがありませんので」
「元より君に払わせる気はない。ここまで案内してもらったお礼だ。好きなものを食べると良い」
背中を押されるように店に入店する。ドアを開けるとほのかに甘い匂いが香る。においにつられ自然と歩みが進む。
「ここは何が美味しいのかな」
席に着くとメニューに目を落とし問いかける。
「アップルパイはサクサクのパイ生地に甘さが詰まったリンゴが入っています。パフェは甘すぎない生クリームと多種の果物がお互いの味を引き立てます。バターと蜂蜜の乗ったふわふわもちもちの3段パンケーキ、この街の特産品の苺を使ったショートケーキもありますよ。それから・・・」
「君は甘いものが絡むと人が変わったようだな」
メニュー表ではなく聖女を見て楽しそうに微笑む。
「し、失礼しました」
我を忘れて話してしまったことに気づき、頬が赤く染まる。
「では、私はパフェをもらおうか。」
「わたしはこちらのシフォンケーキをお願いいたします」
店員に注文をすると店内を彩る甘い香りが強さを増す。
「君は見た目を見るにこの街のシスターかな。この街の教会はそれなりにいいとこだと騎士団で噂を耳にした」
「そうなのですか。かなり古い建物なので歴史はありますかね。でも特に変わったもののない一般的な教会だと思うのですが」
「いや、建物ではなく居る人がね」
「もしかして子供たちのことでしょうか。みんな良い子ばかりですから」
「やっぱり噂通り、優しい人なんだな」
子供たちの話に花を咲かせていると店員が注文の品を運んでくる。
目の前に置かれたそれは五感のすべてが食欲をそそがせる。しかし・・。
「どうした?食べないのか?」
「失礼を承知でお願い致します。このケーキ持ち帰らせていただけませんか。私の教会には孤児が何人も生活しております。私ではなくあの子たちに食べさせてあげたいのです」
自分だけこのような贅沢をすることは出来なかった。このケーキを選んだのも店員にいえば持ち帰り可能なものだったからだった。
恐る恐る彼の目を見ようとすると突然口の中にクリームの甘さが広がる。彼の手に持つスプーンが私の口へと入れられていた。
「な、なにを」
「君は気づいていないが頬がこけている。日頃から別の者に食べさせるため満足に食事をしていないだろう」
聖女の反応を気にすることもなくそう告げる。
「持ち帰り用にケーキは後で買ってやる。今ぐらい自分の好きなように食べていい。もっと自分を大切にしろ」
「でも・・・」
「それに食料の件は大丈夫だ。私はレオン・ヴァレンシュタイン。聖騎士団の魔物討伐部隊の隊長として王都から派遣された。魔物騒動が収まれば物価上昇は近いうちに落ち着くはずだ」
「王都の聖騎士だったのですか。何というか。同じ人間なのですね」
自然と出た言葉が失礼だと気づき慌てて訂正する。
「あ、すみません、失礼しました。各地の魔物討伐に派遣されるほど強い方々と聞いておりましたのでもっと怖い方を想像していたのですが普通の人でしたので」
「ははっ、私たちも人間だからね。それは魔物と戦ってる時は怖いかもしれないが街では宿舎から抜け出して甘味を食べに行くような人柄もあるし、部下の前では頼りになる隊長をしているはずだし・・。君だってずっと気を張ってたら疲れてしまう」
「でも私は聖女なのでみんなを救わなければいけないのです」
「そういえば君自身の事を聞いてなかったな」
「私は・・・。聖女と呼ばれています。この街の教会のシスターです」
レオンは一瞬何処か切なさそうな顔をしていた気がした。でも私は聖女でなければいけない。
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数週間が経ち食料品店に顔を出す。ジョンは聖女の顔を見るや否や嬉しそうな顔で微笑みかけた。
「聖女様、王都から来てくださった騎士様が魔物たちを一網打尽にしてくださった件聞きましたか?そのおかげで物価が下がりました。小麦粉も大安売り出来ます。はい、いつもの代金分です」
「こ、こんなにですか?ありがとうございます」
「こないだまで教会の子供たちもひもじい思いをさせていたと思いますし今日は大サービスです」
嬉しい誤算だった。それなら少し多めにお金を持ってくる必要はなかったか、いや子供たちに甘いものでも作ってあげよう。
「あ、それなら砂糖と卵も少々お願いします。余分に代金を持ってきてたので」
食料品店を出るとあの日の事を思い出す。この数週間、レオン様と過ごした短い時間は私の気持ちを乱していた。この歯がゆい気持ちが何なのかはわからない。けどレオン様に会いたいという気持ちははっきりとしていた。
「そうです。スイーツを頂いたお礼をしていませんでした。今日焼くクッキーをレオン様にも食べに来てもらいましょう。レオン様が来たら子供たちも喜びます」
誰かに言い訳するように独り言をつぶやく。
兵舎に向かうと魔物討伐で少し浮かれたムードだった。レオンの姿は見当たらない。しょうがなく暇ならクッキーをごちそうするため教会に来てくださいと伝言を頼む。
軽い足取りで教会に戻ると違和感を感じた。
いつも聞こえる子供たちの騒ぎ声はどこからもしない。どんよりとした空気は悪意に支配されていた。近くには見覚えのない荷馬車が置かれている。教会の中は少し荒らされた形跡があった。慌てて奥の聖堂へと向かう。
扉を開けると縛られた子供たちと何人かの髭面の男たちが外に運ぼうとする様子を目の当たりにする。
あまりの光景に、私はその場で立ち尽くした。
手にしていた荷物が床に落ち、卵の割れる音が響く。それでも、気にかけている余裕はなかった。
「貴方たち何をしてるのですか?」
男たちはお世辞にも身なりが良いとは言えない。清潔感がない衣服に、伸びきったひげ、噂に聞いた盗賊団だとをすぐに理解する。
「やばいです。カシラ、大人が帰ってきました」
「落ち着け、新入り。おい、あんたが巷で噂の聖女様か。ここは見逃してくれないか?あんたらもガキたちを簡単に処分できてwin−winじゃねーか」
「そんな事は許せるわけがありません。みんな大事な家族です」
威勢はよく振る舞うが内心混乱している。子供たちは無事なのか。この男たちは何人いるのか。考えなければならないことは山ほどあるのに、うまく頭が回らない。
それでも、不安がる子供たちを少しでも落ち着かせるために、強気な姿勢を崩すわけにはいかなかった。
「このままやっちまいましょうよ」
「落ち着け、逃げられて騎士団を連れてこられたら面倒だ。そうだ、聖女様、子供の代わりにあんたが売られるってのはどうだ?あんたの見た目なら金持ちどもにガキどもより高く売れるだろうし。聖女様が代わりにさらわれるならガキは見逃してやる」
聖女として取りうる選択肢は1つしかなかった。
「その取引に応じます」
ーーーーーーー
子供たちの拘束を解かせた後、私は代わりに手足を縛られ、馬車に揺られていた。山奥の洞窟につくと下ろされる。馬車はそのままどこかに向かい私は洞窟の中へと歩まされる。
洞窟内には血のような痕跡が無数にある。先の想像をすると体が震える。怖い。逃げ出したい。誰かに助けてほしい。
そんな思いが頭をよぎる。それでも、子供たちを守らなければならない。私がここで耐えれば、あの子たちは助かるはずだ。
それが聖女として当然のことなのだと、自分に言い聞かせた。
しばらくするとリーダーの男がにやにやとした嫌な笑みで話しかけてきた。
「やっぱそういう表情でなきゃな。さっきまでの威勢はどうした?」
男は嘗め回すように反応を楽しみ言葉を続ける。
「そういえば、いい事を教えてやるよ聖女さんよ。馬鹿正直にガキどもを逃がすと本当に思っていたのか」
「なっ、話が違います。私と引き換えに子供たちは逃がしてくださるはずでは」
「流石は聖女様、頭がお花畑だな。今頃さっきの馬車が教会からついたころだろうよ。すぐに一緒になれてよかったな。競売にかけたあとはどこに連れてられるか知らねーがな」
男の悪意に満ちた邪悪な顔。
こんなときですら聖女として生きた私は貶す言葉すら捻り出せない。
ただ、憎悪に満ちた目で中指を立てることが唯一の抵抗だった。
「何だその態度?聖女なんだろ。大人しく従順にしてろ。調子にのりやがって。それとも傷モノになって聖女じゃなくなりたいか」
激昂した男は顔をめがけて腕を振り下ろす。だがその腕が振り下ろされる事はなかった。その代わりに場に似合わない優しい声色が聞こえた。
「なんだ。そんな顔もできるじゃないか」
盗賊の拳をレオンの手が止めていた。
「誰だお前。」
「王都聖騎士団第3部隊 部隊長レオン・ヴァレンシュタイン。お前が盗賊の親玉か。抵抗しないなら手荒な真似はしない投降しろ」
レオン様の一言一言のには先程の声色はと打って変わって覇気のこもっている。
「一人で乗り込んできてばかじゃねーか。お前ら、戦闘準備だ」
男の声は洞窟内に響くが返事は誰も返さない。
「聖騎士団としてはもう一つの討伐対象を早々に見つけれてうれしい限りだが私としては少々頭に来ていてね。他の者はもう片付けさせてもらったよ」
「くそが」
男は懐からナイフを取り出し襲い掛かるがそれを片手であしらい顔にもう片方の手で顔を殴りつける。
レオンは男が気絶することを確認すると聖女に近づく。
「大丈夫か」
先程奪ったナイフで拘束を解くと優しく微笑みかける。
「それより子供たちは無事ですか?攫われてるんです」
「君は・・・第一声がそれか」
どこかあきれたような笑顔で続ける。
「大丈夫、無事だよ。ちょうど私が教会に行った際に盗賊どもと連れ去ろうとしていて。今は団員たちと教会で待機しているはずだ」
「よかった・・・」
とりついていた最後の拘束が解かれたように体が脱力する。
「それより子供たちに聞いたが代わりに人質になろうとしたそうじゃないか。そんな危ない真似はやめろ」
「で、でも私は聖女なのでみんなのために」
「確かに君は聖女として街の人に慕われているかもしれない。でも君は聖女である前に1人の人間なんだ。いつも自分を犠牲にして他人を助けなくていい。一人で背負い込まなくてもいいんだ」
「こ、こわかったです」
「ん、どうした?」
「怖かった、怖かったです。私が子供たちと変われば解放してくれるって約束だったのに守ってくれないですし。髭すごいし、殴ろうとしてきたし、顔も怖いですし、髭もすごかったです。怖かったです」
優しく話を聞いてくれる胸の中でいつからか堰き止めていた感情は涙と共に溢れ出した。頭に浮かんだ言葉は、止まることなく口からこぼれていく。
レオンは、そんな取り留めのない言葉を遮ることなく、ただ受け止めてくれた。
「もう大丈夫か」
「・・はい。レオン様って本当に強かったのですね」
「なんだ。信じてなかったのか」
「少し。兵舎から脱走してまよってたのでなんか心もとなかったです」
「助けに来た私に手厳しいじゃないか」
レオン様は苦笑いしながら自分の乗ってきた馬にまたがると私に手を差し出す。
「そういえばまだ君の名前を聞いてなかったな。『聖女様』ではなく、君の名前を教えてくれないか?
「マ、マリアと申します」
「ふっ」
「ひ、人の名前を聞いて笑うとは何事ですか」
「いや、すまない。聖女と呼ばれる割に思いのほか普通の名前だったもので。そうかマリアか。いい名前だ」
久しく呼ばれていない自分の名前はどこかむず痒い。ただ無くしていたものが見つかったような晴れやかな気持ちになる。
「ではマリア殿。クッキーをご馳走してくれるのだろう」
「あ、はい。レオン様、でもその間子供たちの面倒を見てくださりますか。後卵の買い出しをおねがいしたいのですが」
「見違えるように図太くなったな」
「1人で背負いこまなくてもよろしいのでしょう?」
「しょうがない引き受けよう」
いたずらっぽく笑う私を見て、レオン様もどこか嬉しそうに微笑んだ。




