第七話 計算外の幼馴染
「待っていたぞ、高坂!」
「我らが生徒会長をたぶらかした大罪人め!」
「私たちの麗奈様に手を出した汚物には断罪あるのみよ!」
月曜日の朝。
教室の扉を開けると、予想通り罵声が僕を出迎えた。
突き刺さる視線を浴びながらも、僕は何事もなかったかのように自分の席へ身を沈める。だが、間髪入れずに大輝たちが詰めてきた。
「時雨、今日こそは説明してもらおうか。神宮寺と付き合ってるのかをな」
背後に立った大輝の太い腕が、僕の首へ容赦なく巻き付く。
「ちょっと大輝、やめなさいよ」
「凛、お前もあの現場を見ただろ? こいつのモブらしからぬ暴挙を」
「……まあ、そうだけどさ。あんな堂々と『あーん』なんて、逆に見直したわ。時雨もやる時はやるのね」
「あれは不可抗力というか、麗奈さんの実験に巻き込まれただけで……」
「ほう。実験とはいえ、あの人通りの中でよく恥ずかしげもなくできたものだ。時雨も男だったということか」
「そ、そうだね。高坂くん、すごかったよ……」
呆れ顔で眼鏡のブリッジを押し上げる圭吾と、なぜか頬を染めて控えめに頷く澪。
周囲のクラスメイトたちも加わり、いよいよ異端審問が始まろうとした時、運良く朝の予鈴が鳴り響く。
「チッ……高坂、命拾いしたな」
「後で体育館裏で待っておくぞ」
捨て台詞を吐きながら、皆が渋々といった様子で散っていく。
その直後、教室の扉が開き、担任が教壇へ立つ。
「お前たち、早く席につけ」
低くハスキーな声が響き渡ると、先ほどまでの喧噪が嘘のように静まり返る。
艶やかな黒髪ロングに切れ長の瞳。
高身長でスタイルが良く、白衣越しにも大人の色気を漂わせている、橘先生だ。
しかし、その美貌に惑わされてはいけない。
彼女の本質は、有無を言わさぬ圧を放つ恐ろしい教育者なのである。
「授業を始める前に、お前たちに新しい仲間を紹介する。入ってこい」
橘先生の言葉に促され、一人の女子生徒が教室へ姿を現す。
透き通るような白い肌に肩口で揺れる黄金色の髪。
誰もが息を呑むほどの可憐な容姿に、クラス中が魅了されたように静止した。
チョークの鳴る乾いた音が響き、黒板に彼女の名が記される。
「朝比奈、自己紹介だ」
「はい。朝比奈詩織です。よろしくお願いします!」
花が咲くような屈託のない笑顔に、男女問わず、隠しきれない感嘆の溜め息が漏れた。
一方、僕だけは別の理由で息を呑んだ。
――朝比奈詩織。
僕の記憶が確かなら、十年前に海外へ引っ越したはずの幼馴染だ。
「朝比奈の席は……高坂の隣だ。では、授業を始めるぞ」
橘先生の指示を受け、彼女がこちらへ歩いてくる。
その一挙手一投足にクラスメイトたちは釘付けになり、「なんて可愛いんだ……」「高坂、羨ましすぎるだろ」と熱を帯びた囁きが交わされた。
だが、彼女は周囲の熱狂など気にする素振りも見せず、鞄を机に置くと、身を乗り出して小さく呟く。
「久しぶりだね、時雨くん」
「あ、ああ……久しぶり、詩織ちゃん」
僕が短く返すと、彼女はふわりと嬉しそうに微笑んだ。
しかし、そのわずかなやり取りさえ、男子たちは見逃すはずもなかった。
「高坂と転校生が知り合いだと……!?」
「あんな笑顔まで向けられて、ふざけんな……」
「麗奈様に続いて、あの男はどこまで……」
逃げ場のない怨嗟の声を僕は無視し、視線を黒板に向ける。
そうだ。ただただノートにペンを走らせ、この嵐が過ぎ去るのを待つのみである。
やがて一限目が終わるチャイムが鳴る。
「ここまでとする」
橘先生が短く告げ、教室を後にした。
ピシャリと扉が閉まった瞬間、堰を切ったようにクラスメイトが一斉に立ち上がる。
再びの異端審問を覚悟して身構えたものの、予想は見事に外れた。
僕へのヘイトなどすでに彼らの頭から消え去り、色めき立ったクラスメイトたちは、我先にと転校生の机をぐるりと包囲する。
「あ、あのさ、朝比奈さんは好きな人とかいるの?」
「ねえ、詩織ちゃんって呼んでもいいかな?」
「帰国子女なんて、かっこいいよね!」
矢継ぎ早に降り注ぐ、好意と好奇心に満ちた質問の雨。
だが、彼女は周囲の喧騒など一切耳に入っていないかのように、隣に座る僕だけをじっと見つめていた。
「時雨くん、約束通り帰って来たよ」
「約束……?」
「忘れたとは言わせないよ。私たち、『結婚』するでしょ?」
華奢な腕が、座ったままの僕の腰へとするりと滑り込む。
吐息が掛かるほどの至近距離。ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐり、制服越しにも伝わる確かな柔らかさが僕の腕に押し当てられた。
「け、結婚……?」
僕の間の抜けた声が漏れる。
教室は静寂に包まれたのも束の間。
「「「はあぁぁぁっ!?」」」
「嘘だろ、高坂!?
「転校生の絶世の美少女と結婚の約束だと!?」
「どういうことよ! 麗奈様がいながら、あんたって男はゴミ以下ね!」
クラスメイトは殺意と共に、再び僕へ包囲網を敷いた。
「い、いや、これは誤解だよ……!」
押し寄せる理不尽の波に対し、僕が必死の弁明を試みようとした、その時だった。
ガラリと教室の扉が開く音が響き渡る。
皆は時を止められたかのように凍りついた。
現れたのは、輝く銀髪を揺らす麗奈さんだった。
「おはよう、時雨くん。コンディションチェックに来たのだけれど……何かあったのかしら?」
涼やかな声が、ヒリつく教室の空気を一変させる。
しかし、僕の腕を絡ませる転校生を、蒼い瞳が捉えると、麗奈さんの歩みがピタリと止まる。
「どうやら、私の計算モデルに存在しない『不確定要素』が介入しているようね」
室温が数度下がったかと錯覚するほどの冷気。
麗奈さんは僕の机の前で立ち止まり、見下ろすように視線を落とした。
「あなた、誰かしら?」
静かな問いかけ。
対する詩織ちゃんは僕の腕にしがみついたまま、怯むことなく麗奈さんを見据えて不敵に微笑んだ。
「私は時雨くんの『婚約者』だけど、あなたは?」
「そう。私は彼の『恋人』よ」




