第五話 お家デートという名のプロファイリング
『時雨くん、明日のプランは彼氏のパーソナルスペースにおけるデータ収集――つまり、お家デートを実行するわ。安心して。ご両親には明日お伺いする旨を報告しているわ』
『えっ? お家デートとか早すぎない……?』
昨日の夕方、駅前での帰り際に突きつけられた宣告である。
そして早くも一夜明けた翌朝、九時五十分。
「時雨、今日はママたちの結婚記念日だから出掛けて来るわ。二人で仲良くお留守番しててね」
「晩ご飯は適当にデリバリーでも頼みなさい。それから彼女さん……神宮寺さんにはくれぐれも失礼のないように」
そう言い残した両親は、いつものように仲良く腕を組んで出かけていった。
生徒会からの『協力金』という名目で買収された二人にとって、息子が理不尽な交際契約を結ばされたことなど、些末な問題なのだろう。むしろ、麗奈さんが来ることを気遣い、家を空けた節すら感じられる。
静まり返ったリビングに残された、僕と殺意を剥き出しにする妹、ひより。
「ねえ、お兄ちゃん」
「……なんだよ?」
「非リアの分際でお家デートなんて、どうせボロ出して無様に振られるんでしょ? その瞬間をね……ひより、すっごく楽しみにしてるよ!」
ひよりは腕を組んだまま、「ククク……」と意地悪く嘲笑っている。
匿名SNSでは強気な発言を繰り返すネット弁慶だが、現実は筋金入りの陰キャである。
そんな妹の虚勢をよそに、無情にも玄関のインターホンが軽快なメロディを奏でた。
――来た。
僕は意を決して玄関の扉を開ける。
「現在時刻、九時五十九分五十秒。予定通りに到着したわ」
清楚な白いワンピースに薄いピンク色のカーディガン。昨日とはまた違う可憐な私服姿に思わず目を奪われる。
「……おはよう、麗奈さん。わざわざ家まで、その……いらっしゃい」
「おはよう、時雨くん。約束通り、合意書に基づく正当なプロセスの実行に来たわよ。お邪魔するわ」
涼しい顔で言い切る彼女を招き入れた時、背後で呪詛のような呟きが聞こえてきた。
「お兄ちゃんのバカ、ド平均、裏切り者、リア充爆ぜろ、くたばれ、死ね」
振り返ると、ひよりは僕の背に身を隠しながらも、射殺さんばかりの視線を向けていた。
「あら、ひよりさんね。直接お話しするのは初めてね。お兄さんにはお世話になっているわ」
「あ……うっ……」
麗奈さんの圧倒的な美貌と陽のオーラを真正面から浴びて、ひよりが完全にフリーズした。
まともに言葉を発することもできず、ただ殺意のこもった視線だけを僕に突き刺す。
麗奈さんは不穏な兄妹の空気など意に介する様子もなく、上質な紙袋を差し出してきた。
「時雨くん、これはご挨拶代わりの手土産よ。ひよりさんが大好きな『パティスリー・シュヴァル』のショートケーキなの。あとで一緒に食べましょう」
「それは……!?」
紙袋のロゴに、ひよりが小さく息を呑んだ。
「よ、よく、ひよりの大好物が分かったね。いや、これも計算なのかな?」
「ええ、ひよりさんが運用しているSNSの過去三年分の画像データから嗜好の最適解を導き出したわ」
事もなげに言い切る麗奈さんの徹底したリサーチ能力に背筋が冷たくなる。
しかし、当のひよりはそれどころではないようだ。
無理もない。あれは我が家で誕生日にしかお目にかかれない超有名店の高級ケーキ。
ピンポイントで大好物を突きつけられ、僕と同じ黒髪のショートヘアを揺らしながら、ひよりの茶色の瞳が分かりやすく泳ぎ始める。
僕に突き刺していた殺意は、極上スイーツの誘惑を前に呆気なく瓦解した。
僕の背中を掴んでいた手は力なく緩み、紙袋に釘付けになっているところから、我が妹もチョロすぎる。
「さて、ひよりさんへのご挨拶もしたことだし、今日のタスクに移行するわよ」
「タスクって……?」
「決まっているわ。時雨くん、あなたの部屋よ」
「いきなり僕の部屋……?」
「あら、悪いかしら? 私の予測によると、なんの面白みもない平均的な男子高校生のパーソナルスペースだけど、私にとって最も価値のあるサンプリングデータだと判断したの。さあ、案内して」
涼しい顔で促す彼女に対し、拒否権など端から用意されていないことは明白だ。
ケーキの入った紙袋を受け取ったひよりは、すれ違いざまに「彼女が来てすぐに部屋に連れ込むなんて……お兄ちゃんのエッチ、最低、変態、死ね、くたばれ、地獄に落ちろ」と小さく呟き、リビングへ消えて行った。
部屋に連れ込もうなんて一ミリも思っても、言ってもいない。
なぜか盛大な誤解をされた僕は、ため息をついて二階へ足を向けた。
◇
六畳半の自室。
「ふむ。これが学年の中央値を記録し続ける、時雨くんの標準値の生活環境ね。無駄な装飾が排除された見事なまでのド平均な部屋。予測通り素晴らしいわ」
「褒められている気が全くしないんだけど……」
「最高の褒め言葉よ。ノイズがない空間はデータ収集に最適だもの。ただ……」
麗奈さんは本棚の前に立ち、顎に手を当てて品定めするように眺めた。
「ライトノベルの背表紙の並び、そして購入傾向から推測するに、時雨くんの好むヒロインの属性はツンデレ、及びクーデレに偏っているわね。さらに主人公が隠れた実力を持つ成り上がり系の物語を好む傾向があるみたい。これは貴重なデータね」
「貴重でもなんでもないし、それ以上推測しないでくれるかな……」
本棚から僕の性癖や願望をプロファイリングするとは、改めて恐ろしい人だ。
「隠さなくても大丈夫よ。時雨くんの趣向データは、今後のシミュレーションにおいて有用な指針になるもの。次回のデートで、私が意図的にツンデレを組み込んでもいいわよ」
「お願いだから、そういうのはやめて……」
「そう。なら、次はアレを確認させてもらうわ。時雨くんでも、男子高校生の必須アイテムくらいは持っているはずだから」
「必須アイテムって?」
「家族の目から秘匿性の高い物品……つまり、成人向け雑誌よ」
「なっ……!? そ、そんなものあるわけないでしょ……」
動揺で声が裏返る僕を、蒼い瞳が分析するように見つめる。
「隠さなくてもいいわ。今の時代、デジタルデータや電子書籍が主流だけれど、時雨くんのド平均で慎重な性格の場合、購入履歴やネットワークの共有から家族に発覚するリスクを恐れて、あえて紙媒体を選ぶ傾向があるの。あるいは……友人から譲渡されたという線もあるわね」
「うっ……」
図星を突かれ、僕は言葉に詰まる。
確かに、一月ほど前に大輝が「時雨も大人の芸術というものを一度勉強してみろ」と、強引に押し付けてきた成人雑誌がある。
思わず泳いだ僕の視線を、麗奈さんは見逃さなかった。
「この六畳半のレイアウトと時雨くんの身長、そして平均的な心理データから算出される隠し場所は一つ。古典的な手法だけれど……ベッドの下、奥から二番目の収納ケースの中ね」
「ぐはっ……!?」
ピンポイントで僕のブラックボックスを言い当てられ、背筋に冷たい汗が伝う。
「図星ね。パッケージの傾向から、さらに詳細なデータを取得できるわ」
「そ、それだけは勘弁して……い、いや、不健全な雑誌なんてそもそもないから!」
「目が泳いでいるわ。心拍数の急上昇も確認できるわね」
「そ、そんなことないよ……」
なんとしても彼女の侵攻を食い止めなければならないと、慌ててベッドの前に立ち塞がった時、部屋の扉がゆっくりと開いた。
「お茶と、さっきのケーキ持ってきた……」
お盆にオレンジジュースのグラスと、皿に盛り付けたショートケーキを乗せて、ひよりが部屋に入ってきた。
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