第三話 非リアの裏切り者
「おい、時雨! 根掘り葉掘り吐いてもらうぞ!」
「高坂! モブのお前に麗奈様は不釣り合いだ!」
「お前だけ抜け駆けは許さねえからな!」
背後から大輝や男子たちの怒号が飛んでくる。
「ちょっと、あんたたち! 追いかけないの! 時雨が困ってるじゃない!」
「そ、そうだよ……。みんな落ち着いて……」
凛と澪が壁となって彼らを押し留めてくれる声が聞こえたが、今の僕に振り返る余裕なんてない。
放課後のチャイムが鳴ると同時、僕は教室を飛び出す。
彼女たちには申し訳ないが、ここで僕が捕まれば、彼らのスマホの検索履歴や個人情報までもが全校ネットワークに晒される危険があるのだ。
友人を、クラスメイトを、そして何より自分の裏垢を守るため、僕は指定された場所へと足を早めた。
◇
静寂に包まれた特別棟の最奥。
なんとか逃げることに成功した僕は、どうやら逃げ足だけは早かったらしい。
重厚な木扉に『生徒会室』と刻まれたプレートの前で、乱れた呼吸を整えてノックをする。
「入りなさい」
涼やかな声に促され、意を決してドアノブを回す。
扉を開けると、執務机に座る麗奈さん。
さらに彼女を護衛するかのように取り囲む三人の生徒会役員の姿があった。
「……麗奈様、本当にこの男でよろしいのですか? どこからどう見ても、学内の平均値をかき集めたような無害だけが取り柄の凡人のようですが」
艶やかな黒髪のボブを揺らし、射殺さんばかりの冷たい紫色の瞳で僕を正確に値踏みしてきたのは、三年生の副会長、東條真冬。
本来であれば三年生が務めるはずの生徒会長の座を「彼女の美貌と頭脳こそがトップに相応しいわ」と、自ら譲り渡した狂信的な会長ファンである。
「東條の言う通りだ! 学園理事長の御令嬢であり、我らが完璧なる神宮寺会長の貴重な青春を、こんなモブに捧げるなど、風紀委員長として断じて認められん!」
短く刈り込んだ茶髪と、鋭い金色の瞳。
腕を組みながら暑苦しい声で吠えたのは、三年生の柔道部部長であり、風紀委員長の佐久間清十郎。
佐久間先輩もまた、麗奈さんを崇拝してやまない男のようだ。
「でもでも、会長が選んだ運命の相手なのです! 小春は全力で応援するのです!」
殺気立つ二人の三年生に挟まれながら、ふわふわとした亜麻色の髪を揺らし、丸眼鏡の奥で琥珀色の瞳を輝かせているのは、二年生の書記、桜庭小春。
同い年とは思えないほどの童顔だが、学園でも屈指の人気な美少女。
ただし、桜庭さんの愛らしい口調とは裏腹に、まるで僕を観察しているような目をしている。
「先輩方、ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが、その『奇跡的な標準値』こそが、私の青春シミュレーションに不可欠なのです」
「……神宮寺会長がそう仰るのなら、これ以上は申しますまい。しかし、高坂時雨! もし、一ミリでも会長の計算を狂わせるような真似をすれば、この佐久間清十郎が、ただではおかないと知れ!」
「私も佐久間と同意見だ! 少しでも麗奈様を悲しませるようなことがあれば、副会長として即刻処分すると覚えておきなさい!」
「高坂くん、会長をお願いしますなのです! あっ、あと、頑張って生きてくださいなのです!」
「ぜ、善処します……」
二人の三年生の視線と、桜庭さんの無邪気な圧に、僕は引きつった笑みを浮かべるのが精一杯だった。
「皆さま、ありがとうございます。では、ここから先は機密事項となりますので、各自退出をお願いしてもよろしいですか?」
「承知いたしました、麗奈様」
「我らは外で警護にあたります!」
「失礼しますなのです!」
三人は麗奈さんに対して深く一礼を捧げると、足早に部屋を出ていった。
重厚な扉がバタンと閉まる。
室内が静寂を取り戻すと、僕は深くため息を吐いた。
「ふぅ……生徒会の役員って、怖い人ばかりなんだね……」
「そうかしら? ただ、私の掲げる指針を理解し、最適に動いてくれているだけよ。……それはそうと、到着時刻が私の計算より十二秒遅かったわ。廊下で不満分子たちの妨害にでも遭っていたのかしら?」
「さすが、ご名答……。大輝たちを振り切るだけで精一杯だったよ」
「まあ、許容範囲内だわ。さあ、そこに座って。これからの私たちの関係性を最適化するための提案があるの」
嫌な予感しかしない提案だが、ひとまずレザーソファに腰を下ろす。
麗奈さんは優雅に歩み寄り、一枚の書類をテーブルに滑らせた。
「えっと……『高坂時雨と同棲に関する同意書』って書いてあるけど……同棲なんて冗談だよね……?」
「相変わらず失礼ね。本気よ。交際相手として互いのデータを二十四時間体制で収集し、関係性の最適解を導き出すためには『同棲』が最も効率的という結論に至ったの。すでに、理事長……父の力で近くに最高のセキュリティを備えた5LDKの一軒家を手配済みよ。さあ、サインしてちょうだい」
契約上とはいえ、あまりにも唐突な同棲の提案。
いくらなんでも飛躍しすぎだ。
「……あのさ、僕たち高校生だよ? それに、親になんて説明する気なの?」
「その件なら安心して。すでに時雨くんのご両親から生徒会主導の『全寮制テストケース』として快諾を得ているもの」
「嘘でしょ……? 快諾って、もしかして……」
「ええ。協力金として相応の額を振り込むと言ったら、簡単に手のひらを返したわよ」
涼しい顔で言い放つ彼女の言葉に、僕は絶句した。
――まさかの家族買収である。
いや、考えてみれば、両親は昔から金に目がない。
それにしても、息子をこうもあっさりと売り渡すとは……なんとも情けない親だ。
「ただ、一つ懸念事項としては、妹のひよりさんかしら。先ほど、彼女から『非リア充の同志として信じてたのに……もう、裏切り者のお兄ちゃんなんて、リア充もろとも爆ぜればいいんだ!』という、殺意に満ちた追伸が届いたわ」
親だけでなく、妹からは敵意。
一切の逃げ道を塞いできた彼女に、僕は全力で首を横に振った。
「とにかく、同棲なんて無理だよ。高校生としての倫理観も、僕の平穏な日常も崩壊するからね」
「そう……。私の完璧な住環境プランを拒否するのね。なら仕方ないわね。代替案のプランBに移行してあげるわ」
麗奈さんは不満そうに同棲の同意書を引き戻すと、代わりに分厚いファイルを『ドンッ!』とテーブルに置いた。
表紙には『高坂時雨と市街地デートの最適化、及び好感度上昇に関する実証実験プロセス・Aプラン』と印字されている。
「次の契約書は何なのかな……?」
「週末の実戦デートに向けたスケジュール調整を行うわ」
「実証実験って書いてある時点で、デートじゃなくて業務だよね」
「業務的なアプローチの何がいけないのかしら? 感情や雰囲気といった不確定要素に頼るから、世のカップルはすれ違いを起こすのよ。完璧な青春には、完璧なタイムスケジュールと裏付けされたデータが必要不可欠なのよ」
彼女は得意げに銀髪を揺らし、ファイルをめくった。
「明日の土曜日の十時ちょうどに、駅前の時計塔の前で合流。十時一分から市街地の散策を開始。十時十五分に交差点の信号待ちを利用して、私から時雨くんの右手に接触。つまり『手繋ぎイベント』を実行に移すわよ」
「分単位のスケジュールだけでなく、手を繋ぐ予約まで……」
「安心してちょうだい。時雨くんの歩幅と心拍数の上昇率も加味して、目的地であるショッピングモールの到着時刻は十一時十分に設定してあるもの。そこで私の洋服選びに付き合ってもらうわ。そして、今回の最重要タスクがこれよ」
麗奈さんの白く細い指が、スケジュールの『十四時三十分』の欄を指し示した。
「駅前のクレープ屋にて、ストロベリーチョコクレープを一つ購入。間接キスを伴う経口摂取の共有……いわゆる『あーん』よ。これにより、両者のオキシトシン分泌量を最大化させるわ」
「……あの、本気で言ってんの?」
「私はいつだって本気よ。ハプニングや予定外の行動も含めて、私のスケジュールの想定内に収めてみせるわ。私の完璧な青春のためだもの」
同棲の提案を白紙に戻したことで、これ以上の拒否権は僕にはないだろう。
まあ、デートなら受けてもいいか。いや、受けなければ何をされるか分からない。
「分かったよ……」
「賢明な判断よ。週末は一秒の遅刻も許さないからね、私の時雨くん」
生徒会室の壁掛け時計の針が、十七時を回る。
僕の週末は、彼女の理不尽な計画によって管理されることが確定した。
これから待ち受ける分刻みのスケジュールと、計算し尽くされたイベントの数々を想像し、僕は深く、深くため息を吐くのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。
明日は12時投稿です。
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