第十二話 波乱の日常
一ヶ月後、午前中の教室。
隣の席の詩織ちゃんは、事あるごとに机を寄せてきては、僕に密着してくる。
ふわりと漂う甘い香りと、制服越しに伝わる柔らかな感触は未だ慣れることはない。
「時雨くん、数学のここの問題、教えてくれない?」
「あぁ、ここは――」
「朝比奈さん、高坂より俺の方が数学得意だから教えてあげるよ」
「いや、オレの方が得意だよ」
「ねえ、朝比奈さん。後でお昼一緒に食べない?」
「みんな、ありがとう。今日は時雨くんに勉強教えてもらうから大丈夫だよ。また今度教えてくれるかな? お昼は明日一緒に食べよ」
「お、おう……!」
「うん、それじゃ明日ね!」
「今度」や「明日」という言葉に、クラスメイトは喜んで席へ戻っていくと、入れ替わるようにして大輝たちがやって来た。
「よう、時雨。朝比奈といい雰囲気だが、神宮寺とはどうなってんだよ。まさか二股じゃないだろうな?」
大輝がニヤニヤしながら僕の背中を軽く叩く。
「本当は大輝も詩織ちゃんとお昼食べたいんでしょ?」
すかさず凛がジト目で噛みつく。
「ち、違えよ! 俺はお前と……じゃなくて、俺はただ時雨が調子に乗ってないか確認してるだけだ」
「え? 今、あたしとって言ったよね!?」
「言ってねえよ、バカ!」
「バカとは何よ! あんたには言われたくないわよ!」
「お前ら、朝から夫婦喧嘩なんてみっともないぞ」
「夫婦じゃねえよ!」「夫婦じゃないわよ!」
顔を真っ赤にして揃って否定する二人を見て、圭吾が呆れたように眼鏡を押し上げる。
「時雨、お前の平穏なモブライフは完全に過去のものになったようだな」
「高坂くん、その、色々と大変そうだけど、頑張ってね……」
「同情するなら誰か一人でも部活に入って助けてほしかったよ」
僕が恨めしげに呟くと、四人は一斉にスッと目を逸らした。
僕の勧誘を断って修羅場を見捨てた負い目があるのだろう。
「ふふっ。みんな本当に仲良しだね」
「まあ、こいつらとは昔からの腐れ縁だからな」
「腐れ縁言うな、バカ」
「なんだと!」
「ふふっ。まあまあ、大輝くんと凛ちゃんは息ぴったりだし、圭吾くんと澪ちゃんもいつも一緒だね」
詩織ちゃんが屈託のない笑顔を向けると、四人は照れたように顔を見合わせた。
「朝比奈は本当に良いやつだな。なんで時雨なんだよって思うわ」
「全く同感だな」
大輝と圭吾が感心したように頷く。
僕とは違って、誰とでも打ち解けてしまう詩織ちゃんは、他のグループとも昼ご飯を食べたりと、持ち前の明るさでクラスの関心を集め続けている。
部活が始まったことで、麗奈さんも教室に来ることは無くなり、おかげで僕に向けられていた殺意は消え去りつつある。
非常に喜ばしいことだが、問題は青春研究部の活動内容だ。
仮部室となった僕の部屋では、部活があるたびに母さんが上機嫌でスナック菓子とジュースを持って来る。
それだけならむしろありがたいのだが、息子の進展を確認するかのように瞳をぎらつかせているのが恐ろしい。
さらに皆はお菓子をつまみながら、テレビの前で繰り広げられるゲームに夢中だ。
常に僕の右腕には詩織ちゃん、左腕には灯里ちゃん。時折、何かのデータを取るように麗奈さんが怪しく微笑み、耳元ではひよりの毒舌が囁かれる。
そんな部活動が、あの日から続いている。
『青春研究部』とは名ばかりで、ただ僕の部屋が美少女たちの溜まり場になっているだけだ。
僕は違和感を抱えたまま、視線を黒板に集中して授業をやり過ごした。
◇
放課後、今日も当然のように僕の部屋に五人のメンバーが集結した。
今や彼女たちは自宅であるかのようにくつろぎ、他愛のない雑談に花を咲かせている。
ひよりに至っては、すでに定位置のモニターの前に陣取り、「お兄ちゃん、何見てんの? モブ、キモ、死ね」と小さく呟いて、我が物顔でゲームを始めた。
ひよりを除けば和やかな雰囲気の中、ふと、灯里ちゃんが首を傾げて疑問を口にした。
「そういえば、私たち時雨先輩の部屋でお菓子食べながらゲームしてるだけなんですけど……このままでいいんですか?」
もっともな疑問である。
僕も一ヶ月もの間、ずっと気になっていた。
麗奈さんは涼しい顔で事もなげに答える。
「あら、これが青春研究部の部活動よ。私が提供する完璧なシミュレーションの一つよ」
「うーん……。でも、何か違うような気がするんですけど……」
灯里ちゃんは眉を下げて違和感を口にする。
僕の部屋に毎日集まってゲームをしてお菓子を食べるだけの部活なんて、そもそも無理がある。
「なるほど。成果を感じられない同じ活動に疑問を抱いているのね。では、皆さんの意見を聞かせてくれるかしら? 各自が定義する『青春』について」
「じゃあ、私から!」
真っ先に手を挙げたのは詩織ちゃんだ。
「青春といえば、やっぱり好きな人とずっと一緒にいることだよ! つまり、時雨くんと同棲して結婚すること!」
「それは青春を通り越して、もはや人生のゴールだよね……」
僕がツッコミを入れるが、麗奈さんは「主観的かつ過激な恋愛至上主義ね。データとしては興味深いわ」と、淡々とスマホに何かを打ち込んでいく。
「小日向さんはどうかしら?」
「えっと……放課後に寄り道をしてクレープを食べたり、他愛のないおしゃべりをしたりすること、でしょうか。時雨先輩と一緒に帰る時間が、私にとって、その、青春かなって……」
「灯里ちゃん……」
健気すぎる後輩の純粋な意見に、僕の心が洗われる思いだ。
「なるほど、典型的な女子高生の放課後ロールプレイね。記録しておくわ。ひよりさんはどう?」
麗奈さんに意見を振られたひよりは、天使のような笑みで麗奈さんに向き直る。
「ひよりはよく分からないですけど、最近見た青春アニメでも、ゲームで協力して強敵を倒す絆が描かれてましたっ! あと、麗奈お姉様と一緒にプレイしている時が、ひよりの一番の青春なのです!」
「ふふ、可愛い意見ね。オンラインゲームにおける共闘関係の構築も立派な青春の形よ」
麗奈さんは満足げに頷いた。
結局、各自の意見は『結婚』『放課後の寄り道』『ゲームでの共闘』『完璧なデータ収集』。
一時間が経過しても議論はまとまる気配がない。
膠着状態に陥っていた時、僕のスマホが短く震える。
母さんからのメッセージだ。
『実家に急用ができたから、お父さんと行ってくるわ。今日は泊まりになるから、お友達と仲良くね! それから……くれぐれもお嬢ちゃんたちに変なことしちゃダメよ』
意味深なメッセージを送ってきた母さん。
まあ、さすがに僕でもその意図は理解できるが、それはあり得ない。
そんなことより、嫌な予感しかしないと顔に出ていたのか、詩織ちゃんがスマホを覗き込んできた。
「どうしたの、時雨くん? 難しい顔なんてして」
「いや……母さんたちが実家に用があるからって、今日は泊まりになるみたいだよ」
僕が正直に言うと、詩織ちゃんの瞳がキラリと輝いた気がした。
「そっか! じゃあ、時雨くんのお家でお泊まりするね! それにね、今日偶然にも着替え持って来てたんだよね!」
「あら、奇遇ね。私も今日は泊まろうと家から着替えを持って来ていたのよ」
「二人共、嘘だよね……」
麗奈さんと詩織ちゃんの手荷物が多かったのは、そういうことだったのか。
用意周到な二人を前に、一人だけ置いていかれた灯里ちゃんが慌てて声を上げる。
「えっ!? 二人してお泊まりするんですか!? でしたら私もお泊まりしますっ! あっ、でも着替えがないから、やっぱり……」
「灯里ちゃん大丈夫だよ! ひよりの服を貸してあげるよ!」
「いや、それはさすがにダメじゃないかな……。親も心配するしさ。なあ、ひより。お前もそう思うだろ?」
「大歓迎ですっ! 麗奈お姉様たちと一夜を過ごすなんて最高です!」
慌ててひよりに聞いた僕がバカだった。
このままだと睡眠時間まで奪われてしまう。
僕は必死に解散を促す。
「と、とりあえず今日はもう解散ってことにしよう」
「あら、夕飯はどうするつもりなの?」
「それなら適当にデリバリーで注文すればいいだけだし」
「栄養素の偏るデリバリーなんて却下よ。時雨くんの身体を維持するためには、適切な食生活が必要不可欠だわ。せっかくだから、私が時雨くんに最適な食事を提供するわ」
「それなら私が作ってあげるよ」
詩織ちゃんが腕まくりをして、やる気満々で立ち上がった。
「でしたら、先輩の健康は私が守ります! 料理なら、私も自信がありますから!」
灯里ちゃんまで負けじと対抗心を燃やす。
ひよりは再び僕の耳元に顔を寄せると、「お兄ちゃんは残飯食って腹壊して死ね」と囁くと、元気よく手を挙げた。
「ひよりは洗い物係やりますっ!」
「決まりね。では、本日の青春研究部の活動は、『調理実習による家庭力の比較検証』と『宿泊環境における共同生活のデータ収集』とするわ」
かくして、部活動の舞台は一階のキッチンへと移され、強制お泊まり会まで決められてしまったのである。
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