第十一話 はたして部活動とは
「皆さんにお伝えしておくことがあるの。そこに座ってちょうだい」
放課後の生徒会室。
優雅にティーカップを傾けながら、麗奈さんは皆を集めて事もなげに言い放った。
「部費に加えて、現在学園に私たちが使える部室がないの」
「部費の件は橘先生から聞いていたけど、部室までないんじゃ、部活動なんてとてもできないね。いやぁ、短い間だったけど『青春研究部』楽しかったよ。じゃ、僕はこれで失礼するね」
――部室がない。つまり、この恐ろしい修羅場から解放されるという天の助けに他ならない。
僕はホッと胸を撫で下ろし、そそくさと鞄を手に取って席を立つ。
久しぶりに満面の笑みを浮かべて扉へ向かおうとした、その時だった。
「時雨くん、誰が解散すると言ったのかしら?」
「え……?」
「学園に部室がないのであれば、既存の最適な環境を間借りすればいいだけの話よ。すでに部活動に適したパーソナルスペースを確保済みだわ」
涼やかな視線で僕を射抜く麗奈さん。
その淀みない口ぶりから、とてつもなく嫌な予感がする。
「そんな場所あるんだ……」
「ええ、今日から『青春研究部』の仮部室は、時雨くんの自室。つまり、あの六畳半の部屋とするわ」
「はい……? 今、何て言ったのかな?」
「麗奈お姉様、それって本当ですか!? ひより、お姉様たちが来てくれるなんて、とっても嬉しいですっ!」
ひよりは満面の笑みで歓喜の声を上げると「お兄ちゃん、ちょっと」と一言だけ告げて、僕の耳元に顔を寄せた。
「お兄ちゃん耳まで腐ってたんだね。モブ、カス、ゴミ、汚物、死ね」
耳元で囁かれた容赦ない毒舌に、思わず頬が引きつる。
そんなやり取りなど知る由もなく、詩織ちゃんは瞳を輝かせながら僕の右腕にしがみついてきた。
「時雨くんの部屋で部活ということは……同棲ってことだね!」
腕に押し当てられる柔らかな感触と、『同棲』という単語に、僕はフリーズする。
「なんで、そうなるの……?」
僕の困惑をよそに、聞き捨てならないといった様子で灯里ちゃんが慌てて身を乗り出した。
「同棲……詩織先輩がいるなら、私も行きます! 先輩のプライベートな空間にお邪魔するのは緊張しますし、男子のお部屋に上がるのも初めてですけど……で、でも、先輩は私が守りますから!」
灯里ちゃんまで顔を真っ赤にしながら、両手で拳を握りしめている。
――満場一致。
僕のささやかな抵抗など、端から存在しなかったことを思い出した。
かくして、僕は絶世の美少女三人と、外面だけは良い妹を引き連れて帰路につくことになった。
学園から駅、そして住宅街へ向かう道のり。
すれ違う学生や道行く人たちが、信じられないものを見るような目で、僕を取り囲む美少女たちを振り返る。
僕はただ深く帽子を被って視線を落とし、胃の痛みに耐えながら歩き続けるしかなかった。
◇
「あらあら、時雨のお友達ね。いらっしゃい」
玄関を開けると、エプロン姿の母親が出迎えてくれた。
僕は学園で部室が確保できなかったこと、そして僕の六畳半が仮部室として制圧されるに至った理不尽な経緯を説明する。
「時雨の部屋が当面の間、部室になってしまったのね……」
「そうなんだよ。さすがに母さんも困るよね?」
僕の思いとは裏腹に、母さんは僕の背後にいる麗奈さんへ視線を向け、満面の笑みを浮かべた。
「そんなことはないわよ。部室がないなんて学園も色々と大変なのよ。狭いお家だけど好きに使ってもらっていいわ。もちろん……泊まってもらっても構わないからね」
僕が同調を求めて一分後、母さんの口から信じられない爆弾発言が飛び出した。
その言葉に応えるように、麗奈さんが優雅にお辞儀をして一歩前に出る。
「お久しぶりでございます、お母様。神宮寺麗奈です」
「こちらこそ、いつも主人がお世話になってます。麗奈さん、どうぞ上がって」
――なるほど、そういうことか。
生徒会からの『協力金』ですでに買収済みの母。
息子の異常な状況を心配するどころか、完全に歓迎ムードなのだ。
「お、お邪魔します! 時雨先輩のバイト先の後輩の、えと、小日向灯里です!」
灯里ちゃんが慌てて頭を下げる。
そこへ詩織ちゃんも前に出た。
「おばさん、お久しぶりです。詩織です。約束通り、日本に帰ってきました」
「まあっ、詩織ちゃんじゃない! すっかり見違えちゃって綺麗になったわね。おかえりなさい」
母さんは詩織ちゃんの手を取って大喜びだ。
そして三人の美少女を引き連れて帰ってきた僕に視線を移すと、ニヤリと口角を上げる。
「時雨もなかなかやるわね。母さん嬉しいわ」
実の母に意味深な言葉をかけられ、家族にすら味方がいない現実に頭を抱えると、ひよりがパッと明るい声を上げる。
「麗奈お姉様、詩織お姉ちゃん、それに小日向先輩、どうぞ遠慮せずに上がってくださいっ!」
ひよりは麗奈さんに心酔し、詩織ちゃんとは実の姉妹のように仲が良く、さらに灯里ちゃんとも意気投合している。
ひよりにとってこの来訪はご褒美らしいが、僕にとっては地獄でしかない。
家族という味方すら失った我が家で、僕は重い足取りで二階への階段を上るしかなかった。
◇
「相変わらず無駄な装飾が排除された、見事なまでのド平均な部屋ね。これなら部室としての機能要件を十分に満たしているわ」
僕の六畳半の部屋に入るなり、麗奈さんは満足げに頷く。
六畳半にひしめく圧倒的な人口密度と、漂ってくる甘い香水の香りとシャンプーの匂いに、僕の心拍数は上がりっぱなしだ。
「早速、『青春研究部』の活動を開始するわ。本日のテーマは『密室空間におけるパーソナルスペースの共有と好感度の推移』のデータ収集よ。各自、時雨くんに対して最適だと思う距離感を保ちながら配置について」
「じゃあ、私は時雨くんの隣だね!」
麗奈さんの合図と同時に、詩織ちゃんが僕の右腕にピタリと張り付く。
「昔はよくこうやって、二人でくっついて本を読んでたよね。時雨くん覚えてる?」
「あ、ああ……うん、覚えてるよ」
「せ、先輩、私も隣に座りますっ! 時雨先輩のパーソナルスペースは、後輩の私がお守りしますから!」
灯里ちゃんは顔を真っ赤にしながらも、対抗するように僕の左側に陣取り、健気に僕を気遣う視線を送ってくる。
右に幼馴染、左に後輩、正面に生徒会長。
「時雨くんの心拍数が平常時より四十パーセントも上昇しているわ。やはり密室での物理的接触は顕著な影響を与えるようね」
手元のスマホで何やら打ち込みながら、麗奈さんが涼しい顔で分析結果を口にする。
「息が詰まりそうなんだけど……」
「あら、これも青春シミュレーションよ」
「麗奈お姉様! 部活のデータ取りもいいですけど、またゲームをしませんか!?」
部屋の隅で様子を窺っていたひよりが、意気揚々とコントローラーを持ち込んできた。
「そうね……。ゲームにおける協力と敵対関係も立派な青春のプロセスになりそうね。感情の起伏を計測する良い機会だわ。やりましょうか」
「やったぁ! 今日こそは麗奈お姉様に勝ちますからね!」
画面の中で繰り広げられる激しいエフェクトと、四人の真剣な声が部屋に響く。
僕の部屋は、ただの溜まり場になっている。
テレビモニターの光が照らす中、笑い声とゲームの電子音が混ざり合う。
これがはたして部活動と呼べるのかは、甚だ疑問である。




