第十話 逃げ場のない修羅場
翌日、昼休み。
僕は藁にも縋る思いで大輝たちに声をかけていた。
「そこを何とか頼むよ……」
「悪いな、時雨。バスケ部の大会が近いんだ」
「あたしも陸上部の練習があるからね。悪いけどパス」
「時雨、俺も澪も文芸部なのは知っているだろう? 俺は掛け持ちはしたくないし、あの生徒会長が君臨する謎の部活など、命がいくつあっても足りなさそうだからな」
「ご、ごめんね、高坂くん。わたしもあの人の威圧感に耐えられる自信がないよ……」
申し訳なさそうに視線を逸らす大輝と凛。
圭吾は呆れたように眼鏡を押し上げ、澪ちゃんは変わらず、圭吾の背中に隠れて震えている。
予想通りとはいえ、僕の切り札である友人カードは呆気なく紙屑と化したわけだ。
となると、最後の手段は、神宮寺麗奈ファンクラブの熱狂的な信者たち。
だが、彼女の『恋人』として学園の大半の人たちから殺意を向けられている僕から勧誘できるはずもなく、誘った瞬間に消し炭にされるのがオチだ。
完全に手詰まりとなり、僕は重い溜息を漏らす。
◇
放課後。
部員を一人も確保
できなかった僕は、重い足取りで生徒会室の扉を叩く。
室内にはすでに涼しい顔で紅茶を嗜む麗奈さんと、対面に座り、不満げに頬を膨らませている詩織ちゃんの姿があった。
「「遅かったわね、時雨くん。それで、収穫はあったのかしら?」
「……いや、大輝たちには断られたし、他の男子なんて誘った瞬間に僕の命が危ないから無理だったよ」
僕が正直に白状すると、麗奈さんはティーカップを置き、涼やかなため息をついた。
「遅かったわね、時雨くん。それで、収穫はあったのかしら?」
「……ごめん。大輝たちには断られたし、他の男子なんて誘った瞬間に僕の命が危ないから無理だったよ」
僕が正直に白状すると、麗奈さんはティーカップを置き、涼やかなため息をついた。
「想定内よ。時雨くんの交友関係と学内でのヘイト値を計算すれば、成功率が限りなくゼロに近いことは分かっていたわ。人員確保については、すでに私の方で手を打ってあるの」
「えっ? それなら、わざわざ僕が声をかける必要なんてなかったよね?」
「いいえ、あなたの交友関係の限界を、実際の行動データとして収集したかったの。これで、あなたには私と朝比奈さんしか頼れる人がいないというエビデンスが取れたわね」
「……それって、ただの嫌がらせだよね?」
「あら、恋人の現状を正確に把握するための合理的なプロセスよ。さて、時雨くんの無力さが証明されたところで、次のタスクに移行するわ。これを受け取って」
テーブルに滑らされたのは『部活動設立申請書』。
「顧問の承認印が必要よ。担任の橘先生に提出してハンコをもらってきて。部員集めに失敗したペナルティよ」
有無を言わさぬ冷ややかな視線に射抜かれ、僕は泣く泣く生徒会室を後にした。
◇
「『青春研究部』だと?」
「はい……。その、橘先生に顧問を引き受けていただけないかと……」
「私に顧問? 神宮寺と朝比奈が、お前のような平凡な男を取り合うための箱庭に、なぜ私が加担しなければならないのだ?」
「ど、どうして、そのことを知っているんです……?」
「全校生徒が面白がっている噂を、この私が把握していないとでも思ったか?」
今すぐにでも逃げ出したい衝動を堪え、僕は深く頭を下げる。
「そこを何とかお願いします……! 橘先生しか頼れる先生がいないんです!」
「……ふん、まあいい。名前だけなら貸してやってもいい」
橘先生は引き出しを開けて認印を取り出したが、直前で手を止め、僕を鋭く睨みつけた。
「だが、部の設立には部員が最低五名必要だ。一人でも欠けていれば、この話は白紙に戻すからな」
「……分かりました」
「それと、活動実績も不透明な部活に下りる予算はない。せいぜい、自分たちの小遣いの範囲内で適当にやれ」
「ですよね……」
◇
橘先生の冷徹な宣告を受け、僕は逃げるように生徒会室へと舞い戻った。
「橘先生からハンコはもらったけど、部員が五名揃わなきゃ白紙だってさ。ちなみに部費もゼロだよ」
僕はソファに崩れ落ちるように腰を下ろし、天井を仰ぐ。
「お疲れ様、時雨くん。あの先生って厳しいんだね。でも頑張って偉いよ!」
「……詩織ちゃん、近いんだけど」
「ん? 別に婚約者だから気にしないで」
隣にすり寄ってきた詩織ちゃんが、労うように僕の右腕に強く抱きつく。
対面に座る麗奈さんは、僕に密着する詩織ちゃんを冷ややかな目で見据えつつも、優雅にティーカップをソーサーへ戻した。
「活動実績のない部活への予算配分ゼロは当然よ。それより新たな部員を紹介するわ」
「さ、さすがだね……」
僕が言い終えると同時に、扉が勢いよく開け放たれた。
「麗奈お姉様! ひより、駆けつけましたっ!」
荒い息をつきながら現れたのは、まさかの我が妹、ひよりだった。
「よく来てくれたわね、ひよりさん。わざわざメッセージで呼び出してしまって悪かったわ」
「いいえ、麗奈お姉様が立ち上げた部活と聞いて、いても立ってもいられずです! ところで、あの、ひよりも『青春研究部』に入ってもいいんですか……?」
僕の前では絶対に見せない、しおらしく、愛らしい妹の姿。
麗奈さんは優雅に微笑み、静かに頷く。
「もちろんよ。中高一貫の特例措置として、すでに理事会へ承認を通しているわ。歓迎するわ、ひよりさん」
「ありがとうございます! 麗奈お姉様!」
「あ、あのさ。ひよりは中等部だろ? 特例処置とか分からないけど、なんで高等部の部活に入るんだよ」
「あ、お兄ちゃんいたんだ」
ひよりはつい先までの天使のような笑顔から一変し、底冷えするような声で小さく囁いた。
「モブ兄、黙れ、ゴミ、邪魔、死ね」
「落差がひどすぎるだろ……」
僕だけに見せる内弁慶な猛毒に引きつっていると、ひよりは隣に座る詩織ちゃんを見て目を丸くした。
「……え!? 詩織お姉ちゃん!?」
「ひよりちゃん! 久しぶりだね! すっかり大きくなって」
二人は手を取り合って再会を喜ぶ。
昔から家族ぐるみでよく遊んでもらっていた仲なのだ。
「詩織お姉ちゃんも、この部活に入るの?」
「うん。時雨くんと結婚するために帰ってきたからね。ずっと一緒にいようと思って」
「え……? お兄ちゃんと結婚……?」
ひよりの動きが硬直する。
そしてなぜか、ひどく同情するような視線を向け、詩織ちゃんの手を優しく握りしめた。
「詩織お姉ちゃん……子供の頃の約束をずっと信じてたんだね。健気すぎるよ……っ!」
「ひよりちゃん……!」
美しい姉妹愛のような光景に胸を打たれそうになるが、すれ違いざまに、ひよりは再び僕にだけ聞こえるように呪詛を吐き捨てる。
「お兄ちゃん、麗奈お姉様だけでなく、詩織お姉ちゃんにまで手を出してたとか、ガチキモなんですけど。せいぜい修羅場に巻き込まれて地獄に落ちろ。あと、死ね」
「ぐはっ……」
理不尽な毒舌に胃を押さえていると、さらに追い打ちをかけるように控えめなノックの音が室内に響いた。
「し、失礼します」
重厚な扉の隙間から顔を覗かせたのは、制服姿の灯里ちゃんだった。
理不尽な毒舌に胃を押さえていると、さらに追い打ちをかけるように控えめなノックの音が室内に響いた。
「……あの、失礼します」
重厚な扉の隙間から顔を覗かせたのは、制服姿の灯里ちゃんだった。
「灯里ちゃん!? どうしてここに……?」
「神宮寺先輩が、時雨先輩が立ち上げる部活の人数が足りなくて困っているから、助けてほしいと……」
「ぼ、僕が立ち上げる……?」
なぜか僕が発起人にされているだけでなく、バイト先の後輩の連絡先まで把握しているとは……。
麗奈さんの恐るべき情報網に、再び頭を抱えていると、ひよりがまたしてもパアッと顔を輝かせる。
以前、僕のバイト先に遊びに来た時、灯里ちゃんとすっかり意気投合していたことを思い出した。
「小日向先輩じゃないですか!?」
「ひよりちゃん!? でも、ここは一体……? その、『青春研究部』って、何をする部活なんですか?」
状況が呑み込めず困惑する灯里ちゃんに、ひよりはわざとらしく深刻な表情を作り、麗奈さんと詩織ちゃんへ視線を誘導した。
「小日向先輩、気をつけてください。ここは、お兄ちゃんを取り合うための恐ろしい部活なんです! このままだと、お兄ちゃんはどっちかのモノになっちゃうかもです!」
(ひよりのやつめ……わざと灯里ちゃんの危機感を煽って、修羅場に引きずり込む気だ……!)
「し、時雨先輩を取り合う部活……?」
灯里ちゃんの視線が、優雅に微笑む麗奈さんと、僕の腕に抱きつく詩織ちゃんを交互に射抜く。
灯里ちゃんは唇を噛み締めると、何かを決意したように僕の隣へ並び立つ。
「ダメです。時雨先輩はいつもバイト先で私を助けてくれる優しくて大切な人なんです。時雨先輩が誰かに取られちゃうなんて……私も入部します! 先輩は私が守りますから!」
きっぱりと言い切った声には妙な説得力があった。
麗奈さんの口元が、まるで全てを掌握しているかのように優雅な弧を描く。
「私のプロファイリング通りの素晴らしい反応ね。これで部員は五名。条件はクリアよ」
「ちょっと、これ以上ライバル増えるなんて聞いてないよ! 時雨くんは、私と結婚するんだからね!」
「け、結婚!? 結婚なんてさせませんよ! 時雨先輩の隣にいるのは、この私ですから!」
二人が火花を散らしているところ悪いが、なぜこうなった?
僕は訳も分からないまま、助けを求めるように麗奈さんを見るが、データでも取っているのか、面白そうに瞳が輝いている気さえする。
目の前で繰り広げられる謎の言い争いを前に、僕は絶望して天井を見上げた。
すると、僕の背後に回ったひよりが、いかにも悪そうに口角を吊り上げて小さな声で囁く。
「お兄ちゃん、せいぜい泥沼の愛憎劇に巻き込まれて、ズタボロに引き裂かれて無様に爆発しろ。ゴミ、カス、モブ、死ね」
自らの手でカオスを作り上げた妹は、僕にしか見えない位置で最高に楽しそうな笑顔を浮かべていた。
完璧な生徒会長。
執着の幼馴染。
修羅場を嬉々として傍観する妹。
そして、なぜか僕を守ろうとする健気な後輩。
全員のベクトルが僕へと収束し、逃げ場のない狂乱の部活動が幕を開けた。
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