第十三話 忘れていた声
最初に戻ってきたのは、
映像ではなかった。
音でも、言葉でもない。
——冷たさ。
エリシアは、
自分の胸に当てたままの手に、
ぞくりとした感覚を覚えた。
さっきまで、
確かにあたたかかった場所。
なのに、
一瞬だけ、
空洞になる。
「……っ」
息が詰まる。
理由のわからない圧迫感。
胸の奥が、
きゅっと縮む。
——まただ。
そう思った瞬間、
違和感が、
形を持ち始めた。
しずかにして
誰かの声。
自分の声じゃない。
けれど、
他人とも言い切れない。
視界が、
揺れる。
屋敷の壁が、
一瞬だけ、
色を失った。
——ちがう。
ここじゃない。
エリシアは、
反射的に膝をついた。
床が、
やけに冷たい。
石の感触。
冬の匂い。
視界の端に、
薄暗い部屋。
散らかった床。
閉め切られた窓。
——思い出した。
胸が、
強く、
痛む。
いいこにしてれば
すぐ、もどるから
知らないはずの言葉が、
はっきりと聞こえる。
——うそだ。
小さな手。
自分のもの。
ぎゅっと、
服の裾を掴んでいる。
誰も、いない。
音もない。
足音もない。
ただ、
時間だけが過ぎていく。
おいていかれた
その感覚だけが、
胸に、
深く、
沈んでいた。
「……エリシア……!」
現実の声が、
割り込んでくる。
ミラだった。
淡い光が、
エリシアの視界を照らす。
「……だいじょうぶ……?」
その声に、
映像が、
音が、
一気に崩れ落ちる。
エリシアは、
荒い呼吸のまま、
顔を上げた。
屋敷の廊下。
いつもの床。
いつもの光。
——戻ってきた。
でも。
消えてはいない。
胸の奥で、
小さな子どもが、
震えている。
今まで、
感じていた
理由のわからない不安。
見捨てられる予感。
先に離れてしまいたくなる衝動。
全部、
ここに、
つながっていた。
「……そうか……」
声が、
かすれる。
「……私は……」
ミラが、
近づいてくる。
小さな手で、
エリシアの指を掴んだ。
——あのときと、同じ。
でも、
今は違う。
エリシアは、
逃げなかった。
その手を、
しっかりと握り返す。
「……大丈夫」
それは、
ミラに向けた言葉であり、
胸の奥で震える存在へ向けた言葉でもあった。
——忘れてただけだ。
ずっと、
そこにいた。
怖くて、
小さくて、
置いていかれたと思っていた自分。
守るために、
必死で、
疑って、
先に壊そうとしていた自分。
「……ごめんね」
エリシアは、
小さく呟いた。
誰に向けた謝罪か、
もう、
分からなくてもよかった。
ミラの光が、
ふわりと広がる。
それは、
治癒魔法の光と、
よく似ていた。
——違う。
これは、
戻ってきた光だ。
エリシアは、
胸に当てていた手を、
そっと、
抱きしめるように動かした。
逃げない。
見なかったことにしない。
この痛みは、
敵じゃない。
ここまで、生き延びてきた証だ。
ミラが、
小さく囁く。
「……ずっと……いっしょ……」
エリシアは、
ゆっくりと息を吸い、
頷いた。
「うん」
声は、
震えていなかった。
「……これからは、
一緒に歩こう」
過去も。
今も。
そして、
そばにいる光も。
すべてを、
置いていかないまま。




