甘味と甘味
三題噺もどき―ななひゃくよんじゅうさん。
窓の外には三日月が浮かんでいる。
星の光は小さく光り、薄く雲のかかった夜空が広がっている。
曇り空ではあるが、雨が降ることもないだろう。
「……」
時計を見ると、もうそろそろ休憩の時間だった。
一端区切りもいいし、片づけ始めようかと手をとめたあたりで。
「――ご主人」
「……」
いつもと変わらずノックをしない、小柄な青年が部屋の戸の側に立っていた。
今日はどうやらご機嫌がいいらしく、腰に巻くようなタイプのエプロンをしていた。
後ろ手にひもで結ばれ、垂れたその紐が猫の尾のように揺れている。
「休憩にしましょう」
「あぁ……」
それだけ言い残し、返事を聞いて満足したのか、さっさとリビングに戻っていく。
私も、机の上を少々整え直し、一旦は見られるようにしてから部屋を出る。
端に追いやられていたマグカップを手に取るとその中から、かすかにコーヒーの香りがした。
「……」
電気のついたままの廊下に出ると、甘い香りが漂ってきた。
足元をついてくる者が居ない灯りの下を歩き、リビングへと向かう。
甘い香りは少しずつ強くなっていく。
「……んぉ」
廊下とリビングを仕切っている扉を押し開くと、甘い香りが一気に押し寄せた。
チョコレート菓子を毎日のように作っていたあのバレンタインの時期を思い出す。
子の甘い香りの正体がチョコレートだからなおのこと。思わずうめき声のようなものが漏れるほどには、その香りは強かった。
「……何を作ったんだ」
別段、甘いものが苦手というわけでもましてや嫌いと言うわけでもないのだが。
暴力ともいえるようなくらいの匂いになると、さすがにこれだけで胸焼けを起こしかねない。そう思えるほどにチョコレートの匂いが部屋を満たしている。
「たいしたものじゃないですよ」
そういいながら、私の持っていたマグカップ受け取りながら、一度汚れを落とす。
どうせコーヒーを飲むのだから、洗わなくてもいい……と思ったが、どうやら今日は飲み物まで指定されているようだ。
洗ったマグカップを軽く拭き、その中にティーパックを入れた。自分のマグカップにも同じものを入れ、お湯が沸くのを待つ。
「……」
まぁ、本人が楽しそうなのでいいのだけど。
そんなに甘いものが食べたかったのだろうか。
ホントに一体何を作ったのだろうと、すでに机の上に置かれていた皿を見る。
「……ロッキーロードか?」
「そうですよ」
適当なサイズに切り分けられて、皿に盛られているそれは見覚えのあるものだった。
とはいっても、かなり昔にその国に住んでいたことがあったから見覚えがあっただけで、残念ながら味の詳細までは覚えていない。……ただまぁ、ひたすらに甘かったような気はしている。苦手ではなかったが……。
「これ、中身は?」
「ましゅまろと、ナッツが二種類、あとは少しだけドライフルーツも入ってます」
チョコレートはミルクチョコレートです。
そういいながら、お湯の注がれたマグカップを持ってきた。
そこから漂ってくるのは、りんごの甘い香り。
「……そのアップルティーはどうしたんだ」
「以前買って置いたやつです。賞味期限が切れそうだったので」
どうして甘いものに甘いものを合わせようとしたのか……。
いや、いいのだ。アップルティーロッキーロードも、別に嫌いではない。
甘いものが食べたいときにはいいだろうし、甘いものと甘いものの組み合わせだってないわけではない。
「食べないんですか?」
「いや……」
机に向かい合うようにして、マグカップを置きながら先に席に着く。
私が食べないとコイツも食べないから食べるけれども。
匂いだけで腹がいっぱいになる……確かに仕事をして頭を使ったから甘いものはありがたいのだが。
「……いただきます」
「どうぞ、めしあがれ」
そう答えた目の前に座る悪魔の、目の奥が楽しげに揺れていたのは、気のせいではないだろう。
「んーもう少し甘くてもいいかもしれないですねぇ」
「……お前、これ以上どうやって甘くするんだ」
「それはどうとでもできるんですよ」
「……そうか」
お題:コーヒー・りんご・ましゅまろ