完結 女性に興味が無い侯爵様 私は自由に生きます。
子爵家の長女である私メアリーは十歳の時に流行病で母を亡くしてから七年、今は父と四歳年上で現在二十一歳の兄ジョージと共に王都で暮らしている。
尤も父は一年の半分以上は領地に居るので実質は兄と二人だけなのですが、長年仕えてくれている使用人達も居るので寂しさは感じない。
私は母の影響で絵画を幼少の頃から独学で学びながら、王都にある学院に通っている。
何でも母の父、つまりは私の祖父は宮廷画家だったそうだ。
その祖父も私が三歳の時に亡くなっていて残念ながらその時の記憶はない。
そろそろ卒業も間近なので、父と兄は私に婚約の話を打診してくるがそんな事より絵を描く事にしか興味の無い私はいつも二人からの話をはぐらかしている。
兄は父から領主を継ぐまでといって王宮で文官の仕事をしている。
そんな兄も幼馴染で伯爵家の次女ナタリー様との結婚が間近だ。
私は学院で知り合った親友の男爵令嬢シャーロットといつも行動を共にしている。
実は父と兄には内緒でシャーロットの実家が営んでいる商会で私の描いた絵画を取り扱ってもらっている。
何故内緒かって? 父も兄も私が絵にのめり込み過ぎて結婚をしないのではないかと随分前から心配しているからだ。
まだこの時代、女性は結婚が全てという考えが当たり前だったので当然なのかもしれない。
確かに兄が結婚したらいつまでも実家にいるのは考え物だが、兄の婚約者は長い付き合いで気心も知れているので、本当に結婚したいと思う人が出来るまで遠慮なんかしないでいつまでも居て頂戴と言ってくれている。
でも兄達の様に好きな人と結婚出来る例は少ない。
殆どの場合、家の為か世間体の為の結婚が殆どだ。
私の場合、結婚してからも好きな時間に好きなだけ絵が描けてそれを仕事として認めてくれる人が理想なんだけれど、そんな人いるわけないわよね。
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ハンドリー侯爵家の嫡男で一人息子のジオ・ベイリーは王都で宰相補佐をしていて現在二十三歳だ。
いずれは領地にいる父の後を継ぐがそれまではと、毎日忙しく働いている。
女性には全く興味がなく、たまに出る社交の場では見目麗しいので寄って来る令嬢達が沢山いるのだが一切相手にしない。
ただ幼馴染で従妹であるラナーク伯爵の娘ルナ・ハミルトンのことはたまにエスコートをしている。
ジオは初めて出た社交界で女性に囲まれた時に、余りにも冷たい態度、最もジオにとってはそれが普通なのだが、その時の態度が上位貴族のご令嬢のプライドを傷つけてしまい、その後、ある事ない事、噂を流されてしまいそれ以来社交界から遠のいていた。
そしていつしか女性とは只々面倒くさい存在でしかなくなってしまった。
よって、どうしても出席しなければいけない社交以外は全て断っていた。
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ある日、メアリーの兄ジョージが仕事場の上司から
「確か君の所には年頃の妹さんがいるそうだね」
と尋ねられ
「はい、今年で学院を卒業するのですが、絵を描く事に夢中で結婚の話をしても上手くかわされてばかりで困ったものです」
と答えると
「実は私の友人から息子の結婚相手をと前々から頼まれているんだが肝心の本人が全くその気が無くて困っていてね、もしかしたら君の妹さんも結婚に興味が無いならお互い束縛しない者同士、上手く行くかもしれんぞ?」
と言われたジョージは
「確かに両家共、いつまでも一人と言う訳にはいきませんね」
と返すと
「それに相手は次期侯爵だ」
と言われたので
「うちは子爵家なので釣り合いが取れないのでは?」
と答えた。すると
「それは問題ない。そういうことは気にしない家族だし、なんなら侯爵である私が後見人になっても良い。とにかく女性に興味が無いのでそれを了承してくれる事が最も重要なんだよ」
と仰ったので
「それならきっと、大丈夫です。妹は常日頃から『自由に絵を描かせてくれて、うるさい事を言わず、放っておいてくれる人がいたらいいのに』が口癖なので」
と答えると
「それなら今度、私が段取りを取るので宜しく頼む」
と言われたので
「はい是非に。早速妹に話してみます」
と返した。
そうは言ってみたもののそんな相手でメアリーは幸せになれるのか? 結婚しても、もしかしたら白い結婚かもしれないぞ? でもメアリーだったら自由に絵が描き続けられるならと、案外それはそれで幸せなのかもしれないな。とにかくのめり込むと周りが見えなくなるタイプだからな、取り敢えず帰ってから話だけでもしてみるか。
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屋敷に着き、使用人にメアリーを居間に呼ぶようにと言うとやはり学院から帰ってきて夕食も取らずにアトリエにこもりきりだという。
そして居間に来たメアリーに今日の話をしてみたら、なんと自由にさせてくれる相手なら願ってもないと乗り気になっている。
お前はそれで女として本当に幸せなのか? と言うと幸せの基準は人それぞれだと言ってのけた。
そして
「結婚してからも自由に絵を描かせてくれる貴族の男性なんて、そうそう居るものではないわ」
と言ってから
「このお話を逃したら、私にとって、こんな好条件なお話はもう二度とないと思うわ」
とまで言っている。
それならばと半分諦めと納得で先方に返事をすることにした。
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ジオ視点
先日父の旧友が先触れをして屋敷に訪ねて来た。
予想通り見合いの話だ。
もう何度も断りを入れているのに、
「実は今度の令嬢は少し、いや大分変わっていて、好きな絵さえ自由に描かせてくれるなら他はなにも言わないし、構ってくれなくとも一切文句は言わ無いそうだ」
と言われた。
本当なのか? と思いながら、
もういい加減、両親を安心させても良いかなとも思う。
取り敢えず一度、会うだけならと返事をした。
丁度その時、従妹のルナが彼女の両親から頼まれたといって土産を届けに来ていた。
見合いの話を聞いて興味津々にしていたのが少し気になる。
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ルナ視点
ジオお兄様がお見合い? そんなの絶対許せない。
まして子爵令嬢なんてお兄様と釣り合う訳ないじゃない。
だったら伯爵令嬢の私の方がお似合いだわ。
ただ私の両親は従兄妹同士は血が近いと言って昔から反対しているのよね、でも法的には問題ないのに。
第一肝心のお兄様が女性には全く興味がないし、もし結婚しても相手は放っておかれるだけよ。
元々、ジオお兄様は結婚しなかったら縁戚から養子を取ってもいいって言っているのだから私でもいいじゃない。なんの問題があるのよ!
絶対邪魔してやるんだから!
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今日は、やっと出来上がった風景画をもってロドニー男爵が営むヴァンドーム商会へ行く。
中では親友のシャーロットが待っていてくれた。
早速、絵を見せるとシャーロットのお父様がとっても褒めて下さった。
前回の薔薇の静物画は有力貴族のバース侯爵夫人が買われたそうだ。
夫人はとっても気に入ってくれたらしい。
私は先日、兄から勧められたお見合いの話をシャーロットと彼女のお父様に話した。
二人共、今迄のペースで大好きな絵が描けるならメアリーにとっては趣味と実益を兼ねた良いお話だと言ってくれたが、シャーロットのお父様にその方のお名前を告げると、一度社交界で私のお相手の男性をお見かけしたことがあるが、なんだか凄く冷たい雰囲気の方で、特に女性嫌いで有名な方で心配もしてくれた。
たった一度きりなのに覚えているだなんてそんなに評判の悪い人だという事? 確かに不安ではあるわね。
でもそれって割り切ってしまえばお互い自由で大好きな絵も描きたい放題って事よね? 出来ればこの先も趣味としてではなく仕事としてやっていきたいと思っているので決して悪いお話ではない様な気がするんだけれど甘いのかしら?
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そして、いよいよ私達家族は馬車で二日掛けてハンドリー侯爵領へ向かう事になった。
侯爵夫人は身体が弱く、その上足を痛めて車椅子での生活の為、あちらの領地での顔合わせとなった。
ハンドリー侯爵邸に着くと使用人の皆さんや侯爵ご夫妻が恐縮しながら出迎えて下さった。
「遠い所ようこそおいで下さった。妻の足が悪く、ご足労お掛けして申し訳ない。私がこの屋敷の当主ハンドリー・ハリーダルトワで隣りが妻のオーロラ・ロレーヌです」
とご挨拶して下さった。そして父は
「いいえ、こちらこそご招待頂きありがとうございます。私が子爵家当主のゴドリッチ・ルーカス・バームと申します。隣りが息子のジョージ・ハドソンその隣りが娘のメアリー・マゼランでございます」
と紹介をした。
流石は侯爵邸、我が家の倍ほどはあるお屋敷だ。外観は落ち着きのある歴史を感じさせる建物だった。
侯爵様は
「そろそろ息子も到着する頃ですのでこちらでゆっくりお寛ぎ下され」
と仰ってくださり、その後豪華な応接室に移り、当たり障りのない会話をしている所へ丁度お見合いの相手でもあるジオ・ベイリー様がお着きになった。
「お待たせして申し訳ありません。私がハンドリー・ジオ・ベイリーです。この度は遠い所をありがとうございます」
と、ご挨拶してくれた。そして私も
「初めまして私はメアリー・マゼランと申します」
と、改めて挨拶を交わし合った。
まあ常識はある方みたいで安心はした。
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侯爵邸の中ではお互いの家族が初めてとは思えない程、穏やかで心地の良い時間を過ごせた。
ただ、ジオ・ベイリー様だけは口元は笑っているが目は確かに氷の様な冷たさを感じた。
ご両親はとても仲の良い笑顔が素敵な方達なのにそこだけは残念に感じられた。
最も最初から優しさなど、期待はしていなかったので、さほど気にもならなかったというのが本音ではあった。
そして暫くすると、あちらのご両親が気を効かせてくれて、二人で庭の散歩でもして来たらどうかと言って下さったので、早速案内をしてもらう事にした。
流石は侯爵邸のお庭、思わずキャンパスが有れば直ぐにでも描きたくなるような素晴らしいお庭だった。
暫く並んで歩いていたが、相手は会話もしてこなかったので、私の方から話し掛けてみた
「素晴らしいお庭ですね」
だけどシーン。暫くしてから
「母の為に父が作らせたものです」
と、ボソリと言う。
私は
「そうなのですね」
としか言葉が見つからない。
またシーン。と会話が全く続かず気不味い雰囲気のところで後ろの方から女性の声で
「お兄様ー」
と大きな淑女らしからぬ声がした。
その声の主はいきなり二人の間に割って入り、彼の腕にまとわりついてきた。
すると彼が
「ルナどうして君がここに?」
と腕組みされたまま驚いていた。
そして彼女は交戦的な態度で私に
「お兄様は私の従兄で幼馴染なんですよ、だから是非お相手の方にご挨拶したくって来てしまいました」
そう言いながらベタベタしたままです。
そして私に向かって
「初めまして私はラナーク伯爵家のルナ・ハミルトンです、確か貴女は子爵家のメアリー様ですよね?」
といかにも爵位は私が上よ、みたいな態度です。
そうしてそのまま皆さんのいる所へ戻ると、いつの間にか腕組みをはずしてしおらしく私の後に付いて来た。
それから皆さんに挨拶だけしてあっという間に去って行かれた。
いったい何がしたかったのかしら?
そして夕方になり私達は引き留められたが、もう既に宿を取ってしまっているし、明日いちばんで戻らないと兄の仕事があるので今度は是非、足の具合が良くなったら王都でお会いしましょう。と言って侯爵邸を後にした。
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その後、三ヶ月ほど経った頃、王都の私達の屋敷に侯爵様達をお招きして、私の学院の卒業を待って婚約し、その後半年してから結婚式という運びになった。
兄からは本当にそれでいいのかと何度も確認されたが、私の頭の中は既に学院の勉強から解放されて思う存分絵が描ける喜びでいっぱいだった。
まさか結婚後、あの時の伯爵令嬢に嫌がらせを受ける事になるなど夢にも思わなかった。
実はお互いの家族には内緒だが、私達二人の間では簡単な取り決めがあった。
それは互いに干渉せず最低限の社交は一緒にする事。
使用人の手前、夫婦の寝室はあるがその部屋を挟んで別々の部屋で過ごす事、互いの家族の前では普通の仲の良い夫婦として振る舞う事など。
それは私が言い出したと言うよりは女性との会話が苦手だという彼からの提示だ。
勿論、願ってもない事なので私の方も大好きな絵を自由に描かせてくれさえすればなんの異存はないと伝えた。
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遂に結婚式当日を迎えた。全てを知っているシャーロットだがこの日の為にヴァンドーム商会の総力を使って私のドレスからアクセサリー、メイクまで磨きに磨き上げてくれた。
正直自分でも驚くほど完璧な淑女に仕上がった。
シャーロット曰く磨けば光るタイプなのだとか。ただ、いつも髪は邪魔にならないように後ろで束ね、下手をすると顔にまで絵の具の顔料をつけながら作業をしている為、普段の私を知っている人達は皆一様に驚いている。
女性嫌いな? どうやら従妹は別の様だか、ジオ様でさえ思わず二度見をしていたくらいだ。
ベールを上げ軽く頬に誓いのキスをされ、無事結婚式は終わった。そして普通なら初夜を前にドキドキする所だが私達の場合はそれが無い。
それに私は結婚式前日までシャーロットの商会の依頼で前回買って頂いたバース侯爵夫人の肖像画の仕上げを徹夜でしていたので眠気との戦いだった。
せっかく気合いを入れて湯浴みを手伝ってくれた侯爵家侍女のアンには心の中で謝って、自分の寝室でお昼近くまで爆睡してしまった。
起きてから夫婦の寝室を軽く乱してから侍女を呼び着替えを手伝ってもらいながら旦那様の事を聞くと、仕事で朝早くに出たと言う。その際、奥様の事は起こさない様に気を使っていたという。
すっかり
「お優しい旦那様ですね」
と騙されてくれていた。私は遅い朝食をとった後、早速アトリエ兼自分の寝室で作業を開始した。
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結婚してひと月が経った。
基本、朝晩早い旦那様と朝晩遅い私との生活は当然、すれ違う。
その頃には使用人達もおかしいのでは? と思っている様子だったが流石に面と向かって聞いては来ない。
アンでさえも
「新婚なのにお二人共、お仕事優先なんですね」
くらいに、留めてくれている。
ただ、その間に三回程、旦那様の従妹に突撃され、仕事の邪魔をされたが旦那様がいないと分かると
「結婚しても少しも大事にされていないのね」
と嬉しそうに去って行くだけですが、一体、目的は何なのかしら?
暫くして、私はやっと商会の仕事が一段落したので旦那様のご実家である、あの侯爵邸の見事なお庭の絵が描きたくて訪ねる事にした。
旦那様に相談すると喜んで送り出してくれた。
出発の朝馬車に乗ろうとすると珍しく旦那様が顔を出してくれたが、何故か従妹のルナ様もひょっこり顔を見せて、旦那様の腕にぶら下がりながら「叔父様達に宜しくねー」と手を振っている。何故かムカッとした。
ご実家へのお土産として義父様には大好きなワインと義母様には今、王都で人気のお菓子を持って訪ねた。
二人共とっても喜んでくれて一番お庭が良く見えるお部屋を用意してくれた。
新婚なのに一緒に来ない旦那様の事を怒っていたが
「とにかく今、宰相様のお手伝いが忙しいので仕方がないのです」
と言うと
「全くいつも忙しい、忙しいと口癖ね」
と呆れながら
「ほんと理解のある奥さんで良かったわね」
と言われ思わず苦笑してしまった。
その夜は三人でたわいのない話しをしながらゆっくりと食事を楽しんだ。
次の日の朝ふと目覚めカーテンを開け、庭を見ると義両親がとっても仲良さげに散歩を楽しんでるのが見えた。
私は思わず画用紙を取り出しデッサンを始めた。
まだ顔も洗わず着替えもしないままだが、手が勝手に動いていた。
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ジオ視点
妻が、仕事も一段落したので領地にある侯爵邸の庭を描きたいと言って出発する朝、見送りする為に表に出ると何故か従妹のルナが顔を出した。
妻に勘違いされたくなくて、絡んでくる腕を払おうとしたが、あまりに強い力なので簡単に振り払えなかった。
今迄だったらどう思われ用が気に掛ける事など無かったがらその時は自然とそうしていた。
今迄に無かった感情だ。
ルナにまとわりつかれるのは子供の頃からなのですっかり慣れてしまったせいか、妹みたいな存在だったので嫌悪感は感じなかったが、最近では何故か妻の前では辞めて欲しいと思う様になっている。
妻と初めて会っ時、清楚な感じで、芯の強そうな瞳をしているなと思った。
そして侯爵邸に来た時に廊下を歩きながら壁に飾ってある絵画を興味深げに真剣に見つめていたのが印象的だった。
絵を描くのが何よりも好きだと聞いていたのでどんな絵を描くのか気になった。
妻が領地に発って暫くして学院時代からの親友のオリバーの家に行った。
彼とは何故か馬が合い、時々お互いの屋敷を行き来する仲だ。
同じ侯爵家同士なので爵位に対する気使いがないのも気が楽なのかもしれない。
その彼の屋敷へ行った時に今迄は無かった大きなオリバーの母君の肖像画が飾ってあった。思わず見入ってしまった。
他にも沢山の絵画が飾られているがこの作品は他の絵画と違って見えた。
何と言ったらいいのか、見た瞬間の印象の違いを感じる物だった。
確かに綺麗な方だが良く特徴を掴んでいるだけではなく、全体的な雰囲気が柔らかく、上手く言葉では表現できないが、とにかく目を奪われる作品だった。
ただの肖像画にこんなに感動を覚えたのは初めてだった。
すると後ろからオリバーが
「最近、母が見つけたお気に入りの画家なんだ。なんなら同じ画家が描いた絵が応接室もあるぞ」
と言って案内してくれた。
それは、薔薇の花を描いた作品だった。
先程の肖像画に感じた柔らかさに加え存在感も感じた。
正直絵にはあまり詳しくはないがこんなに感動をしたのは初めてだった。
思わず妻はどんな絵を描くのだろうと一度も目にしたことのない妻の絵に興味が湧いた。
少しするとメイドがいつものようにワインとチーズなど軽いツマミを用意してくれた。
久しぶりにオリバーとの話に花を咲かせていると、そこに彼の母君が帰ってきた。
「あら、いらしていたのね、そう言えば新婚生活はいかがかしら? 楽しくやっているのでしょう? なんだ、奥様も一緒に連れてこられたらよかったのに」
と言われ
「いや、今は私の両親の領地に行っているんです」
と言うと
「あら良いお嫁さんね」
と言われ
「嫌、違うんです。仕事が一段落したので今度は領地にある屋敷の庭に興味があって、そこの風景を描きたいからと先週から行っているんです」
と答えると
「あらそう言えば画家のお仕事をしているってオリバーから聞いてたわ。どんな絵を描くのかしら? 今度是非見てみたいわ」
と言われたので
「ええ、機会があれば今度是非」
と返しておいた。
最もこの私もまだ見た事がないとは言わないでおいた。
ーーーー
義両親が仲良く二人で花の香りを楽しんでいる。
確かあの花はマーガレット? 嫌、違うカモミールだ。
マーガレットより小振りの花でハーブティーの原料にもなっているりんごに似た香りの花だ。
そんなお二人の姿があまりにも絵になっていて、つい時間を忘れて描き出す。
するとコンコンと扉の外から音がした
「どうぞ」
と言うと王都から付いて来てくれたアンがお湯の入った洗面器を持ってきてくれた。
着替えを手伝ってもらいながら
「義父様と義母様は本当に仲がよろしいのね」
と言うと
「領地に戻られてからは何処に行くにもいつもお二人ご一緒で本当に羨ましいです。そう言えば来月が丁度二十五回目の結婚記念日だってお聞きしました」
と、聞いて
「あら、それでは何かお祝いしないといけないわ」
と答えながら、何かお好きな物はないかしらと考えながら外を見た瞬間、あー今まさに描き始めていたお二人の絵を仕上げて渡せたら、喜んで下さるんじゃないかしら? と思い早速デッサンを続ける事にした。
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妻が領地に行ってから半月経つが今だに戻って来ない。
幾らお互い干渉しない約束だとしても気にはなる。何故だろうと考えながら廊下を歩いていたら執事のジャンが
「大奥様からお手紙です」
と言って手渡された手紙を読むとそこには来月の頭に行う二十五回目の結婚記念日の祝いの事が書かれていた。
妻もそのパーティーに参加するのでそれまでこちらで預かるので心配無くと書かれていた。
そしてどうせ貴方は忙しいでしょうから気にしなくて大丈夫だからと。
全く人を何だと思っているんだと少し腹が立ったがそういえば一度も気にしてこなかったことに気づいた。
今年に限って顔を出すのも変かとも思ったが、取り敢えず仕事の調整は出来ないかと王宮に急いだ。
早速、宰相閣下に事情を説明して徹夜をしながら五日間の休みをもぎ取った。
往復の時間を考えると滞在は当日の一日しかないがそれでも向かうことにした。
そこまでしたことなど今迄あっただろうか? なんだか最近の自分は変では無いかと思いつつ、取り敢えず馬車に乗り込んだ。
後になってよくよく考えたら馬で飛ばせば二日は短縮出来るのに馬車を選択したのには、帰りは妻と一緒に馬車で帰ろうと無意識に思い行動している自分に驚いた。
ーーーー
ルナ視点
全く邪魔する間も無い程早く二人は結婚してしまったわ。
こうなったらとっとと別れてもらいましょう。
むしろその方が私の両親を説得しやすいわ。
だって子供さえ作らなければ血が近くても問題ないんだし私も余り子供は好きじゃない、いざとなったら私の兄の子を養子にすれば一石二鳥よ。
元々お兄様は縁戚から養子を取るって言ってたくらいだし。
あの女が侯爵邸の領地へ行っている間にお兄様との仲を深めようと毎日のようにお兄様のいるタウンハウスに通っているのに全く会えない。
相変わらずお仕事が忙し過ぎるのは分かっているけど、こうも会えないなんて本当にイライラする。それでも、もしかしたらと今日も訪ねたら、執事のジャンが
「若旦那様はご両親の結婚記念日の為、先程領地に向かわれました」
と言う。
そんなーあの二人が一緒に叔父様達のお祝いをするなんて絶対許せない! 私もすぐに自宅に戻り支度をして馬車で追いかけることにした。
馬車に揺られながら結婚が決まった時のお兄様の事を思い出す。
ただ、周りがうるさいから結婚するだけでお互い恋愛感情など無い契約結婚の様な物だと言うから黙って見過ごしたのに最近のお兄様は何か今迄とは違う気がする。
もしかして、あの女が居るから領地へ向かったの? 不安な気持ちを抱きながらお兄様を追いかける。
ーーーー
メアリー視点
義両親の結婚記念日のパーティーに参加する為、予定より長くこちらに滞在する事になった。
一応旦那様に手紙で知らせた方がいいかと思ったが、お義母様が気を効かせてくれて、もう手紙を送ってくれたと聞き一安心だ。
もっとも、私がいつ帰ろうが気にも留めないとは思うけれど。
私は、何とか結婚記念日までに絵を仕上げたくて毎日遅くまでキャンパスに向かっている。
義両親達には絵のプレゼントは内緒にして
「是非、結婚記念日のお祝いを一緒にさせて下さい」
と言ったら、お二人共
「今年の結婚記念日は賑やかになるな」
と、とても喜んで下さった。
私は徹夜をしながらも何とかその日までに仕上げる事が出来た。
自分なりに納得のいく作品に仕上がった。
お二人が揃ってカモミールの花にお顔を近づけながら香りを楽しんでいる光景が生き生きと描けた。
そして結婚記念日当日、王都から旦那様が駆けつけて来たのには驚かされた。義両親達は
「今迄ジオに祝って貰った事など一度もない」
と言っていたからだ。
それでも義両親やアン、他の使用人達も嬉しそうだ。
朝早くから皆が頑張ってくれたお陰でテーブルの上には豪華な食事やお花が並んでいる。
「今日はとっておきのワインを開けよう」
とお義父様は上機嫌だ。
「今日は無礼講だ、さあ皆んなも座ってくれ」
そうして皆で乾杯する寸前
「叔父様、叔母様おめでとうございます!」
と大きな声でルナ様がやって来た。
一瞬皆、目が点になっていたが、すかさず使用人が席を用意したのだが、ルナ様は使用人に命じて私と旦那様の間に椅子を運ばせた。
皆、言葉に詰まっていたがルナ様は一切気にすることなく
「乾杯!」
とグラスを掲げた。
茫然としながらも皆もグラスを掲げたのだった。
そしていつもの様に旦那様の腕に自分の腕を絡みつけながら
「どうして私を誘ってくださらなかったの?」
と頬を膨らませながら怒っていた。
「まあまあ、せっかく来たのだから私達の隣りに来ておくれ」
とお義父様が助け舟を出して下さったが、勿論聞く耳をもたない。思わず私が義父様と義母様のお側に移った。
お義父様は
「兄がすっかり甘やかして育ててしまったみたいだ、済まない」
と謝って下さった。私は
「それよりほんの気持ちではありますがお義父様とお義母様にプレゼントを用意させて頂きました」
そう言ってアンに目で合図を送った。
するとアンは私の部屋から直ぐに絵を持って来てお二人の前に差し出した。
絵を見た瞬間その場にいた皆が、感嘆の声を上げてくれた。
「この絵はメアリーさんが描いて下さったの?」
びっくりした顔でお義母様が私の顔を見た。私は
「実は私のお部屋から毎朝お義母様達がお散歩する姿を見ていたら、どうしても描きたくなってしまって、是非結婚記念日迄にって、間に合って良かったです」
するとお義父様が
「こんな心のこもった贈り物は初めてだ」
と、とても喜んで下さいました。
ルナ様は物凄い形相で睨んでいます。
旦那様はというと、ただ驚いた様子で私の描いて絵をガン見しています。
そして暫く見つめ続けた後、この絵の額縁は是非自分にプレゼントさせてくれと言って下さいました。
ーーーー
その日の夜は、私は自室で、旦那様は元々こちらでのご自分のお部屋で、ルナ様は客室で休みました。
そして次の日の朝、旦那様はお仕事の為、王都へ帰らなければいけないので私の部屋へやって来て
「良ければ一緒に王都へ帰らなか」
と言ってきました。
しかしそこにルナ様がやって来て
「お兄様、私も同じ馬車で帰ります。私の乗って来た馬車は、昨日そのまま返してしまいましたので」
と言うので
「でしたらどうぞお二人でお帰り下さい、私は画材など嵩張る荷物も多いので別の馬車でアンと帰りますから」
と言って義父様と義母様にご挨拶に行った。
ルナ様は旦那様を引っ張りながら馬車に乗せ挨拶もそこそこで去って行かれた。
その様子を見ていたお義父様達は
「本当に昨日からすまないね、だがジオとは上手くいってないのではないか?」
と大変心配なさってくれたので「いえ本当に大丈夫ですどうぞご心配なさらないで下さい」
と苦笑いになってしまった。
その後、義両親や屋敷の皆さんに挨拶を済ませ、アンと二人で帰路についた。
ーーーー
ルナ視点
やっとお兄様と二人きりになれたと思ったのにお兄様ったら、やたらと不機嫌そうで私が一生懸命話し掛けているのに寝たふりなんかして信じられないわ。それもこれも全部あの女のせいだわ。
おまけに、これみよがしにあんな絵なんてプレゼントして、そりゃあ私は慌ててお兄様を追いかけて行ったから何も用意しないで行ったのは少し不味かったけれど。
それにしても途中、一泊した宿でもこんこんとお説教が始まるし
「結婚前の女性と一緒にいたらあらぬ噂を立てられるし、何より私はもう結婚しているんだぞ。もう子供の頃とは違うんだ」
ですって、そんなこと前のお兄様だったら絶対言わなかったわ。
このままいけば、すぐにでも離婚するかと思っていたけれど難しそうだわ。これは何とかしなくては。
取り敢えず明日王都に帰ってから作戦を考え無くては。ぐずぐずしていられないわ。
ーーーー
ジオ視点
帰りの馬車で妻と二人でゆっくりと話しが出来ると思っていたのにまたルナに邪魔されてしまった。
何でこうも邪魔ばかりしてくるのだ? 流石に子供の頃とは違うという事を本人に言ってみたが、きちんと理解してくれただろうか? こんな事を繰り返していたらまた変な噂が立ちかねない。
社交界に出初めてすぐの時も、ありもしない嘘の噂に散々な思いをしたのだから。
それより妻が両親の為に、あれほどの素晴らしい絵を描いてくれたのは正直とても嬉しかった。
初めて見る筈の絵なのに初めての様な気がしなかったのは気のせいだろうか? そうだ妻が帰って来たら王都の街に誘ってあの絵の額縁を一緒に選んで貰おう。
これで誘う為の良い口実が出来た。
ーーーー
アンと共に王都の屋敷に戻って来た時には、旦那様はすでに王宮へ仕事に行った後だった。
屋敷の使用人達にお土産を渡し、久し振りに自室のアトリエに入るとなんだか懐かしく落ち着く。
いつの間にかこの空間が自分の居場所になったのだと実感する。
今日は部屋でゆっくり過ごし、明日にでもお土産を届けながらシャーロットの居る商会へ顔を出そう。
今度は何を描こうかと考えながらソファに座っていたらいつの間にか眠りに落ちていた。
夕食の時間になり、アンが部屋に来るまで熟睡してしまった。
相変わらず旦那様はまだ帰ってこないようなので先に食事を済ませてから湯浴みをした。
すっかり目が冴えてしまったのでキャンパスの前に座ってみたがなんの構図も思いつかない。
仕方がないのでハーブティーでも飲もうと思い階段を降りていく、流石がに時間も遅いし今日はアンも疲れているだろうからと自分で取りに行くと、そこで丁度帰って来たばかりの旦那様と目が合った。
「お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま。こんな時間まで起きているなんて珍しいな」「帰って来てうとうとしてしまったらすっかり目が冴えてしまったのでハーブティーでも淹れようと思いまして」
「アンは居ないのか?」
「もう、夜も遅いので、宜しかったら旦那様にもお淹れしましょうか? お食事はもうお済みですか?」
「食事は済ませてきたので、では私もお茶を淹れてもらおうか、今着替えて来る」
そう言って旦那様は階段を上がって行った。
そして直ぐに戻って来て、居間で二人だけでお茶を飲む。
結婚しているのに屋敷で二人だけでお茶を飲むのは今夜が初めてだなんてなんだか少し気不味い。
すると旦那様が両親の結婚記念日のお祝いのお礼を言ってくれた。そして
「今度休みを取るから街に買い物に付き合ってくれないか? お祝いの絵の額縁を一緒に選んで欲しいのだが」
と、言われたので
「はい、では日時が決まったら教えて下さい」
そうしてぎこちないお茶会は終了した。
ーーーー
暫くして、旦那様がやっと休みが取れたので、この前の約束通り二人で王都の街にやってきた。
そしてシャーロットのお父様が営むヴァンドーム商会へと向かった。
数ある支店の中でも特に画材を主に扱っている店だ。店員に寸法を伝えてその中から選ぶのだが、
真剣な顔で旦那様が悩んでいる。
「あの絵の雰囲気を壊さないようにあまり派手な色ではなく、これなんかどうだろうか?」
とアドバイスを求めてきたが 実は私も一番それがしっくりきていた。
それを伝えると嬉しそうに微笑んでくださった。
こんな笑顔もするのだと驚いた。
そしてすぐに、領地にいる両親の元へと手配をしてもらった。
目的が済んだので、近くのおしゃれなお店で簡単な昼食を取る事にした。
「考えてみればこれが初めての
デートですね」
と二人して笑い合った。
王宮での仕事や私の絵の題材の話しなど意外と話は盛り上がった。
その後、店を出て待たせていた馬車のところまで戻る途中、後ろの方から
「おーい、ジオー」
と声がする。振り返ると旦那様が
「なんだ、オリバーか」
と言われると
「何だはないだろう。こちらは確か奥方か?」
と、聞かれたので
「はい、妻のメアリーと申します、結婚式の時はありがとうございました。あの時は時間がなく、簡単なご挨拶だけで失礼致しました」
と答えると
「嫌、あの様な場所では仕方ない、いきなり大勢の人を紹介されたって覚えきれないよ。それよりせっかくだからこれからうちに来ませんか? 君、画家なんだってね。母は絵画が好きで是非、我が家のコレクションを見に来てよ」
と言われ
「画家だなんて、まだほんの駆け出しです。でも今題材に行き詰まっていて、是非拝見させて下さい」
と返すと
「お前なーやっと取れた休みなんだぞ!」
と旦那様が言うと
「奥方が見たいって言ってんだから黙ってつきあえ」
と言い返されていた。
そして、その後オリバー様のお屋敷に向かうことになりました。
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オリバー様のお屋敷に向かいながら馬車の窓から外を見ると、それは見慣れた風景だった。
そしてお屋敷に入って行く瞬間思わず
「オリバー様ってバース侯爵家の方なんですか?」
と訪ねたら旦那様が
「こう見えてこいつは侯爵家の嫡男だ」
と教えてくれた。私は
「こんな偶然あるのですね。実は私、こちらのお屋敷へは何度も伺っていたんです」
「え? 何故? いつ頃?」
オリバー様が驚きながら聞いてきたので
「実はオリバー様のお母様の肖像画を描かせて頂いたんです」
と伝えると、旦那様が驚きながら
「なるほど、どうりで両親の肖像画を見た時なんか引っかかっていたんだ。専門的な事はわからないがタッチが似てるというか、同じ様な雰囲気を感じたんだ」
そうおっしゃられたのだが、私は逆に旦那様の感性に驚かされた。
そして今度はオリバー様が
「今日は母も屋敷に居る筈だから是非会っていって。コレクションはもう全て見ているだろうから参考にはならないが、それより母を驚かせたい」
と、茶目っ気なお顔で仰ったので
「はい、私も久し振りにお会いしたいです」
と返した。
そうして応接間に通されると、すぐに侯爵夫人がやって来た。
そして挨拶もそこそこに夫人は私がジオ様の妻だと知って、腰を抜かす勢いで驚かれていた。
本当に世の中に、こんな偶然があるものなのかと改めて驚いた。
私と旦那様の結婚式は旦那様のご意向もあって極、親しい方々を招いてのものだったので、親友であるオリバー様やシャーロットは出席くださったが、そのご両親達はいらっしゃらなかったので、もし来ていたら結婚式の時にお互い驚いていただろう。
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オリバー様のお母様である侯爵夫人は、シャーロットのお父様とは長いお付き合いらしく、そのお父様から娘の友達なんだがまだ若いのにとっても才能のある子の作品なんだと言って、初めて買って頂いた絵を見せられたそうだ。
そして一目見て気に入り、だったら肖像画を描いてもらおうという話になったのだと、その時の経緯を話してくれた。
そして四人での楽しい会話の中で夫人が来月の王宮での社交界の話しを始めた。
すると旦那様が
「今だに社交界は苦手であまり気が進まないのでどうしょうかと思っていたところです」
と夫人に告げた。しかし夫人は旦那様を説得するように
「貴方もいずれは侯爵位を継ぐ身なのだから、今のうちからきちんと顔を繋げておかないと。それに結婚したのだから奥方のお披露目もしなくてはなりませんよ」
と論されていた。
旦那様は社交界で、過去に余程嫌な思いをなさったのだなと感じた。
だからそんな気持ちを打ち消す事が私の使命の様な気がして思わず
「私もご一緒しますから是非出てはみませんか?」
と口にしていた。
すると旦那様はとても驚いた表情をなさって
「君は嫌では無いのか?」
「いいえ、私なら大丈夫です! なんなら旦那様の盾になってみせますわ」
と強がってしまった。だって最低限の社交は元々結婚の時に約束していたのだから。
それを聞いていた夫人は
「流石はメアリーちゃん、何かあったらいつでも力になるから何でも言って頂戴ね」
と心強いお言葉を頂いた。
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オリバー様のお屋敷での団らんの後、何だか今迄の旦那様との距離が嘘の様に縮まった。
そしてお仕事から帰って来るのも早くなり最近では当たり前の様に一緒に食事を取っている。
食事をしながら旦那様が
「そういえば今日、父から手紙が届いたんだが、先日送った額縁が凄く君の描いてくれた絵に合っていて早く二人に見て貰いたいと書いてあったんだ」
と、とっても優しい笑顔で仰ってくれた
「それから、来月の社交界用のドレスとアクセサリーなんだが、明日君の親友の実家のヴァンドーム商会を屋敷に呼んでおいたので好きな物を選ぶといい」
そんな気遣いまでしてくださった。
私はあまりの嬉しさにどんな言葉も思い付かずに只々満面の笑みを返すのがやっとだった。
次の日の夜、いつもの様に旦那様と食事をしていると突然ルナ様がやって来て、
「お兄様、来月の王宮での社交界は参加なさるのですか?」
と尋ねてきた。旦那様は
「勿論その予定だが」
と仰っしゃられたら
「是非ルナのエスコートお願いします!」
と言ってきた。
すると旦那様は
「それは無理に決まっているだろう? 今の私には妻がいるのだからルナは自分の父上にでも頼んだらいい」
するとルナ様は物凄い形相で「どうして? 今迄はルナが頼めば必ず引き受けてくれてたじゃない」
そう言われて旦那様は、
「今迄とは状況が違うだろう? それに何度も言うが今の私は結婚しているのだぞ。妻をエスコートするのは当たり前だろう?」
それでも納得がいかないルナ様は私の顔を思い切り睨んで帰って行った。
私は旦那様に
「宜しかったんですか?」
と尋ねると
「当然のことを言ったまでだ」
と仰った。そして私に
「今度の社交界は本来貴族なら当然参加しなければならなかったので君がいてくれて心強いよ」
と仰ってくださった。それを聞いた私は『何としてでも旦那様の盾にならなくては』と改めて強く思ったのだった。
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ルナ視点
自宅に戻り、見境なく周りのものに当たり散らす。
しかし一向に悔しさが治らない。
なんとか早くあの女を排除しなければ取り返しが付かなくなる。
女性嫌いなお兄様が唯一私の事だけは側においてくれていたのに、それがただの従妹だったからだなんて、私の気持ちはどうしてくれるの? どうせあの女とは白い結婚で、別れた後なら周りも私の事を認めてくれやすくなると思って我慢してたのに、こうなったら手段は選んでいられないわ。
私はある男の事が頭に浮かんだ。ちょとばかり顔が良く、羽振りもいいから相手にしてあげたけれど、しょせんは平民、この私が本気になる訳無いじゃない。
あの男だったら私のいいなりになってくれる筈。今に見てなさいよお兄様を私から奪ったこと、必ず後悔させてやるんだから。
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社交界当日、私は朝から侍女のアンに気合いを入れて磨かれた。
旦那様が揃えてさ下さったドレスやアクセサリーを身に付けて髪はハーフアップに結い上げて貰った。そして旦那様が待つ階下に降りるとそこにはとっても驚いた顔の旦那様が居た。そして私を見ると
「とても良く似合っている」
そう言ってエスコートをして下さった。
思わず自分の顔が赤らむのが分かる。
そうして馬車に乗って王宮に着くと大勢の人目を感じた。
するとこれ見よがしにヒソヒソ話が聞こえてくる
「もしかしてあの方が奥様?」「結婚したとは耳にしたけれど本当だったのね」
「あれほど女性嫌いだったのにね」
「そういえば相手は確か子爵家の方だって聞いたけど、どんな手を使ったのかしらね?」
などなど、すると旦那様の顔色がみるみる変わってゆくので、これは不味いと思い、私は思わず旦那様の耳元に大丈夫ですからと囁いた。するとそこへオリバー様のお母様が
「メアリーちゃん、元気にしてたの?」
と大勢の上位貴族のご婦人達を引き連れて来て下さって、皆様に私の事を紹介してくださった。
すると先程まで噂話しをしていた令嬢達がバツの悪そうな顔をして去って行った。
それを横目に見ながら
「メアリーちゃん、ああ言う輩は何処にでもいるものよ、絶対負けちゃダメよ、何かあればわたくしの名前を出しても構わないからね。いつでも助けてあげるから安心して強気に出なさい」
と仰ってくださった。そして旦那様に
「これからは守る人ができたのだから今迄みたいにやり過ごすだけではダメよ」
と仰った。
すると旦那様は
「勿論、承知していますよ」
と返していた。
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ルナ視点
あの男、今日はちゃんと来てるかしら? あの男の父親は大勢の貴族を顧客に持つ商会をやっているのだから今日の社交界の招待状位、簡単に手に入るって自慢していたけれどまだ姿が見えないわね。
もっとも、今日は会場で会っても絶対声を掛けないでときつく言ってあるから私が気づかないだけかもしれないわ。
お兄様がエスコートしてくれないから仕方なくお父様に頼んだのだけどお父様ったら挨拶があるからと何処に行ったのかしら? 私はあの男の姿を見つけ次第お兄様とあの女に近づかないと。
あら、あの二人、オリバー様のお母様達と一緒だわ。今は不味いわね。
漸くあの男の姿を確認して目で合図を送った。ちゃんと女連れで来ているわね。男一人で声を掛けたら流石に警戒されてしまうからちゃんと口の堅い女を選ぶ様に言っておいた。
私はあの二人がダンスから戻ってきた来たところでお兄様にはワイン、あの女には媚薬の入った果実水を持って近づいた。
そして二人にそれぞれ飲み物を渡して
「お兄様エスコートして下さらなかっのだからこれを飲んだら一曲だけでいいので私と踊って下さい。ね、メアリーさん一曲だけお兄様をお借りしてもよろしいかしら?」
するとお兄様はあからさまに困った顔をしたがあの女が
「旦那様、私は少し休憩するのでどうぞ行ってらして下さい」
そう言って窓際に移動して行った。
私はすかさずお兄様のワイングラスを近くにいたウエイターに渡してお兄様の手を取りダンスに向かった。
ダンスを踊りながらあの女が果実水を飲むのを確認して心の中でやったーと叫んだ。
そしてもう一曲だけ踊ってくれたら、今日はお父様と大人しく帰るからお願い、あと一曲だけと言って時間を稼いだ。
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メアリー視点
なんだか急に身体が火照り、うっすら額に汗を感じたので旦那様が戻る前にパウダールームへと急いだ。途中廊下で動悸がしてどうしてしまったのかしら? と不安になったところで見知らぬ男女の二人連れに声を掛けられた。
「お顔のお色が悪い様ですが大丈夫ですか?」
と尋ねられ
「何だか急に気分が悪くなってしまって」
そう言うと女性の方が手を貸して下さって、今度は男性の方が
「そうだ僕達が今丁度使っていた休憩室がすぐそこだから良かったら使って下さい」
そう言って案内してくれた。
そこには三人掛けのソファーがありそこに私を座らせてくれ、女性の方がすぐに、お水とタオルを持って来ますと出ていった。
すると男性の方がドアの内鍵をかけ近づいて来た。
一瞬、恐怖を感じたが、どうにも動悸がして汗が止まらない。男は私を押し倒してドレスの裾を上にもち上げた。私は物凄い勢いで抵抗をしたが両肩を押さえられて動けない。いよいよ不味いと思った瞬間、渾身の力を込めてなんとか動く足で男の股間を蹴り上げた。男は思いっきり顔を歪め股間を手でおさえている。私はその隙にドアに向かって駆け出しドアの内鍵を開け、転がる様に外へ出た。
すると私を探して焦った様子の旦那様とその後からオリバー様が駆けつけてきた。
私は思わず旦那様に抱きついて「怖かった」
と涙を浮かべた。
私の様子が普通では無いとわかった旦那様がすぐに私を抱き抱え、オリバー様に
「中に誰か居る筈だ、すく騎士団に突き出してくれ、私は妻をすぐに屋敷に連れ帰る」
そう言って馬車まで私を抱き抱えながら走った。
息が荒く身体が火照り苦しそうな私を、大丈夫だからと言って、ずっと抱きしめたままだった。
「ルナのやつたぶん果実水の中に媚薬を盛ったな。済まない私が付いていながらこんな酷い目に合わせてしまった」
そう言って、強く私を抱きしめている。
そして屋敷に着くなり私を抱えたまま使用人達にはしばらく部屋には来ないでくれと言って二人の寝室に入った。
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寝室に入ると一緒にベッドの上で抱きしめてくれている。
そして苦しそうな私に
「済まないこんな形で君の初めてを奪いたくはなかったが、この苦しさを取るには他に方法がない」
そう言ってそれは優しく丁寧に私を抱いた。
私は薬のせいか痛みも感じず、むしろこんなにも満たされるのは初めての経験だった。
全てが終わりそれでも旦那様は私を抱きしめたままだった。
何度も謝るものだから、私の方こそ迷惑を掛けてしまいましたと謝ったら、旦那様は驚いた顔で
「怒ってないのか?」
と言うので私は
「旦那様が悪いわけではありません」
と言った。そして旦那様は
「こんな事を言うと不謹慎だし、君は怒るだろうけど、君とこうなれた事が嬉しくもあると」
仰った。
私は顔が赤くなるのが恥ずかしくて旦那様の肩越しに顔をうずめた。
朝が来てアンがいつもの様に私のアトリエ兼寝室に洗面器にお湯を入れて持ってきてくれたようだったが、私がとなりの旦那様との寝室にいるのを察したのか、そのまま出て行く気配がした。
旦那様は起きると私の額にくちづけ、身体は大丈夫か、辛くないかと心配して下さった。そして
「私は大丈夫です」
と告げ、旦那様の方こそ今日は早くに王宮へ行かなくてはいけないのではと尋ねたら、
「やはり昨夜の一件が気になるので、オリバーのところと騎士団に行って来る」
と言い、
「一緒に居られずすまない」
と言い、気遣ってくれた。
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ジオ視点
メアリーに心を残しつつ昨夜の一件にかたをつけるためオリバーの屋敷へ行って一緒に王宮騎士団へと向かった。
どうやら昨夜メアリーを襲った犯人は今、地下牢に入れられているという。
取り調べにあたった者によるとやはり全ての指示を出していたのはルナだと白状したという。
今、ルナの屋敷に騎士団が向かっているという。
これからラナーク伯爵家は大変な事になるだろう。
念の為、今回の事件の事は早馬で領地に居る父にも知らせなければ。
ラナーク伯爵は私にとっても大事な伯父なのだから悲しまさせたくはないが、流石に今回のルナのしたことは許すわけにはいかない。
これからは自分が妻を守って行くのだから。
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ルナ視点
今、屋敷に王宮騎士団が来ている。まさかあの男、全部喋ったわけではないでしょうね? もしそうだとしたらお父様やお母様に何と言ったらいいというの? あの女があの男に襲われても世間的に考えれば表沙汰には出来ないし、黙ってお兄様の元を去っていくだけだと思っていたのに、もし全てが公になってしまったらどうしよう。両親にも迷惑が掛かってしまう。伯爵家もどうなるのかしら? 自分の浅はかな行動がとんでもない事になってしまった。
それもこれも全てあの女のせいよ。考えれば考える程腹が立つ。
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ついにことの真相が明らかになった。
私は勿論怖い思いもしたし、腹も立つが、考えてみれば彼女は幼い頃からずっと旦那様のことが好きで結婚を望んでいたのにいきなり出て来た子爵家出身の私が結婚してしまったのだから、辛い思いをしたのは確かだ。
だから重い罪、ましてや伯爵家の取り潰しまでは望んでいない。
だってなんだかんだ言っても伯爵家当主は義父様のごご兄弟なのだから。
旦那様にもお願いをして素直な今の自分の気持ちを伝えた。
旦那様も思うところがあった様で君がそう言ってくれるならと言って感謝の言葉を言って下さった。
私達は連名で重い罪は望まない趣旨の嘆願書を提出した。
一週間後、異例の速さで彼女は屋敷に戻された。
そして彼女は遠い北の地にある修道院に送られた。
加担した男は勘当され、炭鉱で強制労働をして生涯を送る事となった。
そしてもう一人の加担した女性は、内容は知らされず言われたとおりすればお金を貰えるからと協力しただけだったので、一年間の修道院での奉仕活動ということで全てが終わった。
最後まで彼女からの謝罪の言葉は聞けなかったが、私は返ってそれで良かった。その方が彼女に対し心が残らずにすむ様な気がしたからだ。
私は義両親や伯爵家の方から謝罪をされ、それらを受け入れた。
そして今、私達はそれらを過去の出来事として前を向いて歩もうとしている。
あれから半年が過ぎ、私は今また絵を描く仕事を再開した。
オリバー様のお母様の紹介もあり、仕事は山の様に依頼が来ている。
只、今はお腹に新しい命が宿っているので無理をしない様ゆっくりとしたペースでこなしている。
あれ以来旦那様は心配症になり、あれ程忙しくしていた仕事をどうこなしているのか? それとも放棄しているのか、毎日夕食には間に合う様に帰宅なさっている。
今では世間からもすっかり、愛妻家と言われるまでになっている。そして、子供の誕生を皆が楽しみに待ってくれている。
私の父や兄、お義姉様もこの屋敷に度々、顔をだしてくれている。
そして義両親も領地から沢山の子供のおもちゃなどを持って来ては、これで安泰だ。いつ引退してもいいなと言っては、旦那様に引き留められている。
まさか絵を描く事だけが生き甲斐だった私に、こんな日が訪れるなんて誰が想像できただろう。
こんな幸せな生き方もあるのだとあの頃の自分に教えてあげたい。
旦那様は、そんな私に
「こんな幸せがあることを教えてくれてありがとう」
と、言ってくださるけれど、私は
「それは私も同じです。今の私は誰よりも幸せです」
と返すと、旦那様は
「そんなふうに言ってもらえて、とても嬉しい。それに新しい生命をありがとう」
と仰った。そんな私は、今はただ、生まれてくる子供と旦那様、そして私の三人一緒の肖像画を描ける日を楽しみにしている。
完
アルファポリスさんにも投稿させてもらっています。