2話「名前を知らない君」1129日
◾︎2030年3月6日「名前を知らない君」1129日
受付を済ませ、控室の教室に入った時、俺はまたあの子を見つけた。
窓際の一番後ろ。
薄く笑ってはいたけれど、どこか寂しげな表情で外を見ている。
…やっぱり、小柄だ。制服姿の他の子たちと並んでも、ひときわ小さい。
けれど、その存在は不思議と目を引いた。
「1129」
あの子の頭の上に浮かぶ数字は、変わっていなかった。
変わるようなものでもないけど……やはり、それを見るたびに胸が痛くなる。
「隼人〜、ここ空いちゅうで!」
ふいに背後から声がした。振り向くと、控えめに手を挙げている男子がいた。
(あれ、俺…名前教えたっけ?)
戸惑いながらもその席に座ると、彼が小声で話しかけてきた。
「おんし、東京の子やろ?この辺じゃ有名やき」
「え、そうなん?」
「わしら田舎やき、越してきたすぐ噂になるがよ。わしは前田隼人、あ、奇遇やね、同じ名前やん」
「……あ、ほんとだ。俺は長坂隼人。よろしく」
不思議な親近感がわいて、俺は自然と笑っていた。
前田くん……か……
「ま、ここ来たらみんな友達やき、気ぃ楽にしぃや」
そう言って、彼はニカッと笑った。
こういう人が、いるんだな。
東京ではあまりなかった、人との距離の近さに少し驚いた。
その時、後ろの窓際から小さな咳が聞こえた。
思わず振り返ると、あの子が俺の方を見て
目が、合った。
一瞬だけ。だけど、確かに。
その瞳は、なんというか──光を宿していた。
消えそうで、でも必死に何かを掴もうとするような、まっすぐな光。
そして、彼女の視線が逸れたその瞬間、
俺は無意識に立ち上がっていた。
「…っ、な、なにしゆうが?」
「ご、ごめん、ちょっと、声かけてみたくて」
まるで自分でも理由がわからない。
ただ、何かに突き動かされるように、彼女の席へと歩いた。
「えっと……俺、長坂隼人っていいます。よろしく…です」
すると彼女は、少し驚いたような顔でこちらを見つめ、ふっと微笑んだ。
「……私、霜月姫。こちらこそ、よろしくね」
その笑顔は、春の陽だまりのように柔らかかった。
そして俺は、心の奥底で確信した。
この子と、これから大切な時間を過ごすことになるんだ、と。
それが喜びなのか、悲しみなのか。
この時の俺には、まだわからなかった。
次回「もう一度話したくて」1129