32.司教殺し
「魔物どもが、未だに、どこの国へも危害を及ぼしていないのはどいうわけでしょう? 勇者が使い物になるレベルへ到達するまで、大人しくしてくれていたことには感謝したいですが、そろそろ動きを見せてくれないと困りますね」
メーテス大聖堂の教皇室で、ニコラウスは苛立ちながら言った。
「市井では、魔王降臨の報は間違いだったのではないかとの噂が広がりつつあります。このままでは、アストレア教団の威信にも関わってくるかと……」
フランシスコ大司教は、ハンケチで汗を拭く。
「アオイを《死の森》へ向かわせ、奇襲により魔王を討伐させるというのはいかがでしょう?」
ニコラウス教皇は、首を横に振った。
「失敗した時のリスクが高すぎます。魔王を討ち損じた場合、魔王軍は報復のため人間の国へ侵攻してくるでしょう。他国が標的になった場合、原因を作ったのが我が国だと知れたら……」
「信用問題に加えて、賠償問題で国が終わる……」
「一大事でございます!」
教区長のマーロ司教が、ノックもせずに部屋に駆け込んできた。
「何事です。騒々しい……」
ニコラウス教皇が不快そうに顔をしかめる。
「貧民街の教会で、ベルゴリオ司教が殺されました!」
***
(人生の歯車が狂い、何もかもが上手く行かなくなった時、神様にすがりたくなるのは仕方ない――)
アンダーソンは思う。
(親父を流行り病で亡くし、女手一つで俺と妹を育てなきゃならなくなったオフクロが、アストレア教団に魂の救済を求めたことを責める気はない。
しかし――。
「徳を積む一番身近な方法は『布施』を行うことです。自分の持ち物を惜しみなく他人に与え、ともに助けあい喜びあうこと――施しは無上の善根であり、必ずや貴方の人生や来世に好き結果をもたらすことでしょう」
弱っているオフクロの心につけこみ、貧乏人から搾り取れるだけ、金を搾り取ったベルゴリオ司教……オマエだけは絶対に許さない!
親父と同じ病に伏せった妹の薬代すら、オフクロは教会に寄付した。
「きっと女神様がジョリーンを助けて下さるから……」
オフクロは言っていたけど、妹は死んだ。
ベルゴリオ司教、あんたが妹を殺したも同然だ!
……ジョリーン、仇はとってやったぞ。
兄ちゃんも、すぐ傍へ行くからな……)
ベルゴリオ司教を殺した短剣を自分の胸に突き立てて倒れてたアンダーソンは、満足気な笑みを浮かべて息を引き取った。
***
ニコラウス教皇とフランシスコ大司教は、物々しい数の護衛騎士を連れて貧民街の教会に足を運んだ。
「犯人は、ダリアという熱心な信者の息子です」
若い司祭が説明する。
「一月程前のことですが、母親が妹の治療費を勝手に持ち出したとかで、『金を返せ』と騒いでおりました……」
遺体の安置所に横たわるアンダーソンを一瞥した後、ニコラウス教皇は大袈裟によろけた。
「危ない!」
フランシスコ大司教が、慌てて背中を支える。
「教皇様、どうされました? 大丈夫ですか!?」
「な、なんということだ……! 恐ろしい……。悪魔が……この男には悪魔が取り憑いていたようです!」
「……?」
フランシスコ大司教は一瞬、戸惑ったが、すぐにニコラウス教皇の意図を察した。
「確かに……この男の体から悪魔の残滓を感じます!」
「おおーーーっ!」
護衛騎士団が、どよめいた。
「今回の魔王は、いきなり武力を行使するのではなく、皇国内を混乱させることを目論んでいるのかもしれません。だとすれば、早急に手を打つ必要があります。フランシスコ大司教、今から皇帝陛下のもとへ向かいましょう」
***
「人間に悪魔を憑依させ魔人に変える……だと? 魔王は、そのような悪辣非道なことを行っているのか!」
ニコラウス教皇から報告を受けて、アレキサンドル皇帝は玉座から腰を浮かせた。
「はい。まさに、悪魔の所業。彼奴の手により、魔人に変えられた者が多数、すでに国内のそこかしこへ潜伏しているやもしれません」
「探し出せ! 一刻も早く、忌まわしき魔人共を見つけ出すのだ!」
「皇帝陛下、魔人に変えられたのは平民だけとは限りません。もしかしたら、貴族の方へも魔王の手が伸びているやもしれません……」
「なるほど……そうかもしれんな」
アレキサンドル皇帝の目がキラリと光った。
「よろしい。貴族の方の調査は、我が受け持とう! アストレア教団は皇国騎士団と連携して、平民の中に潜む魔人共を一人残らず炙り出すのだ!」
「承知しました。異端審問所を早急に整備いたします」




