29.海洋都市国家アルデバラン③
渓谷の現場には、既にアモンが到着していた。
「ま、魔王様! な、なぜロキアの背に……」
「フッフッフッ……ねえ、アモン……ボク、何度も行かされちゃった♡」
「地滑りの現場! 被災者救出の現場にな、念のため!」
慌てて、アモンの背中から飛び降りる。
「う゛ーーーーー!」
2人は鼻先がくっつくほどの距離で睨みあった。
「来たか!」
ゴーレムたちが隊列を組んで到着した。
アモンの顔に緊張が走る。
「俺が造ったゴーレムたちだ。心配するな」
「そうでしたか……」
アモンは安堵の溜息を洩らした。
「危うく、全てを屠ってしまうところでした」
「サタンくん、ゴーレムたちをどうするの?」
「橋を造るんだよ」
深さ100メートル、幅300メートルくらいはある渓谷の底に、全てのゴーレムを向かわせる。
谷底に着くと、渓流を縦断するように一列に並ばせた。
谷底の土と岩石とゴーレムたちを素材にアーチ橋の作成に取り掛かる。
(イメージ……イメージ……)
《スターリング・ブリッジの戦い》で有名なスコットランドのアーチ橋を思い描く。
長い橋脚に4連のアーチを描く美しい橋が出来上がった。
「俺の仕事は、こんなところで終わりかな? ……ところで、リリスと緋魅狐は上手くやっているだろうか?」
「あの2人のことです。心配いりませんよ」
アモンが答え、ロキアも大きく頷いた。
***
「なるほど……地震でこれほどの大火災が発生するのは腑に落ちんと思っておったが、キサマのせいであったか。磁場の乱れごときで、我を忘れて荒れ狂うなど、所詮はケダモノよの……」
消火活動を終えたリリスは、火を噴きながら荒れ狂う三つ首のヒュドラに冷たい視線を向けた。
街にこれ以上の被害が出ないように、騎士団が必死に戦っている。
「騎士たちは下がっておれ! 妾がこの海蛇を始末する!」
リリスの右手付近に黒い霧のようなものが発生し、やがてそれは巨大な鎌に形を変えた、
「お気をつけ下さい! そいつは首を切っても再生しますぞ!」
騎士の一人が叫ぶ。
「はたして、そうかの?」
リリスが振るった大鎌は、チーズでも切るようにヒュドラの首の一つを切断した。
斬り飛ばされた首の断面には魔法陣が浮かび上がる。
「ガァアアアアア!!!」
ヒュドラが苦しそうに身体を震わせる。
頭は再生しない。
切断面の細胞が紫色に変色する。
「こ、これは……?」
騎士たちは息を呑んだ。
「人間たちが言うところの『闇魔法』じゃ。魔法陣から生み出された毒が血液と結合し、全身を巡る。コヤツは解毒しようと必死なようじゃが、妾との魔力の差から、それは叶わん。……断末魔で暴れられたら後が面倒じゃ。早々に逝ってもらおう」
リリスは残った二つの首も斬り落とした。
***
負傷者が集められている教会では、卑魅狐の前に多くの列が出来ていた。
アルデバランに流通しているポーションでは簡単に治らない深傷を負った者ばかりだ。
「卑魅狐殿、この子供を先にお願いします! もう息が……息が細くなっていて……!」
血だらけの少年を運んできた若い騎士が、悲痛な声を上げる。
「これは……深刻な容態でありんすな。順番を待っている者には申し訳ありんせんが、この子を先に治療しんす」
「もちろんです、卑魅狐さま! 俺たちよりも先に、その男の子を助けてやってください!」
列に並ぶ人々は、口々に言った。
卑魅狐が治癒を始めようとした時、腕に大怪我を負った貴族が駆け込んできた。
「怪我を治してくれるという魔物はオマエか? ワシはこの国の伯爵、ジャスティン・ポートランドだ。早く、ワシの怪我を治せ」
「たしかに酷い怪我でありんすね。この子の後に診るとしんしょう。待ってておくんなんし」
「そんな薄汚い庶民の子供の後だと!? ワシは貴族だ! ワシの方を先に治療するのが当然であろう!?」
伯爵の言葉を無視して、卑魅狐が治癒魔法を展開する。
柔らかな緑色の光が子供の全身を包んだ。
「主さんが手遅れになっても失うのは腕一本で済みんすが、この子は間違いのう死にんす。どちらを優先すべきかは、説明しなくてもわかりそうなものでありんすが? 現に、列で待っている者たちは運ばれてきた子供を見て、瞬時に理解しておりんすよ」
「人間の世界では、貴族が庶民より優先されるのが常識だと言っておるのだ!」
「これは、おかしなことを」
卑魅狐は、ころころ笑った。
「アチキは魔族でありんすよ。目の前にいる人間が貴族であろうと庶民であろうと関係ありんせん。アチキがこうして治癒しているのは、魔王様のご命令に従ってのこと。……それに魔王様は、子供が大好きなのでありんすよ。暇があれば魔族の子供たちと遊んでおられんす。主さんを治癒している間に、この子を死なせてしまったら、アチキが叱られてしまうのでありんすよ」
子供の傷が塞がっていく。
折れていた骨が繋がり、破裂していた内臓も再生した。
顔には血色が戻り、呼吸も正常なものに戻った。
「あれ……ここはどこ?」
「気がつきんしたか。痛みはありんすか?」
「ううん、全然痛くない! お姉ちゃんが治してくれたの?」
「半分は。残りの半分は、坊や自身の力でありんす。いくら治癒魔法をかけても、治りたいという意思がありんせん者には効きんせん。あれほどの怪我を負いながら、よう諦めんで頑張りんした。エライでありんす」
卑魅狐は少年の頭を撫でた。
「お姉ちゃん、ありがとう!ぼく、頑張って勉強する。そして、お姉ちゃんみたいに、治癒魔法で怪我した人を助けられる人になる、約束するよ!」
卑魅狐は、少し擽ったい気持ちになりながら、少年に手を振った。
「さて、それでは主さんの右腕を看んしょうか……」
「いや、列の最後尾に並ぶことにしよう」
「正気でありんすか? 主さんの怪我も相当でありんすよ」
「いまの治療を見る限り、この腕は完全に元に戻るだろう。だったら、急ぐ必要はない。痛みをこらえているのは、皆同じだからな」
「そんな! 我々がポートランド伯爵様より先に治療を受けることなどできません!」
「気にするな! 魔族の治療を受けるのだ。魔族のルールに合わせるのが筋というもの」
「よう言いんした! その程度の怪我、完璧に治してみせるから、安心して待っているでありんす」




